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超Q探偵  作者: XI
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11.『ウラギリモノ』 11-1

 いつもなら洗面所の引き戸を閉め切って、その中で服を着替えるのだが、今日はメイヤ君がことのほか気持ち良さそうにすやすやと眠っているので、まあいいかと思い、事務所の接客スペースで洗い立てのズボンをはいていた。


 その最中に、メイヤ君が目を覚ました。


 彼女は二人掛けのソファの上でゆっくりと体を起こした。目をこする。頭を掻く。もう一度あくびをする。


 私は「おはよう、メイヤ君」と言い、彼女は眠たげな声で「マオさん、おはようございまーす」と答えた。覚醒したものの、頭はまだ半分以上機能していない。そんなふうに見て取れる。

 

 メイヤ君が寝ぼけまなこを寄越してくる。まもなくして彼女は目を大きくして「きゃーっ」と言い、両手で両目を塞いだ。もう一度、「きゃーっ」と言う。


「どうしたんだい? メイヤ君」

「どうしたも何もありませんよ。早いとこ着替えちゃってください。男性の裸は目の毒ですからっ」

「君はいつも私の前で着替えるじゃないか」

「わたしのことはいいんですっ」

「そうなのかい?」

「そうなんですっ」


 なんて言うメイヤ君だが、両手で目を覆ってはいるものの、指の間はあいている。私の着替えを見たいんだか見たくないんだか、どちらなのかはわからない。


 メイヤ君がふいに「あれっ?」と首を傾げ、すぐそばまで寄ってきた。私がシャツに袖を通そうとしていたところだった。彼女はずんずん近づいてきて、私の右肩をしげしげと観察する。


「マオさん、これって銃創ではないのですか?」


 確かに、私の右の肩口に弾丸が抜けた痕がある。


「遠目でもそれとわかるあたり、君は相当、目がいいんだね」

「ご存知ですか? 目がいいと人生って楽しいのですよ?」

「それは初耳だ」

「銃創だなんて、どうしたんですか?」

「話そうとは思わない。つまらないことだからね」

「気になりますよぅ」

「だから、君が気にするようなことじゃない」私はYシャツに袖を通して、前のボタンを留めながら、「メイヤ君、悪いんだけれど、コーヒーを淹れてくれないか」とお願いした。

「それはいいですけれど……その傷、やっぱり気になりますよぅ」

「本当に、君が気にするようなことじゃあ、ないんだよ」

「むぅ……」

「コーヒーを淹れてほしい」

「はーい。わかりましたぁ」


 私は普段通りデスクにつき、二日前の新聞を広げる。そこにメイヤ君が白いトレイを持ってやってきた。「はい、どーぞぉ」と言って、カップをデスクに置いてくれた。


「ありがとう」

「ねぇ、マオさん」

「なんだい?」

「コーヒーはドリップのものにしませんか?」

「インスタントで充分だよ。そのほうが経費の削減にもなる」

「経費経費って、やっぱりマオさんは『けちんぼ』なのです」

「使うべきところには使う。使わなくてもいいところでは使わない。お金って、そうあるべきものだよ」

「コーヒーは正直あんまり得意じゃありませんけれど、ドリップのものなら美味しく楽しめそうな気がします」

「無理をしてコーヒーを飲む必要はない」

「そうかもしれませんけれど」


 事務所のドアがノックされた。ちょっと不躾な、あるいは乱暴にも聞こえるノックで、だから訪ねてきたのは男性だろうと予測した。


 入ってきたのはジャン氏だった。知り合いだ。年を訊いたことはないが、髪は真っ白である。彼がどうして私の事務所を訪れたのか、そのへん、はかりかねた。


 こちらが勧めるより先に、一人掛けのソファにどっかりと座ったジャン氏である。一般的に言うと無作法なことであるように思うが、非常に豪胆な、彼らしい行動とも言える。


 私はジャン氏の向かいのソファに腰を下ろした。


「お久しぶりです」

「そうだな。久しぶりだ。もう何年になるか」

「三年くらいでしょう」

「街で顔を合わせるようなこともなかったな」

「そうですね。まだお仕事を?」

「ああ、悪いか?」

「悪くはありませんよ」


 ジャン氏は公僕である。刑事である。が、もう還暦に近いように思う。以前、私としばしば仕事をともにしていた時分から、大ベテランだったのだ。だから、まだ職に就いていることは少々意外に思えた。


