夜明け
「これが……レクサリア病の治療薬」
テオドールが息を呑む。
彼の目は見開かれ、指先は小刻みに震えていた。
そんな彼に対してミレイユは静かに語りかける。
「レクサリア病によって昏睡状態に陥った患者が、この薬によって目覚めたと……アントナンさんから報告をいただきました。ただし目覚めない患者もいて、その違いはわからないと。もっと研究を続ければ確実な治療薬を開発できるかもしれません。……どうしますか?」
この治療薬を国王陛下に使うべきか否か。
テオドールの目的は父をレクサリア病から救うこと。
しかし、まだ治療薬に絶対的な安全性は保証できない。
薬を投与してから数か月後、数年後に副作用出るかもしれない。
是非は依頼者のテオドールが決めることだ。
「俺は……」
治療薬を眺めてテオドールは口を閉ざした。
彼の立場になれば、迷うのも無理はない。
国王陛下だけがテオドールの味方だった。
そんな人が目覚めなければ、テオドールの心はひどく傷つくに違いない。
彼はしばし瞳を閉じてから、ミレイユの目を見た。
「……ミレイユがいる。この薬が有効でなくとも、またお前と協力して前に進めばいい。俺たちの努力の結晶を、一度レクサリア病にぶつけてみようではないか」
決断は下された。
テオドールは強き意思をもって薬を手にする。
「共に来てくれ。今の俺にはお前が必要だ」
「もちろんです。参りましょう」
最初から最後まで、ミレイユは事の顛末を見届けたい。
もちろんテオドールも同じ想いだ。
ミレイユに最後まで結果を見届けてほしいと。
二人は意を決して城に向かった。
◇◇◇◇
国王が眠る居室の前にやってきたテオドールとミレイユ。
テオドールの姿を見て、守衛が姿勢を正す。
「テオドール殿下……!?」
「扉を開けてくれ。父上に用がある」
「し、しかし陛下は……」
ずっと眠ったままだ。
話などできるはずもなく、守衛は困惑の表情を見せた。
「わかっている。俺は話ができない父上と、もう一度話をするために来たのだ」
「その……申し訳ございませんが、殿下であろうともお通しすることは……」
「いいから退けと言っている」
「しょ、承知しました……」
やがて気圧されたように守衛は後退り、道を開けた。
このままでは首を刎ねられるかもしれないと恐れたのだろう。
冷酷な王子の噂もたまには役に立つ。
部屋の中に入ると、月明かりに照らされた巨大なベッドが目に映る。
天蓋つきのベッドには、一人の老年の男性が静かに眠っていた。
あの老人こそが長らく眠ったままの国王陛下である。
テオドールは緊張した面持ちで進む。
ミレイユも一歩引いて彼に続いた。
「父上。お久しぶりです」
国王の枕元に跪くテオドール。
返事のない父を見て、虚しそうな表情を浮かべた。
彼は懐から治療薬を取り出し、まじまじと見つめる。
ミレイユは気づいている。
彼の腕がかすかに震えていることに。
ミレイユは震えるテオドールの手に、そっと自分の手を重ねた。
「……きっと大丈夫です」
「ああ……ありがとう。やはり強いな、お前は」
もう迷いはない。
テオドールは意を決して薬を国王に投与した。
しかし国王が動く気配はない。
効果が現れるまでには時間がかかる。
「さて……俺は父上に反応があるまでここで待つが……」
「もちろん私もお待ちします」
「そうか。長い夜になりそうだ」
眠る国王に毛布をかけ直し、テオドールは窓際の椅子に腰を落ち着けた。
月光が漏れる窓の外を眺めて彼は目を細める。
「……懐かしいな。この窓からは城の中庭がよく見えるんだ。小さいころ、父上に見せてもらっていた」
「陛下はとてもお優しい方だったのですね」
「そうだな。ミレイユは……どうだ。話したくなければ構わないが、小さいころの思い出はあるのか?」
「私は……物心ついたときから親がいなくて。そこを薬師の方に拾われて育ってきたんです。だから、あんまり話せるような思い出とかもなくて」
「……悪いことを聞いたな」
思い返せば、ミレイユの生涯はあまり鮮やかなものではなかったと思う。
拾われて育ち、過酷な環境で労働を強いられて……だからこそ自由気ままな猫に憧れたのだろう。
テオドールと同じように、意外と孤独な人生を歩んできたのかもしれない。
「ミレイユ。俺と過ごした日々はどうだった。お前の人生の中で、少しは輝いていただろうか」
「少しは……というか、人生の中で一番ワクワクして楽しい日々でした。私、あんなにたくさんの人と力を合わせたのは初めてで……誰かに必要とされたことも初めてで。そして殿下と過ごした何気ない日常も……すごく幸せでした」
「……そうか。俺も初めて王都に出て、お前と過ごした日々が……楽しかった」
暗闇でテオドールの表情はよく見えない。
だが、彼の声色にはどこか嬉しさが籠っているような気がした。
「お前が許してくれるのなら……いや、今はやめておこう」
テオドールは何かを言いかけたが口を閉ざした。
そして話題を逸らすように言った。
「お前のことをもっと教えてほしい。話してくれるか?」
「え、えっと……もちろんです! でも、私も殿下のことを知りたくて……」
「話せることならば話す。空虚な人生を歩んできた俺の身の上でよければな」
◇◇◇◇
ミレイユとテオドールは夜通し話し合った。
話せば話すほどお互いのことが知れて、魅力が見えて。
気づけば朝日が顔を出そうとしている。
「それでですね、私が猫の言葉大辞典を作ろうとしたら……」
「――」
ミレイユの言葉が遮られる。
彼女に微笑みを向けていたテオドールもまた、ハッと顔を上げた。
国王の床からうめき声のようなものが上がったのだ。
「父上……!?」
急いでベッドに駆け寄る。
テオドールが父の体を揺すると、ゆっくりと……彼の重い瞼が開かれた。
「こ、こ……は……」
「父上! お目覚めになったのですね……!」
朦朧とした意識の中、国王はゆっくりと腕をテオドールに伸ばす。
テオドールは彼の手を迷わずに取った。
かすれた声で国王は口を開く。
「テオドール……大きく、なったな……」
「……! 私の、ことがわかるのですか……?」
「はは……もちろんだ。実はな、眠っている間も……声が、聞こえていたのだよ……ごほっ」
国王はゆっくりと身を起こし、深く息を吐いた。
むせる父にテオドールは水を差しだす。
水を飲んだ国王は、ミレイユの方を向いて手招きした。
「お主が……わしを目覚めさせてくれたのだな」
「は、はいっ! あ、あの……お、お目にかかれて光栄です」
ミレイユは平民ゆえマナーの類がわからない。
慌てて自分が引き出せる最大限の礼儀をこめて礼をした。
「……ありがとう。わしの病を治してくれたこと、そしてテオドールに寄り添ってくれたこと……感謝する」
「い、いえ……! すべてはテオドール殿下の、陛下への想いが実現したことだと思います!」
国王はにこりと笑ってベッドから出ようとする。
だが、長らく眠っていたせいか足元はおぼつかない。
「父上、お掴まりください」
「すまんな。……わしの目覚めを告げよう。ようやく国の夜明けが訪れる」




