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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

あなたは魔物、わたしはその牙

作者:

 もう一度くらい戦いたかった……気がする。

 いや、戦いたかったと言おうか、殺したかったと言おうか。


 ある朝突然、死んだ人が歩き出したことで、世界が飢えと悲嘆に満ちたとき、あなたは自分で作物を育てられない都会の人々を中心に、世界中を間引こうと考えた。

 ある限られた、自給自足が可能な過疎地の人々だけを残し、人々をゾンビになる前に殺しつくすことで世界を浄化する。

 世界を三千年巻き戻して再起をはかる。いざとなれば仲間も見捨て、自死することをも掟にしたBC.1000……っていうまがまがしい組織の名前は、あまり広まっていないと思う。そういうのが他にもいっぱいあるからだ。


 上海を火の海に、北京を廃墟に、東京を更地にしようとしたところで私は捕まった。

 悪の反対はまた別の悪といったところか、私を捕まえたカルト組織が、神にいけにえをささげるだけ、苦しめて殺すのが目的なのではない組織だったのは本当にありがたいことだ。私はこれから大きなお皿の上で麻酔で眠らされ、そのあとその皿が満ちるまで血を搾られる。

 首輪と鎖でつないだゾンビに手当たり次第人間を噛ませて回るのとか、カルトにもいろいろあることを思えば、かなり恵まれた死に方ができそうだ。


 死にたくないかといえば、もうわからない。やけになっているのか、どうぞどうぞ、もうどうとでも、お好きに、といった気持ち。一番されたくなかったことはもうされている。


 カルトはわたしを使って、セイラン、あなたを脅した。


 苦しめるのが目的でないカルトでも、人を絶望させて憂さを晴らすとかいったことは禁じておらず、あなぐらに押し込まれたわたしへ、髭面の男は言った。セイラン、あなたは、脅迫を黙殺したと。


 わたしは恥ずかしい。あなたの重荷を少しでも分かち合いたいと思っていたのに、あなたからまた一つ、失わせた。

 あなたは強かった。テロリストの汚名を着て、百万人殺してでも見も知らぬ十人を生かし、尊厳を守ろうとする、そういう心が好きだった。

 あなたを支えたかった。あなたの牙でいたかった。



 あなたの好きなところを数えながら、あなぐらで儀式のときを待っていると、なにやら辺りが騒がしくなり、見張りがいなくなった気配がして、そして誰かがあわただしく入ってくる。

 わたしの手首を後ろ手に縛っていたロープをなにかで切りながら、その人は目隠しを外してくれた。

「あなたを助けに来ました」

 ……セイランじゃない。

 わたしの驚きの表情を、どう受け取ったのか、助けてくれた彼は力強くわたしの手を引いて、あなぐらから飛び出す。



 セイランじゃない彼は、トウミと名乗った。

 トウミはあなぐらから歩いて3時間ほど離れたところにキャンプを作っていて、わたしはそこへ案内された。

 助けてくれたのがセイランじゃないのに、生き残っていいんだろうか。

 キャンプの人々の、テロリストであるわたしを見る目はもちろん冷たく、なぜ助けられたのかもわからない。

 その通り聞いても、トウミは困った表情をするだけだった。生きている人が殺されそうになっていたら、助けるのが当たり前だからそうしたのだと。

 トウミはわたしの名を聞いた。わたしのよく使う名はジャスミン。でも名乗ったところで、呼ばれる機会なんてなさそうなものだ。


 トウミはわたしを、キャンプのある一角へ連れて行った。そこは木々に囲まれていて、腐臭がただよっていた。

 腐臭の中心では何人ものゾンビが、猿ぐつわと目隠しとセットでしばられて、うーうーうなっている。

 ……このキャンプが、カルトの、手当たりしだいゾンビに人を噛ませてまわる集団のほうだったとしたら、事態は悪化している。

 

