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大切な人

薬師のギルドは騒がしくなっていた。

不治の病『レクサリア病』の治療薬が完成するかもしれない。


王国でも屈指の薬師として知られるアントナンを筆頭に、多くの人が協力してくれている。

最初は懐疑的で日和見していた薬師たちも、次第に研究に協力的になっていった。

今やギルドのほとんどが協力者だ。


「すでに治療薬の臨床段階まで来たか。まさかこれほど早く研究が進むとはな……」


テオドールが驚きの混じった声で呟いた。

依頼者である彼自身、想定外の事態だ。

隣でテオドールの呟きを聞いたミレイユは首を傾げる。


「そんなに時間がかかる想定だったのですか?」


「ああ。俺も製薬には疎いが、もう少し長引くものかと」


テオドールに同意するようにアントナンもうなずく。


「本来、治療薬の開発には数年単位の時間がかかるものです。開発を始めてからほんの一月と少しでここまでくるとは……驚異的な速度ですよ。これもミレイユさんの魔法薬に対する知識と経験のおかげですね」


「猫になる魔法薬なんて代物を作ってしまう女だからな。馬鹿と天才は紙一重というやつか。やはりミレイユを頼ったのは間違いではなかったようだ」


「あ、あはは……たしかに魔法薬開発の経験はすごく役立ちました。病原体の不活化とか、毒性を弱める手法とか……そのまま技術を転用できましたし」


「ミレイユさんは私でも知らない知識をご存知でしたからね。長らくギルドに顔を出していなかったようですが、その才能を見つけ出せなかった自分が情けないです」


とにかく薬剤の開発に対する造詣が深いのだ。

これはミレイユの『猫になる魔法薬を開発する』という夢への、情熱と憧れゆえに成し得た偉業だろう。

アントナンはミレイユを見て思う。

彼女は国を救い、自分を越える薬師になる逸材かもしれない……と。


「さて、お二人とも。残す段階は臨床試験のみとなりました。結果は後日ミレイユさんにお知らせしますので、それまでお待ちを」


「わかりました。いい結果を期待しています!」


「ここで失敗すればまた振り出しだが……ここまでくれば成功してほしいものだな。アントナン、貴様にも世話になっている。後日礼を持ってこよう」


「はは……いえいえ。私は余生でお手伝いをしているだけですから。でん……あなた様のお役に立てれば、それでよいのです」


今、明らかに「殿下」と言いかけていた。

ミレイユもテオドールも気づいたが、何も言わないでおく。

テオドールの正体は秘密にしているが……アントナンは悟っているらしい。


「さて、ミレイユ。そろそろ行くぞ」


「はい。アントナンさん、それでは」


お辞儀をしてミレイユはテオドールに続く。

ギルドを出て家路に就くところで、ミレイユはテオドールに尋ねた。


「アントナンさん、殿下って……」


「……奴とは幼少期、夜会で顔を合わせたことがある。王国で偉業を成した薬師だからな……城にも招かれていたのだ。まあ、奴なら俺の正体を他言などしないだろう」


テオドールもアントナンは信頼しているようだった。

あの温厚で誠実な人柄を考えれば、当然の信頼だ。


「しかし……俺も驚いているぞ。ミレイユの知識が深いおかげで、研究がここまで早く進むとは。今までその才覚をどこで腐らせていたのだ?」


「えっと……働いていました。すごく忙しい仕事で、お金もほとんどもらえなくて。猫になる魔法薬の研究も、寝る間を惜しんで開発を進めていたので……ほとんどギルドに顔を出すこともなかったんです」


