第八十三話 御曹司、進む
山道の途中で、しばしの休憩を取ることとなった。徒歩によって蓄積される疲労は、ゲームシステム的には微々たる数値であるが、ただただ歩いているだけというのも飽きてしまう。イチローとココは、大きな岩の上に腰掛けて、血走った眼でイベントボスを探す攻略プレイヤー達を眺めていた。あまり愉快な光景ではないが、ココは興味津々のようである。
「彼らは必死だ」
ココは真剣な眼差しを送りながら、そう言った。
「なぜ、必死?」
「一概には言えないよ。あえて言うなら名誉のためかな」
イチローは、ココに疲労回復剤を手渡しながらそう言った。彼女は比較的手馴れた手つきでビンのキャップを外し、口をつける。イチローの回答に対して疑問は残るようで、攻略組の様子をじっと見つめながら、首をかしげた。
「名誉?」
「褒められると嬉しいよね。そういった気持ちのことだよ」
ココは、都合が悪ければ嘘もつくし、嫉妬という感情を理解することができる。〝名誉〟という言葉に関しても、この程度の説明でじゅうぶん伝わるだろうと思う。
「イチローはハントしない?」
「しない。僕は名誉には興味がないよ」
「褒められたくない?」
「そういうわけじゃないけど、僕の価値は他人が決めることじゃないと思っているから、僕自身はそんなに嬉しいとは思わない。相手によりはするかな」
イチローの言葉に、ココは顔をしかめた。
「わからない。人間ではないから?」
「それが、人間にもよくわからないと言われる」
「あなたは変だ」
「それも、よく言われるよ」
2人は、視線を山道を行くプレイヤー達に戻す。
公式からのイベント告知によれば、モンスターはかなりの大型であるということだ。決して狭いとは言えないフィールドだが、これだけ探して見当たらないということは、〝死の山脈〟にはモンスターは出現していないのではないかと考えられる。まぁ、運営がまた妙な凝り性を見せて、ギミックを仕込んでいる可能性もじゅうぶんにあるのだが。考えてみればそちらの可能性の方が高そうではあるな。
〝死の山脈〟は、同時期に解放されたデルヴェ亡魔領に比べ、検証や探索の進んでいないフィールドだ。これは中央魔海にも言える。おそらく多くのプレイヤーのとっては初めて訪れる、あるいは久しぶりに足を踏み入れるフィールドとなるだろう。ギミックの為に、フィールドに多少の変化があったところで、彼らは気づけないのではないだろうか。
しばらくして、イチローは、行き交うプレイヤー達の中に見知った顔を見つけた。複数のプレイヤー達を引き連れ、周囲をくまなく探索しているローブの魔術師は、その首元に夕日のシンボルマークをつけている。
「やぁ、ゴルゴンゾーラ」
あまり大きな声で呼びかけたつもりはなかったが、エルフの〝魔人〟ゴルゴンゾーラは、すぐにこちらに気づき、振り向いた。
「ツワブキ……」
「奇遇、でもないのかな。君も、イベント参加のようだ」
「ツワブキは違うようだな」
「まぁね」
話によれば、彼と〝流星〟パルミジャーノ・レッジャーノは、〝死の山脈〟の捜索担当としてこのフィールドに派遣されたらしい。他の地域を担当している分隊長からも、イベントボス発見の報告はなく、イチローの考えたようなギミックの存在に関しては、彼も肯定的であった。だがやはり、そのギミックがなんであるのかがわからない。眠っているモンスターを呼び覚ます類のものであろうとは思う。ゴルゴンゾーラは寡黙なキャラクターを崩さないままそのように語り、思案顔を作っていた。
ふと、彼の興味が、イチローの隣で大岩に腰掛ける少女、すなわちココに向く。
「パルミジャーノから聞いた。彼女が、」
「あぁ、うん。ココだ」
ココがきょとんとし、首をかしげる。ゴルゴンゾーラは、しばし彼女を見つめたまま黙り込んでいたが、やがてひとこと、
「可憐だ」
とだけ言った。ココは顔を難しく歪める。
「それは、なに?」
