第六十七幕
前回のあらすじ
残された劉備の部下たち
「思ったよりも順調だな、霞。これならば、予定よりもかなり早く曹魏へと着けるかもしれん」
「そやね~。国を出たときにはちょいとばっかし気がかりやったけど、杞憂で済んだみたいやね」
揺れる馬車の手綱を握りながら華雄と張遼の二人は会話を弾ませている。道程はおよそ半分程度。国を出てから二日目ということを考えれば、順調そのもの。
「でも伊邪那岐、どないして劉備まで連れてきたん?」
「主殿、私もその件についてお聞きしたいのですが?」
彼女たちの言い分はもっとも。本来であれば部下たち同様に劉備も本国においてくると彼女たちは考えていた。だが、彼女たちの主である伊邪那岐は劉備をこの旅に同行させている。いくら信頼しているとは言っても、一言ぐらい説明が欲しいところ。
そして、二人は振り返った瞬間、絶句してしまう。
問いかけた本人である伊邪那岐が馬車内で眠っていることは別に構わない。彼自身、自分の体調を省みることなく政務に勤めているため、彼女たちは常日頃からどうやって彼を休ませようか考えている。そのことは問題ではない。問題は、眠っている伊邪那岐に天照が膝枕をしていることに他ならない。
「どうかしましたか、二人共?」
「どうかしましたか、二人共? やあらへん。天照、あんた何やっとるんやっ」
「天照、貴様なんという羨ましいことを。すぐに私と代われっ」
「お休みになられている伊邪那岐様に膝を貸しているだけですが? それと、二人共あまり声を張り上げないように。伊邪那岐様が目覚めてしまいます」
苛立ち混じりに言葉を口にする二人だったが、天照には柳に風。そもそも、口先で彼女に勝とうという考え方自体が甘い。ほんのりと顔を赤らめている天照を、怒りで奥歯を噛み締めながら睨みつけることが今の彼女たちにできる最大の抵抗。
「あの、ひとつ聞いてもいいですか?」
「なんでしょうか?」
「あの、皆さん呼び方が変わっているんですけど、気のせい、ですか?」
麟にいたとき、彼女たちは全員が全員、彼のことを陛下と呼んで統一していた。だが、国を出てからすぐに彼女たちは呼び方を変えている。
「それは、伊邪那岐様の指示です」
「えっと、それってどういうことですか?」
「伊邪那岐様曰く、「国を一歩でも出れば俺は王ではない。それに、国以外でその呼び方をすれば不用意に民に不信感を抱かせてしまう」だそうです」
「でも、伊邪那岐さんは、王なんですよね?」
「「「紛れもなく」」」
伊邪那岐は確かに麟の国王。だが、それが通じるのは同じ王の立場にいる者たちに並び立った時と、国にいる間だけ。そもそも、彼は立場として王の座にいるものの、肩書きは嫌っている。彼にしてみれば肩書きは壁であり、身分を差と捉える人々と距離をおいてしまうものと捉えているから。
「伊邪那岐は、紛れもなく王なんよ。民を憂い、民のためであれば己をいとも簡単に犠牲にする。正しい王のあり方なんてうちにはわからへん。でも、これだけは自信を持って言える。大切なもののために命張れる人間は、本物やって」
「さよう。私は主殿のように汚れに飛び込むような方を、今まで一度たりとも見たことがない。誰もが名誉に矜持を大切に思い、それを他人に押し付け強要する中、主殿はそんなものを気にしない。本当に大切なものを誰よりも理解しておられる」
二人は元々董卓配下の武将。そんな二人も今では立派に伊邪那岐が統治する麟の武将。彼の配下に加わったのは、主を救い出してもらった恩義だけではない。董卓を救出する作戦から二人は彼の心に触れてきた。そして、理解したのだ。
通常の軍師は策を用い、戦況を有利に導く、もしくは相手を陥れる存在。それも、自分の手を汚さず、その様子を高みから見下ろす。だが、彼は違う。自らの手を汚すことも躊躇わなければ、平然と自分の命を危険にさらす。戦場の兵士たちと同じように、自分自身の命もその場で賭けている。そんな彼だからこそ、二人は彼のために命を賭けることを躊躇わない。そしてそれは、本国の残っているすべての者たちにも言えること。
「劉備、一つあなたに問います。あなたは刃を握り現れた相手にどう対応しますか?」
「私は・・・」
天照の問いを受け、劉備は思考を巡らす。
彼女は本心から平和を望んでいる。だが、それは実現することがおよそ不可能な夢だということを、ここ数年で目の当たりにしてきた。そんな彼女にだからこそ、天照は問いかける。
「私は、逃げると思います」
「なるほど。霞、火悲、あなたがたはどう対応しますか?」
「うち? 難しいなぁ。多分、殺すんやないかなぁ?」
「私も霞と同じだろうな」
「そうですか」
「なんや含みある答えやなぁ?」
「言いたいことがあるのなら口にしろ」
二人の答えを聞いた際の彼女の言葉が気に食わなかったのだろう。張遼と華雄のふたりは不満の言葉を口にする。
「私も、おそらく二人と同じ対応をすることでしょう。ですが、伊邪那岐様は違います」
「ああ、そゆこと」
「なるほどな」