 メイヤ君は心得たもので、「はい、どーぞぉ」と言いつつ、ソーサーにのった白いコーヒーカップをジャン刑事の前に置いた。それから彼女は私の隣に座った。


「誰だ? その娘っこは」ジャン刑事がカップに口を付けた。「囲ってやがるのか?」

「まさか。メイヤ君といいます。助手をしてもらっています」

「助手?」

「ええ」

「ヒトを雇えるくらい、探偵には稼ぎがあるのか?」

「そのあたりのことはどうだっていいでしょう?」

「まあ、そうだな」

「ええ。ところで、なのですが」

「なんだ?」

「貴方の物腰、口調は、非常にミン刑事と似ていらっしゃる」

「抜かせ。ミンのヤツが俺に似てるんだよ。俺のほうが先輩なんだからな」

「確かにそうですね。失礼しました」

「ぐだぐだしゃべるのは性分じゃあない。本題を話そう」

「速やかにそうしてください」

「リントのヤツが、この街にいるそうだ」


 私は一瞬だけ、眉根を寄せた。本当に、ほんの一瞬だけだ。


「リント、ですか。なんとも、懐かしい名前ですね」

「懐かしいの一言で済む因縁か?」

「ええ。私は彼に対して、もはやなんの感情も抱いていない」

「本音か、それは」

「なぜそう勘繰られるんですか?」

「なんてったって、やっこさんはおまえの右肩に傷をつけた男だろうが」


 メイヤ君が「えっ」と声を発し、見上げてきた。彼女のほうを向いて微笑み、それから私は前に向き直った。


「それは間違いありませんが、もうとっくに忘れましたよ」

「いいのか? それで」

「と、いいますと?」

「それこそ、おまえさんの右肩の傷がうずくんじゃないかと思ってな」


 私は顔に笑みをたたえたまま、それを崩さない。確かに私の右肩を撃ち抜いたのはリントという名の男だ。『組織の殺し屋』だと聞き及んだ覚えがある。だからといって。


「復讐してやろうとは思わないのか?」

「そうすることに、なんの意味が?」

「おまえさんならそう言うだろうな。そう言うだろうと思っていた。だが、復讐すること自体は、何も悪いことじゃあない」

「私がリントを殺せば、それはそれで厄介なことになる。警察に捕まりたくはありませんよ」

「俺達警察が、その復讐について、関与しないとしたらどうする?」

「黙認してくださる。そういうことですか?」

「ああ」

「だとしても」

「だとしても、なんだ?」

「……わかりました。いいでしょう。リントに関する情報を教えてください」

「やっこさんは娼館に出入りをしている。この街でいっとう大きな娼館に、だ。それだけで充分な情報と言えるだろう?」

「ですね。ええ、承知しました」

「やるやらないはおまえに任せる。おまえがどういう判断を下すのか、興味があるんでな」

「悪趣味ですね」

「それでも、おまえさんがどう行動するのか見てみたいんだよ」

「リント、ですか……。本当に、すっかり忘れていましたよ。そんな名は」

「それだけ今のおまえは幸せだってことなんだろうな」

「幸せだとまでは言いませんが」

「幸せそうに見えるぜ」そう言うと、ジャン刑事は安い合皮のソファから腰を上げた。「重ねて言う。リントのヤツを殺してくれたって、こっちとしてはなんの問題もない。目をつむる。死体だけ引き取ろう」

「ジャン刑事」

「なんだ?」

「貴方のその優しさが意図するところがわかりませんね」

「俺だってヒトの子だってことだよ」

「意味をはかりかねます」

「言葉以上の意味なんてないさ」

「また連絡します」

「そうしてくれ」


 ジャン刑事は我が事務所から立ち去った。



「リントっていうヒトが犯人なのですか……」メイヤ君がそうつぶやいた。「でしたら」と言って、隣に座っている私のことを見上げてきた。


「復讐したほうがいいっていうのかい?」

「復讐って言葉は、マオさんにはふさわしくないように思いますけれど……」

「私もそう思う。だいいち、やり返したところで、肩の傷が消えるわけじゃないしね」

「だったら、この案件は捨て置きますか?」

「そうでもない」

「じゃあ、どうするんですか?」

「これはジャン刑事からの依頼だよ。リントを見つけて殺せという依頼だ。だから請け負った以上、私がケリをつけないとね」

「わたしも混ぜていただけますか?」

「馬鹿を言いなさい。この一件は私の問題だ。君はこの事務所でじっとしていなさい」

「ちゃんと帰ってきてくださいますよね?」

「そのつもりだよ」


 私はソファから腰を上げ、デスクについて新聞を読む。

 娼館が賑わいを見せる、夜になるのを待った。


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