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8羽 金髪の女の子


「ちょ、トガ! どこに行くんだよー!?」


 エラトの声が追ってくる。

 俺は路地に飛び込みながら、口を開いた。


「女の子だよ」


 思ったより狭い路地で、身体を横向きにしながら進んでいく。上着で羽を押さえているから通ることができるが、それがなければ羽を壁に引きずっていたに違いなかった。


「女の子が変な奴に追われてる」

「なんだって!?」


 エラトが驚く気配をすぐ間近で感じる。

 俺は狭い路地から抜け出すと、女の子が走り去っていった方向に歩みを進めた。先ほどよりは広いとはいえ、俺一人通るのがやっとな道だった。黒い石が所狭しと敷き詰められた道だった。ところどころ、石造りの道にはひびが目立つ。目が痛くなるほど白い壁に挟まれているはずなのに、心なしか薄暗く感じた。


「……」


 道をずいずいと歩きながら、足元に転がる石を数個拾った。ポケットに入れながら、歩みを進めていると、路地の奥の方が騒がしい。耳をぴんと立て、感覚を研ぎ澄ませる。風のなかから、かすかに女の子の悲鳴が聞こえてくる。俺は息を潜め、足音をたてないように心がけながら進んだ。


「……――めて! やめなさいって!」


 叫ぶ声が響いている。悲鳴に近い声は耳が痛いほど路地に反響していた。これだけ辛そうな声なのに、誰も反応しないのが不思議だった。初めて来た街なので、頭のなかに地図を想起できないが、それでも、つい数分前までいた通りからさほど離れていない。通りは賑わっていたとはいえ、こんな声が聴こえたら誰か気付くはずだ。


(なんか、きなくせぇな……)


 俺は口を堅く結んだ。


「近づかないでよ! あたし、戻りたくないわ!」



 曲がり角のところで、足を止める。どうやら、この向こうから声が響いてきている。俺は壁に身体をくっつけながら、そろりと向こうの様子をうかがった。


「あんたたちの思い通りにならないんだから!」

「それを決めるのは、俺たちのボスだぜ」


 金髪の女の子が壁に追い詰められていた。

 その周りを囲むのは、人間の男たちだ。数は2人。粗末な服を纏っているところから見るに、たいして裕福には見えない。反対に、女の子の方は遠目から見ても可愛らしい服を着ている。エラトのものと似た白衣を纏っているが、その下には清潔そうで袖口の膨らんだブラウスとレースのひだが付いた紺色のスカートだった。良いところのお嬢さん、といったところだろう。


「あれは渡さないし、絶対に教えないんだから!」


 女の子の頬には涙が伝った痕がくっきりついている。だが、それでも精いっぱい強がっているようだ。


「それを決めるのもお前じゃない」

「泣いて叫んでも、意味がないぜ? お前の声は、通りまで届かねぇんだからなぁ」


 きしし、と男たちは笑った。

 下品な笑いだ、と思った。目を細めて男たちを観察する。2人とも屈強で筋骨たくましく、肩幅も広くていかにも悪そうに見える。俺が殴りかかったところで、罪悪感のかけらも抱くことなく軽々折ってしまうだろう。

 だが、それだけだ。


(バグロルに比べたら、ずっとマシさ)


 そう思うと、勇気の炎が胸の内で燃え上がる。一瞬だけ、すくみそうになった心が前に進んだ。


(とはいっても、正面からやっても負ける気しかしねぇ)


 ポケットに入れた石を取り出すと、手の中で転がした。


(物を投げることに関しては、失敗したことがねぇんだよ)


 俺は男の後頭部めがけて、石を力強く投げつけた。見事、男の後頭部にあたる直前、俺は走り出した。当然、足音と気配で彼らはすぐに俺に気づき、弾かれたように振り返る。


「あぁ?」

「なん――ッだ、痛ェ!?」


 突然の乱入者に一人は目を見張り、もう一人は振り返った途端、額に石が衝突した。男の額が割れ、血が噴き出す前に、女の子が走り出していた。彼女も男たちの視線が自分から外れた時を好機だと思ったに違いない。彼女は男たちの合間をすり抜け、こちらに向かって駆けてくる。


「っ、待て!!」

「追わせるかよ!」


 俺はもう一人の男に向かって、また石を投げる。次の石は狙い通り男の眉間に激突し、男は痛みでうめく。


「ありがとう!」


 女の子は口早に言うと、来た道を走りだした。

 うめき声を背に聞きながら、俺も彼女の背中を追いかける。


「助かったわ! でも、あいつらが追ってくる前に逃げなくちゃ!」


 女の子は俺に一瞬目を向ける。


「あいつら、なんなんだ!?」

「説明はあと! とにかく、まずは大きな通りに出なくちゃ!」


 女の子はスカートを翻し、ずんずんと走っていく。俺も必死で足を動かすが、だんだんとその差が開き始めていた。何故? 理由は簡単だ。誰かを助けるだけの気力は復活したけど、俺の体力は完全に戻っていないのである。息が上がり、吸っても吸っても肺が空気を求め始める。


