第九十話 御曹司、まとめる
「ふっ、完璧だわ」
アイリスのその言葉は、虚偽でも虚勢でもなかった。彼女の仕事は完璧である。
アイリスブランドのギルドハウス。アクセルコートを着用したココの姿はどこか満足げである。それなりに難易度の高いレシピと素材を一切無駄にせず、一発で防具作成を成功させたアイリスの成長も大したものであった。ただ、アイリスブランドのデザイナーとしての矜持か、ココの好みを損ねない範囲でのアレンジが加わっている。こと、個人の好みのツボをつく点に関しては、抜群のファジー感覚を見せるアイリスだ。まぁココはヒトではないが、そこにおいても彼女の手腕は遺憾なく発揮されるのであった。
「お疲れ様です。アイリス、お茶をどうぞ」
「ありがとう。やっぱりお茶といえばヨザクラさんよりキルシュさんだわ」
「はっはっは、それはどうも」
本日のギルドハウスは盛況であった。が、彼らが買い物目当てに訪れた客でないのはどうにも寂しいところだ。ユーリにザ・キリヒツ、苫小牧、キングキリヒトまでいるのは意外であった。彼は少し離れたところで、椅子に腰掛けた御曹司となにやら話をしている。エドワードと芙蓉は、仕事が忙しいのか来れていない。なぜかPK兄弟までやってきたが、棍棒使いには丁重にお帰り願った。ナイフ使いはいきなりナイフを舐めて死んだので手間が省けた。
いざ、ココの正体を知ってしまうと、ユーリやザ・キリヒツもなかなか態度がぎこちない。しばらくのうちは、わかりやすい単語、理解しやすい単語を選んで話していたようだが、苫小牧に『いつもどおりで良いですよ』と告げられ、ようやく緊張が解けた形だ。ココの方は意外なほど緊張していない。割と多くの人間に囲まれているのも慣れた様子だった。
「感謝していますよ」
苫小牧は、理性と知性を宿した穏やかな笑顔でそう言った。
「ツワブキさんにもそうですが、アイリスさん、あなたにもね」
「いや、そんな、あたしは何もしてないわよ」
彼女のやったことと言えば、アクセルコートの作成を除けば芙蓉を盾にしたことくらいである。
「我々は当初、ココの正体を知った皆さんが、過剰な好奇心で彼女を傷つけることを危惧していたのですが、どうやら杞憂だったようです」
「まー、基本的にみんな良い人だからじゃないの?」
キリヒツなどは、ココにじゃんけんを教えていた。
恐るべきカネの暴力で、イベントボスを葬ってからまだ数時間。似たようなボスが各地に出現していることがわかったときはさすがにびっくりしたが、あれと同じものを相手にするのはもうごめんと、彼らは急いでギルドハウスに逃げ帰った。ボスの消滅により再度ポップアップするようになったアクセルゴートから、アクセルコートのレシピを剥いでいくのも忘れない。この辺に関しては御曹司のリアルラックもあって、まるで苦労はしなかった。
〝死の山脈〟の山道に残された悪夢のような課金剣は、すべて放置される結果となった。アイリスは『アフリカの子供達のこと考えてみなさいよ!』と真っ向から抗議したのだが、よく考えてみればアフリカの子供達も課金剣を食っているわけではないので、最終的には同意した。ボス討伐参加者の中では、記念にと課金剣を持ち帰るものもいた。まるで甲子園の砂である。
まぁ、恐ろしい話はもうひとつあって、各地に出現したボスモンスターのうち、中央魔海の個体と武闘都市デルヴェの個体は、すでに撃破されているということである。ひとりのプレイヤーによって。
アイリスはちらりと、御曹司と真剣な顔で話し合っているキングキリヒトを見やった。
「あいつも大概よねー」
「準・最強のソロプレイヤーですからな」
キルシュヴァッサーは、トレーの上のティーカップに、ポットからお茶を注いで苫小牧にも渡していた。
「いったい何の話をしているのかしら」
「男の話でしょう。私たちが介入することではありませんな」
「キルシュさんも男じゃない。アバターは」
「はっはっは」
「なんだ、じゃあおっさん、結局参加しなかったんだ」
「さっきからそう言ってるじゃないか。だから、僕の討伐数は0だ。君の勝ちでも良いんだけど」
「んー、最初から約束してたわけじゃねーし。別に良いや」
男の会話である。
