19.『黄金の蛾』 19-1
夜、街の大通りを歩いての帰路。
コンクリート造りの建物の高いところに張りつけられた看板が、ずっと向こうまで続いている。揃って歩道にせり出していているそれらは、白色、それにオレンジ色等の光で彩られ、煌々としている。賑やかな時間帯だ。人通りも多い。
家路についている最中にあって、異常な男と出くわした。左方の『胡同』から飛び出してくるなり、三十メートルほど先の歩道でいきなり発砲し始めたのだ。あさっての方角に向けて狂ったように乱射する。男は「うわあっ、うわあっ!」と叫びながら、何かから逃げようとするみたいに向こうへと走り出した。すかさずメイヤ君があとを追う。だから私は、「メイヤ君、やめなさい!」と大きな声を出さざるを得なかった。それでも彼女は止まらない。いちもくさんに駆けてゆく。
「追うのはよしなさい、メイヤ君! 危険が伴う!」
そう叫んだのだが、メイヤ君は一向に言うことを聞いてくれず、ただひたすら走る。
「メイヤ君っ!」
「ここで逃がしちゃいけませんよ!」ようやく前を行くメイヤ君から返答があった。「迷惑極まりないヒトはここでとっつかまえなきゃいけません!」
「わかった! わかったから君は止まりなさい! 私が話を聞くから!」
足を止めないメイヤ君は、男が消えた『胡同』に飛び込み、さらに百メートルほど駆けたところで、ようやっとストップしてくれた。建物の陰から路地を覗き込んでいる。向こう見ずな性格の彼女にしては慎重な行動だ。どのあたりがデッドラインなのか、それくらいは見極められるようになったのだろう。
「やっこさん、もう逃げようがありませんよ。この先は行き止まりなので」
「良く知っているね」
「『胡同』だけじゃありません。狭い路地もわたしの縄張りなのです」
「君の行動範囲が広いのは理解した。だからといって、暗い道に出入りするのはやめなさい」
「はーい」
「生返事もよしなさい」
「はーい」
私はメイヤ君を下がらせた上で、壁の陰から路地の様子を窺った。男が逃げ込んだ先は確かに袋小路になっている。何せ人通りの多い大通りで弾丸を放ちに放った人間だ。正気の沙汰ではない。何かドラッグをやっているのではないかと予感させられた。
銃を手に路地へと踏み入った。すかさず男の後頭部に照準を合わせる。肩で息をしている男が振り返った。右手に拳銃をぶらさげている。
「あ、アンタは誰だ?」
「探偵です」
「た、探偵?」
「け、消してくれ」
「は?」
「お願いだ。俺の目を潰してくれ。それがダメだったら脳を潰してくれ」
「一体、何を言っているんです?」
「『蛾』が見えるんだ。『黄金の蛾』が見えるんだ」
「『黄金の蛾』?」
「いいから、俺を殺してくれ。殺してくれないってんなら」
そこまで言うと、男は自らの右のこめかみに拳銃の口を当てた。
「やめてください。そんな真似は」
「とにかく『蛾』がうっとうしいんだ。『蛾』が見えるんだ、『黄金の蛾』が見えるんだよぉっ!」
「銃を手放しなさい」
「『蛾』が、『黄金の蛾』が見えるんだ!」
「それはもう伺いました。今一度言います。銃を捨てなさい」
「『蛾』なんだよ、『蛾』なんだ! 気持ちが悪くてしょうがないんだよぉっ!」
そう叫ぶと、男は自らのこめかみを撃ち抜き、うつ伏せにどっと倒れ込んだ。頭を撃ったのだ。助かる見込みなんて皆無だろう。
私が銃を懐におさめたところで、メイヤ君が私の隣に姿を現した。
「驚きました。そして怖いです。自分の頭を撃ち抜くなんて」
「落ち着いてそう言えるあたりに君の成長を感じる」
「ヒトの死について、ちょっと麻痺しちゃっているのかもしれません」
「思い切った自殺だ。こめかみを撃ったわけだからね」
「『黄金の蛾』が見えるとかなんとか言ってたように聞こえましたけど……」
「やっぱりドラッグによる幻覚症状じゃないかな」
「副作用ってヤツですか」
「そう見受けられるように思う」
「とりあえず、おまわりさんを呼んできますね」
「ああ。そうしてほしい」




