第八十話 御曹司、砂漠を渡る(1)
一日が経過した。翌朝である。
いよいよイベントの実装・配信であり、腕に覚えのある多くのプレイヤーが開始時間である12時ちょうどを待ちわびていた。モンスターの出没地点は、当然いまだ明らかになっておらず、広大なナローファンタジー・オンラインのフィールドにおいて、彼らは思い思いの網を貼っていた。
赤き斜陽の騎士団のギルドリーダー、〝鬼神〟ストロガノフも、今回のイベント実装に対してもっとも意気込みを見せるプレイヤーのひとりである。ストロガノフには、前回のグランドクエストにおいて、美味しいところを全て持って行かれてしまったという苦い思い出がある。彼が自分の中の栄誉を取り戻すために、今回のイベント実装は避けて通れない道と言えた。
ストロガノフは、広大な大砂海を中心とした複数のフィールド、すなわち〝死の山脈〟や〝中央魔海〟がイベントの主な舞台になるであろうと踏んでいた。グラスゴバラから大砂海までをつなぐ名も無き丘陵地帯や、いまだ多くのプレイヤーに最前線と認識される〝武闘都市デルヴェ〟なども含め、騎士団の人員をフル稼働させる形で、斥候を配置している。リアル事情につき、あまり長くは居座れないギルドメンバーへの配慮は当然あったが、そこはゲーム内最強ギルド。基本的には暇人が多い。
この複数のフィールド間は、拠点にできるような〝街〟が存在しないため、ワープフェザーによる移動が行えない。また、大砂海は砂上船(ないし一部種族・クラスの持つ飛行手段)を用いなければ渡ることすらできない特殊なフィールドであり、これら複数のマップは隣り合っているにもかかわらず、交通の便が非常に悪かった。
かねてよりユーザーの不満が多かったポイントではあるが、今回のイベントを見るに、ある程度は意図して設計された不便だったのかもしれない。どこかにイベントボスが出現し、ギルドメンバーからの連絡が回ったとしても、現地への到着には時間がかかる。もしもワープフェザーなどを駆使し、一瞬で到着することができてしまえば、このイベント自体はかなり味気ないものになってしまうだろう。
散々悩んだ結果、ストロガノフは、自分自身が待機する〝本丸〟をデルヴェのギルドハウスに置いた。常にギルドメンバー達と連絡を取り合い、出現したボスモンスターへの対応を臨機応変に行えるようにする。まぁ、自身の経営するレストランが忙しくなった際、簡単にログアウトできるようにという下心もいささかながら存在した。
「団長、浮かない顔ですな」
分隊長の一人であり、普段は新人育成を担う〝老師〟チンジャオがそう言った。
「いやなに、他の連中の動きがまったく見えないのが、むしろ気になってな」
信頼する仲間の一人に対して、ストロガノフは素直に胸中を打ち明ける。
「双頭の白蛇も表立った活動を見せているわけではないし、キングキリヒトやツワブキも、今回のイベントに参加するのかどうかさっぱりだ。正直、落ち着かん」
「ならば、もっとどっしり構えているのが良いでしょう。あまり不安そうな顔を見せるのも、上に立つ者としては感心できません」
相変わらず、歯に衣を着せない男である。
チンジャオの言うところはわかるが、しかし不安は隠せても拭えはしないものである。こうしたところにつけて、ストロガノフは自分の器の小ささというものを実感してしまう。
ツワブキ・イチローとキングキリヒトは、ゲームに対して求めるものが直感的すぎて行動が読めない。あのマツナガですらそうだと言うのだから、ストロガノフには何を言わんやであろう。今回のイベントに対して積極的に参加をするつもりならば、間違いなく獲物を奪い合う強大なライバルということになるが、それがまったくの杞憂に終わる可能性も充分にある。そのへんがどうも、精神衛生上よろしくない。
ストロガノフは時計を見た。11時50分。あと10分で、この広いゲームフィールドのどこかに、複数のボスモンスターが出現するわけだ。運営からの告知では、とにかくデカいことが強調されていたが、実際どれほどの強さを持つのかははっきりしていない。前回のグランドクエストにおける妖魔ゾンビは、調整をしくじったのではないかというほど強力な敵であったが。
悶々。考え続けるストロガノフであったが、その折、メンバーの一人が彼のいる部屋に駆け込んできた。
「団長、来客です」
「このタイミングでか? 帰ってもらえ」
「それが、そのう……」
