第八十五話 御曹司、守られる(1)
今日はちょっと短めです。すまんな。
トッププレイヤー集団を一撃で蒸発させた巨獣はひとまず気が済んだのか、再び悠然と歩行を再開した。アイリス達は、岩陰に隠れながらそれをやり過ごす。いったい、どうしたものだろうか。こちらからの有効打は一切なく、相手の攻撃はどれも一発もらえば致命傷となる。手も足も出しようがないが、しかしなんとかしてイベントボスを倒さねばならない。ジレンマである。
ヨザクラは、何やら真剣な表情で、巨獣の動作をつぶさに観察していた。彼女は、ゲームプレイヤーとしてそこそこ経験豊富であると見える。何かの糸口をつかめたのかと思い、アイリスはたずねた。
「ど、どう?」
「難しいですね」
期待に反して、返答はさほど芳しくない。
「でもまぁ、なんとかならなくはありません」
「と、言うと?」
「ちょっと難しい話をしましょうか」
ヨザクラがそう前置きをしたので、アイリスとユーリは姿勢を正した。
「VRMMOというものは、従来のアクションゲームとは根本的に異なります。本人の行動の幅が広いんです。スキルやステータスはありますが、アクションを行うのはあくまでも人間自身です。いや、人間じゃない方もお一人ほどログインしてらっしゃいますが」
そんなことはわかっている。が、今更そんな話をしてどうしたというのだろう。アイリスは怪訝そうに顔をしかめた。
「このゲームが開発されて1年になりますが、バランス取りに関しては未だ手探りな部分が多いように思います。イベントボスの攻撃力とかね。前回のグランドクエストもそうでした。さて、従来型の多くのゲームにおいて、攻撃モーションというのは固定でした。ボタンひとつで連撃を繰り出し、それをつなげることで更に強力なモーションに派生していく、まぁいわばコンボ技ですね。そういうものがあったとしまして、例え攻撃をスカしたとしても、手痛い反撃が見えていたとしても、途中で攻撃動作を打ち切ることはできません。攻撃を打ち切ったところで、操作の受け付けタイミングがあって、回避につなげるのは難しいんです」
いつになく饒舌に、ヨザクラは語る。
「で、このゲームというかVRMMOですが、先ほど言った通りプレイヤーの行動幅は非常に広いです。対して、こうしたモンスターは、あくまでも搭載されたモーションしか取ることができません。まぁこの辺の違いがバランス取りの難しい原因ですね。私達の方が融通が利く分、立ち回りが有利であるはずなんです。それを踏まえての、あのビームですが、」
巨獣の大顎から放たれた、恐るべき威力の光の奔流である。口を開き、チャージにかける時間は数秒と隙は長いが、熟達した多くのプレイヤーたちを一瞬で葬るほどの威力を備える。正直、バランスってどこいったの、ってな具合であった。
「おそらく、プレイヤーが耐える前提で作られたものではありません。実際に私たちは避けられましたしね。まぁ、騎士団の敗因は、驕りとカッコつけでしょう。護りに絶対な自信があったんだとは思うんですけど、騎士団の重装歩兵を一撃で倒すとなると、このゲームにあのビームを耐えられるプレイヤーはいないはずです」
「御曹司でも無理?」
「イチロー様の場合、《竜鱗》や《対魔装甲》で素の防御力を確保した上で、《ウェポンガード》しているだけですから、実際の防御力だと重装歩兵より低いはずですし……。あの人、避けないの好きだから相性は悪いですね」
なんだか、久しぶりにゲーム的な話をしている気がする。アイリスは、ユーリと一緒に真剣な表情で頷きながら、そんなことを思った。
さて、あのビームが、予備動作を見ての回避を前提に作られているのはわかった。ヨザクラの話では、ボディプレスに関してもおそらく同様であろうと言う。有効打をきっちり備えた上で、相手の動きを見て的確にヒットアンドアウェイを繰り返すのが基本戦法ということだ。まぁ確かに、御曹司が好みそうな戦法ではない。なおさら、彼のいる方向に行かせるわけにはいかなくなった。
では、どうすれば良いのか。
「まぁ、その、方法が、なくはないんですが……」
その話になると、ヨザクラはどうにも歯切れが悪くなる。視線をさまよわせ、頬を掻いた。
「気が進まなそうですね」
「また脱ぐの?」
「脱ぎません。ただ、覚悟と準備に時間がかかるのは確かですね。その間、私は戦線から離脱します」
ちょっと待って、と、アイリスは思った。既に巨獣の身体は半分以上が通り過ぎ、ご丁寧にも御曹司と同じ方向を目指している。進路変更が見られない以上は、移動速度の速い巨獣が、やがては御曹司たちに追いついてしまうことになる。放っておけないのはその通りだが、つまりは、
「それって、ひょっとして、あたしとユーリで足止めしろってこと?」
「まぁ、そうなります。10分……いや、5分くらいですかね」
アイリスとユーリは顔を見合わせた。5分は、長い。
ましてや、アイリスとユーリである。いや、ユーリはまだ良い。立派な戦闘職だ。トップ集団には遅れを取るが、空手でインハイまで行ったと豪語する格闘センスは間違いなく生かされているし、ステータスやスキル構成にも無駄が少ない。だが、アイリスは、
