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超Q探偵  作者: XI
85/204

20-4

 事件についての調査を請け負ったわけだが、色々と動いてみたところで、まるで取っ掛かりが得られない。切り口が見当たらない。


 そこで少々目先を変えてみることにした。


 私が誰よりも買っている、などと言うと本人には無礼極まりないのだが、そんな『彼女』を訪ねることにした。今の私に必要なのは謙虚さだ。その気構えで情報を掻き集めるしかない。


 薄汚れたコンクリート造りの建物の前に至った。表から二階へと続く狭い階段がある。どういった商売を営んでいるのか、それを示す看板はない。『彼女』には商売っ気などないからだ。


 二階に上がると、待合室に三人いた。内訳は男が二人で女性が一人。いずれも患者だろう。私とメイヤ君は安っぽい緑の丸椅子に座り、順番が来るのを待った。


 『彼女』に診てもらった患者は、一様にすっきりした顔で場をあとにする。患者の鬱さや不安を取り除く。それが彼女の役割だ。その能力はずば抜けている。だからこそ私は彼女のことを敬い、最大限、評価している。


「次」


 という低い声が聞こえた。メイヤ君とともに診察室へと足を踏み入れる。回転椅子に腰掛けている白衣姿の女性がカルテを記していた。白い肌、長い黒髪、薄い唇に涼しげな目元、華奢な肩に細い脚。私と一回りは違うという話だが、私は『彼女』ほど美観に優れた女性を他に知らない。


「なんだ、おまえか」『彼女』は私のほうに回転椅子を向けて、そう言った。

「ご無沙汰しています、フェイ先生。お元気そうで何よりです」

「そういった社交辞令的な物言いは好かんな」『彼女』、フェイ先生は「ふん」と鼻を鳴らした。「隣のガキはなんだ?」


 私の隣でメモとペンを構えているメイヤ君にフェイ先生が目をやった。鋭い目つきだからだろう、彼女はビクッと肩を揺らした。


「彼女は私の助手ですよ」

「助手? 知らなかったな。そんなモノを雇えるくらい、探偵とやらは儲かるのか」

「まあ、色々ありまして」

「誰なんですか? このヒト」メイヤ君が背伸びをして耳元でささやいてきた。「ちょっと、ただならぬ雰囲気を感じますけれど……」

「わざわざ耳打ちするな。気分が悪いぞ」


 フェイ先生に言われた途端、メイヤ君「はいっ、ごめんなさいっ」と言って、弾かれたようにビシッと背を正した。天真爛漫で少々のことでは動じないメイヤ君であるが、フェイ先生の迫力に気圧されるのは無理もない。


「フェイ先生は精神科医だよ。セラピストもやっている。ただ、処方する薬は不法に横流しされたものだけれどね」

「余計なことは言わなくていい」

「席についてもよろしいですか?」

「ああ。許可してやる」

「ありがとうございます」私は丸椅子に腰を下ろした。「早速、話に移らせてもらいます。殺人事件が発生しました。被害者は若い女性です」

「刃物で首を切り裂かれたというヤツか?」

「良くご存じで」

「それくらいの情報は得ている」

「今日、二人目の被害者が見つかったんですよ」

「ほぅ」

「事件について、フェイ先生はどういった見解を持たれますか?」

「ネタが少なすぎるだろうが。しかし、言えることはある」

「それは?」

「異常者の仕業だろう」

「先生にとっての異常者とは、どういった人物を指しますか?」

「異常者は異常者だ。それ以上でもそれ以下でもない」

「ふむ」

「他に手がかりは? ないことはないんだろう?」

「現場に指紋が残されていました。犯人は被害者の血液に右手を浸した上で物に触れたんですよ」

「それもまた異常だな」フェイ先生は煙草をくわえ、マッチで火をつけた。「犯人像について話そう」

「お願いします」

「犯人は恐らく、殺人という行為自体については、なんの感情も抱いていない」

「それは、想像できますが」

「ではなぜ、殺人を犯すのかという話になるわけだが」

「ええ」

「正義は議論の種になるが、力は非常にはっきりしている」

「というと?」

「簡単な話だ。力を持つ者が己の欲求を吐き出しているということさ」フェイ先生は口元をにぃと緩めた。「興味深い検体だ。いつでもいい。そいつと対面してみたいものだな」

「とはいえ、犯人の思考はトレースできるのでしょう?」

「ある程度は、な。興味深いよ、本当に。ヒトの深淵にあるつまらん欲望を具体的かつ大胆に体現して見せるやからなんて、そうはいないことだろうからな。ああ、面白いな。クソが詰まった泥船みたいなこの世界でそいつがどう考え、またどう行動していていくのか、その点について思考を巡らせると鳥肌が立つ」

「フェイ先生に愉悦を与えるだけの話でしたね」

「繰り返しになるが、いつでもいい。そいつを連れてこい。最優先で相手をしてやる」

「犯人について学んだ先に何があると?」

「私をイかせるだけの考えの持ち主であるなら幸いだというだけだ」

「ふむ……」

「マオ、忠告だ。何事においてもいつもそうだが、おまえは『型』にはまった考えかたしかできていない」

「ヒトによっては、私の思考は飛躍しっぱなしに見えるようですが」

「私にとっては、おまえの考え方は愚直すぎるし、慎重すぎるな。順序性、すなわちシーケンシャルさはあっても、ダッシュやジャンプに欠けている。それはおまえが感受性に優れているということの証左にはなるが、ひと言で片づけてしまうと、おまえは馬鹿だという評価に他ならない。ヒトというのはおまえが思っているよりもっとファジーな存在だ。物差しで測れるようなニンゲンなどいやしないのさ」

