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無愛想極まりないコンクリート製の壁が目の先にあった。ヒドい頭痛に苛まれながら、状況の整理を試みる。ダメだ。いまいち頭が回らない。だけどそのうち、見覚えのある天井だと気づいた。どうやら今いるここは我が事務所であり、私が寝かされているのはソファの上であるようだ。
右方を見やると、テーブルを挟んだ向こうで、メイヤ君が一人掛けのソファの上で腕を組み、こっくりこっくりと船を漕いでいた。私は「メイヤ君」と呼んだのだが、その声は情けないくらいか細い。それでももう一度名を呼ぶと、彼女はパチッと目を覚ましてくれた。
「おぉ、マオさん、やっとお目覚めですか」
「私は、何日、眠っていたんだい?」
「三日です。随分とお寝坊さんなのですよ」
「これまでの経験からすると、私が気絶するようなケガを負った上で覚醒したとなれば、君は喜び勇んで抱きついてきても良さそうなものだけれど」
「抱きついてほしいのですか??」
「いや。今抱きつかれると、痛みで多分、私は死ぬ」
「お医者さんの診察によるとだいじょうぶだとのことでしたので、だから病院のかたに多少無理を言って、ここに運び入れていただいた次第です。それとも、病院のベッドの上のほうが良かったですか?」
「君の判断は正しい。以前にも言った通り、病院にいるとどうにも息が詰まるからね」
「おなかの周りはあざだらけですし、顔だってひどいものですよ?」
「実際、体中包帯だらけだね。これじゃあまるでミイラ男だ」
「湿布、交換しましょうか?」
「いや、いい。まだひんやりしてるから」
メイヤ君がテーブルに置いてあるみかんの皮を剥いた。「食べますか?」と問われた。「欲しいな」と答えると、メイヤ君は「はい、あーん」と言いつつ、一粒、口に入れてくれた。「ミン刑事からのお見舞いの品です」とのことだった。
「ところでメイヤ君、私はどこにいたんだい?」
「港にある廃倉庫です。偶然も偶然ですよ。たまたま警ら中に見つけられたそうです」
「真面目な警察官もいるってことだね」
「そういうことになりますですね。それで、どういう状況だったのですか?」
「どこかのヤクザが殺しのプロを雇ったようなんだけど」
「だけど?」
「いや、そもそも連中はどうして私を殺さなかったのかと思ってね」
「殺しのプロなら、そうですね。殺さないと報酬は得られないことでしょうし」
「その理由については、本人に訊くしかないわけだ。でもね」
「ええ。そうですよね。そんな危ないヒト達とはもう出くわしたくはありませんよね」
「彼らは恐らく元は軍人だ。研ぎ澄まされた暴力を振るってきたから」
「なんですか? 研ぎ澄まされた暴力って」
「ただ単純に恐ろしいということだよ。本件について、ミン刑事は何か言っていたかい?」
「まだ何も情報がないんだから、追いたくても追えないと話していました」
「まあ、そうだろうね」
右腕を上げて頭を掻こうとするだけで、全身の痛覚が鈍く刺激された。やっぱり動くのはまだちょっと無理みたいだ。危険な気配を察知する能力については人一倍優れているつもりでいたのだが、それは過信だったらしい。情けない話だ。
「彼らに関する情報を、私からミン刑事に展開する必要があるね」
「だけど、その彼らはすでに街を出ているかもしれませんよ?」
「ああ。そのケースだと、警察は手の打ちようがない」
「のっぴきならない連中であるわけです。だったら、この街で捕まってほしいです」
「そうなるのが理想だ」
「仮にまだここらに潜んでいるのだとすると、そこにどんな理由があるのかわかりませんよね。一度見逃した獲物をまた仕留めにくるとは考えにくいですし」
「フツウに思考すればそうなんだけれど、彼らのうちの首魁らしき人物は、私のことを面白いニンゲンだと言った。そこにヒントがあるのかもしれない」
「面白いニンゲン、ですか。まあ、確かにマオさんは面白い人物かもしれませんね」
「そうかな?」
「なんにせよ、マオさんが無事で良かったのです」
「私もまた君の顔を見ることができて良かったよ」
「おぉ、素直じゃありませんか。そんな嬉しいことを言ってくださるマオさんにはもう一つみかんを与えてあげましょう」
私はまた「あーん」と口を開けたのだった。