 警戒するわたしへ、トウミは使い古されたタオルと水の入ったバケツを差し出して、これで彼らの体を拭いてくれないかとわたしに頼んだ。見ればわたしのほかにも、周りには何人かの人がいて、うーうーうなっているゾンビの腐った身体の、腐りすぎたところに包帯を巻いたり蛆をとったり、手当をしている。

「みんな家族や恋人の手当をしているんだ。きみにも手伝ってほしい」


 なんて言ったらいいかわからなくて、わたしは黙って、頼まれたとおりにした。



 ――そこでの生活を一週間くらい続けたころ、トウミがゾンビの背を拭くわたしに聞いた。ジャスミンと名前が呼ばれるのはこのキャンプに来てから、四度目だった。

「どうして人を殺して回っていたんだ?」

 それしか方法がないから。わたしはBC.1000の話をした。トウミはかなしそうにした。

「俺の倫理観では、誰のことも殺しちゃいけないことになっている」

 そういう考え方もあるだろう。共生過激派はゾンビが新人類の姿だとしてゾンビを増やそうとしているわけだし。

 わたしは一応説明した。

「わたしの考えでは、ゾンビはもう死んでいるから殺せないけど腐るからいつか動かなくなって、消える。でも生きている人間がひしめいている限り、ゾンビは仲間を増やしていつまでも存在する。間引くのは生き残りのため」

「誰かのために自分が死ぬかどうかは、その人の個人的な判断に任されるべきだ」

 そういう言葉は、命乞いの言葉と一緒で聞き飽きている。でも、宿の恩があったので、わたしは一言だけ付き合った。

「ゾンビにはワクチンもカンフル剤もないのに? このままだと生きてる人間よりゾンビのほうが多くなる。ゾンビが腐れば墓守もなく、死体の山が積まれ、やがてすべて消えさるでしょう」


 この、ゾンビの介護をするキャンプのリーダーがなんて返事するかは興味があったけど、それを聞くことはなかった。

 すぐ、だれかが噛まれたのだと分かった。ゾンビの檻からつんざくような悲鳴があがったからだ。


 一体どうやってか、両手両足を戒められ、目隠しもされたまま、猿ぐつわだけが外れたゾンビが、若い女性に食らいついている。

 女性は涙を流しながら食らいつかれた左腕からなんとかゾンビを引きはがそうと懸命だが、ゾンビは離れない。


 わたしは飛び掛かって、持っていたタオルをすばやくそのゾンビの首に巻き付けて締め上げた。タオルがゾンビのやわらかい腐肉にずるずる沈み込む感触がした。

 続けてその噛まれた女性のほうも手にかけようとして……ふとトウミを見た。

 本当は、いつもは、やってしまうのだけど……どうしてってわたしは、ゾンビは殺す前提のもと、ふつうの人間も殺しているテロリストなわけだし、それになにより……トウミが困るだろうから、やってしまうのだけど……。

 きっと人を噛んだゾンビをどうするかこれからもめるだろうし、それから、これからゾンビになる人間も持て余して、見捨てることも助けることもできずに困るだろうなとも思った。

 やってしまうべき理由はいくつもあった。でも、私はそこで止まった。トウミは、たった今、言っていたから。誰かのために自分が死ぬかどうかは、その人の個人的な判断に任されるべきだと。



