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超Q探偵  作者: XI
89/204

21.『潔い薄命』 21-1

 奇天烈な『タイガーラグ』から入り、次に『煙が目に染みる』、それからフォンが入っての『オール・ザ・シングス・ユー・アー』。演奏が終わるたびに私は拍手を送った。


「三曲目がスゴく好みでした」


 そう言ったメイヤ君はブラッディマリーが入った細いグラスを右手に持ったまま、野球で言うところのヘッドスライディングをするような姿勢でテーブルに身をのせている。白いはずのほおは桃色。彼女は私を見て、「うへへぇ」と笑って見せる。すでに酔客だ。


「サックスって、カッコいいですよねぇ」

「そうだね。この上なくカッコいいね」

「テナーにしろ、アルトにしろ、サックスは体の大きなヒトに良く似合います。にしても、うへへへへぇ。お酒って美味しいですよねぇ」

「ウォッカはあってもトマトジュースは切らしてるってバーテンが言ってくれると助かったんだけれどね」

「ウォッカの厚みとトマトジュースの酸味がたまらんのですよぅ」

「飲みすぎだよ」

「まだ四杯目じゃありませんか」

「メイヤ君、君はお酒に強くないことをもう少し自覚するべきだ」

「マスターッ! もう一杯くださーい! 今度はさっぱりとしたレッドアイがいいでーす!」

「こら。やめておきなさい」

「嫌です、飲みます。わたしなりに、日々、たまっているものがあるのです」

「何が不満なんだい?」

「冗談でーす。不満なんてありませーん」

「だったらね、メイヤ君」

「それよりマオさん」

「なんだい?」

「さっきから、ちびちび飲んでいらっしゃいますけれど、カウボーイなんて、美味しいですか? バーボンのミルク割りだなんて、到底、イケてるようには思えないのですけれど」

「でも、私はこれが好きでね。体の芯から温まるから」

「じじくさいです」

「そう言われるかもしれないとは思ったよ」


 実に秀逸な『オール・ザ・シングス・ユー・アー』を聴かせてくれたサックス吹きが楽屋から出てきた。次のセッションにも参加するのかと思ったのだが手ぶらだった。 


 サックス吹きが近づいてきた。すらりとした長身。黒シャツに黒いズボン。ほのかに茶色い髪はショートボブ。パーマをかけているのだろう。全体的にひらひらしている。左の耳たぶには銀色にきらめく小さなピアス。まだ若い。私と同年代ではないか。非常に中性的な見た目をしている。


 サックス吹きは『へべれけ』になってしまっているメイヤ君を優しい表情で見ると、今度は私に微笑みを寄越した。

 

「座っても?」

「ええ、どうぞ」


 私に促されるままに、サックス吹きは長椅子に座っているメイヤ君の隣についた。


「このお嬢さんは聴き手のかがみです。誰よりも興味を持っているふうな顔をしてくれて、そして、誰よりも拍手をしてくれた」

「半分以上、酔っ払いですけれどね。しかし、お上手でした。感銘を受けました」

「恐縮です」

「いえいえ」

「初めてですよね? ここを訪れるのは」

「良くご存じですね」

「ヒトを観察するのが趣味なんですよ」

「ジャズを聴かせる馴染みの店は他にあるのですが、たまたま今夜、この店の前を通りがかった時に、彼女がね、ここに入ろうと言い出したんです」


 彼女とは当然、メイヤ君のことだ。メイヤ君はテーブルに上半身をのせたまま、サックス吹きの男性を見てにやにやと笑った。


「うへへぇ。男前ですねぇ。モテるでしょう、おにいさん」

「おにいさんとは失礼だろう、メイヤ君」

「だって、おにいさんなんですもん」


 メイヤ君は首に両腕を巻きつけるような格好でサックス吹きに抱きついた。彼は困ったように笑った。


「美しい曲でした。だから、おにいさんは素敵なヒトなんだと思いますよぉ」

「メイヤ君」

「あれれれれぇ。マオさんってば、ひょっとして、妬いているんですかあ?」

「そうではないけれどね」


 サックス吹きから離れたメイヤ君である。ばたんとテーブルに突っ伏す。いよいよ睡眠モードに入ったようだ。


「カウボーイですか。それをオーダーされるお客さんは珍しい」

「実際、あまり気の利いたカクテルだとは思えないんですけれどね。それでも私はこいつが好きなんですよ」

「ご職業は何を? ああ、不躾な質問だと思われたなら、お答えになる必要はありません」

「探偵をやっています」

「探偵さん?」

「ええ」

「僕の隣で寝てしまった彼女は?」

「助手です。ご覧の通り、手がかかってしょうがない」

「かわいらしいお嬢さんじゃありませんか」

「まあ、そうなんですが」

「他の職業に就くことはお考えになられなかったんですか?」

「ヒトに使われるのは好きではないんですよ」

「自営業にも色々あると思いますが」

「それでも私は探偵業を選んだ」

「なぜ?」

「それが最も効率的だと考えたからです」

「効率的?」

「ええ。とにかくそういうことなんですよ」

「意味深な言い方ですね」

「でも、それが真実です」


 サックス吹きは運ばれてきたロックのウイスキーを飲み、細い喉を小さく鳴らした。


「実は僕にとっても音楽をやるのは効率的なんですよ。何せ、趣味と実益を兼ねている有意義な職業ですから」

「楽器ができるヒトはうらやましいと思います」

「そうですか?」

「ええ。私も幾度かチャレンジしたことがあるのですが、どうしても上手く弾けませんでしたし、上手く吹くこともできなかった」

「楽器が苦手だとおっしゃられるのなら、歌えばいい」

「無理です」

「それはどうしてですか?」

「私はひどく音痴なんですよ」


 サックス吹きは可笑しそうにくすくすと笑った。


「そんなこと、気になさらなくたっていいのに。そもそも音楽なんて、本人が楽しめるかどうかなんですから」

「自分でも聴くに堪えない音楽をやるのは、どうにも気が引けてしまいましてね」

「正直なかたですね」

「ニンゲン、謙虚であるべきです」


 私はカウボーイを一口飲んだ。

 サックス吹きは氷を舐めるようにしてウイスキーを口にした。


「探偵さん。もしよろしければ、僕の相手をしてもらえませんか?」

「話を聞くだけならできますが」


 途端、サックス吹きが咳き込んだ。彼は右の手のひらで口元を押さえる。咳き込んだあとのその右手には、少々血液が付着していた。


「貴方は……」

「その昔、薬の売買に関わっていました。ヤクザからすればイリーガルな手段で、です。だから彼らの逆鱗に触れてしまったわけですが。無作法なお願いをします。探偵さん、僕の胸に触れてみていただけますか?」


 断る理由もないので、私はゆっくりと右手を伸ばし、サックス吹きの胸に触れた。

 そこには女性の柔らかさがあった。彼の胸は膨らんでいて、それは乳房と呼べるものだった。


「ヤクザに捕らえられ、薬漬けにされて、ホルモンのバランスが崩れてこうなりました。内臓を悪くしたのも薬のせいです」

「貴方のお名前は?」

「ニルスといいます。ニルス・ジャレット」


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