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超Q探偵  作者: XI
35/204

8-2

 その日の夜、市場に出かけた。海鮮や野菜を見繕うメイヤ君である。朝食は決まって屋台で済ませるのだが、最近、夕食についてはメイヤ君が事務所で作ることが多くなった。凝り性ここに極まれりである。以前、彼女が作っていたものと比べると、格段に美味しくなった。『料理教室』通いの成果なのだろう。味は濃ければ濃いほど美味しいという考えをあらためたようだ。食べるほうとしては、ありがたい話である。


 市場からの帰路。


 それは唐突に起きた。パァンという何かが弾けたような音が鳴り響いたのである。左手の路地から聞こえてきた。すぐそこにあるアパートから聞こえてきたように思う。


「ま、マオさん」おっかなびっくりといった様子のメイヤ君である。「い、今の、銃声ですよね?」

「そうだね。銃声だね」

「どうしましょうか?」

「どうするもなにも、ほうっておいたらいいんじゃないかな?」

「それってちょっとヒドくないですか?」

「どうしてヒドいんだい?」

「だって、銃声ですよ? 誰かが撃たれたってことなんですよ?」

「以前にも言ったかもしれないけれどねメイヤ君。銃声の一つや二つを気にしていたら、この街ではやっていけないよ」

「かもしれませんけど、気になりませんか?」

「ならないね」

「わたしは気になります」及び腰で、メイヤ君がアパートに近づいてゆく。「ちょっと確かめてきますよぅ……」

「馬鹿言いなさい」私はメイヤ君の左の手首を掴んだ。「やめておきなさい。いいことなんて、何一つありはしないんだから」

「でも、なんだか無視できないのです」

「わかった。じゃあ、私も一緒に行こう」

「本当ですか?」

「助手の面倒は見ないとね」

「助かりますです」


 私が前に立ち、アパートに一階に踏み入った。銃声が鳴ったからだろう。アパートの住人が玄関の外に幾人か立っている。


「ドキドキしますよぅ」

「だったら、帰ろう」

「そうもいきません」

「どうしてだい?」

「だから、気になるからですよぅ」

「興味本位はどうかと思うよ?」

「とにかく前に進んでください」


 アパート一階の中央にある部屋の戸が開いていた。壁に背を預け、私は慎重に部屋の中を覗き込んだ。部屋は明るい。電気がついている。


 短い廊下の先にあるリビングの真ん中で、ダークスーツ姿の男が一人、ひざまずいていた。仰向けに倒れている白いワンピース姿の女性の首に右手の指を当て、脈をとっている様子。男はやがて立ち上がると、「抵抗はしません」と言った。「入ってきていただいて結構です。たとえ組み伏せられても文句は言いません」と続けた。どうやらこちらの気配に気づいていたらしい。


 その言葉に嘘はないと思い、私は玄関口に姿を現した。男はこちらを振り返って微笑んだ。若い。顔立ちの整った美青年だ。


 部屋へと足を踏み入れる。白いワンピースの裾は腰まで捲り上げられており、女性は陰部をさらしている。そして、ベランダへと続くガラス戸のすぐそばにはうつぶせに倒れている男の姿。真っ青なジャケットを着ているその人物の下半身は裸である。


「強姦致死ですか」と私は言った。

「犯したあとに扼殺したみたいですね」美観に優れた青年の口調は冷静だ。

「加害者はベランダから逃げようとした。逃げようとしたところを、貴方は撃った」

「その通りです。うしろから頭を撃ち抜きました」

「貴方と女性とのご関係は?」

「母ですよ」

「お母様?」

「ええ」


 メイヤ君は呆然とした顔で死体を見下ろしている。彼女は「マーメイ先生……」と言葉を漏らした。そう。仰向けに倒れ絶命しているのは『料理教室』の先生をしていた女性なのである。


「そうか。母を知っているんですね?」

「はい。わたしはマーメイ先生の弟子で……」

「お弟子さん、ですか?」

「はい……」

「どうして涙をこぼされるんですか?」

「だってその、わたしは……」

「母を慕ってくださっていたんですね」

「それはもう……」

「ありがとう」


 青年にそう言葉を向けられると、メイヤ君はその場にしゃがみ込み、しゃくりあげ始めた。


「男が母の腹の上に馬乗りになっているところにちょうどでくわしたんですよ」と青年は静かに語った。「こんな街です。だから、たとえ新聞の勧誘でも戸を開けるなと言っていたんですけれどね。しかし、母はどうにもヒトがいい、いや、良すぎたようで」

「なるほど」と言って、私は小さくうなずいた。「拳銃を所持しているということは、貴方は?」

「警察官です」

「やはりそうですか」

「母はもう、四十五でした。言わばおばさんです」

「マーメイさんは快活で、実に魅力的な女性でした。付け狙われていたのではないかと考えます」

「貴方も生前の母をご存じなんですか?」

「ええ。心中、お察しします」

「いえ。ところで、不躾であるようでなんですが」

「なんでしょうか?」

「貴方は一体、誰なんですか?」

「マオといいます」

「マオさん?」

「はい」

「もしかして、探偵さんでは?」

「ご存じなんですか?」

「ええ。ミン先輩、いえ、ミン刑事から聞かされたことがあります。とても博識で聡明なかただと」

「理屈っぽいという枕詞がついていたのではありませんか?」

「否定はしません」青年は、ふふっと笑った。「さて、これから出頭しないと」

「出頭なさる?」

「それっておかしなことですか?」

「そう思いますね。貴方は悪いことをしたわけではない。犯罪者を仕留めただけではありませんか。所定の手続きだけお取りになればいい。違いますか?」

「この現場は同僚に預けます。そして、それだけです」

「わかりませんね」

「拳銃は脅しです。使ってはいけないものだと、常々、考えていたんですよ」

「美学ですか?」

「いえ。信念です」

「だからといって」

「どんなやからであろうと、ヒトを一人、殺めたんです。その罪は償いたい」

「そこまでおっしゃられるのであれば、そのお考えに水を差すような真似はやめにします」

「そうしてください」

「それでも一つだけ申し上げたい」

「それは?」

「貴方は立派だ」

「最高の褒め言葉だと、受け取っておきます」

「……刑事さん」と小さく発したのはメイヤ君だ。「名前を……お名前を教えてくださいませんか?」

「ショウカンといいます」

「でしたら、ショウカンさん」

「はい」

「ショウカンさんが仮に罪に問われるようなことがあって、それで服役することになったとしても、わたし、ずっと待っていますから」

「待っている?」

「はい。待ってます。さっきも言いました。わたしは貴方のお母様の、マーメイ先生の生徒です。ショウカンさんに、ぜひとも、お母様の『味』をお届けしたいのです」

「母の手料理なんて、食べ飽きているんですけれどね」

「それでも、マーメイ先生に教わった料理を振る舞って差し上げたいです」

「君は優しい女のコだね」ショウカン氏が腰を屈め、メイヤ君の頭を柔らかな手つきで撫でた。「母のことを慕ってくれて、ありがとう、ありがとう」


 メイヤ君は、泣き声を漏らした。両手で目元をこすり、泣いたのだった。


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