8-3
翌日のメイヤ君は朝から無口だった。二人掛けのソファに仰向けに寝転がり、真っ白な両脚をミニスカートの裾から放り出したままでいる。時折、目をこすりながら泣いたりもした。わかる話だ。マーメイ氏の死を思うと、どうしたってやりきれないだろう。
朝食もとらず、昼食もとらず、そのせいでさすがに腹がすいてきたので、私は新聞を折り畳んだ。回転椅子から腰を上げ、ソファで横になっているメイヤ君に、「食事に行こう」と声をかけた。
「要らないです。食べたくありません」
「人生、食べてなんぼじゃなかったのかい?」
「そんなこと言ってません」
「言ったよ。君は確かにそう言った」
「マオさん」
「なんだい?」
「悲しいです。とってもとっても悲しいです。でも」
「でも?」
「実を言うと、やっぱりおなかがすきました……」
「そうだよ。どれだけ悲しいことがあっても、おなかはすくんだ」
茶色いボルサリーノをかぶったメイヤ君と一緒に、夜の屋台に出かけた。屋台に着くと、店外に置かれている丸椅子に座り、木製の簡素なテーブルを前にした。向かいに座っているメイヤ君の目元はまだ赤い。
鯖を焼いたものと白飯を二人前、頼んだ。『おまけ』の白い小鉢には大根の漬け物が入っている。メイヤ君はしょんぼりとした顔をしながらも鯖に箸をつけ咀嚼し、今度は大根の漬け物を口にすると、白飯を食べた。
「マオさん」
「なんだい?」
「鯖なんて初めて食べました」
「味はどうだい?」
「案外、美味しいです」
「だろう?」
「そういえば、マオさんって、滅多にお肉は口にしませんよね。どうしてですか?」
「肉の脂が苦手なんだ」
「この鯖だって、脂がのってるじゃありませんか」
「肉と魚の脂は別だ」
「そうなのですか?」
「そうなんだよ」
「マオさん」
「今度はなんだい?」
「お酒を飲んでみたいです」
「飲んだことがないのかい?」
「ありません」
「じゃあ、『どぶろく』でも飲んでみるかい?」
「そうします」
「わかった」
店の人間をわざわざ呼びつけて注文するよりは早いので、私は店内のカウンターに顔を寄越した。紙幣と引き換えに白い陶器の器に入った『どぶろく』を店員から受け取り、それを持って席に戻った。
白い陶器の器をメイヤ君に手渡すと、乳白色の『どぶろく』を彼女はひと口舐めた。
「おぉっ、甘いのですね」
「そうなんだよ。その甘さが、私はどうにも好きになれないんだけれど」
「でも、不味くはないのです」
そう言うと、メイヤ君はがぶがぶと飲み干してしまった。
「マオさん」
「なんだい?」
「もう一杯、もらってきてください」
「一杯だけにしておきなさい」
「もう一杯もらってきてくださいっ!」
メイヤ君は下唇を噛み、今にも泣き出しそうな顔をしている。
「もう一杯だけだよ?」
「はい。もう一杯だけですから」
二杯目を飲んで数分。
メイヤ君は白いほおを真っ赤に染め、首をこてっこてっと左右に倒し始めた。「えへへ」と笑う。「えへへへへぇ」と笑うのだ。
「酔っぱらっちゃいましたぁ」
「みたいだね。もう帰ろう」
「はーい」
そう返事をしたメイヤ君は椅子から立ち上がったところで、すぐにすとんと地面にへたり込んでしまった。彼女は私のことを見上げ、やっぱり「えへへぇ」と笑うのだ。
「えへへぇ、マオさーん」
「なんだい?」
「すっごくエッチな気分なのです」
「メイヤ君、約束しなさい」
「何を約束すればいいんですかぁ?」
「私と一緒のときにしかお酒は口にしないと約束しなさい」
「はーい、わかりましたぁ」
「わかっていないだろう?」
「わかりましたよぅ。ねぇ、マオさーん、おんぶぅ」
私はまず彼女の頭からボルサリーノを奪い去り、それを自分の頭にのせた。それから背を貸し、彼女のことをおぶってやった。
帰路をゆく。
「マオさーん」
「なんだい?」
「エッチな気分ですー」
「それはさっきも聞いたよ。いいから約束なさい、メイヤ君」
「しますよー。しますよー。マオさん以外のひととお酒は飲みませーん」
「本当に、約束だよ?」
「マオさんってば、珍しくしつこいですねー」
「しつこくもなる」
「どうしてですかー?」
「さあ。どうしてだろうね」
「へー、うへへぇ、にゃあ、にゃあー」
「妙なうわ言だ」
「マオさーん、大好きですぅ」
メイヤ君はそう言うと、私の首に巻き付けている両腕に力を込めた。
「苦しいよ、メイヤ君」
「にゃー、にゃあぁ」
「事務所に着いたら、ちゃんと寝間着に着替えて寝るんだよ?」
「着替えさせてくださーい」
「手伝ってはあげるよ」
「変なところ、触らないでくださいねー?」
「気をつけよう」
「嘘でーす。触っちゃってくださーい、にゃははははぁ」
かぷっかぷっと、メイヤ君が耳たぶに噛み付いてくる。
「メイヤ君、よしなさい」
「マオさんの耳たぶ、美味しいですねー」
今度は耳たぶにれろれろと舌を這わせてきた。でも、それからまもなくして、すーすーと静かな寝息が聞こえてきた。まったく世話が焼けるなあと思いつつ、頭上に目をやった。
澄んだ夜空に、満月が浮かんでいた。




