第八十四話 御曹司、放置する
確か、ウルトラマンが40メートル。ラオシャンロンが70メートル。平成ゴジラが100メートルだったかな、とヨザクラは考えていた。自分たちがしがみついているこのモンスターは、だいたい何メートル換算の設定なのだろう。まぁとにかく、でかい。比較物と並べて3人称視点で眺めるのとはまったく違う。〝目の当たりにする〟という言葉の意味を、身をもって理解する。
アイリスのパンチによって眠りから醒めた大怪獣である。この超巨大な生き物が、筋力ステータスもろくに上げていない錬金術師の拳ひとつで覚醒するというのは、甚だデリケートな話ではあるが、こうした事例は一寸法師の時代から、バキューモンやら先述のラオシャンロンやら、割と枚挙に暇がないので、そういうものなのだろうと納得する。
角にしがみついたままぐるりと見渡すと、四足歩行であることがわかる。さもありなん。これが二足歩行直立型の怪獣などでは、足元をうろちょろするだけのプレイヤーでは手も足もでない。攻撃可能な部位を広くする意味でも、体高は低くせざるを得ないのだろう。
それでも地上からは、体感で20メートルくらいはあるように思えた。巨獣が重い一歩を踏み出すたびに、その頭も大きく上下する。まるで遊園地のアトラクションにでも乗った気分だ。ユーリはこうしたフリーフォール系が苦手であるのか、やや青い顔をしていた。
「で、どうしますか。アイリス」
「え、どうするって、何を?」
「このモンスターをたおっ……倒すんでしょ?」
定期的な揺れのせいで舌を噛みそうになる。
「あ、あー……。そうよね。そーだったわね……」
アイリスは両手で角にしがみついたまま、何やら渋い顔を作った。この怪獣、顔は割とトゲだらけで、しがみつく部位には困らない。アイリスとヨザクラが抱きついている角が一番大きいものだが、苫小牧もユーリもキリヒツも、それぞれ別のトゲにしがみついて身体を固定していた。
「ひとまず、攻撃してみるか?」
キリヒト(リーダー)がずらりと剣を抜き放つと、6人のキリヒトもそれに倣う。
「ひ、ひとまず地上に降りない?」
消極的な提案をするのがユーリの方である。
「そーね……。戦うにしても、ひとまず降りた方がいいわよね……。とは言っても……」
位置が高い。
ここはフィールドである。飛び降りれば高所落下ダメージを負う。もしそこに追い打ちの踏みつけでもくらって死んでしまった日には目も当てられないだろう。アイリスは、自分のステータス画面を開き、やら吟味している様子だった。だが、彼女のクラス構成や育成方針を考えて、有効的なスキルやアーツがあるとは思えない。
「格闘家には、高所落下ダメージを軽減する《五体着地》というスキルがあります。ユーリさんも持ってますね?」
「え、えぇ……一応は」
苫小牧の穏やかな声に、ユーリは戸惑いつつも頷く。そういえばこの男のサブクラスは格闘家だった。
「忍者にも《軽業》があります。アイリスは私が抱えて降りましょう」
ヨザクラは最終的にそのように提案した。アイリスも真剣な顔で頷く。
となると、
一同の視線は、ずらりと剣を抜いたままの7人に注がれた。ザ・キリヒツ。戦士である彼らはどうであろうか。視線に気づいたザ・キリヒツは思い思いのトゲにしがみつき、ニコリと笑った。それは絶望でも諦観でもなく、あるがままの現実を受け入れた、男たちの笑顔であった。
「そう……。じゃあ、元気でね……」
アイリスは、努めて平坦に、そう言った。こちらに後頭部を向けているので、ヨザクラには彼女の表情が読み取れない。
「では、離脱しましょう」
「は、はい」
まずは苫小牧とユーリが、揺れる巨獣の頭から飛び降りる。風に紛れて、『きぃええェアァアァァァッ!』という怪鳥のような雄叫びと、それに怯えるユーリの短い悲鳴が聞こえた気がしたが、ひとまずはそれどころではない。ヨザクラは角づたいにアイリスに近寄って、その細い腰に手を回した。ハラスメント警告のメッセージが出るが、鬱陶しいので消す。
「私たちも降りますよ、アイリス」
「うん」
アイリスが身をこわばらせつつも、こちらにしがみついてきたのを確認して、ヨザクラもジャンプした。
フリーフォール!
