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後日。
普段通りの外回りを終えたメイヤ君が事務所に戻ってきた。彼女は「はあ……」と深い吐息を漏らす。それからボルサリーノをあさってのほうに投げ、「いーっ!」と不快そうな声を上げつつ両手で頭を掻きむしった。
「どうしたんだい、メイヤ君」デスクで新聞を読んでいる私は訊いた。「何か嫌なことでもあったのかい?」
「まずは席につきましょう。温かいコーヒーを淹れて差し上げますので」
「うれしい提案だ」
「とにかくソファに座ってください」
私が二人掛けのソファに腰を下ろすと、やがてメイヤ君がコーヒーを出してくれた。私の向かいに腰を落ち着けたメイヤ君である。
「それがですね、マオさん」
「だから、なんだい?」
「ジンおじいさんのところに寄ってきたのですよ」
「また思いきったことをしたものだね。自らが手を下したわけではないけれど、彼はいくつもの死体を目の当たりにしてきた特殊なニンゲンなんだよ?」
「そうかもしれませんけれど、結局のところ、ジンおじいさんはおとがめなしですし、またそうあるべきではありませんか」
「まあ実際、状況だけ見ると、彼にはまるで非はない」
「ミン刑事もそれで良しとされたわけですよね?」
「ああ。そうだね」
「じゃあ、やっぱり、ジンおじいさんは無実であるわけです」
「論理的に言うと君の考えは正しいということになるけれど。それで、ジンさんのところで何をしてきたんだい?」
「オセロの相手をしてもらったのですよ」
「オセロ?」
「ええ、オセロです。ほら、わたし、一度もマオさんに勝ったことがないじゃありませんか? なので、練習相手になっていただこうと思ったんです」
「それで、一度でも勝てたのかい?」
「勝てなかったから、こんな顔をしているんじゃありませんか」メイヤ君が、ぷっくりと両のほおをふくらませた。「っていうか、ジンおじいさんときたら、どこが良くてどこが悪かったとか、それすら教えてくれないのです」
「自分で考えなさい。彼はそう言いたいんだろう」
「でも、ぜひともアドバイスをくださいって申し上げているわけですよ? だったら、ちょっとくらいコツを教えてくれても良さそうなものじゃありませんか」
「人生経験は彼のほうがずっと豊富だ」
「良くわからない物言いです。またわたしのことを煙に巻こうとしてます?」
「かもしれないね」
「でもでも、マオさんは将棋で勝利されたじゃないですか」
「彼は本気で打っていなかった」
「そうなのですか?」
「ああ。私のことを試すように打ち方をしていた。次、もう一度、対局するようなことがあれば、絶対に勝てやしないだろう」
「珍しく、しおらしいじゃないですか」
「彼はゲームの達人だよ。どんなゲームでもいい。私に勝ちたいと思うのであれば、確かに彼のもとに足しげく通うべきだ。どこでヒントが得られるかわからないからね」
「そうします。っていうかマオさん、聞いてください」
「ん、なんだい?」
「ジンおじいさんってば、私にショートケーキを出してくれたのです。ケーキですよ、ケーキ。日持ちがするものではないのに、私が訪ねてくるだろうって予測していらしたみたいでした」
「それはなんとも、微笑ましい話だね」
「ジンおじいさんって、不思議なヒトです。最初は怖いヒトであるように見えたくらいです。だけど、わたしの姿を見るやいなや、ころころと笑ってくださったのですよ」
「彼は他に何か言っていなかったかい?」
「えっと、わたしみたいな孫がほしかったなあって、そうおっしゃられていました」
「そういうことなら、十二分にかわいがってもらいなさい」
「たとえば、また明日訪ねても、ジンおじいさんはケーキを出してくださるでしょうか?」
「出してくれると思うよ」
「一週間後に尋ねても、出してくださいますか?」
「彼なら出してくれるだろう」
「うぅー、そこまで行動を読まれていると、ちょっと怖い気がしますね」
「だけど、彼は悪いニンゲンじゃない」
「それはわかってますよぅ」
「次はブラックジャックやポーカーを持ちかけてみたらどうだい?」
「ディーラー役は、マオさんがやってくださいますか?」
「いいよ、やってあげよう」
「イカサマさえなければ、ブラックジャックもポーカーも運次第ですから、それなら、わたしでも勝てるかもしれませんね。ジンおじいさんの悔しげな顔を拝んでやりたいです。あっ、そういえば」
「なんだい?」
「わたし、ジンおじいさんから、通帳を見せていただきました。暗証番号も聞かせてもらっちゃいました。わしが死んだら君に全部あげるよ。そう言ってくださったんです」
「君の未来は明るいね」
「どうにもそうみたいです」
メイヤ君は「えっへん」と胸を張り、そしてテーブルの下の棚からオセロの箱を取り出した。
「それではマオさん、一局、打ちましょう」
「何を賭ける?」
「わたしが負けたら、コーヒーのおかわりを淹れて差し上げます」
「じゃあ、君が勝ったら?」
「えへへぇ、その時は、どうしましょうねぇ」
メイヤ君は何故だかくすぐったそうに体をくねらせて、私のことを上目遣いで見てきたのだった。