「なるほど。労働環境が劣悪な場所は、お前のような才能を潰してしまう。働く場所はよく選ぶことだな」


「そ、そうですよね……今はこうして自分の好きな薬の開発研究に携われて、すごくやりがいを感じています」


「金ならいくらでもやる。その能力を惜しみなく国のために役立てるといい」


ミレイユは感謝をこめて返事した。

事実、テオドールからもらった金貨袋だけで、あの店では一生働いても稼げないほどの資金を得た。

今は確実に夢の先へと向かっている確信がある。



二人は雑談をしながら歩き、ミレイユの家の前へ到着した。

だがミレイユは足を止める。

玄関の前に立っていた少女を目にして。


少女……ロゼールはミレイユに気づき、こちらへゆっくりと歩いてきた。


「ようやく帰ってきたのね? まったく……あたしを待たせるなんて、いい度胸してるじゃない」


「ロ、ロゼールさん……」


軽く目まいがした。

ミレイユにとって、ロゼールはトラウマにも近い存在だ。

いつでもクビにできると脅し、いつも過酷な労働を押しつけて……時には暴力を振るってきた相手なのだから。


小刻みに震えるミレイユ。

その様子を見て、テオドールは彼女の恐怖を悟った。


「ミレイユ、この者は」


「わ、私の……働いていたお店の、人です」


「そうか」


テオドールは迷いなく歩みを進め、ミレイユとロゼールの間に入った。

ロゼールはテオドールを見上げ、鋭い視線で彼を睨む。


「アンタ誰? ミレイユの彼氏?」


「……だとしたらなんだ?」


「ミレイユの彼氏になったのなら、さっさとこいつと別れなさい。ウチの店はミレイユがサボっているせいで、売上が落ちてるの。さっさとこいつを連れ戻さないと」


「貴様にミレイユの行動を制限する権利があるのか? 分を弁えろ」


厳しい言葉で指摘され、ロゼールは面食らった。

彼女はほとんど他人から批判をされたことがない。

そんな彼女にとって、テオドールの言葉は怒りを引き出すのには十分すぎた。


「な、なんなのアンタ! あのね、あたしはこいつが勤めている店の上司よ! 連れ戻す権利はあるでしょ!? 部外者が口を挟まないでよね!」


「聞けば、貴様の店はミレイユに過度な労働を押しつけ、給金も満足に支払っていなかったそうだな。そんな店に戻ってこいなどと……笑わせてくれる。貴様が最低限ミレイユに示すべき態度は、誠意と謝罪だ。どうか戻ってきてください……と懇願するのが筋というものだろう。だとしても、俺がこいつを手放すつもりはないが」


テオドールのよどみない言葉に、ロゼールは口ごもった。

一切の隙がない正論と、発せられる威圧感。

それでもロゼールは自分の非を認めない。


「だから! アンタには関係ないって言ってるでしょ!?」


「今は俺がミレイユの依頼主だ。彼女に頼み、薬師として仕事をしてもらっている。店に戻ってきてほしいのならば、俺よりも高価な報酬を用意してこい。それができないのならば失せろ」


「っ……でも!」


「失せろと言った。二度は言わんぞ、痴れ者が」


テオドールの威圧が怒気に変わる。

只者ではない雰囲気を放つテオドールの怒りに、ロゼールは度を失った。

彼女は足を震えさせて駆け出す。


「な、なんなのよコイツっ……!」


駆けていくロゼールの背を見つめ、テオドールはため息をついた。


「まったく……物分かりの悪い輩だ。ミレイユ、大丈夫か?」


「は、はい……あの。ありがとうございます……」


「お前は俺にとって大切な人間だ。あの娘に邪魔をされても困る。……た、大切な人間というのは治療薬の開発を手伝ってくれる……同志という意味だからな」


テオドールは照れ隠しするように言った。

彼の不器用な言葉に、ミレイユは頬をほころばせる。


「……そうですね。でも、私は……殿下のことをいろんな意味で大切な人だと思っていますよ?」


「どういう意味だ」


「ふふ……いろんな意味です」


友人と呼ぶには少し不敬だろうか。

けれど知人や仕事仲間と呼ぶにも距離が遠いのは嫌で。

煮えきらない様子のミレイユを見て、テオドールはかぶりを振った。


「まったく……だが、あの娘は話が通じそうになかったな。またミレイユを連れ戻しに来る可能性がある。何かあったら遠慮なく俺に言え」


「わかりました。えっと……頼りにしています、殿下!」


「ああ。俺もお前を頼りにしている。治療薬の開発は間近……気を引き締めていくぞ」

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