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事務所に戻ると、メイヤ君は覗き窓からきっちりと確認した上で、ドアの鍵とチェーンロックを解いてくれた。言いつけはきちんと守ってもらえているようだ。
「コーヒー、要りますか?」
「いや。今、飲んできたばかりだからいいよ」
「はーい」
メイヤ君は二人掛けのソファの上で仰向けになった。外に投げ出した真っ白な脚をぷらぷらと振る。二人掛けとは言え、座ろうと思えば三人は座れるのだが、それでも長さは足りないようだ。私が寝床にしている頃からそうだった。体を丸めて眠るにしたって限界がある。そろそろもっと横幅のあるものに買い替えてもいいのかもしれない。今度、彼女と一緒に『家具屋』を訪れてみようと考える次第である。
「ミン刑事は、何かおっしゃられましたか?」
「今日も死体が見つかったそうだ」
「続きますね」
「うん。そうだね」
「わたしも捜査に尽力したいのですよぅ」
「メイヤ君」
「わかってまーす。実は外出を控えるようにと言ってくださっていることに、マオさんの愛を感じていたりしますから。ちなみにわたしもマオさんのことを愛しているのですけれどねっ」
「いい加減なんとかしないと、この街での生活がいよいよ不自由になってしまう」
「私の愛の告白は無視なのですかっ」
「以前からミン刑事もしばしば口にしていたよね? やはり犯罪を抑止するのではなく、彼には速やかに街から退散してもらったほうがいいのかもしれない」
「わたしはそんなの嫌です。とっちめてやらないと気が済みません」
「まあ、本音を言うと同感かな。私も人非人ではないつもりだからね」
「どうしましょうか」
「どうしたらいいと思う?」
「追いかけるしかないと思います。あーあぁ、わたし、男に生まれたかったなあ……」
「急にまた、どうしてだい?」
「だって、男性なら、もっと積極的に動けるでしょうから。あ、でもその場合、マオさんには愛されないってことになっちゃいますですね。だとするなら、女性で良かったのですよ」
「見事なまでの自己完結だ」
「事務所に引っこんでばかりいるとストレスがたまります。おなかだってすきます。三時のおやつが食べられないのは悲しいのです」
「なら、次は肉まんでも買ってこよう」
「期待しているのです」
ぴょこんと上半身を起こしたメイヤ君である。それからとことこと近づいてきてデスクに腰掛けた。私は夕刊を手にしたわけだが、彼女は紙面を覗きこんでくる。
「今日も狼さんが一面なのですよ。これだけメディアでも取り上げられているのに逮捕できないなんて異常です。そうは思いませんか?」
「彼が優れていることの証左だよ」
「写真の一枚くらい掲載されていても良さそうなものなのに」
「使い物になるような写真が一切ないということなんだろう」
「白い髪という非常に特徴的な見た目をしているのですよ?」
「髪を白くしている男性はそれなりにいると思う」
「むぅ。まあ、そうですね。一風変わったというか、パンクなヒトなら、髪を白く染め上げるかもしれませんね」
「だけど、そういった人物は、もうとっくに職質を受けているはずなんだ」
「それでも成果が得られないのであれば、やっぱりわたし達が動くしかありませんよ」
「君は動かなくていい。狼はナイフを手にしていなくても、恐らくかなり屈強だ。細身だった。優男でもあった。だけど、得も言われぬヤバい雰囲気をまとっていた。君もその姿を目撃しているわけだ。一筋縄ではいかないことは感じ取っただろう?」
「でも、悪党には負けません」
「どうしてそう言えるんだい?」
「正義の味方は、必ず最後に勝つからです。テレビでもやっています」
私はその物言いに呆れてしまった。勝ち気であることは評価できなくもないのだが、メイヤ君の場合、いつどこで無鉄砲さに拍車がかかってもおかしくない。だから心配しているのだと彼女には理解してほしい。
「だけどねメイヤ君、私の言うことが正しいのはわかっているね? わかっているものと判断していいね?」
「わかっていますですよぅ。事実、言いつけは守っているではありませんか」
「現状を維持してほしい」
「でもでも、狼は危険です。やはり狼さんは仕留める必要があるのです」
「君は呼び方を使い分けるね。狼と言ったり、狼さんと言ったり」
「物凄く腹が立っている時は呼び捨てです。でも普段は狼さんです。それこそ冷静さを失ってはいけないと思うのです」
「納得できる意見ではある」
「マオさん、マオさん、ねぇ、マオさん」
「一度呼ばれれば返事をするよ」
「わたし、本当に、マオさんがいないと困るのです」
「困る程度であれば、私の代わりはたくさんいると思う」
「何度も何度も何度も何度も、言わせないでください」
「何をだい?」
「わたしにとって、マオさん以上の男性はいないのです」
「私より優れたニンゲンはいくらでもいる」
「優れている優れていないの話ではありません」
「じゃあ、私の何が君を惹きつけるっていうんだい?」
「それはわかりません」
きっぱりとそう答えたメイヤ君が両手を突き上げて伸びをした。
猫のようにしなやかな背筋が、実に優美なラインを描いた。




