第八十一話 御曹司、砂漠を渡る(2)
アイリス達を乗せた砂上船は、イチロー達を乗せたものをぴったり追うかたちで、大砂海の上を航行していた。
イチローとココは、〝死の山脈〟を目指しているという。末期患者が向かうにしてはあんまりにもあんまりなフィールドであるが、両者が納得ずくのことならば、外野がとやかく言えることでもないのだろう。今はとにかく、御曹司をマークしながらも、短い船旅を楽しむこととする。
楽しむと言っても、砂嵐が巻き起こっている大砂海の見晴らしは最悪だ。そもそも何の変化もない砂漠であるので、見ていて楽しい場所でもない。甲板に立って腕を組み、渋い顔で雰囲気を出していたアイリスも、出航してしばらく経つ頃には、吹き付けてくる砂粒が煩わしくなってキャビンに引っ込んでしまった。
キャビンの中では、ユーリとキリヒト(リーダー)、そしてヨザクラがババ抜きに興じている。前回の麻雀と良い、それより前にこしらえた囲碁や将棋といい、アイリスが戯れに作ったボードゲームはすっかり暇つぶしアイテムとして機能するようになってしまった。わざわざVRMMOにログインしてまでそうしたゲームに手を出す意味はあるのかと言えば、まぁ、オンラインを通じて遠く離れた友人達と臨場感あふれるバトルが楽しめれば、良いんじゃないかと思う。ちなみにヨザクラは、アーツ及びスキルの使用を解禁した〝超能力麻雀〟ルールを提唱したが、アイリスが麻雀そのものの参加を渋ったおかげでメンツが揃わず、実践には至っていない。
アイリスはどっちかというと祖父から教わった将棋の方が得意である。ただ、いざやろうとすると御曹司にボロ負けするか御曹司以外に圧勝するかのどちらかなので、これが非常にやりにくい。ヨザクラあたりを相手にするには飛車角落ちでトントンといったところだが、アイリスは大駒をびゅんびゅん動かすのが好きなので、これがそこまで楽しくない。
「そういえば、今日エドワードさんいないわね」
背後からユーリの手札を覗き込み、アイリスが言った。ヨザクラはそのユーリからジョーカーを抜き取って、至極ナチュラルな動作でキリヒト(リーダー)に引かせた。完全にゲームをコントロールしている。
「東京へ急な出張だそうです。忙しい話ですね」
「あー……。エドワードさんは静岡の人だったっけ」
「はい。ミライヴギアも持っていくと言っていたので、まぁ夜ぐらいにはビジネスホテルに泊まりながらログインしてくるかもしれません」
「ダメだ、ヨザクラさん! ババ抜きにも超能力ルールを導入しよう!」
気がつけば手元にジョーカーを1枚残したキリヒト(リーダー)が、悲痛な叫びを上げながらそう言った。
「超能力ルールは、狭い場所でやると危ないですから、また次の機会に……」
「そう言って、俺の手札を弄んでいるんだろう!」
「滅相もございません。負けないために工夫を凝らしているだけですよ。私もイチロー様ほどではありませんが、経験は豊富ですので」
飄々と言ってのけながら、ヨザクラはユーリからカードを抜き、キリヒト(リーダー)に引かせた。手元の2枚のカードを入念にシャッフルし、キリヒト(リーダー)は運命の選択をユーリに迫る。結局、彼女はハートのエースを引いて手札を捨てることに成功し、最後の1枚をヨザクラに引かせて1番上がりした。で、2番はヨザクラだ。
「言いつつ、いつも2番なのよねー」
「罰ゲームが嫌なだけですし」
キリヒト(リーダー)もそろそろ一発芸のネタが切れてきた頃であるらしい。これならもう一方の船に乗り込んでおけばよかったと嘆いていた。
もう片方の砂上船は、6人のキリヒトが乗船している。小型砂上船の定員は6名。キリヒト(リーダー)は7人のキリヒト達における仁義なきジャンケン大会を制し、女性プレイヤー3人と同じ船に乗る栄誉を得た形だが、待っていたのは地獄であった。
「外の様子はどうでしたか?」
