第七十八話 御曹司、噂になる(3)
「ともかく、ヨザクラさんの犠牲を無駄にするわけにはいかないわ」
「死んだわけじゃないと思うんだけど……」
「でも、女としては死んだようなものよ。あれは」
のっけから飛ばしていくアイリスの台詞を否定する術は、誰も持たない。ブッシュの中をもぞもぞと進みながら、一行は沈痛な面持ちでヨザクラの魂の安寧を願った。
彼女の決死の行動は、一行の心中にわずかばかり残されていた、野次馬根性の残滓をも駆逐した。今の彼らは、鬼に会っては鬼を斬り、仏に会っては仏を斬る羅刹がごとき辻斬り集団である。結果としてやっていることは野次馬とあまり変わらないので非常に始末が悪い。
ときおり、ココがイチローに対して過剰なスキンシップに及んだとしても、一行の精神は波ひとつ立たぬ水面であった。唯一芙蓉だけが、心の安定を図るのに苦労を要していたが、エドワードの腕を雑巾のように絞り上げることで、なんとか事なきを得ていた。ココがイチローをくすぐり、イチローにも同じことを要求したくだりでは、彼女の顔は正視に耐えない形相をしていた。
まぁとにかく、唯一の良心じみた存在であるヨザクラを失ったことにより、見守り隊は新たな結束と覚悟を得たと言えよう。忠義の前に恥じらいをゴミと断じたメイドの姿は、それなりに彼らの心を打ったのである。それがどのような結果に向かっていくかはまた別としてだ。
ヴォルガンド火山帯を進むにつれて、遮蔽物は少なくなっていく。決死のスニーキングは続いた。
「なんでこんなところを歩いてるんだろう」
ユーリがぽつりと疑問をつぶやく。
「目的地があるなら、ワープフェザーとか使えばいいと思うんだけど……」
「そりゃあ……デートだからじゃないの?」
「こんなところ歩いて楽しいのかなぁ」
「好きな人と歩いていればどこだって楽しいもんだ」
大真面目な顔で力説するキリヒト(リーダー)であった。どうも今日の彼は異様な説得力に満ち溢れている。ユーリも黙らざるを得ない。また、ひとりの乙女としてその回答に至らなかったこと恥じざるを得ない。
やがては火山帯の中腹部にさしかかる。このあたりは、多くの中堅プレイヤーにとってリザードマン道場と親しまれるポイントだ。五種のリザードマン相手に効率よくステータス育成を行おうとするプレイヤーと、いつ出くわすかも定かではない。一行に緊張が走った。
次に覚悟を決めたのは、キリヒト(リーダー)であった。
山道を下から上へ、すなわち、イチロー達のいる方へ向かうプレイヤーの集団がある。彼らはミライヴギア専用ブラウザや、画像ファイルなどを展開し、あまり上品ではない笑顔を浮かべながら上へ上へと目指している。それが、エドワードが示した画像掲示板や、そこに投稿されていた写真を閲覧してたものであることは、遠巻きにも理解できた。
野次馬である。しかも、ヨザクラが相手をしたものよりも、無自覚な悪意に満ちあふれた類のもの。より上位の野次馬であると言えよう。放ってはおけぬ。キリヒト(リーダー)、男の決意であった。心ある野次馬としての矜持があった。
「行くのか」
「あぁ」
エドワードの問いに、ただ一言、小さく答える。
「あんたも脱ぐの?」
「いや、そんなことはしないけど。行ってくる。みんな、あとは任せたぜ」
キリヒト(リーダー)は剣を握り、岩陰から飛び出した。野次馬プレイヤー達はびっくりする。
「な、なんだよ!」
その反応も、ごくごく普通のものではあった。
「ゆえあって、ここから先へ通すわけにはいかない」
タイアップ装備である黒いコートをはためかせ、キリヒト(リーダー)は言う。剣を握りったプレイヤーがそんなことを言い放てば、当然、言外に匂わせた剣呑な空気にも気がつくことだろう。野次馬達はにわかにざわめいた。
「どんな権利があってそんなことを言い出すんだ? 〝キリヒト〟さんよぉ」
「権利はないが、覚悟はある。この身を修羅道にやつそうと、悪意の視線から友を守る覚悟がな」
これが素の性格なのか、単純にノリが良いのかはわからないが、相手の態度も何やら挑戦的である。結果として、キリヒト(リーダー)も何やら非常にカッコ良い台詞を吐いてみたくなった様子だ。
