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超Q探偵  作者: XI
58/204

14-5

 事務所にて。


 私は柄にもなくタキシードに身を包んでいる。メイヤ君が貸衣装として持ち込んだものだ。シャツのウイングカラーが首元でなんともうっとうしい。


 メイヤ君はというと、ワインレッドのドレスを身にまとった。やはり貸衣装屋から借りたものだ。露出が多く、胸元も背も大きく開いていて、大胆なスリットが入っている。白いショールまで身に着けて、なんともわくてきな装いだ。まだまだ子供扱いしている私ではあるが、今のメイヤ君は『女性』に見える。


 十九時前になって、メイド姿のヤーイー氏が我が事務所を訪れた。その理由について、やっぱりそういうことなのかと理解した。メイヤ君が前日にヤーイー氏に何を耳打ちしたのか、その内容についてもいよいよ確信を得た。


 メイド服姿のヤーイー氏は例によって、「ごめんなさい、ごめんなさい。遅れてしまって、ごめんなさい」と、ぺこぺこ頭を下げた。


 メイヤ君との約束通りであれば、ヤーイー氏は十七時頃には訪ねてくる予定だったに違いない。それができなかったのは、晩餐会の準備や応対で忙しかったからだろうか。否、某人物に自らの想いを告げるふんぎりがなかなかつかなかったから、とりあえず、目の前の仕事をこなしていたのだろう。そのふんぎりがついたのだ。だから彼女は意を決してここに姿を現したのだ。


「ギリでしたね」メイヤ君は笑顔を見せた。「ヤーイーさんにお越しいただけないのであれば、こちらから乗り込んで、多少乱暴なの対応をしていました」

「乱暴な対応、ですか……?」

「はい。少々、無茶をしなくちゃいけなかったということです」

「あの……」

「なんですか?」

「メイヤさんがどういうおつもりなのかは、さすがに見当がついています。だけど、メイヤさんが私にそこまでしてくださる理由がまるでわからなくって……」

「ヤーイーさんが好きなんです」

「えっ」

「わたし、ヤーイーさんのことが大好きなんです」

「好きだから、私のために頑張ろうとしてくださっているんですか?」

「はいっ」

「そんな、だけど、私なんて……」

「自分を卑下するのは良くないです」

「だからって……」

「おめかししましょう」

「えっ」

「とにかく、おめかしするのですよ」


 メイヤ君はソファの背もたれに掛けてあった漆黒のドレスを手にすると、もう片方の手でヤーイー氏の手を引き、二人揃って、けっして広くはない洗面所へと姿を消した。引き戸がばたんと閉められる。

 

 二十分ほどが経過すると、ドアが開き、メイヤ君に背を押されるようにして、漆黒のドレスを身にまとったヤーイー氏が姿を見せた。化粧もしていて、そばかすが目立たないようになっている。髪はアップに結われていて、真っ赤なルージュがひときわ目を引く。馬子にも衣装だなんて言うと失礼千万に違いないのだが、ヤーイー氏は実に美しく仕上がった。メイヤ君からすれば、しめしめといったところだろう。自分が思い描いているシチュエーションに必ず帰結すると信じているはずだ。なんとも『お花畑』な思考ではあるが、そんな考え方があってもいいと思う。


 待たせていたタクシーに三人で乗り込んだ。メイヤ君が助手席でシートベルトを締め、私とヤーイー氏は後部座席で隣同士に並んだ。


「め、メイヤさん」

「はい、なんでしょうか?」

「貴女のお考えはその、重々わかっているつもりです。でも、こんな真似をしたところで、きっと何も変わらないわけで……」

「ヤーイーさん」

「は、はい」

「今のヤーイーさん、とっても綺麗です。とってもとっても綺麗です」

「そんな、私なんて……」

「まあ、見ていてください。男なんて、『おちゃのこさいさい』ですから」

「そうなんでしょうか……」

「そうなのですよ。っていうか、とにもかくにもやってみないことには何も始まらないじゃないですか」

「そうかもしれませんけれど、その、あの……」

「もう一度言います。殿方なんて、『おちゃのこさいさい』なのですよ」


 くだんの邸宅の前に到着した。腕時計に目をやると二十時前。晩餐会には二時間ほど遅刻だ。正門は閉ざされている。招待客の名簿には私達の名もあるはずだが、決められた時間に来ないことから、門は閉め切られたのだろう。まあ、晩餐会に遅れて来るような人間など無礼千万だ。門番からすれば私達を通すつもりもないのかもしれない。


