9羽 忌み星と零れる気持ち
数分後、俺たちは大通りを歩いていた。
俺は先ほどの衣裳店から拝借した新しい上着と帽子をかぶり、エラトの白衣にティアを隠して歩みを進める。ティアはエラトの半分くらいの背丈しかないので、白衣のなかにすっぽり隠れることができた。足元さえ見なければ、人が隠れていることに気づかないだろう。
往来には人がごった返しているというほどではないが、それなりに人通りがあった。その人に何本脚があるかなんか気にする人はいないし、そんなことに注目する者もいない。
だから、しばらくはこれで大丈夫だろう。
大丈夫だろうとは思うが……俺はどうしても気にかかっていた。
「あのさ、本当に店でじっとしてなくていいのか?」
俺は声を潜め、ティアに向かって話しかけた。
「あんたの親父さんに届けてもらった方がいいんじゃないか? その、いまも探してるんだろうしさ」
「それは無理だぜ」
ティアの代わりに、エラトが即答した。
「おっちゃん、博士と相性が良くないんだよ」
「仲悪いってことか?」
「そういうこった。博士は変わり者だからなぁ……頭は良いし、面白いんだけど」
エラトは渋い声で唸った。
「まっ、ティアが博士のとこ通ってるって知った日には、間違いなく説教コースだな」
「……説教より誘拐されてる方がヤバいだろ」
俺はぼそっと呟くと、ティアがムッとした声を出した。
「仕方ないじゃない。私だって、攫われる瞬間まで気づかなかったんだもの」
白衣に隠れて分からなかったが、彼女がぷいっと横を向いた気配が伝わってきた。
「3時間目に校庭に出たと思ったら、麻袋のなかだったのよ。学校だからって油断したわ」
「後ろから襲われたってことか?」
「ええ。本当、手口が分からないのが怖いわ」
ティアはわずかに声を震わせる。
「……」
俺は何も返せなかった。
それって、いま敵が喉元まで迫っていても、気づかず誘拐される可能性があるってことだろう。俺は思わず帽子を目深に被り直し、視線だけ周囲を走らせた。誰かを探しているような人はいない。バグロルたちと過ごして失ったものは多かったが、視線だけには敏感になった。だから、誰かに見られていると分かった瞬間、警戒することはできるはずだ。できるはず、だが……それすら凌駕する技を使ってこられたら太刀打ちができない。
たぶん、エラトも似たようなことを感じたのだろう。心なしか、先ほどまでより歩調が速くなっているように思えた。
エラトはたぶん――いや、絶対にこのような状況に慣れていない。大きな目には不安で縁取られ、息もわずかに上がっている。これでは周囲から浮いてしまう。ただでさえ、彼は周りの種族より背が高くて目立つというのに、これ以上、人目を引いてしまってはまずい。
「あー、んでさ」
俺は彼の気をそらすため、話題を変えることにした。
「そのー、さっきの石って、そんな大事なもんなのか?」
「そういえば、聴いてなかったな」
俺が尋ねると、エラトの気が少し逸れたらしい。彼はちらっとティアの方へと目を向けた。
「あの石、どこで手に入れたんだ?」
「昨日の昼間、空から落ちてきたのよ。だから、きっと忌み星の欠片だと思って」
「忌み星、ねぇ」
俺は興味なさそうに呟いた。
「んなもの、本当にあるのか?」
「あるに決まってるだろ?」
「あるわよ!」
2人が同時に主張したので、俺はわずかに身体を強張らせた。上着で押さえつけてなかったら、驚いて羽が開いていたかもしれない。
「だけどさ、伝説だろ?」
「トガ、伝説じゃないんだ」
エラトは幼い子どもに聞かせるような声色で言い切った。
「忌み星ってのは、何百年の周期で現れる星なんだ。古文書にも、ちゃんと残ってる」
「実在するにしても、その星が空で光るから悪いことが起きるって決まったわけじゃないだろ」
そもそも、悪いことなんて四六時中起きるものだ。
忌み星なんてものが輝かなくても、嫌なことはあるものだし、世界を見渡せば飢饉も起きれば洪水だって発生している。忌み星が輝き始める兆しだから、俺たちは冷遇されてたって? なんて酷い冗談だろう! ここ200年くらい、俺たち羽付きがずーっと酷い目に遭い続けてきたのは、忌み星なんかとはまったくもって関係ない。
「なんでも、こじつけられそうだ」
「トガ、分かってねぇな。ただの悪いことじゃねぇんだよ」
エラトはちっちと舌打ちをした。
「世界が滅ぶんだよ。忌み星の石を空に返さないと、な」
「でもさ、これまで滅んでないだろ?」