「砂嵐だけよ。見ていて面白い感じじゃなかったわ。周りの船は、何かしら見張りを立ててたりしたけど」
あんなものただの苦行だな、と思う。
「イベントボスが大砂海に出現する可能性もありますから、気が抜けないんでしょうね」
「こんなところに?」
大砂海にもモンスターは生息していて、砂上船での航行中ときおり出くわすことはある。それにしたってレアケースだ。海の上でイルカに出くわす感覚に似ている。サンドワームやスナザメといったMOBの素材は稀少価値が高く、プレイヤー間ではいい値段で取り引きされるが、探索の作業感が強すぎるため金策としているプレイヤーはほとんどいない。
そんなモンスター事情であるからして、イベントボスがこの大砂海に出てくるというのは、あまり想像できない。
「超大型モンスターを暴れさせるには絶好のフィールドですし、無くは無いと思うんですけどね。モンスターバスターにもそんなのありますし」
「スナザメの親玉みたいな奴かしら」
ヨザクラは、『スナザメも何を連想するかで世代がバレそうですねぇ』としみじみ語った。
「でも、船の中っていうのも退屈だね」
「ツワブキさん達は何やってんだろうな」
即席ギルド〝御曹司を見守り隊〟は2人を追いかけてこんなところまで来たわけだが、肝心のイチローとココも退屈を持て余しているのではないだろうかと思う。大砂海の広大なフィールドは、確かにスケールのでかさは実感できる。だが、この砂上船は娯楽内の移動手段とは極めて不適切だ。なにぶん、やることがない。
昨日、あれだけ尾行してみても、やはり狭い室内で、あのツワブキ・イチローが少女と甘いひと時を過ごしているなど想像できない。
「そもそも、ココさんってどんな人なのかしら」
「決まっているだろう。理不尽な現実を前に、若くして命を散らそうとも、世を儚まず人を憎まず、ただ今をひたすらに生きようとする純粋で強い少女だよ」
「それってDFOのユウリの話でしょ。小説と現実の区別くらいつけなさいよ」
付け加える一言が、パイルバンカーのように心をえぐるアイリスの言葉であった。
「ヨザクラさんはどう思う?」
「さぁ……。イチロー様が、このように特定の誰か一人にずっと付き添うなど、あまりないことでしたので」
「あー……、やっぱそうなんだ……」
「単なる義理人情や同情でそんなことをする方ではないですから、何かしら惹かれる部分はあったんだと思いますけどね」
うかつに芙蓉には聞かせられない言葉だな。と、アイリスは思った。
とは言え、さすがに付き合いが長いだけあって分析も冷静だ。言われて見ればその通りで、イチローは自分の中で納得しないものに対して行動を起こすことは決してない男である。そもそもあの男に、誰かを憐れむだとかいう機能が備わっているかどうかも怪しく、ただ単にかわいそうだからエスコートを申し出るなんてことは、まずありえない。
「あたし、この2ヶ月近く、それなりにあいつと密な付き合いをしてきたつもりだったんだけど……」
「はい」
「御曹司が惹かれるものってなんなのか、いまだによくわかんないわ」
「私なんて5年付き合ってもわかりませんよ」
ヨザクラは恒例のまずいお茶をいれながら、曖昧な笑顔でそう言った。
当の御曹司である。
結論から言って、彼はココと1対1で話し合えるこの時間を、非常に満喫していた。ココは、狭いキャビンに閉じ込められて十数分ゆらゆらとゆすられ続けるこの運送手段を、あまり快く思ってはいなかったものの、やはりイチローとの会話が始まれば彼女なりに楽しんでいる様子を見せた。語彙は豊富ではないが、口で『楽しい』と何度も言葉に出せば、そうなのだろうとは伝わる。
イチローは、ミライヴギアの専用アプリから描画ツールを起動して、しばしの間お絵かきに興じた。真剣そうな眼差しでじっとしているココを、的確に模写する。完成したアバターの似顔絵を見て、彼女が驚いていたが、喜んでいた。