「さて、レッツゴーですよ!」


 メイヤ君は勢い良くそう言うと、いち早くタクシーから降車した。私、それにヤーイー氏もあとに続く。


 今夜も初老とおぼしき巨躯の男性が門番ををしている。彼に向かって、メイヤ君が「こんばんは、おじさま」と淑やかに言った。


「やあ、お嬢さん、こんばんは。なるほど。二名の欠席者っていうのは、お嬢さんとそっちの男前のことだったのか」

「最初から欠席するつもりはありませんでした。だけど、遅れてしまったことについては、ごめんなさい」

「確かに遅刻はいただけないが……」そう言うと、門番は私の隣の人物に目をやった。「ヤーイーちゃん、どうしたんだい、その恰好は」

「これは、その、あの、すみません。すみませんっ」やはりヤーイー氏はぺこぺこと頭を下げる。「晩餐会の仕事のさいちゅうに抜け出してしまったわけです。私をお屋敷の外に出したことで、何かお咎めがあったのではありませんか?」

「それくらい、かまわないさ。何せ生真面目なヤーイーちゃんが真剣な顔で言ってきたんだからな。表に出してやるくらいはするさ。それにしても……」


 しげしげといった感じで、ヤーイー氏の姿を下から上へと舐めた初老の門番である。彼女はこれまた申し訳なさそうにうつむいた。恥ずかしそうである。照れくさそうでもある。


「ヤーイーさんのこの姿を見ても、おじさまはピンと来ないのですか?」メイヤ君が柔らかなニュアンスで問いかけた。「ピンと来ないのであれば、少し鈍感なのだと思います」


 門番の男はヤーイー氏に改めて目をやる。それから口元を緩め、微笑んだ。


「そうか。ヤーイーちゃん、そうかそうか。そういうことなんだな?」

「えっと、はい。まあ、なんというか、その……」


 初老の門番は門の向こうにいるガードマンの男に、鍵を解いて勝手口を開けるようにと言った。ガードマンは何も問わずに扉を解錠した。屋敷の警備にあたっては、どうやら初老の門番が実権を握っているようだ。


「ヤーイーちゃん」

「は、はいっ」

「やるだけやってきな。後悔だけは残さないようにな」

「後悔、ですか……?」

「自分を信じるんだ。上手くいくって信じるんだ」

「そんなこと、私には、とても……」

「今のヤーイーちゃんはとても綺麗だよ。見違えるくらい綺麗だ。黒いドレス、よく似合ってるよ」

「でも、あの……」

「行ってくるといい。俺は応援する。俺はヤーイーちゃんのことを自分の娘みたいに思っているんだ」

「それはその、ありがとうございます……」

「礼はいいよ。とにかく行ってきな。頑張りな」

「はい。わかりました……」


 かくして、屋敷の敷地内に足を踏み入れることができた。さて、次の相手はダークスーツに黒いサングラス姿の男二人である。玄関口に陣取っていて、実に迫力がある。晩餐会のために雇われた『プロ』なのかもしれない。強面でゴツい彼らは、扉のすぐ前で私達の前に立ちふさがった。正門を突破してきたわけだが、彼らの警戒心は薄れていない。


 だけど、メイヤ君は臆さない。「ソウハ様からご招待をいただいて参りましたの。扉、開けてくださる?」と艶っぽく言い放った。


 招待客にふさわしいメイヤ君の高貴さにあてられたのか、サングラスをかけた二人は圧倒されたように身を引き、少々慌てふためいた様子で玄関を通るよう私達を促した。屋敷の中に入ると、正面にはまた黒スーツの男が二人。門と玄関前の警備をくぐり抜けてきたからだろう、彼らから敵対心のようなものは窺えない。


 私とメイヤ君が並んで先を行き、すぐ後ろからヤーイー氏がついてくる。黒スーツの男らが左右の扉をそれぞれ開けてくれた。いよいよホールに立ち入る。二階まで吹き抜けだ。非常に広い空間だ。社交ダンスのまっただなかだったらしい。ちょうど曲が終わったところだった。招待客の視線が一斉にこちらを向く。今夜のメイヤ君はひとの目を一身に浴びてもおかしくない。それほどまでに美しい。


「マオさん」


 小さくそう呼ばれただけで、メイヤ君が何をしたいのか、私は理解した。私達はそれぞれ右と左にさっとはけた。途端、ヤーイー氏の姿が露わになる。彼女はやはりうつむいて申し訳なさそうな顔をしている。


 しんと静まり返ったホールの中央から、ゆっくりと近づいてくる人物がいた。ソウハ氏だ。タキシード姿だが、貸衣装である私の物と比べると仕立ての良さがまるで違う。一見しただけでそうだとわかる。髪を七三に分けている彼は今宵も実にハンサムだ。


