34.『狼の影響』 34-1
「また殺人事件だよ。いい加減、飽き飽きしたくもなる」
夜、我が事務所を訪れたミン刑事はソファに座ると、ややあってからそう切り出した。メイヤ君に振る舞われたコーヒーを苦々しそうに口にする。別に著しく濃いというわけではなかった。ゆえ携えてきたのは小難しい案件だと予想することができた。協力しないわけにはいかないだろう。ミン刑事とは、それなりに懇意にさせてもらっているのだから。
「飽き飽きしていたところで始まりませんよ」
「まあ、そうなんだが。覚えているか? 以前、二件、いや、三件だったか。とにかくだ。綺麗な娘が首根っこを裂かれて殺された事件があったろう?」
その件は記憶している。美貌の女性が三人殺されたという話だった。喉元を鋭利な刃物で切りつけられたのだ。私はその犯人らしき人物を目撃している。白い髪をポニーテールに結った、恐ろしいまでに顔立ちの整った男だった。悪魔には見えなかったが、天使には見えた。私と出くわした際、こちらに銃口を向けながらも男はビクともしなかった。撃てば当たる距離だったのだが、そこをメイヤ君に止められた。彼女は私の腰に両腕を巻きつけ、「あのヒトは危ないです。相手にしちゃいけません!」と言ったのだった
「そんな事件がまた起きた。今度は捕まえてやらないとな。でなきゃ、俺達警察の沽券に関わってくる」
ミン刑事がそう言うのも、わかる話だ。以前の三件については追っ手を嘲笑うかのような証拠が残されていたからである。証拠。それは指紋だ。犯人とおぼしき男は女性を殺害したあと、被害者の首から溢れ出る血液に右手を浸したのである。一件目と三件目については、その手でベランダへと続くガラス戸に触れた形跡があった。二件目は少々様相が異なる。二件目の被害者は『占い師』だった。テントを張って、その中で営業していたのである。テント内に窓などなかった。だからだろう。占いの際に用いるアイテムである水晶玉に指紋が残されていた。置き土産だとでも言わんばかりに。
とにかく、その三件については指紋が割れているわけだ。血に染めた右手でガラス戸なり水晶玉になり触れたのだから、それは当然だ。
「喉元を掻っ切られて殺された女性がまた現れたということですね?」
「ああ。一人暮らしの女だ」
「死亡推定時刻は?」
「二時間ほど前だよ」
「となると十九時頃ですか。侵入口は?」
「玄関だ」
「だとすると、怪しいのは友人ですね」
「そのあたりの聞きこみも含めて、色々と手を尽くそうと考えている」
「他に情報は?」
「それがな、過去の三件から検出された指紋と本件との指紋は異なるんだよ。まるっきり別物なんだ」
「そうなんですか?」
「ああ」」
「では、コピーキャット?」
「その可能性は考えられなくはない。以前起きた犯行の内容は新聞でもテレビでもでかでかと報じられたわけだしな。とはいえ、フツウに考えて、同じようなことをしでかす輩が現れるかね」
「だから、そのへんを探れと?」
「俺達は犯人をこの上なく挙げたがっている。それはわかるな?」
「それこそ、沽券に関わるというわけだ」
「そうなる」
私は「でしょうね」と答えた。それから「それで、そちらの青年は誰ですか?」と尋ねた。ミン刑事が座っているソファの横に、若い男が立っているのである。グレーのスーツがあまり似合っていない。刑事という職に就いてからあまり日が立っていないのだろう。
「ああ、紹介が遅れちまったな」ミン刑事はコーヒーをひと口すすった。「こいつはウォズっていう。配属されて間もないぺーぺーだよ。夜勤明けで寝ていたところを叩き起こした。何せ、育ててやれってのが上からのお達しだからな」
さっぱりとした短い髪型に際立った特徴のない顔。そんなウォズ刑事は慇懃に頭を垂れて見せた。
「紹介に預かりました通り、ウォズと申します。お見知りおきをいただければ幸いです」
私は「承知しました」と言って立ち上がり、名刺を渡すとソファに座り直した。
「ウォズ刑事とともに捜査に当たれと?」
「そういうこった。ややこしい案件に当たることで、さっさとコイツには一人前になってもらいたいんだよ」
「よろしくお願いします」ウォズ刑事ははまたお辞儀をした。「貴方はスゴい探偵さんだと伺っています。見習うべき点も多く得られると考えています」
「そんな大した人物ではないのですがね」私は肩をすくめた。「ミン刑事」
「なんだ?」
「彼の教育費用について請求しても?」
「払ってやるよ、がめつい探偵さん」
「そのお言葉は心外ですね」
「まあとにかく、面倒を見てやってくれ」