「友って、御曹司のことかしら……」
「おそらく……」
「御曹司、キリヒツのこと友達だと思ってるのかしら……」
「アイ、その辺に関しての議論はよそう。先へ急ぐんだ」
「そうね」
岩陰の会話を聞き取れるほど、感知系のステータスを育成していなかったのはキリヒト(リーダー)にとって僥倖と言えただろう。彼が対峙した野次馬プレイヤーの数は7人。多勢に無勢と言えるだろうか。いつもこんな役回りだな、と自嘲気味に口元を釣り上げるキリヒト(リーダー)の耳に、聞きなれた声が届いた。
「俺もいるぜ」
驚いて視線を向けたその先、立ち枯れた木の枝に、黒いコートの男が立っている。
「キリヒト……」
同じザ・キリヒツに属して長い、初期からの構成メンバーがそこにいた。だが、姿を見せた黒コートは彼だけではない。
「お前だけに、いいカッコさせるかよ」
「キリヒト……」
「キリヒトは、お前だけじゃないんだぜ」
「コーホー」
「みんな……」
「なんなんだこいつらは」
7人のキリヒトが勢ぞろいする感動のシーンだが、イチロー達と見守り隊は既に先へ進んでいた。まぁ捨て駒としての本懐は遂げられたのではないだろうか。抜剣した7人のキリヒトがどのような結末を迎えたかに関しては、さておく。
キリヒト(リーダー)を失ってなお、見守り隊はその歩調を緩めはしなかった。ゆく先々で出現するMOBに関しては、さすがにトッププレイヤー2人の護衛ということもあって、何の心配も要らない形だ。剣によって、あるいは魔法によって打ち倒されたリザードマン達が、光の粒子となって消えていく様子を、ココは不思議そうに見つめていた。それを見て、ココはイチローと何か会話をかわしているようであったが、その内容までを聞き取ることはできない。
「きっとロマンチックな会話をしているに違いありませんわ」
「いや、どうだろう」
「あれ、綺麗ね。君の方が綺麗だよ。みたいな会話をしているに違いありませんわ」
「モンスターの死に様をみてそんな会話をするデートはイヤだな」
「キーッ」
「痛い」
芙蓉は平常運転といった様子だ。ゲームである以上、エドワードの腕がねじ切れる心配はしなくても良い。だが、もう少しで山頂にたどり着こうかという段になって、いよいよ次なる野次馬が姿を見せた。見守り隊に緊張が走る。エドワードは、のっそりと立ち上がった。
「行くのね、エドワードさん」
「ああ」
ねじられまくった腕を何度か振り、感覚を確かめると、エドワードは岩陰から立ち上がる。
今度の野次馬は、とりたてて御曹司たちのデートを邪魔する目的で来たわけではなさそうだが、いかんせん数が多い。どこかのギルドが明日のイベントに備えて編成した部隊であると想像できた。あまり見ないエンブレムであったため、トップギルドというわけではなさそうだが、構成規模で言えばバカにならない数だ。もし彼らが、御曹司たちに出くわし、もし不要ないざこざに発展したら、というのは、いささかばかり恐ろしい想像である。
だからこそのエドワードであったか。不安そうな視線を背中に受けて、彼は言った。
「心配するな。ヨザクラさんやキリヒトよりは上手くやる」
そう言ってエドワードは、大量のプレイヤーの前に立ちはだかる。彼らはギョッとしたように進行を止めた。
「な、なんだ。あんたは」
「通りすがりのマシンナーだ。辻鍛冶師とでも呼んでもらおう」
「なんだそりゃ」
その疑問には答えず、エドワードはスッと右手を掲げ、メンバーの最前線にいた騎士と思しき男に声をかける。
「そこのあんた、クラスは騎士だな。装備構成からして、守備偏重の壁役といったところか」
「あ、あぁ、そうだが……」
「パーティメンバーの装備のアベレージや、武器の必要筋力から考えると、レベルは60から80といったところだな。だが、そのレベル帯にしては防具の性能はおとなしめだ。新しいものに買い換えたいと思っている。違うか?」
騎士の男は目を丸くした。おそらく、エドワードの言葉がすべて図星だったのだろう。プレイヤー達のあいだにざわめきが広がるが、エドワードは気にした風もなく、次にその隣の女性アバターを指差す。