 ソウハ氏はヤーイー氏のすぐ前で足を止めた。


「あ、あの、おぼっちゃま、これは……」ヤーイー氏は気まずそうに言う。「すみません。ごめんなさい。こんな真似をしてしまって……」

「ヤーイー」ソウハ氏は目を細め、微笑している。「綺麗だね。驚いた」

「綺麗だなんて、そんな……」

「私のためにドレスを着てくれたんだろう? 違うかい?」

「それは、その……」

「違うのかい?」

「違い……ませんっ」

「メイド姿の君も好きだ。でも、今のドレス姿の君も好きだ」


 ソウハ氏がヤーイー氏の背に両手を回し、彼女を大事そうにそっと抱き締めた。


「お、おぼっちゃま……?」

「私と一緒になってくれないか? ヤーイー」

「と、とんでもありません。私なんかじゃ……それに、もうご結婚の儀も決まっていて……」

「君の決意を見て私も決心がついた。家の掟なんて破ってしまおう」

「そんな……」

「君じゃなきゃダメなんだ」

「おぼっちゃま……」

「おぼっちゃまじゃない。私の名前はソウハだよ」


「ソウハ!」と二階席から声を荒げたのはお父上だろう。

「ソウハ!」と同じく二階席から叫んだのはお母上だろう。

「ソウハさん!」とホールの中央で甲高い声を発したのはきっとフィアンセであるシンリー氏だろう。


 シンリー氏であろう女性が憤怒の表情で近づいてくるところを、メイヤ君がすかさずとおせんぼした。


「誰よ、貴女は。そこをどきなさいよ!」

「いいえ、どきません。シンリーさん、貴女はソウハさんの本当の気持ちがわからないほど野暮なんですか?」

「や、野暮? 小娘が何を言っているの!」


 ホール内が騒然となる。だけどまもなくして、何故だろう、ピアノやバイオリンの音が柔らかに、しなやかに鳴り始めた。演奏が始まった。


 シンリー氏が「きぃぃぃぃっ!」と金切り声を上げ、右方の階段を駆け上がってゆく。ソウハ氏のご両親に文句をたれるつもりなのだろうが、彼が『その気』になってヤーイー氏を大切そうに抱き締めた以上、『こと』がひっくり返るようには思えない。


「さあ、みなさん! 今夜はパーティですよ!」メイヤ君はホールの中央に踊り出ると両手を広げ、くるりと一回転した。「花嫁さんは代わってしまいましたけど、盛り上がってまいりましょーっ!」


 静まり返っていた出席者達が、一組、また一組と、新たな曲に合わせてダンスを再開した。シンリー氏はよほど評判が悪いようだ。そんな彼女がフラれてしまったことが可笑しいらしく、くすくすと含み笑いをする女性もいれば、声を上げて豪胆に笑い飛ばす男性もいた。ソウハ氏もヤーイー氏も踊り始めた。ヤーイー氏の心得のなさが、むしろ微笑ましい。


「それじゃあ、マオさん、せっかくですから、わたし達も踊りましょーっ」

「踊った試しがないよ」

「わたしもありません。初心者同士ってことで」

「ドレスの裾を踏んづけてしまっても知らないよ?」


 私はメイヤ君が横に伸ばした左手を右手で握り、左手を彼女の細い腰に回した。踊ったことなんてないと言ったくせに、メイヤ君は器用だ。私を左右に上手いこと導いてくれる。私が掲げた右手を支点にくるりと回ったりもした。このあたりは彼女の生まれ持ってのセンスなのだろう。ひょっとしたら周りからも、『それなり』に見えているのかもしれない。


「君はこの結末を予期していたようだけれど」踊りながら、私は訊く。「それとも実は単なるぶっつけ本番だったのかい?」

「決まっているじゃありませんか。予期していましたですよ」メイヤ君は、ふふっと笑った。「ヤーイーさんの背中をほんの少し押して差し上げれば、バッチリだって思ってました」

「君には案外、ヒトを見る目があるようだ」

「実はそうなんです。見くびらないでください」

「見くびってはいないよ。でもなあ」

「なんですか?」

「いや、最近、探偵らしい仕事をしていないなあと思ってね」

「誰かを幸せにするのが探偵だと思いますよ?」

「そうかな?」

「そうですよ、きっと」

「踊ることに疲れてきた。慣れないことをするとすぐにバテてしまうようだ」

「ダメです。最後まで踊り明かすんです。せっかく貸衣装を借りたのですから」

「まったく、とことんがめついね、君っていう人間は」

「ところで、言おうか言うまいか迷っていたのですけれど」

「それってなんだい?」

「マオさんに正装はあまり似合いませんね」

「そう言われると傷つくなあ」


 そんなふうに言った私を見て、メイヤ君は楽しげに「あははっ」と笑って見せたのだった。


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