短大卒業後、アジア旅行をしたときのことを思い出す。マカオタワーからのバンジージャンプだ。あれもなかなかスリリングだったが、今回はヒモがない。仮想世界では存在しないはずの万有引力に導かれ、周囲の景色が一様に溶けていく。わずか数秒の間にみるみる近づく地面とは、やがて激突の運命が待っている。
スキル《軽業》のおかげか、手足を伝わる衝撃は存外に少なかった。持ち上がった巨獣の足。自分たちがその影にあることを確認し、ヨザクラはアイリスを抱えたまま急いで退避する。逃げた先には、苫小牧とユーリがいた。彼らも無事だ。
地上から全容を把握するのは、頭の上からよりもなおさらに難しかった。見上げるだけで首が痛い。イベントボスは、こちらの行動などまるで気にかけていない悠然とした足取りで、どこかを目指している。自らをたたき起こしたアイリスのことさえ、眼中にはない様子だ。奇しくもというべきなのか、巨獣の足取りはイチロー達が向かったアクセルゴートの出現地点へと向かっている。どのみち倒さねばならない相手だが、これでは準備を整える猶予すらなさそうだ。
足取りは遅いが、その巨躯ゆえに移動自体は非常に速い。ヨザクラ達が駆け足で並走して、ようやく同じ速度だ。なんとかして足止めをしなければ。そう思った時である。彼らの頭上で、轟音が響いた。
「なっ、なにっ!?」
アイリスが思わず声をあげ、上を見上げる。ヨザクラ達もそれに倣う。見れば、巨獣の頭からもうもうと煙が上がっていた。いったい何があったのか、と考えるよりも、それに答えるかたちで甲殻の破片が飛び散ってくる。巨獣は身をよじり、悲鳴をあげていた。
何かが爆発したのだ。いったい何が。もしや。そう考えるヨザクラ達の足元に、見慣れたポイントアーマーがころんと転がった。ご丁寧に7人分ある。
「き、キリヒツ……」
もはや答えは明白であった。肉弾幸である。ほんの数分前に彼らの見せた笑顔が、違った意味をもって想起される。
「……お美事」
ヨザクラはただ一言、散った盟友への賛辞を送った。
「彼らの死を悼むのはあとだわ。隙ができた今がチャンスよ」
「最近わかったけどアイって割と鬼畜だよね」
巨獣は、しばしのちにようやく体勢を立て直し、頭を振った。充血した瞳がこちらを睨む。先ほどまでとは違い、そこには明確な意思があった。今度は完全にこちらを意識している。眼球だけで人間ひとり分の大きさはありそうだ。さすがにアイリスも大口を叩いた手前があるのか、怖気づいた様子はない。
このサイズの巨獣に、たった4人で挑むのか。周囲を行き交っていた攻略プレイヤーの姿は、今はない。おそらくは彼らの属するギルドやらに、出現の報告へ行ったのだろう。わざわざこの場を離れたということは、初見での相手はこちらに任せる、ということか。
「では、行きましょう」
苫小牧は、縁の薄いメガネを投げ捨てて、中国拳法のような構えをとった。そんなに深くない付き合いでも、彼が次に投げ捨てるのが何かはわかる。知性だ。
「けきゃァァァァァァァッ!」
鞭を振るうような動きで腕をしならせ、苫小牧が巨獣の顔面に突撃していく。首を下げ、こちらを睨んでいるおかげで、素手でも十分に届く高さだ。かくして、ハイエルフ苫小牧の鞭打が炸裂する。ぺちん、ぺちんという虚しい音が鳴り響き、1桁クラスのダメージエフェクトが燦然と輝いた。
5秒も経過しただろうか。
巨獣は鬱陶しそうに顔を横に振り、甲殻の剥がれかけた顔面で苫小牧をなぎ払った。
「ぐわァァァ――――――――――――ッ!!」
苫小牧の華奢な肉体が軽々と吹き飛んで、崖に激突する。そのまま地面に落下して、なぎ払いによって極限まで削り取られたHPが完全に消し飛んだ。彼の存在した痕跡として、メガネだけが巨獣の顎下に残される。やがて、メガネは巨獣の足によって無慈悲に叩き潰された。
「よ、弱いわ! あたしが言えたことじゃないけど!」
「トッププレイヤーの1人としてグランドクエストに招聘された彼はなんだったんでしょうか」
そういえばそんなこともあった。
「じゃ、じゃあ次は私が……」
「ちょ、ちょっと待って! ユーリ、これはちょっと……下手を打てば無駄死にだわ! あのハイエルフのように!」
「攻撃モーションの見極めも必要ですね。VRMMOの醍醐味ではあるんですが……」
そう言う間にも、巨獣は迫る。このモンスターのヘイトは完全にこちらへ向けられていた。巨獣はその大顎を開き、口元に何やらエネルギーが収束していくのがわかった。非常に、嫌な予感がする。ヨザクラ達は、一目散に逃げ出す……のではなく、むしろ巨獣の腹下に向かって走り出した。この状況において、割と大した判断力であった。
