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超Q探偵  作者: XI
142/204

32.『絵描きの青年』 32-1

 この街は湿気が多い。が、寒いわけでも温かいわけでもない。年がら年中、その調子だ。中途半端な気候なのである。だから界隈に住まう人々のファッションも様々であって……などという話はどうだっていい。


 メイヤ君の日課であるパトロールにつきあったのだった。


 メイヤ君という存在はこの街によほど浸透しているらしい。表通りに店を構える主人とは当たり前のように知り合いだし、行き交う人々にもたびたび「やあ、メイヤちゃん」と声をかけられる。都度、彼女は「はいはーい、こんにちわぁ」と笑顔を振りまく。そんな顔の広さに感心し、「スゴいね、君は」と感想を述べると、「言ったでしょう? わたしはこの街の顔役だって」という自慢げな答えが返ってきた。「えっへん」とでも言わんばかりに胸まで張るのだ。ボルサリーノをかぶって辺りをうろつく我が助手は、確かに街のマスコット的存在であるようだ。


 メイヤ君に「次は『フートン』巡りなのです」と聞かされ、付いて回った。やはりどの商店の主人とも顔見知りらしく、彼女は「景気はいいですかぁ?」、「何もお変わりないですかぁ?」と訊いて回る。勝手知ったるとはこのことだ。探偵の助手としての役割をきちんとこなしてくれている。こなしすぎていると言ったほうが適切かもしれない。


 『フートン』からさらに狭い路地へと足を踏み入れる。陽が照っている時間帯にあっても薄暗い。こんなところにまで出入りしているのかと思うと心配になったのだが、「このへんはだいじょうぶです。悪いヒトはいませんから」と先回りの返事があった。本当に彼女はこのあたりの治安について熟知しているらしい。


 そんな彼女がふいに、「おや?」と興味深そうな声を発した。


「どうしたんだい?」

「普段、お見掛けしないヒトがいらっしゃるのですよ」


 メイヤ君に先導される格好で、その『お見掛けしないヒト』のもとへと近づく。歩みを進めるにつれて男性だということが知れた。黒いキャスケットをかぶっている。


 男性は三角座りの格好で両膝を抱え、うとうとしていたらしい。メイヤ君に「こんにちわぁ」と挨拶されると、ぴこんと反応し、居住まいを正した。


「こんにちは」と男性はにこやかに言う。

「こんにちわぁ」とメイヤ君もにこやかに返す。


 キャスケットの彼は若い。男性と呼ぶより、青年と表現したほうがしっくりくる。彼の前にはいくつもの鉛筆画がある。絵の端は石ころで留められている。どうしてだろう。黒い猫の絵ばかりだ。猫がきちんと座っていたり、丸くなったりしている様子ばかりが描かれている。


