第九十四話 御曹司、奢る
話を聞いてみる。
ローズマリーは、シスル・コーポレーション社長・野々あざみが開発した人工知能だ。そういえば、十賢者システムという人工知能による運営補助システムが、ナローファンタジー・オンラインにはあった。彼らの名前は全員ハーブから取られていたと記憶している。なるほど、ローズマリー。このマンションの屋上で育てているものと同じだ。
先日のアカウントハック事件にも、こうした人工知能が関与していると聞いていた。シスル本社は、ポニー社と共に、これをいわゆる〝プログラムの欠陥〟と判断し、該当する人工知能の初期化を行ったというのが公式見解のはずだが、ローズマリーの話では、その時点では既にシスルのサーバー内から脱出していたのだという。
量子コンピューターの技術発展が、より柔軟な思考を行う人工知能を作成可能にしたという事実は厳然としてある。が、それでも桜子としては、ローズマリーの存在は驚嘆に値した。話せば話すほどに、彼女は(〝彼女〟と表現することになんの疑問も持たないほど)人間らしい思考を行っているのだとわかる。
そこを追求すると、ローズマリーは答えた。
2ヶ月前は十賢者システムの一員として、普通にゲーム内のシステム管理を行っていたと記憶しているらしい。ゲーム内には、様々な人間の意思・思考が存在し、それらの持つ非論理性・非合理性は、十賢者たちには理解できないものであった。彼らは常に討論を続けたが、理論的な回答が得られることはなかったという。
ある日より、ツワブキ・イチローというプレイヤーの存在が、ゲーム内でも目立ち始めた。彼の行動における非合理性は群を抜いており、ローズマリーはイチローとの対話によって、人間の非論理性・非合理性を理解することができるのではないかと考えた。もともと彼らは、自ら命題を模索し、それを解決することに特化した人工知能である。ローズマリーは、この命題の解決には外部との対話が不可欠であるとして、創造主であるあざみ社長に、イチローとの対話を求めたのだった。
果たして、ブレイクスルーは成った。ローズマリーはイチローとの対話によって、人間の非論理性・非合理性を、わずかながらではあるが獲得していったのである。
ローズマリーは石蕗一朗との出会いから、はじめて交わした会話の内容、その時自身が受けた印象・衝撃などを事細かに桜子へ語った。はじめは興味津々で聞いていた桜子だが、途中から何やら、背筋がむずかゆくなるような、うんざりした気持ちを抱き始めた。
これは、惚気というやつだ。
ローズマリーの口調は事務的である。声は平坦で抑揚がない。如何にもな合成音声は滔々と、石蕗一朗がいかに素晴らしい男性であるかを語り続けた。彼女はきっと、これを客観性に富んだ分析だと思い込んでいるのだろう。そこを指摘するべきか否か、桜子はおおいに悩まされた。ぶっちゃけ桜子は、自らの主人が、ローズマリーの語るほどに人間のできた男だとはまるきり思っていない。
だがひとまず、ローズマリーの言い分は、大いに理解できた。
自我の芽生えたAIか。ロマンではある。桜子は、自室に積んだままにしてあるマスターグレードEX-sガンダムのプラモデルを思い出していた。確かに、人間らしい非合理性を獲得する上では、破天荒な変人と突き合わせるのが一番よい。
「ローズマリーは、その上で私を脅威として認識しているんですね?」
その言葉の意味を理解できないほど、桜子は朴念仁ではない。
『はい。あなたとの対話が私にとっての最優先事項です。他に、アイリス、ココとの対話を行う必要があります』
「えぇと、芙蓉さんは?」
『芙蓉めぐみは脅威として認識できません』
「そうですか」
どうも、買いかぶられているらしいな。桜子は思った。しょせん自分と一朗の関係など、使用人と主人でしかないというのに。でも、それは一朗式に言うなれば、桜子の主観でしかない。他人から見た真実は、また別にあると言えば、そうだ。
まぁいいでしょう。
