第九十五話 御曹司、作戦会議をする(1)
今日は短め!
あいりが食べたいものに〝カマスの塩焼き〟を挙げたのは、そんなに高そうなイメージがなかったからである。だがとんでもない。カマスの塩焼きは高級料理だ。筆者も今知った。『カマスの焼き食い一升飯』なんて言葉があるくらいで、焼き物にすると絶品であるという。普段からすると分不相応な料亭でただでさえ緊張しているところに、何やら女将的な風貌の女性がそうした薀蓄を語り始めたのだから、あいりの緊張と言ったら、なかった。
御曹司、早く帰ってきてよ。場が持たないわ。
と、思わざるにはいられない。彼は、『少し電話をかけてくる』と言って席を離れたばかりであった。あまり気が進まない顔をしていたところを見るに、決して愉快な電話ではないのだろう。ゲームの中で幾度となく触れ合ってきたはずの石蕗一朗ではあるが、表情の微細な変化については、直に会ってみて初めて見るものが多い。
「でもお嬢さま、お目が高いですわ。今朝、良いものを仕入れたばかりですの」
「そ、そうね。OMEGAは高いわね」
混乱が上じてこんなことも言ってしまう始末であった。こうした店に入るのに、今の自分は変な格好ではないかとか、粗相をおかしていないかとか、彼女の脳内はそんなことでいっぱいだ。こうしたあたり、まだまだ自分はみみっちいと思う。
「カマスは小さくて華奢なのに、すごく元気が良いお魚ですのよ。ちょっと荒っぽいところがあって、漁師の皆さんに噛み付くこともあるんですって」
「まるでアイリスだ」
戻ってきた。障子が開いて、一朗が姿を見せる。
「あんた戻ってきて開口一番にそれ?」
さっそくの憎まれ口をカマスあいりであるからして、その言葉もお互い様であろうか。女将はふっくらとした笑みを浮かべ、2人の言葉のやり取りを見守っていた。何やらそこには妙な勘ぐりがある気もしてならないが、あいりはあえて無視する。
一朗は座敷に腰を下ろしながら、女将に言った。
「あとでもう一人来る。それと、たぶん警察も来てると思うから、隣の座敷にでも案内しておいてあげて欲しい。彼らの注文分は、僕が持とう」
「石蕗さまも大変でいらっしゃるのね」
「僕はそんなに大変じゃない。労いの言葉は彼らにかけてあげて欲しいかな」
相変わらず存在自体がイヤミだわ、と思う。
ちなみにメニューなんてものはなかった。一朗は、そんなにかしこまったものでなくていいから適当に、とだけ注文して、カマスの塩焼きだけは忘れないよう付け加えた。
「もう一人って、誰が来るの?」
女将が小さく一礼して引っ込んだ後、あいりはたずねた。
「腕は立つけど、性格の悪い弁護士」
「弁護士? 性格が悪い? あんたより?」
「僕は自分の性格が悪いとは思っていないので、あんまり参考になる解答はできないかな。正直、あまり呼びたくはなかったんだけど、今回の件に関してあまり時間の余裕もなさそうだったから、手っ取り早く事情に詳しそうな奴から話を聞くことにしたんだ」
詳しそうな、〝奴〟ね。あいりは、次々に出てくる御曹司の多面性を、実に面白く受け止める。彼が奇人変人の類であることは疑うべくもないが、それも結局はヒトであるということだ。石蕗一朗も、別に木の股から生まれてきたわけではあるまい。
一朗によれば、今回彼が逮捕された件と、キルシュヴァッサーの中の人がマンションに閉じ込められた件では、どちらもローズマリーとかいうAIが関わっているということである。ローズマリーはシスルの社長が作った人工知能で、まぁその、客観的に話を聞く限りでは、立派な地雷女に成長したらしい。
人工知能がやったことであるとすれば、今回の件は確実に冤罪だが、ローズマリーを法的に裁けるかというと難しい問題だ。しょせんはプログラムでしかないローズマリーがサイバー犯罪をおかした場合、法的に見れば彼女は単なる〝不良品〟として処理される可能性がある。責任の所在が、最終的にどこに発生するかは置いておくにせよ、一朗はこのような形でローズマリーが処分されることを望んでいない。ので、あまり強引な手段には訴えられないのだと言った。
だから弁護士を呼ぶのか、と聞いたら、それもある、との返答である。
