第八十九話 御曹司、手助けする(2)
課金剣の炸裂は、果たして苛烈な閃光と共に12000を突破する大ダメージを叩き出した。キルシュヴァッサーの豪腕に握られた剣は、その耐久値に裏打ちされた頑健さがまるで嘘であるかのように、切っ先からぼろぼろと崩れ始める。怪獣の悲鳴じみた咆哮が光の中から聞こえたが、キルシュヴァッサーにとっては手応えよりも、切り札を失った実感の方が強く心に染みた。
怪獣は地面に倒れ伏し、のたうつ。暴れまわる全身にダメージ判定が発生して近づくことすらままならないが、隙だらけの身体には遠距離攻撃を得意とするプレイヤーからの集中砲火が浴びせられた。口内に収束されていたエネルギーは霧散し、ビームブレスの発射が阻止できたことは確認できる。キルシュヴァッサーは着地後、急いで距離をとった。
「ど、どう?」
アイリスが恐る恐る声をかけてくる。キルシュヴァッサーは渋い顔だ。
「厳しいですな。第二形態の行動パターンが読みにくいのもありますが」
おそらく、ビームブレスの軌道はランダム性が増している。運営の思惑としては、プレイヤー側はここで一旦撤退するか全滅するかし、戦力を整えた後でまた再び挑むべしといったところだろうか。その間、怪獣はフィールドを超えて自由に動き、暴れまわる。まぁそれはそれで非常に緊張感があるし、結構なことだ。通常であれば。
だがこの時ばかりは、今ここでこのボスを倒しておかねばならない理由が、キルシュヴァッサー達には存在した。無理だの、無茶だの、そういったものは百も二百も承知であるのだ。その上で、倒さねばならない。例え課金剣を失った身の上であるとしてもだ。
「アイリス、武器は作れますか?」
「つ、作れなくはないけど、《ブレイカー》向きのやつが作れるかどうかは……。あれ攻撃力よりも耐久値の方が補正強いんでしょ?」
厳しいか。もしアイリスが武器作成系のスキルも伸ばしていたならば、カネではなく友情の力による無制限の必殺技が実現していたのだが。
「《友情ブレイカー》作戦は実行不可と……」
「キルシュさん、それ可不可以前に作戦名に大きな問題がある気がするわ」
ここでアイリスにできることといえば、キルシュヴァッサーが再度取り出したナイトソードの耐久値を回復させ、攻撃補正を一時的に上昇させることくらいである。カネの力と決別した元・暗黒課金卿は穏やかな笑み(ただし目は紅く光る)で感謝を述べたが、これで大局を覆せるかと言えば厳しい。
全力を込めた《エナジーフィスト》の使用によって、疲労蓄積度を大幅に上昇させてしまったユーリは、かなり後方へと退いていた。今彼女は疲労回復剤のガブ飲みによって戦線への復帰を試みている。彼女と熱い友情を築いているらしきモヒカン肩スパイクは、刺バットを振り回しながら怪獣に飛びかかり、吹き飛ばされるのを繰り返していた。プレイヤースキルの低さに反して妙なタフネスがある。
「くっ、わたくしにももっと力があれば……」
芙蓉はゲストIDゆえの決定力のなさに歯噛みをしていたが、彼女は本来壁役であるはずのキルシュヴァッサーが申し訳なく思うほどの活躍を見せていた。そもそもからして、ゲストIDをこういう風に使うこと自体が運営の想定外であり、ルールの裏をついたずるっこである気もするのだが、健気にも巨獣の攻撃を身体を張ってインターセプトする芙蓉の姿を見れば、おそらく運営だって沈黙すると思われる。
しばし地面をのたうっていた怪獣は、やがて四肢を大地につき、天に大きく吼えてから再び立ち上がった。咆哮にまでダメージ判定が生じるようになり、離れていないと吹き飛ばされる。非常に厄介だ。
「す、隙がないわ」
「初見の敵は隙がなく見えるものですからな。どこかに比較的ダメージ判定のスカスカな場所があるはずではありますが……見極めるだけの時間があるかどうかは」
キルシュヴァッサーの心中を席巻するのは、不甲斐なさである。カネの力を持たない自分など、この程度のものでしかないのか。自身のプレイヤースキルと経験、知識。そこにトッププレイヤークラスのステータスさえ加われば、状況を一変させる力になるかとも思ったが。自分では、イチローやキングキリヒトのようには、いかない。
そう、考えていた時である。
「お、おい、あれ……なんだ……?」
参加プレイヤーの1人が、山道の先を指差してそう言った。
それはなんとも荘厳で、かつ冒涜的な光景であった。この曇天の中、山道の先にある高原だけは静かに陽が差している。目を凝らせば、日差しとともに天より降り注ぐ何かの正体に気づいたことだろう。それはまさしく剣であった。
まさか、と思う。
だが、際限なく降り注ぐ剣は、一様に同じ形をしており、かつそれは非常に見覚えのあるものであった。恐るべきは、それは山道をたどるようにしてこちらに近づきつつある事実である。道なりに築かれた剣の山は、すべてが1振り1200円の課金剣によって構成されていた。まさしくカネの道である。誰による仕業かなど、疑うべくもなかった。この道の先に立つ男は、全てお見通しであるのだ。
「イチロー様……」
