38-7
後部に観音開きの扉がついている『剥製屋』の中型トラックを追うかたちで現地へと向かう。黒塗りの車の助手席にはメイヤ君、後部座席には私とファリン君が座った。
「まさか、君がこんなことをしでかすなんてね」
「マオ先生に色々と教えをたまわるうちに、私は非常に純粋になることができました。『素直であっていいんだよ』という先生の言葉が、私を後押ししてくれたんです。だから、何も後悔していません」
「だったらだったで、ゆるせませんよ」メイヤ君が体をひねってうしろを向いた。「先生のおかげで純粋になれた。また先生の言葉が後押ししてくれた。その言い分って、ともすれば、今回の一件に関する責任をマオさんに押しつけているように聞こえます」
「そうは言っていません。殺したのはあくまでも私の意志によるものです」
「要するに、貴女はどうしたいのですか」
「ですから、絵を描きたいだけなんです。無情にも死してしまった無垢な少女の姿をキャンバスにおさめたいだけなんです」
「貴女は頭がおかしいです」
「異常性は認めます。ですけど、それが私なんです」
白い手袋をはめている運転手の男性が「到着したようです」と言った。『剥製屋』の主人が開け放ったスライド式の門を抜ける。建物の前で車は止まった。ヘッドライトが照らす壁はクリーム色。降車すると潮の香り。港が近い。
『剥製屋』が鍵を解き、大きなシャッターを上に向かってガラッと開けた。彼に続いて倉庫へと入る。蛍光灯に火が入れられた。真っ白な光に照らされた内部は、とても清潔感に溢れているように映った。
縦長の筒におさまっているホルマリン漬けにされたヒトの死体、それにプラスティネーションを施されたヒトの剥製が保管されている。計、二十体近くある。『剥製屋』の商売は繁盛しているようだ。
ファリン君は車中から持ち出したスケッチブックを小脇に抱えている。どこからともなく背もたれ付きの椅子を持ち出してきた『剥製屋』にすすめられ、彼女はその上に品良く座った。眼前にはホルマリン漬けの少女の姿。線が細く、乳房もそう膨らんではいない。死体は自らの首を両腕で抱えている。
「プラスティネーションによって剥製になった死体は実に美しいものです。だから、そうしていただくよう『剥製屋』さんに依頼しました。彼女の体をずっと保存していただいて、いくつもいくつも絵を描くつもりだったんです。でも、待ち切れなくて。早く彼女の姿を絵にしたくて……」
ファリン君はスケッチブックを膝に置いたまま、どことなく感慨深そうに少女を見ている。
「自らの首を胸に抱く少女、か」私は腕を組んだ。「なかなかにシュールだね」
「可愛らしい女のコではありませんか」と憤ったような声を発したのはメイヤ君。「少女のこんな様を絵におさめたいなんて、ファリンさん、わたしにはやっぱり貴女の考えが理解できません」
「理解を得ようなどとは思っていません。その必要もありません」
「年下のくせに偉そうな口の利き方をしないでください。腹が立ちます」
「それは、ごめんなさい」ファリン君は「ふふ」と笑った。「マオ先生、どうあれ貴方は私の起こした行為を目の当たりにしてしまったわけです。伺います。先生は私のことを警察に突き出しますか? その場合、ご懇意であるらしい『剥製屋』さんにまで被害が及んでしまうと思うのですけれど」
「お言葉だがね、お嬢さん。ワタシはヘマは踏まないね。なんのために逐一警察に賄賂を寄越していると思っているね。ワタシが捕まるなんてありえないね。いーっひっひ」
「君には最初から逃げ道なんてなかったんだよ、ファリン君」
「マオ先生、何度だって言います。無残にも死した少女と生首。その尊い姿をモデルに、私は油絵を描きたいだけなんです。お願いです。せめて、一つ仕上がるまでは、待っていただけませんか?」
「そんなのダメに決まっているじゃありませんか。ねぇ、マオさん、そうですよね?」
「その通りだ。あってはならない現実と遭遇してしまった以上、私は速やかに君の身柄を警察に引き渡さなければならない。ご主人」
「わかっているね。被疑者が現れた以上、被害者を表に出さないわけにはいかないね」
「そういうことです」
「『ガイシャ』の首も胴体も、港に浮かべておくことにするね。それで何か問題があるかね?」
「ありませんね。明朝、死体を発見した漁師が警察に通報する。それだけのことだ」
「だったら、そういう段取りにするね。いーっひっひ」
「正しい殺人もあると思う。だけどファリン君、君が行ったことは間違いだ」
「どういう状況になっても、マオ先生なら私のことを擁護してくれる。ほんの少し、そんなふうに期待していました」
「それは甘えだ」
「そう、ですよね……」
「残念だよ。君は私のたった一人の教え子なんだから」
「謝っても謝りきれるものではありませんけれど、ごめんなさい……」
「さあ、今夜が最初で最後の機会だ。好きなだけスケッチしなさい」
「はいっ」
ファリン君は真剣なまなざしで、ペンを走らせたのだった。