「これ、私?」
「そう、君だ。鏡がないから、顔を確認する機会がなかっただろうけど」
ココも絵を描きたがっていたが、彼女のアカウントないしミライヴギアには描画ツールがインストールされていない。買ってやれるならばいくらでも買ってやりたかったが、イチローのクレジットカードでも他人のアカウントにアプリを購入してやることはできない。その旨を説明するのは、意外と大変だった。
「おカネ、ない」
「そういうことだ。不便なものだね」
果たして、ココが貨幣の概念をどれほど正確に理解しているのかは知らないが、最終的には納得してくれた。彼女の普段の生活環境を考えると、金銭とは無縁であるはずだ。ココがおカネというものをどのように捉えているのか、その答えを引き出すことに、イチローは大いに興味を持ったが、問いただすのはやめておいた。
代わりにイチローは、砂上船が〝死の山脈〟にたどり着くまでの残り時間を、ココとの他愛のない会話に費やすことにした。そのようにしたいと言ったのは彼女である。
「イチロー、家族はいる?」
「いるよ。どこまでを家族と言っていいのかはわからないけど、曽祖父がまだ生きていて、正月にはみんな集まる。それを家族って言うなら、まぁ、30人くらいはいるのかな」
「私にはいない」
「仲間や友達は、たくさんいるんじゃない?」
「いる。イチローも友達」
「ん、ありがとう」
しばらくして、船はようやく港につく。デッキに出てみると、砂嵐は止み、周囲の船の数も出港時よりはいくらか減っていた。彼らの目的はこちらではなく、大砂海そのものであったと見るのが妥当か。できることなら、イベントボスはそっちの方で暴れていて欲しいものだが。
船着場は、岩を削り出しただけの簡素なものだ。イチローは一足先に飛び降りて、まだアバターの操作に不慣れなココの手を取り、引き寄せた。レザーアーマーに身を包んだ少女は嬉しそうに笑い、イチローもいつもの涼やかな笑顔に、いくらか人間らしい温度の混ざった、彼にしては珍しい表情を見せる。
背後を見ると、おそらくはアイリスやヨザクラ達を乗せているであろう砂上船が、ふらふらとこちらに向かってきている。イチロー達がここにいると、彼らも船を降りにくいだろうと思い、さっさと先へ進むことにした。地図を広げる。キングキリヒトの言葉では、攻略wikiにも記載されていない(だがおそらくマツナガ達は知っているであろう)、アクセルゴートのポップアップポイントがあるという。そこを目指すことにした。
「ココ、今のうちに聞いておくけど、君、ヤギは好き?」
「ふつう」
「ん、良かった」
好きと言われたら、アクセルゴートの屠殺においてまた少し苦慮せねばならなかったところだ。
イチローは、課金サービス一覧から、レアドロップの入手確率が上がるコースやら、ドロップアイテムの数が増えるコースやらが切れていないことを確認し、しかしあと1時間程度で効果が切れそうなので改めて購入しなおしておいた。ココは不思議そうに首をかしげる。
「何をした?」
「おカネを使ったんだよ」
「おカネ、持っている?」
「うん。僕は割とね。ま、君を見ていると、持っていても良いもんじゃあないなとは思う。悪いもんでもないんだけどね」
使うかどうかもわからない課金コースを延々と更新し続ける男のセリフではないのだが、残念ながらそこを指摘できるようなまともな金銭感覚の持ち主は、ここにはいない。
ひとまず、イチローとココは連れ立って、岩だらけの山道に足を踏み入れた。ココが、『あなた達のやり方で仲良くしたい』と言ってきたので、ひとまず、手を握ってあげることにした。
「信じられないものを見たわ……」
双眼鏡から目を離して、アイリスが呆然とつぶやいた。
「なんていうか、アイ、もう正しく出歯亀だね……」
信じられないものを見るような目つきで、ユーリも言った。