「一つの理論として、それは理解できますが」

「とはいえ、ただ一つだけ、ニンゲンには共通性がある」

「それは?」

「鈍間で愚かだということだ。『パノプティコン』は知っているな?」

「ええ」

「『パノプティコン』型の社会の運用が、私は最良だと考えている」

「それはいささか、傲慢なのでは?」

「傲慢なものか。愚鈍な庶民どもを管理するにあたっては、最も優れたシステムと言える。雑然としすぎているんだよ、この街は。もっと規律的であっていい。全展望型の監視社会であれば、自然と犯罪は激減する。カビの生えた古臭いものは、一度、さっぱりさせたほうがいいんだよ。『いち』から作り直したほうがいい。たとえ時間がかかったとしてもな。いい加減、お偉方は先人の知恵に学ぶべきだ。アイデアを取り込むべきだ」

「フェイ先生のそのお考えに未来はありますか?」

「未来など必要がない。ヒトの可能性に物事を賭す時代はすでに終わっている。整然かつわかりやすい社会。そうあることの何が悪い?」

「『パノプティコン』という概念は、私にとって、人類の死と意味が等しい」

「多様性を謳うのは結構なことだ。だが、私はそこまで人類に期待していないと言っている」

「そうおっしゃられる割には、先生は患者を迎え入れるというかたちで、生々しいヒトの本性に触れられているではありませんか」

「私は世捨て人だよ。だから遊んでいる。ヒトの心とはかくも御しやすいものかと、内心、笑い転げているところだ」

「にしても、ここで『パノプティコン』を持ち出しますか」

「功利主義者にアナーキスト、それにアジテーター。おまえはそういった彼らが抱くリアリティについて、もっと見識を深めるべきだ」

「私が今、追おうとしているニンゲンは、それらのいずれかに該当するのでしょうか」

「さあ、どうだかな。私から言えることは、自らの知見や経験を一度疑ってみろということだ。持論をくつがえすほどに考え抜いてみろということだ」

「捕縛できたとするなら、どうするべきですか?」

「どうすべきかは問題ではない。どう扱うかが問題だ。この国の行政は、やっこさんの存在を認めないだろう。結果、殺処分されるというのが関の山だ。ヒトの本質がもっと賢明であり、かつヒトが『バルニバービの医者』にでもなれるのであれば、また話は違ってくるがな」

「やれやれ。先生とお話しすると、いつも煙に巻かれたような気分になる」

「そう感じるのは、おまえがほうだからだ」


 ふいに右の肩をぽんぽんと叩かれた。そちらを見上げると、突っ立っているメイヤ君が、前を向いたまま、ぽかんとしていた。


「あ、あの、マオさん」

「うん、なんだい?」

「途中から、まったく話についていけませんでした。『パノプティコン』って誰なんですか?」

「『パノプティコン』はヒトの名前じゃないよ」

「じゃあ、なんなのですか?」

「帰りに本屋で『ベンサム』を買ってあげよう」

「『ベンサム』?」

「ああ。『ジェレミ・ベンサム』だ」

「読んだらためになりますか?」

「多少はね」

「『バルニバービの医者』というのは?」

「わかった。『スウィフト』も買ってあげよう」


 フェイ先生が「ところで」と言ってメイヤ君のほうを向き、彼女に鋭い目を送った。そのせいで、「ひっ」と身をびくつかせたメイヤ君である。


「ところでおまえは誰だったか」

「め、メイヤです。メイヤ・ガブリエルソンです。その、マオさんの助手をやらせていただいていて……」

「おまえは運動神経は悪くないな」

「は、はい。それは自負しています」

「だが、そうだな。例えば……おまえはスキップができない」

「えっ!」

「おまえは母親と二人暮らしだった。だが、母親は『人売り屋』の手にかかり姿を消した」

「えっ、えぇーっ!」


 メイヤ君は私とフェイ先生を交互に見て、目を白黒させる。


「ど、どうしてそこまでわかるのですか!?」

「何事も、観察力と論理的思考だよ、メイヤ嬢。わざわざ言葉を尽くさなくたって、わかることもある」

「そ、そうなんですか、マオさん」

「先生にとっては、そうらしいね」

「ここっ、怖いです、フェイ先生って」

「だから、そういうヒトなんだよ、フェイ先生は」言って私は丸椅子から腰を上げた。「ありがとうございました。非常に勉強になりました」

「いくらか置いていけ。『時は金なり』と言うだろう?」


 言われた通り、私は懐の長財布から三枚ほど紙幣を取り出し、それを彼女のデスクに置いて、辞去しようとする。


 背後から声をかけられた。


「ああ、そうだ、マオ。最後におまえと寝てやったのはいつのことだったか」

「ねねね、寝た!?」メイヤ君がまた目を白黒させる。「寝た? 寝た? 寝たって、まさか、そういうことなのですかっ、マオさんっ!」

「あまりつまらないことは言わないでくださいよ」私は苦笑する。「ええ。フェイ先生、カンベンしてください」

「おまえのはデカくて太い。まったく、くわえがいがあるよ」

「くく、くわえがいっ!?」

「メイヤ君、一々細かく反応することはよしてほしい」

「でで、でも、寝たとかっ!? くわえがいがあるとかっ!? フェ、フェイ先生、それって本当のことなのですかっ!?」

「嘘を言ってどうする」

「先生、彼女をいたずらに刺激するような言動は控えていただきたい」

「まあ、マオ、そう怖い顔をするな。メイヤ嬢をからかっているだけさ」フェイ先生は「はっはっは」と笑い飛ばした。「当該案件について何かわかったらまた知らせに来い」

「ええ。わかりました」


 私はそう言い残して、フェイ先生の医院をあとにした。


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