それでもここで、自分は足手まといだからと言って身を引くことは、持って生まれたプライドが許してくれなかった。何より今回の件、言いだしっぺは自分である。みんな、アイリスの言葉に付き従ってここまでついてきてくれたのだし、散っていったのだ。アイリスは拳を固める。
「や、やるわ」
結局、それ以外の答えなど残されてはいないのだ。
「準備が整えば、確実にあいつを倒せるのね?」
「うっ……」
アイリスの真剣な眼差しを受け、ヨザクラは少し、言葉につまる。だが、即座にかぶりを振って、その後に頷いた。
「状況は好転します、とか、状況次第です、とか、まぁ、都合の良いことは言えますが……。確実にやってみせましょう」
「仕方がないわね。5分、なんとか持たせてみせるわ。どんな手段を使ってでも」
「ツワブキさんとココさんの平和を守らなきゃね」
3人の女の心は、いまここに、ひとつになった。岩陰で再度円陣を組み、えい、えい、おー、と気合を入れる。そうした後、ヨザクラは、忍者特有の身軽さで岩々を飛び越えて、驚くほどの速さで視界から消えていった。アイリスとユーリはその背中を見送ってから、今にも通り過ぎようとする巨獣の尻尾を、雄々しく睨みつける。
これから5分、長い戦いになる。だが、どんな手段を使ってでも生き延びるのだ。そう、どんな手段を使ってでも。
「行くわよ、ユーリ」
「やろう、アイ」
ひとまず、巨獣のヘイトを稼ぐために、2人は仲良く前に出て、無防備な尻尾の先端部を思い切り踏みつけた。
〝振り向いてはいけないゲーム〟は、まだ継続中であった。ココもなかなか我慢強く、背後で何やら天地を引き裂くような大咆哮(悲鳴だろうか)が聞こえても、後ろを振り向いたりはしなかった。少しばかり愉快な展開になっているようで、興味がないこともないのだが、イチローも自分の決めたルールくらいは守る。ただ、背中に目があったらいいな、とは思った。
アクセルゴートの出現ポイントは間近である。が、イチローにはひとつ懸念があった。イベントの開催に伴って、MOBのポップアップが抑えられているのではないかという可能性だ。ここまでグリフォンの1体、リビングロックの1体とも出くわさずに進んできたというのは、どうにも解せる話ではない。
イベント開催に伴いモンスターの規模を考えれば、それはありえない話ではなかった。だとすると、このハイキングはまったくの無駄足ということになってしまう。いや、ココがハイキング自体を楽しんでいる以上は、無駄足ではないか。
ココの普段の生活環境を考えれば、こうして広々とした山の中を歩くのは、稀有な経験だろう。それ自体を楽しんでくれているのなら、それはそれで、結構なことだ。
「イチロー」
「ん?」
ココに名を呼ばれ、しかしそちらを振り向くことなく、イチローは答えた。2人はずっと前だけを見ているので、互いの表情がつかめない。感情の変化はその声と、つないだ手で確かめるしかなかった。
「家族の話をして」
「良いよ」
ココは、イチローの話すことの中でも、彼の家族と交友関係に関する話が、特に気に入ったようであった。こうした他人との付き合いを、誰かに話す機会というのもイチローにはあまりない。自分で話してみようと思うと、これが割と、結構新鮮な感覚だった。
「どこまで話したかな。そう、曾祖父さんには、子供が6人いた。1人は病気、1人は、60年以上前の大きな戦いに巻き込まれて死んでしまったけど、4人は立派に成長した。僕の爺さんは、曾祖父さんからたくさんのお金とか、ものとかを貰ったけど、そうしたものを使って更にお金を稼ぐっていうのが、あまり得意な人ではなかった」
「人間は、どうしてお金を稼ぐの?」
「効率を求めた結果、そういう風になっちゃったんだよ。森の中で木の実を採って暮らしていたほうが楽だったかもしれないけど、人間は魚も食べたいし肉も食べたいから、価値をひとつのものに統合したってこと。それがお金」
イチローは短く説明をしてから、脱線する前に話を戻す。
「で、僕の父さんが、石蕗明朗という。この人はお金を稼ぐのがうまかった。爺さんからもらった会社を大きくして、曾祖父さんが子供の頃くらいの財産を取り戻した。で、父さんが結婚して、僕が生まれた」
「兄弟はいない?」
「いない。父さんと母さんはあまり仲が良くなかったからね」
「よくわからない」
ココが唇を尖らせるのは、顔を見ていなくてもわかった。
「確かに、君たちの社会性を考えると夫婦仲と子供ができるかは別の話なのかもしれない。ただ、人間はそうなんだ。それに加えて、別に仲が良くなくても結婚したりする」
「変なの」
「まぁ、ナンセンスだよね。でもそのおかげで僕が生まれたわけでもあるから、なんとも言えないところだ」
「イチローは?」
ココがたずねて来た意味を理解するのに、数秒ばかりを要する。
「結婚しないの?」
「僕という個体で人類は完成しているから、種を増やすことに興味はない」
「変なの」
「よく言われるよ」
本日3度目となるビームが頭上を通り抜けていったが、2人は振り向くことはなかった。