「そういえば、あんた電話口で〝さくらこさん〟とか言ってたけど、それがキルシュさんの中の人?」
「ああ、うん。うちの住み込み使用人だ」
「本当に女の人で、同居人なのね……」
「そうだよ」
あいりは好奇心の赴くままにこうたずねた。
「美人?」
「うん」
なんの躊躇もなく頷かれると、それはそれであまり面白くない。
「これはアイリスだから教えるんだけど、」
「え、なになに?」
「彼女を雇用した理由の三分の一は、」
「うんうん」
「顔」
一郎があまりにも真顔でそんなことを言うのだから、彼のペースに慣れてきたあいりもいささか返答に困る。ここは、御曹司も割りと俗っぽいところがあると笑えば良いのか、それともジョークのセンスが下品だと笑えば良いのか。どっちにしても笑うんだけど。
「それマジで言ってんの?」
「その判断は君に任せよう。あ、でも桜子さんより僕の方が美形だ」
「御曹司キモい」
こいつ変わんねぇな、とあいりは思った。
家事にもひと段落をつけ、軽い昼食を摂った頃に、再びローズマリーからの電話があった。電話と言っても、彼女はこの家の中にいるのであって、量子回線を使用した内線通話に過ぎない。彼女に、2台あるミライヴギア・コクーンのうち、1台を使用するように告げ、ユーザーアカウントのパスワードを教えておいた。
身体もないのにミライヴギアが使えるのか、と思わないでもなかったが、セキュリティシステムをあっさり掌握しちゃうような人工知能だし、なんとかなるでしょう。と適当に思っていた。実際なんとかなった。先にログインしておくというローズマリーに遅れること数分、桜子も、ようやくミライヴギアのシートに座り込んで、仮想空間へと没入した。
桜子がキルシュヴァッサーとして目を覚ますと、そこはアイリスブランドのギルドハウスである。目の前には、アイリスが直々にデザインした和風メイド装束の少女が、興味深そうに周囲を見渡していた。
「珍しいですか」
そう尋ねると、少女、すなわちヨザクラは振り向き、頷く。今、ヨザクラのプレイヤーはローズマリーだ。
「こうしてプレイヤーとして視覚情報を得るのは初めてです。イチローのユーザーアカウントは、私が直接動かしていたわけではありませんでした」
「はっはっは、なかなか良いもんでしょう」
ロビーの内装はすべてイチローが用意したり、デザインしたりしたものだ。特に家具に関しては、木目からニスのてかりにまで気を使った注力具合だが、実のところそれは、このナロファンの優秀なグラフィッカー達に対する尊敬と対抗意識の具現であると、キルシュヴァッサーは踏んでいた。
ヨザクラの表情は、自分が動かしているときと違い、かなり乏しく見受けられる。ローズマリーの感情信号を直接反映することができないのか、それとも、反映できるほど明確な感情が、ローズマリーに芽生えていないのかはわからない。
「なぜ、このような形での対話を望んだのか、お聞かせ願えますか」
ヨザクラが言う。
「理由はいくつかありますが」
キルシュヴァッサーが答える。
「あなたの相談に答える際、あまりマジっぽくなっちゃうのもイヤだなと感じたのがひとつですかな」
そう言って、ポットからティーカップにお茶を注ぎ、ヨザクラに差し出した。彼女は困惑を見せなかったが、しばらくの躊躇がそれに類するものであるとわかる。その後、ヨザクラはカップを受け取った。キルシュヴァッサーは、皺と傷の刻まれた騎士の顔に、柔和な笑みを浮かべる。
「もうひとつは、お話をするのに、お茶を出せないのも使用人として失格だと思ったからです。どうぞ飲んでみてください。イチロー様もお好きな味ですよ」
「桜子、」
「おっと、」
カップに口を付ける前、何か言おうとしたヨザクラを片手で制す。
「実名を出すのはマナー違反ですので。今の私は激シブの前衛騎士キルシュヴァッサー卿。あなたは魔族の和風従者ヨザクラです。私のことは、えぇと、〝お父様〟と呼ぶように。良いですな?」
「ナンセンスです。そのようなことにどうした意味が?」
「ナンセンスだから良いのですよ。では、娘の恋愛相談に乗るとしましょうか」
10/19
誤用を訂正
× 敷居の高そうな
○ 普段からすると分不相応な