「君が女性として魅力的だということ」
「ありがとう。とても名誉だ」
ココは大真面目に頷き、ゴルゴンゾーラはキャラに似合わないことを言ったのが恥ずかしくなったか、また話題を配信イベントに戻した。
「俺たちは引き続き捜索を行う。余計なお世話かもしれんが、ここはデートコースには向かんぞ」
「ナンセンス。そういうのは僕が決める。忠告してくれようという、その気持ちだけはありがたくもらっておこう」
イチローとサシで話をしたことのないゴルゴンゾーラであるので、彼の傍若無人な物言いに少々頬がヒクついていた。
「ゴルゴンゾーラ、僕たちはそろそろ行くよ。アクセルゴートを探しに来たんだけど」
「あれも相当なレアMOBだぞ」
「レアリティに関してはそんなに心配はしていないんだ。じゃあ、またね」
「さようなら」
イチローは大岩から飛び降り、少しばかり怖気づいたココを受け止めてから、2人は再び山道を行き始めた。
「しかし、ココさんの正体を知った上で尾行すると……またなんか、違った味があるわね」
「アイリス、人を尾行することに味を覚えないでください」
見守り隊に苫小牧が加わったことで、効率的な尾行ルートが確保された。〝死の山脈〟は、ほぼ1年間ログアウトせず、ゲームの中で過ごしてきた苫小牧が本拠を置いていたフィールドであり、仮想世界でありながら、仙人のような暮らしをしてきた彼は、この複雑な地形を持つフィールドを、自身の庭と公言してはばからなかった。
MOBの襲撃を受ける可能性が低く、かつ山道を監視することのできるルートが、この〝死の山脈〟には存在する。崖伝いに進むやや高所の道ではあるが、足場はしっかりしており転落の危険性はない。こちらをやや遠巻きに眺めるグリフォンなどのモンスターはあくまでもオブジェクト扱いであって、彼らがこちらを襲ってくることはないのだという。
苫小牧は、出歯亀自体に関しては良い顔をしていなかったものの、アイリスの言葉には真剣に頷いて見せた。
「あのように接していただけで、私もほっとしていますよ。お姫様だっこで受け止められるというのも、ココには貴重な体験でしょう」
「ココさんの体重ってどんくらいなんだっけ……」
「レディのプロフィールに突っ込むべきではありませんよ。一般的なゴリラのメスですと、80キロから100キロくらいでしょうか。オスが150キロから180キロほどですね。まぁ人間の女性でもそれくらいの方はいるかな、というくらいですよ」
確かにいなくはないだろうが、少なくとも一般的なケースではない。想像していたよりはよほど軽めであると言えば、そうなのだが。80キロから100キロというと、杜若あいりの体重の、おおよそ……おっと、この話はやめておこう。
「ヨザクラさん、リアル御曹司の体重は?」
「半年前の健康診断では72キロでした」
「あぁ、そこはあっさり即答するのね……」
「イチロー様でしたらあっさりお答えになると思うので。ちなみに私の体重は秘密です」
リアル御曹司の身長がわからないから、体重72キロというのが普通なのかどうかはわからなかった。が、リアルココよりもやはり軽いのか。やはり、ゲームの中ならではだな、と思う。ココに対しては『夢のようなもの』と説明してあるらしい。だとすれば、なおさら切ないというか、儚いというか。キリヒト(リーダー)の見当はずれな想像を聞いたときとは、また別の感覚が胸を締め付けるようであった。
苫小牧は、御曹司たちが目指しているという〝アクセルゴート〟の出現ポイントにも詳しかった。ここから、大して距離はないのだという。ならばもうすぐか、と思い、一同は監視ルートを進んでいく。その中で、徐々に苫小牧の表情が曇っていくのを、隣を歩いていたユーリが指摘した。
「苫小牧さん、どうかしました?」
「いえ、MOBが、まったく出現しないなと思いまして……」
「普段はもっと出るのか?」