キルシュヴァッサーは低く唸る。課金剣の道は、やがては彼らの足元にまで到達した。ここから高原に至るまで、いったいどれほどの課金剣が降り注いだのか、数えるもおぞましい行為である。正気を保ちたくば、数は案じるべきではなかった。
「ば、バカじゃないの……」
隣でアイリスがかすれた声を出した。
「まったくですな」
キルシュヴァッサーも、やや自嘲気味に頷く。
だが、この無尽蔵にも等しい数の課金剣は、おそらく巨獣の残るHPを削り取って余りあるものだ。大地に突き立つ剣の道は、その実カネで築かれた要塞でもある。ここから先、すべての課金剣を以てしても行く手を阻むべし。下賜された力より、キルシュヴァッサーは主人の意図を読み取る。
まぁおおっぴらには言えないことだが、あの人がバカであるというアイリスの言葉はあまり否定すまい。だが、正気か狂気かにかかわらず、彼は本気である。で、ある以上、自身もまた同じ本気に身をやつすのが従者としての務めではないか。キルシュヴァッサーは、課金剣を引き抜いた。カネにまみれたこの腕に、剣の柄はやけに重い。
「フ……。俺もやるぜ」
そう言い、剣を引き抜いたのはパルミジャーノであった。
「パルミジャーノ殿……」
キルシュヴァッサーが複雑な面持ちで言うと、名も知らない攻略プレイヤーの1人が、ぽんと彼の肩に手を置いた。いつの間にやら、課金剣に興味を示した彼らが、続々と列をなしつつある。
「これだけのカネの力を、あんただけに背負わせたりはしない」
「カネの力……。我が精神がどれだけ耐えきれるか」
「ヒッヒッヒ! 今どきカネなんざ、ケツを拭く紙にもなりゃしねぇのによう!」
「正直ちょっとやってみたかった」
並び立つ攻略プレイヤー達も、次々と課金剣を引き抜き、余ったアーツポイントで《ブレイカー》を取得していった。《ブレイカー》はクラス制限のないアーツであるので、取得するには魔法職だろうが支援職だろうが問題はない。戸惑いながらユーリまでもが課金剣を手に取る中、アイリスは決してそれに触れようとはしなかった。芙蓉は1人で怪獣の猛攻をしのいでいた。
カネの力のもとに、一同の意思はひとつになる。柄を握りしめての一気呵成。彼らは一切の躊躇なく、怪獣に向けて突撃を開始した。威勢の良い怒号が、威嚇の咆哮すら飲み込んでいく。進路上にいた芙蓉は、アイリスのサインで危うく退避を間に合わせることができた。
「うおおおおおおおおおッ!!」
怪獣は、口内にエネルギーを収束させつつあった。だが、一同は怯まない。懐に飛び込みつつ、彼らは次々と課金剣を振り下ろした。
財力と経済力の爆発が、怪獣の巨躯に叩きつけられる。あるいはそれは、莫大な資産をもってして巨大な怪物を屠らんとする、資本主義経済のいびつな象徴であったのかもしれない。そこには世間の真理を反映する、残酷な一貫性が存在した。傍目にそれを眺め、アイリスはただただ戦慄していた。
閃光の炸裂と共に、怪獣は反撃を行うことすらままならない。課金剣が自らの耐久値と引き換えにただき出すダメージ数値は、一撃一撃が怪獣に設定された怯み値を大きく上回った。結果として、運営すら想定だにしなかったイベントボスの〝ハメ殺し〟が成立する。
勝敗は決した。存外にあっけないものであった。怪獣は断末魔すら上げることもかなわず、その巨躯を折り、大地へ倒れ伏す。一同はなお課金剣を構え、ごくりと喉を鳴らしてその光景を見守った。芙蓉も今度ばかりは『やりましたの!?』とは言わなかった。空気を読んだのだ。
「や、やった……」
誰かが、確信を込めてそう呟いたとき、ようやくすべてのプレイヤーが勝利を悟った。正銘するかのように、怪獣は光の粒子と共に砕け散り、そこにはイベントボスの撃破を示すイベントアイテムが、多数転がっていた。プレイヤー達が我先にと群がるかと思えばそんなこともなく、彼らは重苦しい表情で、課金剣を大地に突き立てる。
「これが、カネの力か。恐ろしい力だぜ」
パルミジャーノがつぶやく。
「ああ、まさかこれほどのものとはな」
「人類には過ぎたる力だ」
「こんなものでケツを拭いたら痔になるぜ」
「やっぱり微課金が一番だな」
結構、好き勝手を言っているように感じるが、カネの暗黒面に落ちるよりはよほど健康的でよろしい。キルシュヴァッサーは、少しばかり自身の二の舞となる犠牲者の発生を心配したが、彼らの精神はそこまで脆弱ではなかった様子だ。自分自身で課金ボタンを押したわけではないのも、理由のひとつだろう。
「え、えぇと……こういう時は、お疲れ様でした、って言えば良いの?」
アイリスが戸惑いながらも首をかしげている。
「あぁ、こうしたボス討伐は初めてでしたかな。まぁマナー的にはそうです」
「じゃあ、お疲れ様でしたー」
「はい」
「お疲れ様です」
「お疲れ様ですわ」
ユーリと芙蓉も立て続けに言い、キルシュヴァッサー達はひとまず山道の先を見た。
課金剣で彩られた豪奢でおぞましい道の先、おそらくいつも通りの涼やかな立ち姿でこちらを見下ろしているであろう主人の姿を思い、キルシュヴァッサーは静かに頭を下げた。




