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3羽 書庫の番人と管理人代行


 そこは本しかない空間だった。

 先の見えない洞窟のような大きな空間に、ずらっと棚がびっちり並んでいる。どの棚にも大小さまざまな本がみっちりと詰められていて、いったいどれだけの本があるのかと想像するだけで卒倒しそうになった。


「本を見たことある?」


 小さなリール様が尋ねてくる。

 俺は小さく頷いた。


「でも、こんなたくさんの本を見たのは初めてだ」

「書庫だもの。星詠み塔(ここ)にはね、大陸――いえ、世界中の本が集まっているのよ」


 小さなリール様は淡々と言うと、ふわふわ漂うように棚と棚の合間を進み始めた。俺もそのあとを追いかける。棚と棚の間には、大人が2人くらい通れるほどの隙間が空いていたので歩きやすかった。リール様の背中を追いかけながら、きょろきょろと棚に置かれた本の背表紙に目を通せるくらいには、余裕を持って追いかけることができている。自分の知っている大陸文字の本が主だったが、なかには爪で引っ搔いたような記号や動物を形どったような文字で記されているものもあって、眺めているだけでわくわくした。


 10分くらい歩いただろうか。

 唐突にリール様が止まったので、危うく尻尾が顔にぶつかるところだった。俺がなんとか立ち止まると同時に、リール様はくるりと振り返った。


「さっきも少し話したけど、ここにはね、ありとあらゆる本が集まっているのよ。星詠み塔(ここ)だから天体関係が多いわ。だから、昼の星に関する本もあったはずなの。でもね、残念ながら……」


 リール様はそう告げると、さっと高く飛び上がった。リール様が退いたことで、俺の目には棚の道の終着点が良く見えた。5、6人が並んで座れるようなテーブルが一つと数脚の椅子が置かれている。テーブルの上には、本が山のように無造作に積まれていた。テーブルの奥には、大量の箱が重ねられている。


「このなかにあるの?」


 俺が尋ねると、リール様は「そうだ」とばかりに白い尻尾を振った。


「たぶんね。ああ、そんな顔をしないで。私が大雑把なわけではないわ。蔵書の管理が追い付かないのよ」


 リール様はわずかにすまなそうな顔をする。


「かなり古い本が多くてね。でも、私は時間間隔に疎くて……いつのまにか、修復が必要な本が溜まっていくの。でも、この手だから細かくて壊れやすいものを触るのが苦手で……」


 リール様は両手を広げて見せた。

 小さなリール様の手のひらは、俺の親指程度の大きさしかない。トゥゲの手にも似た5本指は骨のように細長くて折り曲がっており、それぞれに鋭い爪がついている。よほど手入れされているのだろう。小さな爪なのに白く輝き、当惑する俺の顔を反射している。なるほど、確かに古びた本を触るのは難しそうだ。


「それでも、少しずつ修復はしているのだけど、間に合わないのよね。たまっていく一方なの」

「手伝ってくれる人はいないのか?」

「手伝いがいたら、こんなことにならないわよ」


 リール様はため息をついた。


大きい私(あいつ)は観測の仕事があるし、あんな巨体じゃ本を潰しちゃうわ。他の()も本に触らせられない事情があるというか、起きてこないし……あーあ、手の器用な種族が代わりにやってくれたらありがたいんだけどね」


 リール様は最後だけ大きな声で言うと、ちらっと俺の方を見てきた。


「書庫の管理を手伝ってくれる優しい客人がいたら、毎日きちんとした食事とぐっすり寝る場所とまともな衣服を用意してあげるんだけどなー文字の読み書きも教えてあげるし、ここにある本を読むことを許してあげるんだけどなー」


 ちらっ、ちらっとあからさまに俺に視線を向けながら話す。

 俺はゆっくり手を挙げた。 


「あの……それって、俺に手伝えってこと?」

「まあっ! お願いしてもいいの!?」


 リール様はぐいっと顔を近づけてきた。

 あまりの勢いに、俺は両手を顔の前に持ち上げ、待ったの姿勢を取ってしまう。


「いや、でも、俺……そんなに器用ってわけじゃねぇけど」

「でも、衣食住は保証するわ! 地上より魅力的よ! ええ、きっと!」

「うっ……」


 俺は言葉に詰まった。

 確かに、その通りである。5歳からずっとまともな環境じゃなかったし、食事だって粗食ばかりだ。いま着ている服だって、死んだ誰かのお下がりで木の靴もサイズが合っていない。寝る場所は案内されていないが、どう考えても前のところよりマシなことは確定していた。