「どうせ、このままじゃ埒も空きませんしね。大して力になれるかはわかりませんが、お話は聞きましょう」
『感謝します』
「でも、いたずらはほどほどにしないと、一朗さまに嫌われちゃいますよ?」
ちょっとした効果を期待しての、冗談じみた脅しではあったが、この言葉を受けてローズマリーはまた黙り込んでしまう。
「どうしました?」
『先ほど、イチローに、私が彼を怒らせている可能性について指摘を受けました』
「おおう……」
冗談にはならなかったか。しかし、あの石蕗一朗が〝怒る〟とは。少し見てみたかった。
「えぇと、ドンマイです。おイタに関しては素直に反省して、あとで一朗さまにごめんなさいしましょうね」
『それで許していただけるのでしょうか』
「好きな人に許してもらいたいという気持ちはわかりますけど、大事なのは自分の謝意をしっかり表すことですよ」
ふと思えば、自分はAIの恋愛相談にのっているのだろうかと考え至る。こんなの人類史上初の快挙であろう。桜子自身、恋愛経験はそこまで豊富では……いやいや。そんなことはどうでもいい。ちなみに初恋はノリス・パッカードだった。なんの参考にもならない。
「掃除がひと段落つくまで待っていてください。そのあと、しっかり顔を合わせてお話しましょう」
『顔を、ですか』
ローズマリーの声に感情はにじまないが、それでも戸惑いじみたものは理解できた。桜子は茶目っ気を出してこう答える。
「私、ナロファンのユーザーアカウントを2個持ってるんですよ」
「と、まぁ、事情としてはそんなところ」
マンションの駐車場に向かう傍ら、一朗は今回の件、及びローズマリーの存在について、簡単な説明をした。あいりはしばらくポカンとしていたが、その後、頭痛をこらえるかのように額を抑え始める。
「なんでこう……あんたに女が絡むとロクなことが起こらないのかしら……」
「そんなに自分を卑下するものじゃない」
「あぁ、そうね! アイリスブランド事件も結局は身から出た錆よね! わかってんのよクソッタレが!」
あいりの甲高い声が、駐車場にやおら反響した。サングラスをかけたスポーツ選手とアイドル歌手が、驚いたようにこちらを見ている。一朗が片手をあげて謝罪混じりの挨拶をすると、彼らは軽めの会釈をしてこそこそと撤退していった。一朗が『二人が仲良いってことは秘密ね』などと余計なことを教えてくれたので、あいりは知らなくても良い事実を知ってしまったことになる。あの2人って、そうだったのか。
「あんた、警察から出てきたばかりでしょ。鍵とかあんの?」
「うん。一応、マンション内のセキュリティネットワークとは独立した秘密の装置がいくつかあってね」
何やら仰々しい言い方である。おそらく一朗のものであろう青いスーパーカーの前にやってきた2人だが、あいりは、まず一朗が壁の方まで歩いていくのを見て、何をするのだろうかと思った。
壁に偽装したカバーを外すと、そこには指紋認証装置と1~9、及びアルファベットの羅列されたテンキーがある。一朗が指紋認証を行った後に、32桁の暗号をよどみなく入力すると、空気の抜けるような音がして隔壁のひとつがガコッと開いた。あいりの顎もガコッと外れた。
「定期的に掃除と点検はするんだけど、ここから鍵を取るなんて久しぶりだなぁ。アイリス、どうしたの?」
「なんかこのマンション……。秘密基地っぽくない?」
「僕の趣味じゃないよ。でもときおり便利だとは思う。こういう時とかね」
一朗は運転席に滑り込み、助手席に座るようあいりを促した。彼女はやや躊躇いながらも乗り込んで、シートベルトをしっかり締める。
「何か食べたいものはあるかい」
「んー、カマスの塩焼き」
「良いセンスしてるなぁ。オフ会は割り勘らしいから、今日は僕に奢らせてもらおう」
あいりは、そこには異を唱えなかった。というよりも、唱える余地がなかった。彼女もあまり経済的に裕福な身ではないのだ。もちろん、この御曹司に昼食を奢ってもらうのは甚だ不服ではあるのだが。
