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VRMMOをカネの力で無双する  作者: 鰤/牙
『ココ』編
89/118

第八十七話 御曹司、守られる(3)

「そう。で、僕のハトコは何人かいるんだけど、一番仲が良いのが、葉一おじさんのところの明日葉だ。まだ10歳だけど、面白い子でね、」


 歩きながら家族の話をしていたイチローであったが、ふと、足を止めた。今はあくまでも〝振り向いてはいけないゲーム〟の真っ最中である。そのため、後ろを見ることは決してなかったものの、彼の意識は間違いなく、遥か後方へと向けられていた。ココは、怪訝そうな声を出す。


「イチロー、どうした?」

「いや、ちょっと気配がしてね」


 なんでもない、と答えることは簡単だったが、イチローは素直にそう応答した。


 遥か遠方より生じた気配を、彼の鋭敏な第六感が捉えたのである。ややオカルティズムな話ではあるが、そこをナンセンスと断じきることは、イチローにはできない。基本的に彼の勘に狂いはなく、そうなのだろうな、と思ったことは、だいたいその通りになる。だから、イチローは、おびただしいまでのカネがこびりついた黒い気配の正体を、確かめようとは思わなかった。メニューウィンドウを開き、ギルドメンバーのログイン状態を見れば、ただそれだけで確認は完了するのだが、彼はそれすらしようとしなかった。


 来てしまったのか、卿。


 彼はただただそう思う。

 その事実に対して、別段他の感情を抱くこともなかった。石蕗一朗は、およそ2週間近くにわたって、扇桜子のリハビリに付き合ってきた。正直、完治しているとは言い難い。彼女はいまだ、正常な金銭感覚を狂わせた言動を取ることがあり、彼女自身、それを恐れている節があった。暗黒課金卿キルシュヴァッサーに対する、桜子のトラウマは拭いきれていない。


 だが、彼女がその姿でログインしたのであれば、その覚悟は汲んでやるべきだ。桜子の奇矯な振る舞いには辟易とすることもあれば、一朗イチローの美学から大きく外れた暴走をすることもしばしばだが、その忠節に関しては本物だと思っている。

 キルシュヴァッサー卿が、自身の恐る力を解放してまでイチローとココを守ろうと言うのであれば、イチローはギリギリまで、そこになんらかの手出しをするべきではない。まずは、見守ってやるべきだ。


「イチロー、続きは?」

「ん、すまない。どこまで話したかな。そう、明日葉だ。僕は彼女を、頭の良い子供だと思っている。勉強はできないけどね。ココ、勉強ってわかる?」

「わかる」

「そうか。明日葉は、難しいことを勉強するのは嫌いだけど、難しい言葉をやたら使いたがる。葉一おじさんは、僕の影響だと言っていた。僕はナンセンスだと思うけど」


 そこまで言ったイチローには、隣で手をつないだ少女が無言で首を横に振るのがわかった。


「それは正しい。イチローのは、感染る」

「そうかなぁ」

「そう」

「君が言うのなら、そうなのかもしれない」


 イチローは、自分が周囲に及ぼす影響(わりと悪影響が多い)について思いを馳せることは、あまりない。だが、ココの言葉を受けて、いま一度、ある人工知能のことを思い出していた。暗黒課金卿誕生の一件にも関わっている、〝彼女〟である。ローズマリーの音沙汰は、未だにない。


「イチロー、どうした?」

「いや、特にどうもしないよ」


 さすがに、『君とは違う女性のことを考えていた』とは言えなかった。





 ビームブレスが途切れたあとも、決して安全とは言えなかった。アイリスは、怪獣の動きを見定め、的確にかわし、危ないと思ったものは芙蓉で受け止めつつ、適度な攻撃を加えての挑発を繰り返していた。彼女の腕の中で、芙蓉めぐみが焦点の定まらない目つきをたたえ、ぐったりとしている。


「も、もう殺してくださいまし……」

「何言ってるの芙蓉さん、あたしは友達を決して見殺しにしないわ!」


 これを本気で言っているのだから非常にタチが悪い。補足すると、世の中には生き地獄とか、死んだほうがマシとか、そういったフレーズも多々あるのだが、まぁアイリスの耳には届かないだろう。なお、ユーリはこのとき、芙蓉のために何もできない自分自身を、非常に不甲斐なく感じていた。

 さて、焦燥といえばアイリスにもある。既に5分は確実に経過していた。ヨザクラはいまだに姿を見せない。彼女が逃げ出すような人間でないことは重々承知しているが、よほど準備に手間取っているのだろうか。なんとか持ちこたえることはできているものの、このままではジリ貧だ。


 アイリスは、本日何度目かになるウィンドカッターを怪獣の顔面に叩きつけ、噛み付き攻撃を回避しながら距離をとった。死んだ魚のような目をしはじめている芙蓉を盾として使うことは、できることなら避けたい。アイリスも鬼ではないのだ(当社比)。


 その時である。


 アイリスの耳に、遠方より近づきつつある蹄の音が届いた。もしや、と思う。このゲームで、騎乗用の馬などという酔狂なアイテムに手を出すプレイヤーは、そう多くないのだ。だがこのとき、アイリスの心境としては期待感よりも不安の方が大きかった。


