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6羽 君の年齢は?


 目を開ける前に、涼やかな空気が鼻孔をくすぐった。

 身体が透明になるような爽やかな冷たさに、俺は目を開けて――言葉を失った。


「ん、ぁ?」



 白い街だった。

 泣きたいくらい青い屋根に眩いまでの白い壁が連なっている。だが、特筆すべきはそこではない。総じて低い青と白の家で埋め尽くされた街のようだが、その中心には巨大な階段があった。かなり遠くにあるというのに、俺の親指よりも大きく見える。だから、実際には想像を絶するほどの階段だ。


 そう、階段である。


「なんだ、ありゃ……造りかけか?」


 階段というのは、上の階へ行くためにつくるものだ。もしくは、星詠み塔の岩場のように頂上へ至るために登る手段である。にもかかわらず、あの階段は途切れていた。青空に向かって伸びているが、中途半端な位置でおしまい。その先に進むことはできない。


「いや、でっかい首吊り台……?」

「おいおい、坊ちゃん! なに物騒なことを言ってるんだい!」


 独り言のつもりが背後から大きな声を掛けられ、俺はビクッと背筋が伸びた。あまりにも驚いたものだから、羽が3、4枚抜けた気がする。あっと思って、地面に散らばった羽を見下ろすと、大きな影がかかっていることに気づいた。頭からぐにゃぐにゃの何か生えてるような影にギョッとし、弾けたように顔を上げる。


「天文台さ! この街の名物だよ」


 ぐにゃぐにゃと曲がった2本の角を持った白衣の男だった。正確には、3本の細い角が絡み合い、まるで1本の角のようになってるものが2対、細面な頭から生えている。そいつは口元が前へと伸び、黒い鼻をひくひくさせると、おやっと首を傾げた。


「君、怖がってるのかい? そんなに強く言ったかな……?」

「いや、その……凄い角だなって」

「角? あー、ディア族だからね。そうか、ディア族に会うのは初めてだったら、驚くのも無理はない」


 男は納得したように頷いた。


「そういう君はエジュン族だな。ここらでは50年くらい見ないって、じいさんが言ってたけど、一体どこから……って、リール! リールと一緒か!」


 ここで、ディア族の男はますます合点がいったように手を叩いた。


「まさかとは思うけど、星詠み塔の客人かい?」

「トガよ」


 リールは涼やかな表情で言った。


「客人であり、管理人代行よ」

「管理人代行かー!」


 ディア族の男は顔の横についた黒々とした目を輝かせ、ますます鼻を近づけてくる。


「こりゃ珍しい! おれの爺さんのそのまた爺さんが子どもの頃会った以来の管理人じゃないか!?」

「代行よ」

「それでも、管理人には変わらないさ!」


 鼻息荒くそう告げると、男は握手を求めてきた。


「おれは、エラト。爺さんの爺さんのそのまた爺さんの代から、ここで店をやってるんだ!」

「店?」

「本屋だよ、本屋!」


 エラトと名乗った男は、くいっと鼻面を後ろに向けた。エラトの言葉通り、彼は店を背にしていた。店前には顔が映るくらい磨き上げられた大きな鍋が重なり、軒下には丸い輪っかが吊り下がっている。どこが本屋なのだろうと怪しんだが、ショーウィンドウには、ちゃんと本が並べられていた。


「本屋といっても、リールにとったら御用聞き……すなわち、本屋であり、リールと管理人限定の何でも屋さ!」


 エラトは得意げに鼻を鳴らした。

 