ストロガノフが無碍な態度を見せ、メンバーのひとりがいささか困ったように視線を泳がせる。その背後から、背の高いエルフの男がひょっこりと顔を出した。
「つれないことを言うなよストロガノフ」
「よりによって、お前か。マツナガ」
ストロガノフは露骨に嫌がる表情を見せたが、マツナガはさして気にした風もない。控えめに引きとめようとする騎士団員をスルーして、平気な顔で室内に踏み込んできた。
「あんたが俺たちの情報を要らないって言うからさ、まぁちょっと寂しいじゃないか」
「またお前の祭りのダシにされちゃたまったもんじゃないからな」
そのように憮然と言い放つ。前回のグランドクエストの恨みを、忘れたわけではないのだ。
「人聞きが悪いなぁストロガノフ。俺は別に嘘の情報なんか流しちゃいないさ。開示できる情報は全部出したしねぇ。過不足は無かったはずだよ。まぁ、俺が妙な企みをしてたのは事実だけど。情報の純粋性はそのままだったろ?」
口を開けば、ぺらぺらと軽い言葉の出る男である。腹立たしいことに、彼の言うことにも間違いはなかった。マツナガはキングキリヒトが活躍できる場所を作ろうとし、そのための膳立てはしていたが、ストロガノフに対して開示した調査内容に嘘偽りは一切なかった。
直後、連立ギルドの提案においては隠しだてがあったわけだが、それ自体も騎士団には一定の利があった提案だ。企みを御しきれなかったのは落ち度と言えば落ち度である。しかしそれでも、マツナガに対して信頼を失うには充分すぎる。
「で、今回は何をやるつもりなんだ」
やや皮肉を込めた物言いでそう言ったが、マツナガにとってはどこ吹く風であるらしい。
「いやぁ、どうしようねぇ。実はあんまり決めてないんだよね。ドラマティックに何かやろうってのも、いいんだけどさ。主役が見つかんなくって」
「キングやツワブキは参加しないのか?」
「多分しないんじゃないかな。キングはわかんないけどね。ツワブキさんはまぁここ数日は別件だよ」
「ふむ?」
やや含みのある言い方に、ストロガノフは眉をしかめた。マツナガは少し逡巡を見せたが、メニュー画面からコンフィグを呼び出して、アプリから画像を展開する。ウィンドウの片端を弾くと、画像が反転してストロガノフの方を向いた。ゲーム内のキャプチャ画像に見える。
「まぁ、みつばではそれなりに広まってる画像だしねぇ。隠しだてするもんでもないだろうと」
「これ、うちのレストランか?」
「そうだよ」
夕暮れ亭を舞台に写っているのは、ツワブキ・イチローとキングキリヒト、そして見たこともない人間の少女だった。戦士の初期装備に身を包んでおり、おそらく初心者であろうということが理解できるが、ツワブキ・イチローとは何やら過剰に親しそうな様子を見せている。
それは、そう。〝いちゃついている〟と表現するに足るものであった。
ツワブキ・イチローも男である。女性アバターとこうしたふれあいを見せることは、まぁちょっとイメージからずれるとは言え、あることなのかもしれない。ストロガノフは困惑しつつもそう思うことにする。
「なんだこれは。これが、その別件なのか?」
ストロガノフがそう言うと、マツナガは軽薄な笑顔のまま肩をすくめた。
「一部じゃあそれなりに噂になってるよ。まぁ、ツワブキさん有名人だからねぇ」
「見たところ初心者のようだな。リアルでの彼女なのか、たまたま知り合ったのか」
「どうやらそのどっちでも無いらしいけどね。まぁ無粋な詮索はよそうか。人の恋路を邪魔すると、馬に蹴られて死ぬっていう話だからね」
あまりマツナガらしからぬセリフではあるが、彼から垣間見えた数少ない人情味ということで、ここは素直に受け取っておこう。あまりそうした野次馬趣味は、ストロガノフにもない。あるいは、マツナガもゴシップ自体にはあまり興味がないのかもしれない。
ともあれ、ツワブキ・イチローはデートか。なんだか拍子抜けしてしまうが、彼らしいと言えば彼らしい。ゲームの楽しみ方は人それぞれであるわけだし、できることならキングキリヒトも、この写真の通りしばらくイチローに付き添っていてくれればいいのだが。
「で、だねぇ。お祭りとはまた違うんだけどさ、ちょっとあんたにとってもあまり良くない情報があってねぇ」
「なんだ、わざわざ伝えに来てくれたのか?」
「そういうわけじゃないんだけど、まぁ話の流れで言っとこうかと思って」
マツナガは、室内の壁にかけられたワールドマップを眺めた。マジックアイテムであるこのマップには、騎士団の精鋭が今どこに、どれほどの勢力を率いて移動しているのかがマーキングされている。マツナガは、そのいずれとも被らない色のマーカーを、グラスゴバラから大砂海へ向かう小さな丘陵の間に突き立てた。