キングキリヒトは、ココの動向にもそれなりに興味があったようだが、ひとまずプレイヤーとしてイベントを優先したらしい。彼が最近行動の拠点としている中央魔海に出現した一体を葬るのには、それなりに手間を要したが、コツをつかんだ2戦目はあっという間であったらしい。アイリス達が聞けば憤慨しそうな話だが、事実、憤慨していた。
「ココさんもだいぶモーションに慣れてんな」
「飲み込みが早いようだよ。天才という言葉通りなのか、生後からの教育が彼女を天才にしたのかはわからないけど」
「ふーん」
興味があるのかないのか、よくわからない返事はいつもどおりだ。
キングキリヒトが、こんなところに顔を出すというのは珍しい。イチローに負けず劣らず自分勝手で、呼吸をするような感覚で次の目的地を決める彼だが、こうした馴れ合いの場に姿を見せるなどということはまったくなかった。
「今回も派手に使ったなぁ」
マツナガのまとめブログを見ながら、キングはそうつぶやいた。
「そうかな。言うほど大した額じゃないさ」
「おっさんさぁ、アカウントあたりの課金額が制限されるかもって話、知ってる?」
話題の切り替えにはいささか不自然なタイミングな気もしたが、すなわちそれが主題ということなのだろう。キングの言葉に対して、イチローはかぶりを振った。
「強いて言えば、マツナガから似たような話を聞いたくらいかな。それが、どうしたんだい」
「いや……」
いつもは生意気な少年が、この時ばかりは妙に歯切れが悪い。
課金コンテンツの制限に関しては、まぁ、さもありなんといったところではないだろうか。イチロー1人がゲームバランスを崩しているというつもりは毛頭ないが、ゲーム内における平等性を重視するとなると、さすがに現状では課金プレイヤーに優位が傾いている。無課金で対抗するには、膨大な時間を犠牲にしなければならない。目の前にいる少年のようにだ。
それが良いことか悪いことかは別にしても、シスルの背後にポニー社がつくことで、ゲーム内のピーキーな仕様は確実に是正されつつある。マツナガはそれを嫌がっていたようだが、まぁ、客観的に見れば、非常に結構なことであるとも言える。
「君の考えていることを当ててあげよう」
イチローは、キングキリヒトが何を思ってここに来たのか、おおよその想像がついていた。
「君は、課金コンテンツが縮小されること、あるいはバランスが是正されることで、僕が今よりも弱体化することを危惧している。できることならば、そうなる前にもう一度、僕との決着をつけたい。と、まぁ、そんなところかな」
「…………」
「やぁ、図星だ」
キングが答えないところを見て、イチローはそう笑った。
「だがその心配はナンセンスだ。お金が使えないなら使えないで、僕はゲームを楽しむつもりだし、それにキング。課金が無かったら、僕は君に勝てないと、そう考えているのかい」
「言うじゃんおっさん」
「君が決着をつけたいというならやぶさかではないけど、何かに急かされている君と戦うのは、あまり面白そうじゃないな。と、思っている。まぁ、君が気の向いたときに来ればいいさ」
さて、その話題にも決着がついたとき、タイミングよくこのギルドハウスへの来訪者があった。フランシーヌ・ハタムラ博士である。
一同は少し驚いていたが、苫小牧が博士を紹介すると、なにやらかしこまった様子で頭を下げていた。唯一、ココだけが、そんな彼らの態度を理解できない様子で首をかしげている。
「皆さん、ココとお友達になってくれてありがとう」
ハタムラ博士は、柔らかい物腰でそう告げた。
「この3日間、ココも非常に楽しかったと思います」
「えっ、3日?」
「そう、3日だ」
アイリスが驚いた様子を見せていたので、ハタムラ博士の代わりににイチローが前に出ることにした。
「ココの正体について、みんなはもう知っているらしいから、詳しくは話さないけど。長時間のドライブが彼女にどれだけの負担がかかるかも、今のところはっきりしていない。そもそも、人間の脳にあわせて調整された機械だからね。ひとまず3日間だけ、という条件があった」
苫小牧とハタムラ博士が、相次いで頷いている。ココにもこの話はしてあったはずで、少しだけ寂しそうな笑顔を見せていた。アイリスは、あからさまに落ち込んだ声を出す。
「友達になったっていうか、これから友達になるところだったのになぁ……」
それに関しては、ユーリやキリヒツも同様であるらしい。ここで何の躊躇もなく〝友達〟という言葉を使ってくれるアイリス達のことが、イチローは我が事でないながらもなにやら妙に嬉しい。
