28.『ぞろ目の男』 28-1
目が覚めた。薄暗い。左右の腕をゴツい鎖で繋がれていることに気づく。強制的にばんざいをさせられている格好だ。鎖は天井から吊るされている。足で地面を探る。爪先くらいは着いたものの、ほとんど宙ぶらりんである。
いきなり左のほおを殴られた。あご先にアッパーを食らう、ほおににフックをを叩き込まれる。瞬く間のことだったので状況を理解するまでに多少の時間を要したが、ああ、そうだ、インスタントコーヒーを買いに出て、その帰路の途中、路地で何者かに後頭部を殴打され、それで気を失ったらしいとの考えに思い至った。
どうやら現在、私はボクシングで言うところのサンドバッグにされているようだ。
右のほお、それから左のほおにフックをもらう。時折笑い声を上げながら、再三にわたってパンチを浴びせてくる黒い肌の男に、私はまるで見覚えがない。
黒い肌の男は振り返った。彼とハイタッチをかわした白人女性が迫りくる。
女性は右の拳でボディブロ―を見舞ってきた。一撃目からして強烈で、それを十発繰り返した。無言で、である。物言わぬ暴力ほど雄弁だ。彼女は恐らく、それを知っている。
込み上げてくる胃液を押さえることはできなかった。
口の中も切れているらしく、吐いた唾には血が混ざっていた。
意識が遠のきそうになる。
目を覚ませと言わんばかりに、女性に一つ、ほおを張られた。続いて彼女は改めてボディブローを決めるべく、右の拳を引き絞る。
「もういい。オーライだ、ユイリィ!」
そんな大きな声がこだました。途端、女性は動きを止めた。私の腹部に拳を突き立てようとしたところでピタリと静止した。それから向こうへと引き下がった。
私は鼻と口で荒い息をしながら、上目遣いで声の主に目をやった。十メートルほど先にある廃材の上に男が座っている。黄色い肌にクルーカット、青いアロハシャツにデニムパンツ姿。黒縁の眼鏡をかけている。口元に笑みを浮かべているのがわかった。
男がゆっくりと腰を上げた。長身。筋骨隆々の体つき。ヤバい雰囲気をまとっているのだが、そうでありながら知性も感じさせる。ただ者でないことは間違いない。目の前まで来ると、男は私の髪を掴み上げ、顔を突き合わせてきた。
「よぉ、探偵サン。ここがどこだか、わかるか?」男はにやりと目を細めた。
「どこかの、倉庫では……?」私は息を喘がせながら、そう答えた。
「これだけ痛めつけられておきながら、そうやってまともに口を聞けるあたりは、大したもんだ」
「お褒めにあずかり光栄です、とでも言えばいいんですか?」
「それでいい。不敵であってくれたほうが歯ごたえがある。さて、続けざまの質問だ。俺達が何者かわかるか?」
「恐らくではありますが、どうせ、どこぞのヤクザが雇ったプロか何かなのでしょう」
「その回答は、いささか自らを買いかぶりすぎだとは思わないか?」
「私を邪魔だというヤクザは、多くもなければ少なくもないはずですから」
「おまえは賢いな。俺達は安い金じゃあビクともしない。それはおまえを本気で殺したがっているクライアントがいるということだ」
「必然的に、そういうことになりますね」
「俺はいくつに見える?」
「はい?」
「何歳に見えるかって訊いてるんだよ」
「四十か四十五といったところでは?」
「ほぅ。どうしてそう考える?」
「見た目は若々しいですが、百戦錬磨であるように思えますから」
「俺は四十四だよ。ぞろ目だ。なんとも縁起がいい」
「私をなぶって殺せと?」
「いや、そこまでは仰せつかっていない」
「なら、どうして私を拘束されているんですか?」
「興味があった。ヤクザに見初められた探偵サンとやらがどういった人物なのか」
「サンドバッグにして、満足されましたか?」
「大体はな。ユイリィ!」
四十四の『ぞろ目の男』がそう呼びかけると、彼に向かって白人の女性が瓶を投げた。それを受け取った男が、瓶の中身を私の頭上で傾ける。ウォッカだろう。あまり好きとは言えない匂いだ。
「おまえはしぶとい。この状況下にあって折れない心を持っている。それは敬うべきことだ。なあ、探偵サン。俺達の仲間にならないか? おまえみたいに根っこの強いニンゲンなら大歓迎だ。最高の待遇を約束してやる」
「ぞろ目のかた」
「なんだ?」
「お名前は?」
「リッチだ」
「そうですか、リッチさん。貴方の提案なんて『くそ食らえ』です」
私は血反吐混じりの唾をリッチ氏の顔面に吐き付けた。
「そう来ると思ったよ」
リッチ氏の巨大な拳で思いきりほおを殴られた。
私の意識を刈り取る、強烈な一撃だった。