「どうやら、ツワブキさんと、このココっていう女の子は、大砂海を経由して、〝死の山脈〟を目指しているらしい」
「な、なに……」
ストロガノフは狼狽こそしなかったが、言葉尻にわずかな動揺をにじませた。
「どうしてだ。デートスポットなんて場所じゃないだろう。ましてや初心者をつれて」
「そんなこと俺に聞かれても。まぁツワブキさんの彼女なんだから相当な変人なんじゃないの」
大砂海から死の山脈にかけては、当然ながらイベントの舞台としての本命コースだ。巨大怪獣型のモンスターが出現する可能性は大いにある。もし、それが運悪く、イチロー達と最初に遭遇してしまったら……。
「ボスモンスターが危ない!」
「気持ちはわかるけど、ストレートすぎやしないかね。薄情だよそれは」
マツナガの冷たい視線というのは、新鮮なものだった。
丘陵地帯を抜けると、大砂海に面する小さな〝港町〟がある。ワープフェザーによるマーキングも機能しない、単なる船の出航施設と言ったほうが正しいであろう簡素なもので、砂上船の貸出や定期連絡船の運行を管理するNPCがいる以外は、ひと気の少ない寂しい場所だ。
だが、この時ばかりは、船に乗り込んで中央魔海や死の山脈を目指すプレイヤーがそれなりに見受けられ、いつもとは違う活気を見せていた。
「人が、たくさん」
「そうだね、たくさんだ」
イチローとココも、そうしたプレイヤーの中に混じって砂上船のレンタル手続きを受けていた。イベントの影響であるのか、今日はいつにも増して風が強く、砂粒が吹き付ける。ココには最寄りの村でレザーマントを購入してやっていた。
当然、有名プレイヤーであるイチローの姿は目立った。変装も考えたのだが、個人的には目立つことよりもアイリスのデザインした防具を脱ぐ方が嫌で、結局このまま通している。幸いにして多くのプレイヤーは、その好みをイベントボスに向けており、イチロー達を見かけても『ああ、噂の』くらいにしか反応を見せなかった。
これを、イベント初日であるからの反応と見るか、あるいは昨日のヨザクラ達の頑張りを無駄にするものと見るかはそれぞれだ。だが、物陰からじっと見守りつつあるアイリス達は、それなりのショックを受けている様子だった。
レンタルは滞りなく済み、イチロー達は砂上船に乗り込む。彼以外にも多くのプレイヤーが、〝死の山脈〟を目指して出航していた。南下して〝中央魔海〟を目指す船も多い。
天候ステータスは船の速度には大して影響しない。イチローは甲板に立って目を凝らした。視界を覆う砂の影響で、晴れていれば遠くに見えるはずの山脈が確認できない。
「ここは、海?」
「どっちかというと砂漠だね。君のコートを作るために、山へ向かっているんだけど。視界が悪くて見えないようだ」
「黒い服。あれは良い」
キャビンから顔を覗かせつつ、ココは大真面目な顔で頷いた。
「そういえば、苫小牧もあの山に住んでいるよ。苫小牧、わかる?」
「わかる。彼女の仲間だ」
彼女、というのがフランシーヌ・ハタムラのことを示しているのはわかる。三人称を正確に訳せないのは、翻訳エンジンの限界だろうか。ココが固有名詞を理解して話しているのかはちょっと怪しい。〝イチロー〟という呼びかけも、二人称を意訳している可能性はある。
「黒い人がいない」
話題の途切れ目になって、ココはそのようなことを言った。
「キングか。彼には彼の事情があるからね」
「私を守ってくれない? イチローが守る?」
「そういえば昨日はそんな話だったね。僕がいるから問題はないと思うけど」
そう、今日からイベントの実装だ。桜子の話では、超大型モンスターがフィールドに出現するとのことで、この大砂海から死の山脈にかけてが、その舞台になる可能性は否定できない。ココを守りながら戦うことに問題はないはずだが、彼女の反応次第では、逃げの一手になる可能性もあるわけだ。
まぁ、その辺に関しては〝彼ら〟に期待することにしようか。
イチローは、背後からぴったりとこちらをマークする2隻の砂上船を眺めてから、ココと一緒にキャビンへこもった。
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× ストロガノフはキングキリヒトが活躍できる場所を作ろうとし、
○ マツナガはキングキリヒトが活躍できる場所を作ろうとし、