「とても楽しかった」
一同がしんみりしかけたところで、ココがそう言った。
「また会いたい」
彼女は、ちらりとイチローを見る。
「会える?」
「僕も会いたいと思っているから、まぁ会えるんじゃない。できれば次は夢の中ではない方で君と話をしたいな」
「それは恥ずかしい」
「そう?」
「でも、良いことだと思う」
2人がそんな話をしている中、アイリスも駆け寄ってきて、ココの手をとる。そのまま彼女は、その手をやや強めに振り回した。ココがちょっと驚いた顔をする。
「ああ、あなた達の挨拶」
「そうよ。ココさん、元気でね。あたしは御曹司みたいにおカネ持ちじゃないから、まぁ会いにいけるかわかんないけど」
「今度図書館でココさんの本探してみるよ」
「また会えたらいろいろ話を聞かせてね」
どうやら、いよいよ帰る時間であることを察したのか、それぞれが思い思いの言葉を発する。ハタムラ博士は、それを意外そうに見守っていたが、無言で頷く苫小牧に、すぐ得心がいったような笑顔に戻った。
ココは最後まで名残惜しそうにはしていたものの、最後はハタムラ博士に連れられてログアウトする。御曹司ツワブキ・イチローのデートに端を発した今回一連の一件は、これでようやく終幕を見たと言って良いだろう。
客観的には。
個人個人の主観という点から見れば、まだまだ終わっていない点というのも存在する。なにやらメインストリートをどたばた走る音がして、直後、ギルドハウスの扉が勢いよく開け放たれた。しんみりとした余韻に浸りながら『良い子だったわね……』と雰囲気満点の台詞を口にしようとしていたアイリスが、思わず面食らった様子を見せる。
「ふっ、芙蓉さん……!?」
間の悪い女、芙蓉めぐみである。彼女は、疲労を感じないはずのゲストIDの肩を大きく上下させながら、周囲をきょろきょろと見渡す。やはり息が荒い。
「こっ、ここ……こ……」
「やあ! ここはグラスゴバラ職人街だよ!」
「違いますわ! こ、ココさんは!?」
「帰った」
「かえっ……」
イチローがぽつりと言うと、芙蓉は言葉を反芻しようとし、しかしそれすらもままならず、へなへなと床に座り込んだ。
「ま、間に合いませんでしたのね……。せっかくお話をするチャンスでしたのに……」
芙蓉めぐみは、この中で唯一、ココの正体を知らされていない。キリヒト(リーダー)の妄言をいまだに信じ、イチローとデートした少女の人間性を、恋敵として把握しておきたいという信念に付き従って、ここまで走ってきたらしい。芙蓉は次に、アイリスが最も恐れていた質問を彼女に投げかけた。
「仕方ありませんわ……。アイリスさん、ココさんって、どんな方でしたの?」
「えっ!? え、えぇっと……ぉ!?」
「どんな女性でしたの!?」
ど、どう答えろって言うのよ!
というのが、アイリスの本音である。ココの人間性、いや、ゴリラ性に関して、アイリスだってそこまで把握しているわけではない。確かに純真無垢であるとか、限りなく善性に近いであるとか、当たり障りのないことは言えるのだが、それで果たして、この芙蓉めぐみは納得するだろうか? だってアレなのだ。彼女は、『女の執念ですわ』の一言で、はるか格下の相手(アイリスだ)にマジで喧嘩を売るような女なのだ。
「素敵な女性だったよ」
問い詰められたアイリスの窮地を救ったのは、意外にもツワブキ・イチローであった。
「素敵な女性だった」
芙蓉とアイリスの視線が向けられた後、イチローはまた静かに、窓の外を眺めながらそう言った。
彼はこうした場で、いや、こうした場でなくとも、嘘をつくような人間ではない。芙蓉もアイリスも、それは重々承知していた。だからこそ、彼の言葉が、それぞれ違った意味をもって浸透する。
「そう……一朗さんが、そうおっしゃるなら……素敵な女性だったのでしょうね」
さしもの芙蓉も、イチローがこう言っては黙らざるを得ない。
「なら、わたくしも……一朗さんにそうおっしゃっていただけるよう、努力しますわ!」
「ん、推奨はしないけど。がんばって」
そっけない男である。
「ところでさ、あたし、思い出したんだけど、」
話題を切り上げようとしたのかどうかは定かではないが、アイリスがぽつりと、そう言った。
「なんだろう」
「オフ会、やるわよ」
「ん、」
彼女の言葉に反応したのは、イチローだけではなかった。その場にいる全員が、一様にアイリスの方を向く。
