38.『彼女にとっての尊いモデル』 38-1
夕焼け空。
街の大通りをゆく。メイヤ君にじゃんけんで負けてしまい、だからちょっといい店へと夕食をとりに向かっている最中である。
その道中、ふいに右手の車道から声をかけられた。「マオ先生っ」と、はずんだ声で呼びかけられたのである。そちらを振り向くと、黒塗りの車の後部座席に少女の姿。開いた窓からにっこりと笑みを浮かべ、こちらを見ている。見覚えのある顔だ。まだまだあどけない。
車は少し行った先の路肩で停止した。少女が降車する。茶色いブレザーに同色の膝下丈のスカート。お嬢様という表現がしっくりくる。
「こんにちは。ご無沙汰しています」少女は私の前まで来ると深くお辞儀をし、顔を上げるとにこっと笑った。「うしろ姿を見てそうじゃないかと思ったんですけれど。良かったです。ひょっとしたら、もう二度とお会いできないのかもしれないと考えていましたから」
「名刺を渡したんだ。訪ねようと思えば、いつでもそうできただろう?」
「ですけど、お仕事を邪魔してはいけないと思って」
「私はけっして忙しいニンゲンではないから、いつでも来るといい」
「本当にいいんですか?」
「ああ。昔話にでも花を咲かせよう。ところで、今日はなんの用事でこの街に来たんだい?」
「『画材屋』に絵の具を買いにきたんです」
「なるほど。そうか。そうだったね。君は絵を描くのが好きだったね」
「今でも大好きです」
「そうであるなら、これからも楽しみながら創作活動に励むといい。さあ、もう行きなさい。路肩とはいえ、停車していると少なからず交通の妨げになってしまう」
「はい。では、また必ず」
「うん、会おう」
少女は来た道を引き返すと、こちらに向かって右手を振ってから、車に乗り込んだのだった。
メイヤ君が「あのコは誰なのですか?」と問うてきたので、私は彼女のほうに目をやった。難しい顔をしている。怒っているようにも見える。
「あのコ、マオさんのことを先生って呼んでいましたよね。なんの先生なのですか。まだ十五、六に見えましたけれど、実はセックスの先生だったりするのですか?」
「あのねぇ、メイヤ君。そんなわけないだろう?」
「そんなお言葉、信じられません。マオさんは不潔です。最低です。二度と私に触れないでください」
「わかった。不潔だとか最低だとかいう評価には抗議したいところだけれど、触れないでほしいということについては、そうしよう」
「う、嘘です。嘘ですよぅ。触れちゃダメだなんて嘘ですよぅ」
「男性が女性の体に気安く触れるのはどうかと思う」
「マオさんが相手なら別なのです。で、さっきのコのお名前は、なんていうのですか?」
「『黄 花琳』君という」
「ファリンさんとはどういうご関係だったんですか?」
「だから、彼女は教え子だったんだよ」
「ですから、なんの教え子だったのか、お聞かせ願いたいのです」
「まずは夕食をとって家路につこう。事務所で話してあげるから」