 ――縛られていたわけでもないのにここに残っていたのは、ここにいればいつか死ねると思ったから。でもその見込みもなくなって、わたしはここを離れることにした。

 トウミにそう伝えると、トウミは、実はわたしに迎えが来ていると教えてくれた。

「ほんとうは毎日通ってきていたんだよ。一緒に暮らすかとか一緒に帰るかとか聞いたけど、見るだけで帰っちゃったから」


 案内されると、セイランがいた。

 ずいぶん長いこと、会っていない気がした。

 セイラン。涼しい目が好きだった。話すとすこし冷たい気がする感じが好きだった。

 でもセイランは、一言も話さなかったし、私と目を合わせることもなかった。それに気づいて、私もそれきり、うつむいた。



 去りかけるわたしとセイランの背中へ、トウミは言った。

「俺は、まだ何か、世界を救う方法があるんじゃないかって、信じていたいし、努力し続けるよ」

 わたしは振り返り、微笑んでうなずいた。きっと微笑んでいたと思う。トウミも微笑んだから。絶望が表情にあらわれる前に、私はまた背を向けて歩きだす。


 いまだに救われたいと思っていたらしいことも、だれかからいたわられたいと思っていたらしきことも、驚きだった。何万人も殺しておいて、傷ついたことも。

 お前のしたことは無駄だって証明すると言われたくらいで。



 黙りこくってわたしたちは歩いた。

 セイランとわたし、本当は会わないほうがよかったのかもしれない。

 もはやわたしたちの隔絶は、胸にずきずき突き刺さって感じられた。


 わたしはあなたに、わたしを捨てさせ、傷つけた。もう失うものを持たないあなたからさらに失わせた。迎えに来てくれていたことだって、信じられないほどだ。

 それに、見ないふりをしていた卑怯な自分自身にも気づいた。気づいたからにはもう一緒にはいられない。



 トウミと話して、わたしは気づいた。世界が救われないといいな、と願ってたことに。

 世界を救おうとしてた、あなたへの冒涜だ。

 わたしは戦いながら、今日もこんなに殺してしまったけど、明日なにか薬が発明されたらどうしよう、明日救世主が舞い降りたらどうしよう、ってそればかり考えていた。

 あなたは本当に世界を救おうとしてたのに、わたしは、あなたがしてきたこと、わたしがしてきたこと、全部むだにならないように、世界がどんどん悪くなるように、そればかり祈っていた。


 最初から、あなたのそばにいる資格なんてなかった。

 私たち、お互いに、手を取り合うことさえ出来なくなってしまったのだと思っていたけど、いいえ、本当は最初から。



 ――背の高い草の茂みをかき分ける音がして、だれかが近づいてきて、いつもだったらすぐにやってしまうのだけど、たまたまわたしはやらなかった。

 代わりにセイランが、ぐっと私をかき抱いた。そして、だれかからわたしをかばった。


 かんだかい悲鳴が、今度はわたしののどからこぼれた。だれかがセイランを刺した。わたしをかばって、セイランが刺された。


 セイランの背中には、だれか女性がいる。女性は、だれかの仇、だれかの仇、と名前を呼んでいたようだったけど、声が涙で濁って聞き取れない。

 固く抱かれてわたしは動けない。セイランの肩越しに見えて、女性が誰かは分かった。さっき噛まれていた女性だ。さっきわたしがゾンビを絞め潰した、その腐汁を吸ったタオルを、セイランを刺した刃物に巻き付けているらしい。すごく臭う。ゾンビの腐臭と、セイランの血の臭いが。


 多分、自分の背中を刺した刃物の腐臭にはセイランも気づいたろう。

 だれかの名前を呼びながらへたりこんだ女性へ、セイランがちょっと振り返って言った。

「二人にしてくれ」

 女性はいなくならなかったので、というか立ち上がる力も失っていたようだったので、セイランは泣きじゃくるわたしを引きずるようにその場を去った。

 でも死ぬのにいい場所は見つからなくて、セイランはススキの茂みに腰を下ろし、でも生きていけるわけもなくて、わたしは何もできなかった。


 力尽きてしまったのかと思ったころ、セイランはぽつりと言った。

「何を言っても嘘になるようで、何も話せないな」


 そうだね。本当にそうだね。


 セイラン、あなたは出会ったころにわたしに言った。誰のことも助けられないなら、人を人として弔うために、人の墓と墓守を残すために、するべきことをすると。

 それをやり遂げられないうちにこうなることも、セイランはきっと覚悟していたろうと思う。

 でも、でも、わたしはこの期に及んで、まだ思う。


 明日ちゃんと世界が滅びたらいいな、って。

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