「なにせ、爺さんの爺さんのそのまた爺さんが店を持つことができたのは、リールと管理人のおかげなんだからな! そもそもの始まりはだな――……」

「エラト、そこまで。話が長くなるもの」


 リールは呆れたように言った。

 すると、エラトは少しばかり残念そうに眉を下げたが、気を取り直したように向き直った。なお、この間もずっと手は前に差し出されたままであった。

 俺がのそのそと手を出すと、彼は待ってました! とばかりにガシッと両手でつかんできた。


「ま、いっか! エジュン族のトガだっけ? 新しい管理人さん――……」

「代行」

「管理人代行さん、これからも贔屓にー!」


 あまりにエラトが勢いよく上下するものだから、一瞬だけ俺の身体が浮いてしまった。あわあわとしてる俺をよそに、エラトの興奮は止まらない。


「管理人代行の手を触っちゃったよー! この手、一生洗えねーぜ!」

「あ、えっと、その……洗ったほうが良いと思うけど?」


 俺が戸惑いがちに声をかけても、はしゃぐばかりだ。


「エラト。新しい本は入った?」

「ん、あ、ああ! 先月、入ったぜ!」


 リールに話しかけられ、ようやく彼の興奮は止まったようだ。


「忌み星関係の本がずらりだ! きっと、あんたのお目にかかるはずだ! で、あとは何が必要?」

「一週間分の食料。あと、最近流行りの料理本。それから……トガ、なにか欲しいものはある?」

「俺?」


 欲しいもの、そんなもの決まっている。

 だが、それを口に出す前に、さっきからの怒涛の展開に目が回りそうだった。


「あの……その前にさ、ここ、どこ?」

「? そういえば、説明がまだだったわね。ここは天文の街『マンタルジャン』よ」

「マンタル――……って、はぁ!?」


 街の名前を口にしかけ、その異常性に叫んでしまった。


「マンタルジャンっていえば、大陸の真ん中より向こう側だろ!? あの塔から、どんなに走っても1年はかかる場所じゃん!」

「エジュン族の足だと、1年と5か月ね」


 リールが補足するように口を開き、脇に挟んだ本をとんとんっと叩いた。


「そこを瞬間で飛び越えるのが、この本の力よ」

「どんな仕組みだよ、それ……」

「太古の技術よ。いまの水準だと実現不可能だから、これが最後の一冊」


 リールは愛おし気に呟くと、もう片方の手をこちらに伸ばしてきた。


「トガ。お小遣いをあげる。私が用事をすませる間、遊んできなさい」


 リールの手には、群青色の小袋が握られている。

 俺が開くと、中には銀貨が5枚も入っていた。


「こんなにたくさん!?」


 今度こそ、俺は目が飛び出ると思った。


「受け取れねぇよ! こんなに! 羽が痒くなる!」

「そうかしら? 好きなものを買うには十分だと思ったけど……ちゃんと働いてくれたし」

「まだ1日だろ!?」


 そうは言っても、リールは困ったように首を傾げるだけだ。演技ではなく、本気で困っている。そのことが伝わってくるから、いっそう理解に苦しんだ。銀貨1枚は一週間も楽に暮らせる。5枚もあれば、甘いお菓子が両手いっぱい買えるし、屋台でお腹いっぱいになるまで買い食いすることだってできる。そんな大金をポンっと渡すなんて、とんでもないお人好しであり、世間ずれしている――と思ったが、いまさらである。


「……俺がこれをもって逃げる、ってのは考えねぇの?」

「トガがそんなことするはずないわ」


 リールは全幅の信頼を置いたまなざしを向けてくるので、俺は言葉に詰まった。

 そんな目をされたら、逃げられるわけがない。


「んじゃ……遠慮なく」

「トガ! ちょっと待て! おれも行く! せっかくだし、街を案内してやるよ!」


 エラトがそう叫ぶと、どたばたと店の中に入っていった。


「親父ーっ! リール――じゃなかった、リール様が来たぞ! あと、おれ、ちょっと出かけてくる!」


 店のなかで話しているのに、外までエラトの声が響いてきていた。


「……あいつ、店主じゃないのかよ」

「店主は彼の父親よ」


 リールが俺の呟きを拾った。


「だって、エラトは子どもだもの。まだ18かそこらだったと思うわ。トガは15だったかしら?」

「……リールは?」


 俺はちらっと視線を向ける。

 リールは質問の意図を理解しているのかしていないのか分からない顔で、真横でふよふよと浮かんでいた。


「リールはさ、何歳なの? 800歳くらい?」

「さあ。数えるのを辞めてから、1000年は軽く経つわね」


 おっかねぇ……という言葉を飲み込み、「ふーん」とだけ返した。

 客人が300年ぶりって言葉や、エラトの先祖の代から知り合いという言葉から長命種だと思っていたが、自分の予想よりも遥かに年齢を重ねていることがひしひしと分かった。


「ふーんって、それだけ?」


 リールがふわっと尋ねてくる。


「いや。なんつーか、世界の始まりから生きてそうだなって思っただけさ」


 それだけって言うから付け足したのに、リールは何も答えなかった。


「トガ、お待たせ!」


 エラトがどかどかと店から飛び出してくる。

 でっかいバックを肩から下げ、怪しいくらい爛々と黒い目を輝かせていた。あまりの勢いに、俺は半歩下がってしまう。


「マンタルジャンをぜーんぶ案内してやる! どこか、行きたいことろあるか?」

「食べ物屋と画材屋」

「よし分かった! ついて来い!」


 エラトはそう叫ぶと、俺の腕を遠慮なくつかんだ。ぐいぐいっと力強く引っ張られ、俺は足をもつれさせながら大声で叫び返す。


「わ、分かったって! だから、手をつかむな! 一人で歩ける!」


 俺はエラトの手を払うと、彼に並んで歩いた。


 自分の背中に、リールの優し気な視線がずっと注がれていることを感じながら。





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