「あんたは攻撃重視の魔術師だ。しかし、魔法攻撃の威力をあげる杖系の良い武器に巡り会えていない。あんたは高速戦闘特化の戦士で、装備自体に不満はないが、使い込みすぎて耐久力が低下している。明日のイベント前に鍛え直しておきたいといったところだろう。あんたは……」
次々と構成メンバーの基本ステータスやクラス、装備に関する悩みなどを的確に指摘していくエドワードである。さすがにこれには、物陰から見ていたアイリス達も舌を巻いた。
「さすがだわ」
「防具を作るっていうのは、ああいうことなんですのね。ちょっと見直しましたわ」
「この場は任せてよさそうだね。先へ行こう」
一通りの指摘が終わると、エドワードはプレイヤー達のリーダーらしき男に、このような提案をした。
「今なら無償でやってやろう。装備の生産に関しては、素材があるものに限るが……」
「い、良いのか……!?」
「構わない。何かの縁だ。その代わり、グラスゴバラに立ち寄ることがあったら、アキハバラ鍛造組をよろしくな」
エドワードを欠いたことで、とうとう見守り隊の構成要因も当初の半分となってしまった。人数が減ったことも痛手だが、ストレス発散にねじり上げるものがなくなってしまったのも、芙蓉の精神安定上大きな問題と言えた。
イチロー達は、いよいよ山頂へと到達する。ヴォルガンド火山の山頂部は、見晴らしこそ良いが、火口の熱気や岩石の転がる殺風景な様相もあって、あまり人気のあるスポットではない。と言っても、いざヴィスピアーニャ平原の方を見渡した際には、これまでの冒険の歩みが思い起こされて、目頭が熱くなるプレイヤーも多いという。その光景こそが、初心者を卒業証書だという者もいるほどであった。
ココにそうした感慨が湧き上がったかどうかはわからないが、やはり平原の方に開けた広大な景色を眺めながら、彼女も動きを止めていた。左右にイチローとキングキリヒトが立つ。やはり、どのような会話をしているのかまではわからない。
「懐かしいな。一緒に見たよね。この景色」
「そうねー……。グラスゴバラで別々になったのは、そのあとだったわね」
ユーリとアイリスも、しみじみと思い出を語った。
さて、この感動的な光景だって、いつまでも続くわけではない。そう、恐れていた野次馬の襲来である。そして、今回のそれは、おそらく今までに出現した野次馬のいずれよりも凶悪で唾棄すべき存在であった。
山道を昇ってくる、2人組の男の姿にユーリが近づき、顔をしかめた。友人の険しい表情に、アイリスも敏感に反応する。
「どうしたの?」
「あの2人、最近有名なPKプレイヤーだ」
「えっ」
このナロファン、当然システム上PK、いわゆるプレイヤー・キルを行うことは可能であるが、一般的なMMOに比べてそれがまかり通っているとは言いづらい。PKを行うということは、当然ながら自分以外のプレイヤーを〝殺す〟行為であり、よりリアルに近い感覚でそれを行えることそのものに対して、多くのプレイヤーには強い忌避感があった。
その忌避感を乗り越えてしまったプレイヤーが稀におり、常習的なPKを行うことになる。被害者は当然ショックを受けるわけで、状況次第では心に傷を負う。あまりに悪質な場合は運営からアカウントを停止させられる。
この、トゲ付き肩パッドにモヒカンという世紀末的な装いをした2人組は、まぁそうした意味では比較的ソフトなPKを行うプレイヤーではあるらしいのだが、それでも嫌悪される存在なことは変わらない。
「どうしますの?」
芙蓉がたずねた。
「ま、まぁ、2人くらいなら、御曹司とキングがサクッとやっつけちゃいそうではあるけど」
アイリスもいささかの動揺を隠せない。
「私が行くよ」
「ゆ、ユーリ……」
躊躇なく立ち上がる友人の姿を、アイリスは遠慮がちに呼び止めた。
「じゃあ、あたしも行く……」
「それはダメ。芙蓉さんをひとりにするのもいろいろ不安だし」
「本人を目の前にあっさり言いますわね……」
そうこうしている間にも、2人のプレイヤーは山道をあがり、頂に近づきつつある。ユーリは、手のひらに拳を打ち付けて、山道の方へと向かった。
「ユーリ……!」
