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二週間が経過した。
我が事務所にはなんの変化もない。外回りから帰ってくるなりメイヤ君は二人掛けのソファに寝転がる。私はデスクに着いて二日前の新聞に目を通す。まるっきりいつもの光景だ。
「これだけ営業活動をしていて収穫なし。そろそろ廃業を考えなくちゃならないんじゃありませんか?」
「私が廃業したらどうするんだい?」
「勿論、マオさんの新しい商売についていきますですよ。それってとっても殊勝なことじゃありませんか?」
「かもしれないね」
「そうでしょう、そうでしょう」
「だけど、その日暮らしが基本だとは言っても、貯金がないことはないからね。だからしばらくはこの職を続けるつもりだ」
「その貯金を切り崩してわたしの服を買ってください」
「また君はそうやってわがままを言う」
「何度も言ってるでしょう? 年頃の女のコなんだって」
「短いスカートばかりをはくのはどうかと思うけれど」
「マオさんはしつこいですね。美少女とミニスカは切り離せないのです。そういうものなのです」
事務所のドアがコンコンコンとノックされた。ソファに寝転がっていたメイヤ君は勢い良く体を起こし、バッとドアに取り付いた。依頼かもしれないと喜び勇んでの行動だろう。
覗き窓から確認したのち、「おぉっ、セイエイさん、それにジンリンさんまで」と、メイヤ君は声を発した。実際、彼女に導かれる格好で事務所に入ってきたのは、セイエイ氏とジンリン氏だった。
私は新聞を折り畳み、セイエイ氏らのほうに目をやった。ジンリン氏が抱いている『モノ』を見て、「わあ」と、まあるい声を発したメイヤ君である。彼女は「凄い凄いっ!」と言いながら、ぴょんぴょんと跳ねた。どうやらセイエイ氏とジンリン氏の赤ん坊は上手いこと産まれたようだ。
メイヤ君がセイエイ氏、それにジンリン氏の二人をソファに促した。私は彼らの向かいの一人掛けのソファに座る。早速流し台に立ったメイヤ君が「コーヒーでいいですかあ?」と訊いた。「あ、メイヤちゃん、おかまいなく」と答えたのはセイエイ氏である。
「本当に、要らないんですかあ?」
「いいよ、本当にいいから、メイヤちゃん」
「セイエイさんにメイヤちゃんって呼ばれると、なんだか気持ち悪さを感じます」
「そ、そんなことは言わないでさ、とりあえずこっちに来てよ、ねっ?」
「はーい。わかりましたー」
一人掛けのソファに着いている私の隣に、メイヤ君は立った。
「改めてになりますけれど、赤ちゃんはちゃんとしっかり産まれてきたんですね」メイヤ君は大きくバンザイをした。「やったやったっ、凄いです!」
「てへへ」セイエイ氏は右手で頭を掻いた。「メイヤちゃんの言う通りだよ。本当に俺の子が産まれたんだ。まだ信じられないよ。夢を見ているみたいでさ」
「ジンリンさん、やっぱり苦しかったですか?」
「難産だったの」メイヤ君の問いに、ジンリン氏は眉尻を下げて微笑んだ。「それはもう苦しくて苦しくて」
「だけど、でも、しかし、母子ともに健康なのですから、良かったじゃありませんか。わたし、嬉しいです。本当に本当に嬉しいです」
「初めて会った時から思ってたことだけど、メイヤちゃんって、本当にいいコだよね」
「ですからセイエイさん、貴方に名前を呼ばれるとなんとなく気持ちが悪いです」
「あう、そ、そっか……」
「それで」私は口を開いた。「なんの御用ですか?」
「なんの御用も何も……」セイエイ氏は神妙な面持ちで、私を見てきた。「マオさんがいなかったら、何も解決しませんでしたよ」
「そうでしょうか? セイエイさん。今の状況は、貴方が上手く立ち回られた結果であるように思えますが」
「そんなふうに言わないでください」苦笑じみた表情を浮かべたのはジンリン氏である。「マオさんに『こと』を依頼して、私達は本当に良かったと思っているんですから」
「私は何もしていませんよ」
「そんなことはないです。俺に仕事を紹介してくださったじゃありませんか。俺に真面目に働けって教えてくれたじゃありませんか」
「一般論を申し上げたまでですよ。謝意を受けるほどではない」
「あの、これ……」セイエイ氏がジャケットの懐から茶色い封筒を取り出した。「なんというか、その、報酬です」
封筒に入っているのは札束であろう。結構な膨らみだ。だから結構な紙幣が入っているのだと思われる。
「受け取れませんよ」
「どうしてですか?」
「これはセイエイさん、貴方のお金ではないでしょう?」
「確かに、ジンリンの、っていうか、モンファさんのお金ですけれど……」
「あえて言わせていただきますが、ジンリンさん、それにモンファさんから依頼をいただいたのは、貴方がしっかりしていなかったからです。セイエイさん、その自覚はおありですか?」
「は、はい、それはもちろん」
「ですから私は、報酬は貴方から受け取るものだと考えています。セイエイさん、貴方が私に支払ってください」
「でも、俺が今、準備できるお金なんてたかが知れていますし……」
「今の貴方からふんだくろうだなんて考えていませんよ。時機を見てお支払いください」
「いいんですか?」
「私はそれで一向にかまいません」
「マオさん、マジカッコいいです。俺、マジで尊敬します」
「そうですか? 私はただの探偵なのですけれど。それで、そのコは男のコですか? 女のコですか?」
「女のコです。メイヤちゃんみたいにかわいいコに育ったらいいなあなんて、密かに思っています」
「だからセイエイさん、そういう考え方がなんだか気持ち悪いのですよ」
「め、メイヤちゃんってば、本当にまっすぐに物を言うよね」
メイヤ君がジンリン氏のそばに近付いて、彼女が抱いている赤ん坊のほおをつんつんとつついた「かわいいですねーっ」と言う。「そっかあ。赤ちゃんって、こんなにかわいいんですねーっ」と続けた。
ジンリン氏の微笑には母親の包容力が感じられて、その様子を見守るセイエイ氏の笑顔には多少だけれど父親のたくましさを感じた。
私は、「これからどうなさるんですか?」と尋ねた。するとセイエイ氏は、「ジンリンと赤ん坊と三人で、龍津フロント」で暮らします」と答えた。
「龍津フロントで?」
「はい。今までの俺の考えって、やっぱり、間違ってたんですよ。女房子供を食わせていきたい。でも、ミュージカル俳優のトップを目指したい。その二つを天秤にかけてたから、おかしくなっちゃったんです。天秤にかける必要なんてなかったんですよ。どっちもやればいいんです。地道に働きながら、華やかな俳優を目指せばいいんです」
「それはまあ、そうかもしれませんね」私は微笑みまじりにうなずいた。「ええ。そうすることが、最も適切でしょう」
「でも、『焼き鳥屋』の大将には悪いことをしちゃいました。大将、俺にメチャクチャ良くしてくれたのに」
「ですが、貴方が夢を語られたら、大将は悪い顔はされなかったはずです」
「てへへ」セイエイ氏はまた頭を掻いた。「一つ、頭を引っぱたかれちゃいましたけどね。だけど、頑張れって言ってもらえました。俺、ホント一生、大将のことは忘れません」
「それでいいんだと思いますよ」
「あの、マオさん」
「なんでしょう?」
「俺がトップ俳優になったら、マオさんのことも、メイヤちゃんのことも、舞台に招待しますから。そのときは絶対に見にきてください」
「ええ。楽しみにしていますよ」