 メイヤ君が「わあ」と、まあるい声を出して、絵の前で両膝を折った。彼女は「かわいい猫ちゃんですねーっ」と声を弾ませる。


 私はメイヤ君の隣にしゃがみつつ、「売れますか?」と尋ねた。絵描きは「さっぱりです」とは苦笑じみた表情を浮かべた。


「お上手だと思います」と私は続けた。「売れないのは恐らく、場所が悪いからでしょう」

「そうでしょうか?」絵描きはやはり苦笑い。「黒い猫の絵なんて、不吉だから、どこに置いても売れないと思いますけれど」

「どうして、猫の絵ばかりを?」

「猫が好きなんです。モデルの『彼』もウチの飼い猫でした」

「過去形ですか」

「はい。最近、死んでしまいましたから。元は野良だったんですけれど、大往生だったんだと思います。老いさらばえていく様子は、ある意味、美しかった」

「貴方は優しいヒトなんですね」

「なぜそう思われるんですか?」

「私の経験上、猫が好きなかたに悪いヒトはいません」


 本当に黒い猫の絵ばかりだ。だけど、ふと気が付いた。絵描きの脇に一つ、女性の人物画がある。左斜め四十五度のアングル。絵は茶色い額縁におさまっている。


 私はその絵に注目し、「そちらの絵の女性は?」と尋ねた。


「ああ、これは、えっと、売り物じゃないんです」絵描きは照れくさそうに頭を掻いた。「おまもりというかなんというか、そういうものでして」


 メイヤ君がしげしげとその絵を観察する。まもなくして、「あっ」と声を上げた。「絵描きさん、わたし、この女性、知ってます」


「そうなんですか?」と絵描きが問うた。

「ええ。目が不自由なのですよね?」とメイヤ君は訊き返した。

「ああ、それじゃあ、間違いありませんね。そうか。街で時折出会う親切な女性というのは、貴女のことだったんですね」

「親切な女性、ですか?」

「ええ。何度もアパートの前まで連れてきてくださったんですよね?」

「はい。杖で前を探っているようなかたでしたから、これはおうちまでお送りしないといけないと思いまして」

「彼女は優しいヒトに巡り合えたことを、とても喜んでいます」

「そんな。ヒトとして、当然のことをしたつもりなのです」

「真正面からそう言えるヒトって多くはないように思います。でもなあ、できるだけ、一人では出歩かないようにと言っているのになあ」

「女性は貴方の恋人だったりするのですか?」

「ええ。実はそうでして」

「きゃーっ、そうなのですね。とっても美しい女性なので、絶対に素敵な男性がいるのだろうと思っていました」

「素敵な男性でしょうか、僕は」

「素敵ですよ。こんなに優しい絵を描けるヒトが素敵でないわけがありません」

「ありがとうございます」


 私は改めてその人物画をしげしげと見つめる。実に上手く描かれている。美しい女性だ。一度、お目にかかりたいと思うほどだ。多分、そんな本音を漏らしてしまうと、メイヤ君に叱られてしまう。「マオさんはわたしだけ見ていればいいのです!」っていう具合に。


「黒い猫の絵が売れないのはわからなくもないですが、その女性の絵は、本当に綺麗に描かれている。表通りで店を開けば、必ず買い手がつくと考えます」と私は進言した。

「そうですよぅ」とメイヤも賛同した。「その絵なら必ず売れます。量産すればいいのです」

「彼女は照れ屋でして」絵描きは困ったように笑った。「なかなかモデルになってくれないんですよ」


 私が「奥ゆかしい女性なんですね」と言うと、絵描きは「みたいです」と認めた。「絵を描くのはあくまでも趣味なんですか?」と質問を重ねてみる。すると、「はい。そうです」と返ってきた。


「となると、普段は何をして生計を立てていらっしゃるんですか?」

「工務店に勤めています。だけど、あまり需要はないらしくって。ですから、本当に細々と暮らしています」

「なるほど。ところで」

「なんでしょうか」

「絵を一つ、いただきたい」

「いいんですか?」

「ええ。ぜひ、売ってください」

「わあ、嬉しいなあ」絵描きは無邪気な笑みを浮かべた。「どれでもいいです。もらってやってください。お代はかまいませんから」

「売ってくださいと言いました。買うと言っているんです。おいくらですか?」

「それじゃあ……」


 そう言うと、絵描きは恐る恐るといった感じで、右手の人差し指を立てた。「わかりました」と答え、私は懐の財布から紙幣を一枚、一万ウーロンを取り出した。


 絵描きはどぎまぎした様子だった。


「あ、あの、違います」

「足りませんか?」

「いえ、ケタが一つ多いと言っているんです」

「私は貴方の絵に価値を見ている。三つ指を立てられたら、素直に三枚渡していましたよ。損をしましたね、貴方は」私は「ふふ」と笑った。「メイヤ君、好きなのを選びなさい」


 メイヤ君は「じゃあ、これがいいですっ」と香箱座りをしている猫の絵を早速目の前に掲げ、「うわあ、本当にかわいい猫ちゃんなのですよぅ」とご満悦の様子。彼女は立ち上がると、「大切にします。宝物にします」と微笑んだ。


 絵描きも立ち上がった。キャスケットを取って、「ありがとうございます」と言い、律儀に深々と頭を下げたのだった。


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