 ただひとつ、問題があるとすれば……


「ここ、本以外にはなにがあるのか?」


 俺は周囲を見渡しながら、さもいま思いついたことのように疑問を口にする。


「食べ物もそうだし、服とか家具とか顔料とか……どうやって手に入れてるんだよ?」

「それは安心して。仕入れルートはあるから。ここでしばらく過ごすというのであれば、教えてあげる。なんだったら、仕入れをお願いすることになると思うわ」

「俺が仕入れるの!?」


 あまりに驚いたので、羽がばさっと開いてしまった。はらはらと数枚の羽根が床に落ちてしまう。俺は「ごめん」と言いながら、慌てて散らばった黒い羽根を拾い集めた。


「本当に俺が? 俺、羽付きだけど?」

「問題ないわ。羽を隠せばヒト族と変わらないもの」

「そりゃーそうだけどさ……」


 俺は想像してみる。

 食べ物関係の買い出しが月に何度あるのか分からないが、そのたびに今日歩いた崖っぷちの道を歩くとなると、軽く一日潰れてしまう。ましては、大荷物を抱えて歩くなんて至難の業だ。荷の重さにふらついてしまうものなら、あっという間に転落死である!


 が、ここまで考えたとき、それも悪くないと思った。

 別に死にたいわけではないが、生きたい理由がわるわけでもない。

 どうせ地上で生きていくことは難しい。地上に戻ったところで、羽付きであることを――まして、咎羽であることを隠し通すのは難しいことは容易に想像ついた。

 生きるのが面倒になったり、咎羽であることが発覚しそうになったりしたら、あの崖から事故死に見せかけて飛び降りればいい。頂上に近づかなければ、大きいリール様も俺が落下したことに気づかないだろう。



 ただ……夢にまでみた昼の星を見る方法を知ることができるのであれば、リール様とやらの手の代わりとなり、生き続けるのもいいのではないだろうか?


「まあ、俺で良ければ……でもさ、リール様……あんた、何者なんだよ?」


 俺は腕を組みながら、じっと目の前の生き物を見つめる。

 リール様はこれまでに見たことがない姿形をしている。

 大きいリール様と小さいリール様がいることも不思議だし、さっきの口ぶりからして他にもリール様がいるのかもしれない。


「私は書庫の番人。大きい私(あいつ)は星詠みの観測者ってところかしら」

「だから、星詠みってなんだよ?」

「星を詠んで占うのよ。この世界の行く末をね。昔は客人が訪ねてきたのよ。ここのところ、まったく来ないけど……」


 小さなリール様は寂し気に呟くと、やれやれと頭を振った。


「あとのことはおいおい分かるわ。どう? ここの手伝いをする気になった? ここが嫌になったり、仕事を辞めたくなったりしたら、ここを飛び立っていいから」

「まあ……うん。昼の星を見る方法が分かるまでなら」

「そうこなくちゃね!」


 リール様はくるんっと宙返りをすると、うきうきとした様子でテーブルに飛びつく。そのまま黄ばんだ紙を引っ張り出すと、こちらに持ってくる。爪で引っ張られたこともあってか、紙の端はぐしゃっと歪んでいた。てっきりなにか書かれているのだろうと思ったが、なにも記されていなかった。


「トガ、ここに手を当てなさい」

「う、うん」


 リール様に言われるがまま、紙の上に手を重ねる。すると、ぼわっとした温かな空気が身体を駆け巡った。背中の羽が1つずつに何かが通り、ぶわっと膨れ上がる。しかし、今度は羽が床に落ちることはなかった。


「えっと……なに?」

「契約書よ。ほら、見て」


 小さいリール様が口にすると、さっきまでの白い紙に俺の手形がくっきりと映し出されていた。俺が見ている前で手形の周りに黒い蔦のような模様が現れ、それをさらに覆うように謎の文字が広がっていく。


「トガ。これで、貴方が星詠み塔の管理人代行として認められたわ」

「代行……? え、ここの手伝いだけじゃないの?」

()以外でここに住まうことが許されているのは、管理人だけなのよ」


 リール様は契約書を大事そうに抱え込み、ふわりと飛び上がる。そのまま壁にかかった額縁の高さまで飛翔した。少し傾いた額縁には破れた紙が一枚入っていたが、俺の位置からだと良く分からない。リール様は俺と交わした契約書を額縁の中に入れると、満足そうに喉を鳴らしていた。


「改めて、ようこそ。エジュン族のトガ。ここに滞在する間、貴方の暮らしに祝福がありますように」


 小さいリール様は俺の前まで戻ってくると、心から嬉しそうに笑っていた。小さな手をこちらに向けてたまま、にこにこと浮遊している。


「ほら、握手! エジュン族も相手と協力関係をもつときは、握手をするのよね?」

「え……あ……うん」


 俺は手を差し出しかけ、そういえばさっき指先を舐めていたことを思い出し、慌てて服の裾で手を拭った。


「よろしくお願いします、リール様……って呼べばいいのか?」

()はリールでいいわ。様付けとか敬語は肩が凝るの」

「リール、よろしく」


 小さな手を握る。

 リールの手はぞっとするほど冷たかったが、俺をつかむ力は拍子抜けなほど弱かった。


(リール様……リールって何者なんだろう?)


 冷たい手を慎重に握り返しながら、俺のなかに疑問が芽生えるのだった。





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