「えぇ。グリフォンのような魔獣系モンスターが多いですね。今、このフィールドには多くのトッププレイヤーが訪れていますから、彼らによって〝掃除〟されている可能性はありますが、1体も沸かないというのは、あまり考えられないのです」
〝掃除〟というのは、一定数ポップアップするMOBをあらかじめ狩っておくことで、探索やボス攻略に支障がなくなるようにしておくことだ。システム上、MOBは無限沸きするが、それによって延々と経験値を稼がせることを防ぐために、規定された数を狩りつくせばポップアップする場所が変化する。
一同の頭によぎったのは、やはり、イベントボスの存在であった。イベントボスは、超巨大なものであるという。それに対する畏怖によって、モンスターたちが姿を消している……と、いう考えには、全員が至った。同時に、アイリスはそれを確信付けるもうひとつの事実を指摘する。
「でかいってことは……容量とか、食うのよね……」
「そうですね」
「通信データ量とかも……増えるのよね……」
「まぁ、そうですね」
アイリスが何を言わんとしているのか、周囲もだいたい察したようであった。確かに、前回のグランドクエストで、大量のデータバスの被害を一番被ったのは、ほかならぬ彼女であるわけで。
「サーバーの強化はしていると思いますし、負担も減っているとは思いますけど……。そうですね。大型モンスターを快適に暴れさせるために、MOBの出現をゼロにしている可能性もありますね。ただでさえ、多くのプレイヤーが押しかけてきているわけですから」
「じゃあ、イベントボスを倒さないと、御曹司たちアクセルゴート見つけられないじゃない」
「あくまで仮説の話ですけど、えぇと、そうなりますね」
アイリスは、ザッと立ち上がって拳を固めた。これは由々しき問題だわ、とでも言いだしそうである。
「これは由々しき問題だわ」
言った。
「さっさとイベントボスを倒すか、このフィールドから追い出すかしないと。御曹司たちがアクセルゴートの出現ポイントに到着するまで、あと少しもないんでしょ」
背後にそびえる、黄土色の大岩に拳を打ち付けて、アイリスは気合を入れた。彼女の言わんとしていることはわかる。が、一同はここで容易に首肯を示しかねる。唯一苫小牧だけが、大岩を眺めて『ここにこんなものありましたっけ』と、誰も答えられない疑問を口にしていた。
「でもアイ、他のプレイヤー達が見つけられないものを、私達が見つけられると思う?」
「そ、そりゃあ、このフィールドに詳しい苫小牧さんの力を借りたりとか……」
「最終的にはいつも他力本願だなぁ、アイリスは。そういうのはよくないぞ」
「ぐっ……」
ストレートな物言いというのは、いつも胸をえぐるものだ。
だが、ヨザクラもそうするべきであるのかと感じたのかもしれない。真剣な眼差しで、苫小牧に問いかける。
「どうでしょう。この〝死の山脈〟で、何か変わったこととかはありましたか?」
「そうですね……」
苫小牧は穏やかな微笑を残したまま、考え込む素振りも見せずにこう続けた。
「いま、アイリスさんが殴ったその大岩でしょうか」
直後、地響きが見守り隊を襲った。足元に亀裂が走り、単なるフィールドに偽装していた〝それ〟が正体を現す。全身に張り付いた岩や土をふるい落としながら、全容を把握することもままならない、巨大な生き物が、地鳴りのような咆哮をあげた。イベントボスである。山道を行き交っていたプレイヤー達が、驚いたようにこちらを見上げ、直後には急いで距離を取った。一般家屋すら容易に押しつぶせそうな四肢が、ゆったりと地面を踏み抜いていく。
てっきり大岩だと思い込んでいた角にしがみつきながら、アイリスは言った。
「ほ、ほら。見つかったじゃない」
「まぁ、見つかりはしましたが」
同じく角にしがみついたまま、ヨザクラは山道の先を眺める。イチローとココは、振り返りもせず、手を繋いだまま先を目指していた。のんきなものだった。