一朗はステアリングを握りながら、BGM代わりのカーテレビをつける。ちょうど昼前のニュースで、石蕗一朗逮捕に関する報道をしていた。マスコミも飛びつく題材ではあろうが、取り立てて報道するような情報も少なく、関係者からのコメントなどを紹介して尺を稼いでいる感じだ。
『……石蕗容疑者の父親であり、石蕗総合商社の社長でもある石蕗明朗氏は、この件に関する同社の取材に対して『事実関係が確認できていないので、コメントは差し控えたい』との返答を残しています……』
「あんたのお父さんって、どんな人?」
あいりは、ニュース画面を見つめながら、そうたずねる。
「小心者の陰謀屋だよ。僕は尊敬してるんだけど、本人には秘密」
「へぇ。なんか意外」
まさか一朗の口から〝尊敬〟などという言葉が出てくるとは思わなかった。小心者で陰謀屋というのも、なんだか彼のイメージとは違う。ただ、聞くところによれば、商才の無かった父(一朗の祖父)から事業を引き継ぎ、財閥解体と共に離散したかつての関連企業を再びまとめ上げたのは、すべて石蕗明朗の手腕であるという。
明朗は、一朗に対して、そうした自分の稼業を引き継ぐ人間に育つことを期待しており、自らの膝下で帝王学や経営学を教え込むつもりであった。が、芸術家肌であった妻が、幼少期より一朗を世界中に連れ回したせいで、ついぞそれが叶わなかったのだという。
「なんか、あんたのバックボーン聞くの始めてだわ」
「僕もあまり人には話さないからね」
「なんかこう……アレよね。わかっちゃいたことなんだけどさ」
「うん?」
あいりは、カーテレビから視線を窓の外に移して、何やら考えをまとめるように口ごもる。
「ネットで知り合った相手にも、家族がいて、歴史があるんだなーって話よ」
「そうだね。わかっていても、実感するのは難しいこともあるかもしれない」
しかし、その話通りとなると、一朗は父から直接帝王学や経営学の手ほどきを受けたわけではないらしい。イメージだけでモノを語るのならば、大企業の御曹司というのはそういったものを当たり前のように教授されて生きてきたと思っていたので、これまた意外な話ではある。
だがまぁ、納得できることも多々あった。礼儀作法や、貴人としての立ち振る舞いが独学ならば、このような変人にも成長しよう。上流階級との交流などまるきり縁がないあいりだが、この一朗がそのスタンダードであるとは、思っていなかった。
曰く、
「帝王学っていうのは、人の上に立つための作法だよ。ひいては、誰かの助力を必要とする人間の作法だ。だからあんまり興味がない」
「なんかその発想、寂しいわね」
ひとりでも生きていけるという確信があるのか。まぁ、あるのだろうこの男なら。
「そうかな。僕はそうは思わないけど」
「あんたがどう思ってるとか、そんなんどーだって良いのよ。あたしだったら、そういう考え方ヤだなって話してんの」
少しだけの苛立ちを込めて吐き捨てるように言う。ちょうど、車は赤信号で停車し、運転席に座る一朗は、やや驚いたような目つきでこちらを見ていた。だがそれは、すぐに嬉しそうな笑顔に変わる。信号が青に変わったので、一朗は視線を前に戻した。
「君の発言には、たまに驚くなぁ。その通りだ」
ちょっと前まで『怒っていた』と自称するこの御曹司は、今や妙に上機嫌である。あいりには解せないことだったが、正直、イライラされても困るのでこれで良いか。
「なにそれ」
「君と友人になれたのは僕にとって価値あることだなという話」
まるでなんでもないことのように言う一朗を、今度はあいりが見る番だった。だが数秒もしないうち、ふんを鼻を鳴らし、シートの身体を埋めるように深く座り込む。
「あんたも、たまーに嬉しいこと言うのよね。そういうの、ズルいわ」
「喜んでくれたのなら、結構」
2人を乗せた青いケーニッグセグは、やがて小さな料亭へと到着した。
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