「そりゃ、ちゃーんと石を空に返したからさ。そのあたり、リールが詳しいんじゃないか?」
「リールが?」
俺が問い返すと、エラトは大きく首を振った。
「リールと当時の管理人が儀式を執り行ったんだと。あそこが一番空に近い場所だからな」
「まじ、で!?」
俺は思わず叫びかけ、慌てて声のトーンを落とした。
「本当に? あそこが空に一番近いのか?」
「そうだぞ。なんだ、知らなかったのかよ?」
俺は無言でこくこくと頷いた。口を開くと、大声で叫んでしまいそうだった。口を堅く結んでいても、唇が痙攣したように叫びたかがっている。それほどまでに、歓喜と興奮とほんのわずかな恐怖が身体中を駆け巡っていた。1本1本の羽の付け根から先っぽまで雷が走ったかのように逆立っている。
つまり、俺は――世界で最も空に近いところから飛び立とうとしていた。
たとえ実態は飛行ではなく、ただの落下で、もっといえば投身自殺だったとしても、甘美なまでに幸せな瞬間を味わっていたということだ。
ああ、なんて惜しい……。
それと同時に、少しばかり寂しかった。
空に最も近い場所だとしても、俺の目では昼の星を見ることは叶わないのだ、と。
「……って、ありゃ? そうか。儀式のこと考えると、トガは博士と会っておいた方がいいのかもしれないな」
「そうね。星詠み塔の管理人ってことなら、博士も会ってみたいって思うでしょうし」
「……代行だからな、俺」
あくまで、代行だということを念押しする。
仮の立場であり、いつまでもあの場所にいられるわけではない。
しかし、ティアは違ったようだ。
「でも、管理人ってことには変わりないわ。この時期に管理人が現れたのは、運命だと思わない?」
「いや、まったく」
俺は否定する。
自分でも夢がないと思うが、運命なんて言葉はあまり好きではないのだ。
「必然とか運命とか、そんな言葉を軽々しく使いたくねぇんだよ」
「あら。軽々しく使ったつもりはないわよ。ちゃんと尊敬の意味を込めて使ったわ」
「そりゃ、すまねぇな」
まったく悪びれない様子で返せば、ティアが不満を募らせる空気が伝わってきた。
別に好かれようと思っているわけじゃないし、彼女を送り届けたら、すぐに買い物をして、リールのもとへ戻らなければならなかった。ちょっとだけ憧れていたマンタルジャンの街に来れただけで満足だったが、再び訪れて、また何か面倒ごとを背負いこみたくない気持ちの方が勝っている。
「で、その博士っての家はもうすぐか?」
「あの通りを曲がれば着くぜ」
その頃になると、かなり街の中心部に近づいていた。
天文台は見上げると首が痛くなるほど巨大で、近くで見るとますます断頭台のようだった。だが、頂上にあるのは遠目から見ても俺の腕より太い望遠鏡が鎮座している。周りには、アント虫ほど小さな人たちがうようよしており、昼の空を懸命に眺めているのが見て取れた。
「……あの望遠鏡、昼の星を見れるのか?」
言葉が零れる。
俺は願望が零れ落ちたことにすら、最初気付かなかった。声に出したと気づいた時には、すでにエラトたちの耳に入ってしまっている。
「いや。忌み星を探してるんだ。昼の星が見える望遠鏡なんて、いまはもうないかもな」
「ふーん……」
別に寂しいわけではないが、落胆したのは事実である。
ますます、この街に再訪する理由がなくなった気がした。
だけど、何故だろう。
この2人と別れるのが惜しいという気持ちも芽生え始めていた。
ずっと気を使っているし、人助けする羽目になったし、追われることになったし、なかなか食べ物にありつけないのに、エラトたちともう少し一緒に行動しても良いと思ってしまう。
「……そっか」
しばらく考えた末、ひとつの仮説に辿り着いた。
これまで、俺が羽付きだと知ると、どんな種族も離れていった。バグロルが支配していた地域に住んでいたということもあるのだろうが、これまでの人生で同じ羽付き以外の同年代とほとんど対等な立場で話したことはなかった。
だから、彼らとのやり取りは新鮮で珍しくて――ちょっぴり歯がゆくて、もう少し続けたいと思ってしまったのかもしれない。
「あ、トガ。やっと笑ったな。でもさ、笑う箇所、あったか?」
エラトに指摘され、自身の口元が緩んでいることが分かった。すぐに引き締めようとしたが、やめることにする。
「いや。ほのぼのってこういうことなのかなって思っただけさ」
「どこがほのぼのなんだ!?」
「さあ、どこだろうな」
口の端を上げたまま、俺はエラトたちの隣を歩いていた。
もちろん、周囲の気配に耳を立てたまま。




