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警察署を訪れた。窃盗やらケンカやら、どうでもいいちんけな事件の受けつけでごった返している一階。呼び出してもらうと、例によってミン刑事はぼさぼさの頭をがしがしと掻きながら、年季の入った木製の螺旋階段をおりてきた。彼は私の前に立つなり、「よぅ、ご苦労さん」と言った。
「で、弟君はどうなった?」
「自殺されました」
「首尾は上々ってわけだ」
「貴方ならそうおっしゃるだろうと思いました。あとは裏を取るだけです」
「ああ。街の宅配業者を片っ端から洗わなきゃならん」
「自首してもらえると助かりますね」
「だな。にしても、今回も良く働いてくれたよ。感心するぜ。探偵サン?」
「お褒めの言葉は素直に受け取っておくことにしますよ」
「そうしろ」
メイヤ君が横から「ミン刑事っ」と口を挟んだ。彼女は「実に後味の悪い案件でした」とほおを膨らませ、両手で『ちょーだい』のポーズ。「報酬をください。はずんでください」だなんて言う。
「そう急かすなよ、メイヤ。言われた通り、今回はちょっと多めに振り込んでやるから」
「お断りです。キャッシュでください」
「今はあまり持ち合わせがないんだが」
「何ウーロンあるのですか? 一万ですか? 二万ですか?」
「わかった。わかったよ」
ミン刑事は長財布から札を取り出すと、ぺろっと指を舐めてから、一枚二枚と数え始めた。その最中に束ごとぶんどったメイヤ君である。
「お、おい、メイヤ」
「食費にします。服と下着を買います。その他、雑費にあてさせていただきます」
「十万ウーロン以上あるぜ、そいつは」
「最低だなって思いました。失望したりもしました。ヤったとかどうとか、男のヒトにとって、女のヒトっていうのは、その程度の存在でしかないのですね」
「そうは言ってねーだろうが」
「でも、ミン刑事もマオさんも、被害者女性の人権を考えるより、被疑者をあげることを優先されたではありませんか。違いますか?」
「それはまあ、難しい部分もあってだな」
メイヤ君が「もういいですっ」と言って身を翻す。私は彼女の肩をつかまえ、「待ちなさい」と言った。
「離してください、マオさん。わたしは本当に怒っているのですから!」
「こちらを向きなさい」
「イ・ヤ・で・す!」
私は「メイヤ君っ」と少々大きな声を出し、無理やりに彼女をこちらに振り返らせた。その力の強さに驚いたらしい。メイヤ君は身を引き、怯んだような目をした。
「私のことはどれだけ侮辱したっていい。だけれどね、ミン刑事には謝りなさい。いちいち言葉にしなくたってわかるだろう? マーサ氏が亡くなって、グラン氏が亡くなって、その結果として事件の全容が明確になってきて、その上で一番心を痛めているのは、実はミン刑事なんだよ?」
親が子を叱りつけるような言い方になってしまった。メイヤ君は下を向き、唇を噛んで、両の拳をぎゅっと握り締める。
「馬鹿だな、マオ、おまえはよ」ふっと笑みを浮かべたミン刑事である。「なあ、メイヤ」
「……はい」
「おまえの感じ方は何も間違っちゃいない。マオはともかくとして、俺はひとでなしだ。ヒトが死のうが死ぬまいが、気になっていた事件が片付いた日の夜にゃ美味いビールが飲めるからな。そんな俺のことはいくらでも好きなだけ蔑め。だが、ご主人様のことだけは疑うな」
「男の友情ってヤツですか……?」
「まあ、そう聞こえなくもないわな」
「……気持ちが悪いのです」
ミン刑事がメイヤ君の頭のてっぺんをくしゃっと撫でた。
「でもな? 友情がない人生なんて、つまらないぜ?」
「そう、なのですか……?」
「ああ。それは間違いない」
「……わかりました、です」
「行け、マオ。メイヤの涙なんて、俺に見せるな」
署から出た、帰路をゆく。
私の隣で、メイヤ君は鼻をすすっている。
「……ごめんなさい、でした」
「うん?」
「駄々っ子のようなことをほざいてしまって、ごめんなさい、でした……」
「いいんだよ。事実、君はまだまだ少女なんだから」
「子供扱いは嫌なのです」
「そうだね。ごめんね」
「わたしって、どうしてここまでダメダメなのでしょうか……」
「どこもダメダメじゃないよ」
「でもっ」
「ミン刑事も言っていただろう? 君の感じ方は間違っちゃいないって」
「……でもっ」
「ヒトはネガティヴになりがちだ。だから、前を向いて生きることを常に意識しなくちゃいけない。そのへん、君は上手くやっていると思う」
「慰めですか?」
「本音だよ」
「マオさん」
「なんだい?」
「わたし、いつか絶対に、マオさんに認めていただけるような、イイ女になりますから」
「私はかわいげがある君のほうが好きなんだけれどね」
「いつまでもガキではいたくないのです」
「いつかは大人になるといい」
「おなかが、すきました……」
「君らしいセリフで安心した。何が食べたい?」
「……麻婆豆腐」
「いいよ。そうしよう」
私がそう言うと、メイヤ君はいよいよ涙をぽろぽろとこぼし始めたのだった。