「大丈夫、負けないよ。死んじゃったら、せっかくアイに作ってもらった防具も落としちゃうしね」
ユーリが山道に出ると、2人のモヒカンが下賎な笑みを浮かべる。片方が刺の生え揃った棍棒、もう片方が大振りのコンバットナイフを、いささかの迷いもなく取り出して、舌なめずりを始めた。大抵のプレイヤーはこの様子を見ただけで逃げ出すのではないだろうか。ユーリは、この上ない冷徹な視線をもってモヒカン達を迎え撃つ。
「ヒヒヒ。女だ、悪かねぇぜ……」
こいつ、これ素で言ってるんだろうか。だとしたら、運営によるアカウント停止よりも、何かこう、公の組織を動かしたほうが良さそうな気はする。
「あなた達2人をほうっておくわけにはいかないので、私が相手をする」
「ヒャァアッハッハッハ!」
笑った。ヒャァアッハッハッハって。
「威勢が良い女は嫌いじゃねぇぜ。なぁ兄弟」
「このナイフにはなぁ、毒が塗ってあるんだぜぇ……!」
興が乗ったナイフ使いが、ナイフの刃を舐め回しながらそう言った。直後、全身をびくんと震わせ、山道にがくりと倒れ伏す。白目を剥き、泡を噴いて痙攣するナイフ使いを眺め、少しばかり棍棒使いは微妙そうな顔をする。
「毒ナイフの刃を舐めると、こういうことになるんだね」
「俺も知らなかったぜ……。舐めたことなんてなかったからな……」
「まぁ、良いんだけど」
ユーリがすっと拳を構え、棍棒使いを睨みつけた。
「人の恋路を邪魔するやつには、空手の奥義を教えてあげよう」
これでも、高校の時はインターハイまで行ったのだ。散々、アイリスに自慢してきた手前もある。こんなところで無様は晒せない。ひとまず踏みつけては申し訳ないので、山道に転がったナイフ使いを脇に寄せた後、ユーリは棍棒使いの男に殴りかかった。
「おっさん、仲間に恵まれてんな」
グラスゴバラへつながる山道を下りながら、キングキリヒトがぼそりと言った。
「そうかな、あまり気にしたことはなかったよ。でも、今回の件を見る限りは、そうなんだろうね。僕は良い仲間を持っているらしい」
ココのエスコートを、ここまでスムーズに行えるとは当初考えていなかったことだ。彼女にアイテムを使わせることは難しいし、移動の行程で、ココが人間の無自覚な悪意、あるいはもっと悪質な感情にさらされる危険は常にあった。そのリスクを極力排除するために、自分がエスコート役として選出されたのは理解できるし、キングキリヒトの同行も、その点においては素直にありがたかった。
いずれにしても不器用な友人たちではある。感謝をしなければならないが、それを正面から告げることは彼らのプライドを傷つけるだろう。知らない振りをしておいてやるのが一番か。
「僕としては、君が手伝ってくれるとも思っていなかったんだけど」
「オレもココさんの正体に興味あったからな。まぁ、なるほどなーって感じ」
「どの辺から気づいてた?」
「歩行モーションは最初からおかしかったよ」
こと、このゲームに関しては、キングキリヒトも大した観察眼を持っていたと言えよう。いずれのプレイヤーも彼ほどの洞察力があるとは思えないが、歩き方ひとつだけで正体を見破られる可能性はあると。やはり、人通りの多い場所は避ける方が無難であろうか。
山道を下るさなか、やや遠くにグラスゴバラの街並みが確認できる。
「まぁ、今日はグラスゴバラに到着したらお開きかな。彼女もずっとログインしているわけにはいかないしね」
「ココさんがどういう風に戦うか、見てみたいんだけどなぁ」
「そういったことは望まないようにしよう。彼女には、したいいようにさせてあげたい」
ココは、見るものすべてが新鮮であるように、視線をせわしなく動かしていた。表情は乏しいが、目つきの変化だけは非常に多彩で、静かな興奮がこちらにも伝わってくる。少しばかり過保護かな、とは感じつつ、イチローは距離感を測りあぐねている自分に少しばかり驚いていた。遠慮という言葉とは、無縁に生きていたと思うのだが。
「イチロー」
ココが名前を呼んだ。
「なんだい」
「今日は、楽しい」
「ん、それは結構」
イチローは、ごく自然な笑顔で、そのように答えた。