「ちょっと! 追いつかれちゃうじゃない!」


 女の子の声と後ろから迫りくる怒号と足音が異様なまで脳に響いた。


「このガキが!」


 殺気が膨れ上がり、ちらっと視線だけ後ろに向ける。

 男が眉間から血を流しながら、ナイフを振りかざしていた。男は大股で駆け寄り、あっという間に俺との差を詰め、背中に向かって切りかかる。ナイフの切っ先は俺の上着をしっかりとらえ、見事なまでまっすぐ破り切った。


「……馬鹿なやつ」


 俺はニヤッと笑う。

 上着というカバーがなくなったことで、両羽が勢いよく外へ飛び出した。ずっと上着で押し潰していた分、自由を求めるように大きく羽が伸びる。


「な、なんだこりゃ!?」


 男たちは面を喰らったようで、立ち竦んでしまっていた。


(羽付きが珍しい存在で助かったぜ)


 そのまま、俺は羽を大きく揺らし、わざと羽を散らした。普段は羽一本でも地面に落ちないか気にするところだが、いまは背に腹は代えられない。煙幕とまではいかないが、狭い路地で男たちの視界を塞ぐ程度に羽を散らせ、俺は女の子のもとへと走った。


「トガ! ティア! こっちだ!!」


 少し先の所で、エラトが大きく手を振っている。

 エラトは壁と一体化した扉から顔を出し、早く逃げて来いと叫んでいる。


「エラト、ありがとう!」


 ティアと呼ばれた女の子は扉に駆け込み、俺も数歩遅れて滑り込む。俺の身体がすっぽり部屋の中に入ったところを見計らい、エラトはがちゃんと扉を閉めた。


「――っ、なんだ、この羽……!? あいつら、どこへ逃げやがった!?」

「まだ遠くに行ってないはずだ! 探せ!!」


 扉の向こうで、男たちが慌ただしく駆けていく音がだんだんと遠ざかり、すっかり聞こえなくなったところで、俺はへなへなと座り込んだ。


「ありがとう、エラト……助かったよ」

「トガもお手柄だぜ。ティアに気づいてくれて良かった。さすがは、星詠み塔の管理人だ」


 エラトがにししと歯を見せて笑う。

 それに対し、きょとんと不思議そうに眼を瞬かせたのは、女の子――ティアだった。ティアはエラトと床に座り込んだ俺を交互に見て、ぽかんとしている。


「星詠み塔の管理人……? こいつが? 子どもじゃない?」

「でも、リールが選んだんだぜ?」

「へぇ……だから、人間なのに羽が生えているの?」


 ティアは好機に目を輝かせながら、俺をじろじろと見てくる。


「……人間じゃない。俺は羽付き」

「羽付き……もしかして、エジュン族? へー、まだいたんだ」


 俺が答えると、彼女は観察するように見てきた。嫌悪の視線を向けられることには慣れていたが、羽の動き一本一本まで観察するような眼差しは気持ちが悪い。気味が悪くて、ますます羽が抜けそうである。俺はわずかに縮こまり、居心地悪そうに身体を揺らした。


「で、あんたはなんで逃げてたんだよ」


 俺が不貞腐れ気味に言うと、ティアはわずかに眉を寄せた。


「別に。貴方には関係ないわよ」

「せっかく助けたんだし、教えてくれたっていいだろ」

「そうだぜ! 俺も気になる」


 エラトが援護するように頷いてくれたおかげで、ティアは少し口を尖らせる。だが、しばらく考え込んだのち、諦めるように肩を落とした。


「分かったわよ。あたしを助けた以上、無関係ってわけではなくなったわけだし」


 彼女は近くの椅子に腰を下ろすと、スカートのポケットに白い手を入れる。ごそごそと何かを探しているようだ。やがて、彼女がポケットから手を出したとき、枝のように細い指は真っ赤な石をつまんでいた。いや、ただの赤い石ではない。石のなかで赤い炎が轟と燃えている。まるで、透明なガラスのなかに炎を閉じ込めたように見えたが、燃え盛る炎を囲む石を含めて、その石なのだと直感的に理解した。


「それは?」

「忌み星の欠片よ」


 ティアは重々しい口調で言う。

 その言葉を聞いた時、俺の首筋がざわりと逆立ったのは――気のせいではないはずだ。

 そんな俺の気持ちを知らずに、彼女は淡々と話してくれた。


「私は、これを博士に届けないといけないの」


 彼女はそこで言葉を切った。だが、彼女の目は「手伝ってくれるよね?」と言っている。


「忌み星の欠片って言われても、意味わかんねぇよ……」


 俺は頭を掻きながら、大きく肩を落とした。

 少なくとも俺の場合、お人好し根性に一度火がついてしまったら、しばらくは消えない。これまでの人生でもそうだったように、今回も同じらしい。

 ぐうぅっと鳴りそうになる腹を抱え、俺は二つ返事を返すのだった。





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