直後、凄まじい熱量と衝撃波が背中から襲いかかる。勢い、転倒した3人は、怪獣の大顎から放たれた極太の光条が、多数の岩盤と山壁を貫きながら、遠方へと消えていくのがわかった。エネルギーの余波で、こちらのHPがいくらか削られている。
唖然としている余裕もない。頭上で巨獣の身体は不穏な動きを見せ、ヨザクラ達はまた急いで腹下から逃げ出さなければならなかった。抜け出した直後に、巨獣はボディプレスを見舞う。あのままだったらぺっちゃんこだった。
「ど、どうしろっていうの、これ!」
ユーリが叫ぶ間にも、巨獣はその牙と前脚で彼女たちを追い回す。
「たっ、戦うしかないわよ! たぁーっ!」
アイリスは一旦足を止め、《ウィンドカッター》を放つ。風の刃が、怪獣の顔面に襲いかかった。様々なステータスを勘案した複雑な計算式が、最終的に〝2〟というダメージを導き出す。足を止めたアイリスに巨獣は狙いを定めるが、直後、別方面から放たれた光の奔流が、巨獣の大顎を飲み込んだ。
「攻撃魔法アーツというのは、こうやって使うものだ……」
「なっ、なにっ……!?」
厳かな声でそう告げた男を、3人は見る。夕焼けのエンブレムを身につけた十数人の混成パーティ。その中央に、黒いローブのエルフが佇んでいる。ヨザクラ達はそのときようやく、彼が〝魔人〟の異名を取る所以を思い知った。
「赤き斜陽の騎士団、ゴルゴンゾーラ!」
「ふっ、よくご存知だ」
「いやまぁフレンド登録してますし」
いま放たれたアーツが、いわゆる大魔導師専用アーツである光属性大魔法《エクセリオンブラスター》であることを、一同は知らない。しかし、彼の放った一撃は間違いなく巨獣に大打撃を与え、怯ませることに成功していた。光の中にはじけたダメージエフェクトも、4桁の数値を示している。
「この程度、俺にとっては小手調べの児戯にも等しい」
ほんとかよ。
だが、ゴルゴンゾーラはそう驕るだけの実力を、間違いなく持ち合わせていた。周囲を固めるは、ゲーム内最大規模の攻略ギルドが誇る精鋭たちだ。重装歩兵が盾を構え、戦士たちが巨獣の周りを取り囲む。巨獣は、彼らに対して威嚇をし、大顎を開いた。さっきのビームを、また撃つつもりなのだ。
「きっ、気をつけて! なんか凄いビームを撃つわよ!」
「心配は要らん。こいつを倒し、アスガルド大陸に名を響かせるのは我々、」
お返しとばかりに、ビームが発射された。
光の奔流は、ゴルゴンゾーラの放った《エクセリオンブラスター》に、勝るとも劣らない。傍からみるとこんなものなのか、と、岩陰に退避していたヨザクラ達は驚愕した。エネルギーの余波が大地をえぐり、瓦礫が舞い散る。光条は騎士団の一同を飲み込み、やはり山脈を貫いてゲームが表現しうるもっとも遠い地点までを焼き払っていった。
光が晴れると、そこには誰もいなかった。いや、やたら高級そうなローブや鎧、そして大魔導師の証とも言える杖が、無造作に転がっていた。
「で、どうしましょうか」
再び、3人だけになってしまったところで、ヨザクラが言った。
「どうしよう」
さすがのアイリスも、そう漏らさざるを得なかった。
「ココ、ゲームをしよう」
手をつなぎ歩く道すがら、イチローはそのような提案をした。
「ゲーム?」
「そう、目的地に着くまで、後ろを振り向いてはいけないというゲーム」
ツワブキ・イチローの感知系ステータスは、特化こそしていないもののかなりの高水準に達している。コクーンの演算処理能力や恵まれた回線環境もあって、当然、はるか後方で何が起きているのかはだいたい予想がついていた。振り向けば、今回のイベントにおけるボスモンスターが見えることだろう。
イチローはそんなものに興味はないが、レベル1のココにもしものことがあってはいけない。何より、彼女が怯える可能性もある。極力、無視を決め込むつもりだった。
「わかった、やろう」
ココは、正面を見据えたままそう言った。
勝敗に関して、なんらかの賞品を求められた場合の対応までは考えていたが、ココはゲームそのものを楽しむつもりのようだった。振り返ってはいけない、という単純なルールではあるが、まぁ、それゆえに勝負としては成立する。
気分はオルフェウスかイザナギか。ところで彼女たちの持つ死生観では、『死』を『苦労のない穴』と表現するらしい。人間の間に語られる死の世界も、大抵は地中、穴の中にある。意外と、そうした概念的なメンタリティは進化を遂げる前から変わっていないのかもしれない。
そういえば、このフィールドの名前は〝死の山脈〟だったな。
黄泉比良坂を仲良く歩くイチローとココの頭上を、図太い光の奔流が突き抜けていったが、彼らは振り返らずに登っていった。
10/5
誤字を修正
× 居住の顔面
○ 巨獣の顔面




