18-2
夕方。
メイヤ君が塾から帰宅した。ソファセットのテーブルにトートバッグを置くなり、回転椅子の上にて二日前の新聞に目を通していた私のもとに近づいてくる。彼女はいきなり両手でデスクをバンッと叩いた。
「メイヤ君。何度言わせるんだい。デスクを叩くのはよしなさい。やかましいから」
「塾、メチャクチャ楽しかったですよ!」
「ほぅほぅ」私は新聞に目を戻した。「メチャクチャ楽しかったのかい」
「最年少のクラスなので、やっぱり小さなコばかりなのです。わたしより五つも六つも下のコばかりなのです。いやあ、参りましたですよ。みんな、メイヤおねえちゃんメイヤおねえちゃんと言って慕ってくれるのです」彼女は「てへへ」と頭を掻いた。「ちょっぴり母性本能というものを自覚した次第なのです。男のコも女のコも、みんなかわいいのですよ」
「それは良かったね」
「あー、またそうやって気のない返事をするぅ」
「君が賢くあってくれると私もきっと得をする。なんと言っても、君は私の助手なんだからね」
「ですよね? ですよね?」
ソファについたメイヤ君である。彼女はトートバッグから取り出した教科書やノートをテーブルの上に広げた。
「何をするつもりだい?」
「決まっているじゃありませんか。復習ですよ、復習。九九を書くのです」
「九九も知らなかったのかい」
「あ、馬鹿にしてます?」
「感心しているんだよ。九九の心得もないのに君は計算が実に速いから」
「私は天才なのです。百年に一人の逸材なのです」
「あるいは、そうなのかもしれないね」
「でしょう、でしょう、そうでしょう?」
メイヤ君は、ご機嫌な様子でペンをさらさらと走らせる。
その動きが急に止まった。
「お母さんも私を塾に入れてやりたいと考えていたのでしょうか……」
「そう切り出されたことはなかったなかったのかい?」
「ありませんでした。ただ毎月、たくさん服を買ってくれました」
「君はおしゃれさんだからね。小さな頃からそうだったんじゃないかな」
「その通りです。物心ついた時から、おしゃれに興味がありました。おませさんだったのです」
「他意なく率直に言うよ?」
「はい」
「君のお母様は娼婦だった。だけど、娼館ではね、たとえ売れっ子だったとしても、そんなに稼ぎがあるわけじゃないんだ。雇い主にピンハネされてしまうんだよ」
「要するに、どういうことですか?」
「将来のことを考えると塾に通わせてやるべきだということはわかっていたんだろうけれど、お母様は限りある稼ぎの中で、君に服を買ってやることに喜びを感じていたんだ。君に服を買ってやることで、君の笑顔が見たかったんだよ」
「笑顔、ですか?」
「ああ、笑顔だ」
「マオさん」
「うん?」
「お母さんのこと、わたしは今でも大好きですから」
「嫌う理由はないはずだ」
「お母さんは一所懸命、わたしのために頑張ってくれたのです」
「だったら、君も一所懸命に生きなさい」
「そうします」
その後、復習を終えたメイヤ君は、予習にも励んだのだった。