だが、その後の天照の言葉を聞いてふたりは納得したかのように首を縦に振る。
「どういうこと、ですか?」
「伊邪那岐様は、困ったことに相手の話を聞こうとするのですよ。己の命が危険に晒されている状況でも、いつもと変わりのない口調で」
「まぁ、伊邪那岐やからねぇ」
「主殿だからな」
天照の言い分を信じるのであれば、彼の行動は正気の沙汰ではない。自分の命が危険に晒されている状況であれば尚更のこと。だが、その行動を何度も咎めたことがある彼女たちはもはや受け入れてしまっている。
「相手から逃げることは、己の心から逃げること。相手に危害を加えることは、己の心と正面から向き合わぬこと。己に恥じることがないのであれば、その刃で傷つくことなど捨て置いて相手の言葉に耳を傾けるべき。伊邪那岐様は、私に過去、こうおっしゃいました」
「嘘、でしょ?」
「その次に、馬鹿げていると言葉を続けるのであれば、侮辱とみなしますよ、劉備? 伊邪那岐様は、何度も自分の伸ばした手が望みを掴めなかったことを経験されています。そして、心を閉ざしてしまわれたこともあります。それでも、誰かが手を伸ばしてくれば、迷わずにその手を掴むような方なのです」
傷の深さも痛みも、傷を負った事のないものには理解できない。分かったふりや共感することはできても、本当の意味で同じ立ち位置に来ることは不可能に近い。彼は過去、何度も手を伸ばし、その度にその手を振り払われた。過去に彼の手を掴んでくれたのはわずか二人だけ。だからこそ彼は、自分に対して伸ばしてきた手を振り払わない。それがたとえ自分に対して不利に働くことであっても、過去の自分と重ねてしまう。
「逃げることも戦うことも時には必要です。ですが、他人と分かり合うためにはそれ以外の方法も必要となってきます。劉備、あなたは先ほど逃げると答えた。それは、あなたがとってきた行動にまるまる当てはめることができます。対して伊邪那岐様は受け入れた。それが、あなたという人間と伊邪那岐様の埋めようのない差です」
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「これは、ひどいな」
道中、最寄りの村へと馬を進めていた一行。馬車の手綱を握っていた華雄は視界に入ってきた光景に眉をしかめる。
民家は焼け落ち、道には村人の死骸が散乱し、それをカラスたちが啄んでいる。状況から見て、襲われたのは最近といったところだろう。
「誰がこんな酷いことを」
「隻竜王だよ」
華雄の独り言に応えたのは一人の女性。
赤い髪を腰まで伸ばし、同色の瞳からは強い意志が見て取れる。醸し出す雰囲気は武人のそれであり、女性の実力は手にしている傷だらけの槍が物語っていた。
「大陸中に轟いてる悪評なんて生ぬるいもんだよ。あたいが駆けつけた時には、まだそこらじゅうで悲鳴が響いてた」
「だが、何のために?」
「あたいが知るかよ。大方、袁紹の領地が欲しくて攻め込んできたんじゃないか? 残虐非道なやつの考えなんて、あたいは理解したくもない」
女性の言葉から伝わってくるものは怒り。ただ、その言葉を受けている面々は困惑の色を隠せない。なにせ彼女たちは、その隻竜王の側近なのだから。
「これからあたいは、連れてかれた女子供を助けに行く。あんたらも、さっさとこの村から離れたほうがいい」
「一つ聞きたいが、そいつの拠点、目星はついているのか?」
馬車を降り、女性に問いかける伊邪那岐。
「ああ」
「なるほど、馬鹿ではないらしい。それで、その隻竜王が引き連れている人数はどれぐらいだ?」
「およそ千程度。って、そんなこと聞いてどうするつもりだよ」
「火悲、一日二日の余裕はあるか?」
「順調に進んでおりますので、それぐらいであれば」
「ふむ。ならばやることは決まったな」
「おいおい、あたいのこと無視して何勝手に話進めて完結してんだよ」
話を振ったはずの女性を無視するかたちで話を進める伊邪那岐と華雄。そんな二人に対して女性が不満の声を上げるのは自然な流れ。
「案内してくれ。俺も少しばかり、その隻竜王とやらに思うところがある。手を貸そう」
「何言ってんだよ。相手は隻竜王だぞ? どんな卑劣な手段を使ってくるかもわかんないんだぞ?」
「だから、だ。それとも何か、お前はそんな相手と千人を相手取って女子供を救えるのか? たった一人で?」
伊邪那岐の言葉を受けて女性は黙ってしまう。彼女自身理解しているのだ。勝ちの目があまりにも薄いことを。それでも見過ごすことができない信念を貫きたいと。
「自分一人で救った。そんな名誉が欲しいわけではあるまい? なら、人手は多いに越したことはない。違うか?」
「はぁ。あんたの言ってることはもっともだ。あたいは救いたいだけ。それに手を貸してくれるって言うなら是非もない」
そう口にして女性は槍を左手に持ち替え、右手を彼に向けて差し出してくる。
「あたいは姜維。曹魏に仕官しようと旅してる最中の傭兵だ」
「俺は伊邪那岐。旅の者だ」
偽物登場は有名税ってやつです