そう、オフ会である。いわゆるオフラインミーティング。ネット上の仲間達がリアルで会って親睦を深めるというアレである。アイリスはずっとやりたいと思っていた。思っているうちに、8月ももう後半戦である。これはうかうかしていられない。
「夏休みが終わる前に、東京でオフ会やるわよ! 都合のいい日を教えて!」
「私、9月半ばまで大学休みだから、いつでもいいよ」
まずそう言ったのはユーリである。彼女は埼玉在住と言っていたか。参加はほぼ確定である。
「僕とキルシュヴァッサー卿も時間ならいつでも空けられるから、好きにしてくれて良いよ」
「ですな」
イチローとキルシュヴァッサーも、案外躊躇なく答えた。さて問題はここからだ。
イチローが参加するならば是が非でも、という女がいる。
「わっ、わたくしはっ……8月末まで、東京ガールズコレクションの準備が……っ! いや、でも、1日くらいならっ……」
「ふ、芙蓉さん……」
執念のある女は違う。苫小牧は穏やかな微笑を浮かべて、眼鏡を上げた。
「私も明日からアメリカへ行って、ココのデータ調査をいろいろ行わなければなりませんが……。そうですね。来週には帰国予定ですから、それに合わせていただければ」
「オレはパス」
これはキングである。
「なんでよ」
「だってオレんち名古屋だもん。お母さん過保護だし、保護者随伴のオフ会ってのもヤだろ」
小学生には、いささかばかり辛い距離であろうか。
「じゃあ、ザ・キリヒツは?」
「俺は鹿児島」
「俺は福岡」
「俺は大分」
「俺は長崎」
「俺は宮崎」
「俺は熊本」
「俺は佐賀」
「なんでみんな九州なのよ」
「みんなを代表して俺が行こう。日程は土日に合わせてくれ」
鹿児島在住のキリヒト(リーダー)が重々しく頷いた。
その場で言ってみた割には意外と参加率が良い。アイリスはコンフィグからテキストアプリを開いて、ひとまず今言われたことをざーっとメモする。
「エドワードさんとか、どうなのかしら。東京へ出張って行ってたわね」
「声をかけてみるだけかけてみたら良いんじゃない」
「ん、そーね」
すでにアイリスは幹事を務める気満々のようである。
オフ会か、とイチローは思った。VRMMOというゲームの特性なのか、彼らがウェブ上限定の友人であるという感覚が、いまいち薄い。もっとも、オンライン・オフラインというカテゴリで友人と区分けすること自体が、非常にナンセンスであると言えば、そうなのだが。
例えばアイリスにせよ、キングにせよ、現実での姿はもう少し違うはずであって、それは確かに興味深い。キングは不参加を表明してはいるが。キング自身は別段、それを不服に思う様子もなさそうであった。
良い友人達であるとは思う。だが、先ほどのキングとの会話。そこから記憶の糸を辿って、以前繰り広げたマツナガとの会話が、自動的に想起される。
結局、このナローファンタジー・オンラインというコンテンツも、永遠に続くわけではないことを、最近になって強く実感するようにはなった。彼らが楽しんでいるこのゲームにも、いつか終わりが来てしまう。そしてそれはおそらく、彼らの望むような壮大なエンディングという形で向かえられる可能性は、極めて低い。
ま、なるべく長く続いてくれれば良いんだけど。
イチローは、自らのナンセンスで取り留めない思考に、無理やり終止符を打った。
「あぁ、それで、御曹司!」
都合よく、アイリスが彼を呼ぶ。
「なんだい」
「それと、芙蓉さんと、苫小牧さんもだけど、一応念を押しとくわね」
「なんですの?」
「なんでしょうか」
呼ばれた2人も、なにやら不思議そうに首を傾げていた。
「費用はワリカンよ。ビタ一文と多く払わせないわ」
「ん、それは結構」
相変わらずのアイリスの態度に、イチローは満足げに頷いた。
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× 再度ポップアップすうりょうになったアクセルゴーと
○ 再度ポップアップするようになったアクセルゴート
× 生後からの教育が彼女を天才したのかはわからないけど
○ 生後からの教育が彼女を天才にしたのかはわからないけど
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× その場で行ってみた
○ その場で言ってみた