 アイリス、ユーリ、芙蓉が振り向いたのは、ほぼ同時である。すなわち、彼女たちがそれを目にしたのも、やはりまた同時であった。

 漆黒の鎧を身にまとい、目を赤く光らせて走る姿は、おおよそこの世のものであるとは考えにくい。片手で手綱を、片手で剣を握り、銀髪の騎士は山道を一直線に駆け下りてきた。ペイルライダーじみた風貌には身の毛がよだつ。アイリスはこの一瞬、背後に立つ巨大怪獣よりも、眼前に迫り来る騎士ナイトの姿の方が、何倍も恐ろしく感じられた。


「き、キルシュさん……」


 かすれた声で、その名をつぶやく。


 ヨザクラの言っていた手段とは、まさかこれであったのか。暗黒課金卿キルシュヴァッサー。確かに、ツワブキ・イチローのキャラクターデータと数値的な性能において互角であるキルシュヴァッサーならば、巨大怪獣の猛攻を食い止め、反撃に転じる切り札になると言えよう。だが、彼は、その強さを得るために代償にしたものが大きすぎた。


「罷り通ぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉるッ!!」


 キルシュヴァッサーは、大気を震せんばかりの大声量にてそう叫んだ。巨大怪獣は大口を開き、ビームの発射準備を始める。まずい、と、アイリスは思った。直線で駆けるキルシュヴァッサーと、愛馬ミドリオウカオーの姿は、この位置からだと格好の的である。ビームによって狙い撃ちされれば、ゴルゴンゾーラ達と同じ末路を辿りかねない。

 だが、キルシュヴァッサーは、馬の速度を緩めるどころか、むしろ加速させた。エネルギーの収束が完了するよりも早く、彼は坂を駆け下り、身を縮こませるアイリス達を悠々飛び越えると、その口内になんの躊躇もなく馬上突撃チャージングをかました。


「せぇいッ!!」


 振りかぶった剣を叩きつけ、剣は無残に砕け散る。この一撃によって生じたダメージは8000を超え、怪獣は生じたダメージによってエネルギーの制御を誤る。結果、収束されたビームは発射されることなく、口内にて爆発を起こした。怪獣がダウンする。

 その巨躯が大地に倒れこむのであるからして、響く音と震動は相当なものであった。キルシュヴァッサーは、赤く光る双眸になんの感慨を浮かべることもなく、ただ静かに、馬上より敵を見下ろしている。しばらく身動きが取れそうにないと確認するや、アイリスを見、ユーリを見、そして芙蓉を見て、存外に優しい声音でこう発した。


「お待たせいたしました。ご無事で、何よりです」

「キルシュさん、キルシュさん……無事なのね!?」

「はい、遥かなる課金地獄の狭間より、ヨザクラの声が私の魂を呼び覚ましてくれたのです」

「え、あ、えぇと、そういう設定なのね?」

「はい。まぁとにかく、ご心配をおかけしました」


 キルシュヴァッサーは馬から降りる。その中で、ひとまず反応に困っている芙蓉の視線に気づいた。


「あぁ、はじめまして、芙蓉さん。私、イチロー様にお仕えする騎士ナイトのキルシュヴァッサーと申します」

「え、はい。はじめま……」

「中の人はヨザクラさんと同じだからね?」

「中の人などいません」


 いったいどこまで本気で言っているのかはわからないが、ひとまず前回の時のようなカネの暗黒面は見えていない。芙蓉はいまいちこの激シブの前衛騎士が、かのメイド忍者と同一人物であることに得心がいっていない様子で、訝しげに首をかしげていた。

 怪獣が、ゆったりと身を起こす。一同に緊張が走った。キルシュヴァッサーが盾を構え、アイリスと芙蓉はその背後に隠れる。ユーリは、キルシュヴァッサーの隣に並ぶ形で立った。


 キルシュヴァッサーは、怪獣を睨みつけたまま、ごく自然な動きでメニューウィンドウからコンフィグ画面を開き、そこではたと動きを止めた。


「くっ……」

「どうしたの?」

「心が克服しても、身体がまだ課金を求めているようです」

「あぁ、やっぱり完治してないのね……」


 キルシュヴァッサーは自身の腕を必死に押さえ込み、しかし抑えられた腕はありもしないクレジットカードを求めて不気味にのたうっていた。芙蓉さんが『この方は何と戦ってるんですの?』とたずね、ユーリが『業です』と答える。


「も、問題は手数ですな……」


 心の奥底より湧き上がるドス黒い課金衝動を押さえ込み、キルシュヴァッサーは言った。


「私の手持ちの課金剣は、キリヒツより譲り受けた残り2本のみ。いま1本使ってしまったので、ラスト1本です。さすがに残りの体力が8000以下ということはないでしょうから、まずは別の手段でダメージを稼がねばなりませんな」