「まさか、御曹司が自分から手をつなぎに行くなんて……。なんていうか、ショックだわ……」
「そりゃあ腕が生えてるんだから手くらい繋ぎますよ」
ヨザクラは、割と冷めた態度で下船の準備を整えている。もう一隻の船からも、6人のキリヒトがわらわらと降りてきて、キリヒト(リーダー)に『女の子に囲まれた船旅はどうだったか』と質問を浴びせていた。キリヒト(リーダー)は無言で首を横に振っていた。失礼な態度であるとは思う。
さて、キリヒツ全員の合流を経て、10人という大所帯になった見守り隊は、御曹司たちの姿が山道に消えたところを確認して、ひっそりと尾行を開始することにした。今回の舞台となるのは〝死の山脈〟。中堅上位層からの強豪プレイヤーがひしめき、ボスモンスターが出現するかもしれない危険なフィールドだ。
「みんな、覚悟はいいわね」
アイリスは厳かに言った。
「いざともなれば肉弾幸よ。身を挺して御曹司たちのデートを守るわ」
「任せろ。ユウリの幸せは俺たちが守る」
「あれはココです」
「何事もなければいいね」
船着場で円陣を組み、えい、えい、おー、と気合をいれる彼女たちの姿を、あとから着いた攻略組プレイヤーが不審そうな目つきで眺めていった。
では、いざゆかん。そう思ったときである。
「……やれやれ、人の後を尾け回したり、嗅ぎ回ったりするのは、いい趣味とは思えませんね」
横合いから殴りつけるように声をかけられたアイリス達は、それこそ鼻から牛肉が出るほどに驚いた。
「とっ、苫小牧さんっ!?」
そう、そこにいたのは、まさしくハイエルフの哲人。サービス開始以来、一度もログアウトしたことがなかった(過去形)勇者、苫小牧である。最近見かけていなかったので、いきなり出てこられると心臓に悪い。
ユーリやキリヒツも驚きを隠せていない様子だが、ヨザクラだけは何やら彼の登場に合点が言っているようだった。苫小牧は、どこか儚げで穏やかな、いつもの微笑を崩すことなく、彼女に語りかけた。
「なぜこのような真似を?」
「イチロー様やココさんへ、邪魔が入らないように。もちろん、おっしゃる通りの興味本位も、ありますけどね」
「ツワブキさんから、何も聞いてはいませんか」
「言うのは簡単だとおっしゃってはいましたが」
「なるほど……」
苫小牧は、顎に手を当ててなにやら考え込む仕草を見せた。できるなら、早く先に行かせて欲しいのだが。御曹司たちが離れて行ってしまう。最終的には、アイリスたちが痺れを切らすより早く、苫小牧は結論を得た。
「仕方がありませんね。ツワブキさんに隠し事をさせるのも辛いですし、あなた方なら信頼がおけると考えて、お話することにしましょう。ココの正体について」
「苫小牧さん、知ってるの?」
「ツワブキさんにココのエスコートを依頼するよう、提案したのは私です」
「苫小牧さんって……お医者さん?」
「一応、医科大の教授ではありますが」
そういえば、どこかでそんな話を聞いたような気がする。アイリスは記憶の片隅にぼんやりと残る記憶を掘り返してみるが、それがどこだったかまでは思い出せない。
しかし、やはり医者、すなわち病院関係なのか。一同には、何やら重たい空気が覆いかぶさった。
「何やらお通夜みたいな空気ですが……。言わないほうが良いでしょうか」
「良いわ、言って。苫小牧さん」
それがどのような過酷な現実であれ、知ろうとする以上は受け入れなければならないだろう。苫小牧は咳払いをし、改めて口を開く。
「彼女は、ココは……」
ごくり、と唾を飲む一同に対して、苫小牧は告げた。
「ゴリラです」
「はっ?」
「ゴリラです」
「ところでココ、好きな食べ物はなんだろう」
「バナナ」
「なるほど、やっぱりそういうものなんだ」
仲睦まじく手をつなぎながら、イチローは何やら納得したように頷いた。
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