 キルシュヴァッサーのステータスは、基本的に防御偏重である。ゲーム内プレイヤーでも、タンク役としては最高峰の性能を有していると言っていいだろう。反面、攻撃性能にはさほど秀でていない。それを、課金剣とレベルカンストした《ブレイカー》で強引に火力を引き出していたのが、暗黒課金卿の実態である。《ブレイカー》を封じられれば、キルシュヴァッサー卿の戦闘能力は、半分以下になると言って間違いはない。

 だが、これ以上キルシュヴァッサーにカネの力を使わせるには危険が伴う。アイリスは当然そこを承知していた。ひとまず、わずかな期待を込めて芙蓉を見てみる。


「何を期待してらっしゃるかわかりませんけど、ゲストIDは課金できませんわよ」


 わかってらっしゃるじゃないですか。


 さて、巨大怪獣も、いつまでも待ってくれているわけではない。ダウンから起きた怪獣は、ひとまずその屈強な前脚を叩きつけるようにして距離を詰めてきた。キルシュヴァッサーは盾を構えて前に出る。1撃目、2撃目と、攻撃を慎重に盾で受け止めた。完全に弾けてはいないが、通過ダメージは微々たるものだ。やはり、モーションの大きい攻撃にさえ注意していれば、死にはしない。

 彼はアイテムインベントリからナイトソードを取り出し、装備した。攻撃後の隙を見計らっての《バッシュ》。ダメージは、ぎりぎり4桁に届かなかった。続いてユーリが素手による連続攻撃を敢行するが、やはりダメージ総量は3桁の域を出ない。キルシュヴァッサーは、ユーリに向けて放たれた前脚叩きつけを盾で防いだ後、彼女と共に数歩下がった。合間合間にアイリスがウィンドカッターを放つ。ゴミのようなダメージだった。


「くっ、堅い……!」

「やはり……課金剣なしでは……!」


 一瞬、キルシュヴァッサーの脳裏をドス黒い思考が侵蝕しかけるが、彼は強引にそれを振り払った。それだけはいけない。もしいまここで、カネを使ってしまったら、自分はもう二度と戻れなくなる。魂は永遠に暗黒をさまよう。暗く、寒々しい課金の闇だ。

 さりとて、このままでは事態は好転しない。なんとかして状況を打開しなければ。そう思うキルシュヴァッサーの眼前に、怪獣の巨躯が迫りつつあった。


「流星シュート、乱れ撃ち!」


 瞬間、無数の矢が怪獣の上空から降り注ぐ。射手アーチャー専用アーツ《カゲヌイ》の連射が、その巨躯をも一瞬、地面に貼り付けにした。一同は振り向き、崖の上でポーズを決めるひとりの男と、付き従う十数人の騎士を目撃した。


赤き斜陽の騎士団レッドサンセット・ナイツ、」

「〝流星〟パルミジャーノ・レッジャーノ!」

「ふっ、よくご存知だ」

「それ流行ってんの?」


 ゴルゴンゾーラの別働隊として動いていた騎士団の面々が遅まきの登場である。唯一芙蓉だけが『誰ですの?』と言いたげにしていたが、ここは彼女も空気を読んで一緒に驚いた振りをしていた。いじらしかった。


「キルシュヴァッサー卿、あんたも生きていたか!」

「死んでおりましたとも。ですが、主を脅かす脅威がさまよっている以上、大人しく棺桶で眠っているわけにもいきませんでしたのでな」


 暗黒の騎士は、口元を釣り上げてにやりと笑う。どうやら言おうと思い溜めておいたセリフらしい。


 この場に駆けつけてきたのは、騎士団だけではないようだった。さすがに出番を窺っていたのではないと思うが、イベントボスの討伐を目的にこのフィールドを訪れたプレイヤーの多くが、続々と集結しつつある。その中には、昨日ヴォルガンド火山帯で見守り隊による謎の妨害を受けたパーティの姿も散見された。


「や、野次馬の皆さん……!」

「そんな心無い呼び方はやめてもらおう。俺たちは善意の一般プレイヤーだ」

「水着の美女を追いかけていたらこんなところまで来てしまった」

「ヒッヒッヒ! このナイフにはなぁ、毒が塗ってないんだぜぇ!」


 ナイフの刃を舐め回していた男の口元にいきなり血しぶきとダメージエフェクトが浮かび、光の粒子となって消えた彼の場所にナイフだけが残されたりもしたが、一同はひとまず無視することにした。


「キルシュヴァッサー卿、事情はわからんが利害は一致しているようだな! 力を併せて、このイベントボスを倒すぞ!」


 パルミジャーノは、意外と熱血展開が好きらしい。キルシュヴァッサーは無言で、しかし力強く頷くと、ようやく《カゲヌイ》の効果が切れた怪獣に向き直る。集結した善意の一般プレイヤー諸氏は、こぞって怪獣の巨体を取り囲み、ときおりその巨躯に踏み潰されたりしながらも、一気に攻撃を開始した。


「アイリス、覚えていますか」


 そんな光景を眺めながら、キルシュヴァッサーは感極まったような声でたずねる。


「な、何をよ」

「あの時、アイリスは私にこう言ってくれました。おカネがなくなっても、友情が」

「その話は忘れて」


 アイリスは、割と真剣な顔でぴしゃりと言った。

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