第七十五話 御曹司、レストランへ行く
海上都市メニーフィッシュには、多くのイベント施設が存在する。大規模アップデートで新しく実装された街でもあり、これらのイベント施設の人気もあって普段はそれなりの賑わいを見せるメニーフィッシュだが、やはり大規模な戦闘イベントを前にしては、人の行き来もだいぶ落ち着いていた。
騎士団が〝すかいうぉーかーグループ〟と提携して経営するレストラン〝夕暮れ亭〟も、イベント中は休業となる。それでも、イベント開始前までは営業するわけだし、営業中は店を開けられないという、騎士団長ストロガノフのこだわりがあった。なので、騎士団が誇る〝聖女〟ティラミスと〝流星〟パルミジャーノ・レッジャーノは、今は〝夕暮れ亭〟の店番である。
「ふわぁ……」
なんだってトッププレイヤーの2人がこんなところで、雁首揃えて店番なのか。パルミジャーノはあくびを噛み殺しながら思った。〝夕暮れ亭〟の経営は8月限りで、それ以降は騎士団の手を離れスポンサーが直接経営するとのことであったが、とんでもない。さっさとそうするべきだ。
「パルミジャーノさん、真面目にやってくださいよ。気持ちはわかりますけど」
「こういうのはNPCにやらせれば良いじゃん。売り子アバターとかさ」
だいたいパルミジャーノの本業は接客業なのだ。ゲームの中でも接客をやるほど、ワーカホリックにはなれない。
「良いじゃないですか。営業することで経験値とかスキルポイントとか貯まるんだし」
「そういうのは戦闘で貯めたい。ティラミスは土曜日休みかもしれないけど、俺は今日も出勤なんだよ。まぁ明日は休みなんだけどさ」
「お仕事、バーテンダーでしたっけ。かっこいいですよね」
「もっと言って」
「イベント配信は明日からか、楽しみですねー」
騎士団長と7人の分隊長は、それぞれ複数のパーティーを率いイベント期間中各フィールドを探索する。今回のイベントボスであるモンスターは複数存在するが、どこから出現するかわかったものではないのだ。7人中4人が社会人であるため、それでも探索できる期間は限られるのだが。ティラミスなど、前回のグランドクエストで有給をほとんど使い果たしていた。
ストロガノフの方針として、今まで協力関係にあった探索ギルド〝双頭の白蛇〟はあまり信用しないことになった。いつお祭り騒ぎを企てて、ガセ情報やら何やらを流してくるかわかったものではないからだ。パルミジャーノは『気づくのおせーよ団長』と突っ込んでいた。幼少期より数々の異名を持ったとされる〝鬼神〟ストロガノフは、割と人を信用しやすい性格らしい。
怪獣のような巨大モンスターが、複数のフィールドを闊歩し暴れまわるというイベントである。すべてのプレイヤーは、登録なしに討伐に参加でき、運良く出くわし、それらを倒すことができれば、やはりゲーム内の歴史に名を残すほどの偉業となる。こうしたクエストこそが、騎士団の本領だ。
が、今はヒマだ。
「なんか面白いことないかなぁ」
「面白いことですか?」
「そう、この間の、ファッション対決。あれは面白かった」
「ああ……」
ティラミスは複雑そうな顔を作った。面白かった、のだろうか。あれは。とでも言いたげだ。彼女としては、あめしょーの着ていた服は純粋に可愛いと思ったけど、ヨザクラの方は……。いや、可愛くはあった。可愛くはあったのだ。それは間違いない。
ティラミスのちょっと複雑な記憶の発掘など、パルミジャーノが気にしたことではない。彼は言葉を続けた。
「あの時みたいに、ちょっと有名なプレイヤー……。そうだな。キングキリヒトとか、ツワブキとかがさ」
「はいはい」
「女の子を連れてくる」
「えぇー」
それが単に言葉通りの意味でないことは、容易に想像がつく。想像がつくだけに、ティラミスは苦笑した。
「それってデートってことですか?」
「面白いじゃん?」
「面白いっていうか、ありえませんって」
彼らが特定の女性を連れて仲睦まじく会食などという絵面は、なかなか思い浮かばない。まぁ様になると言えばなるのだろうが、そこから楽しい会話をする光景となると全くだ。ツワブキ・イチローあたりは、きっとリアルではそれなりにモテるのかもしれないが、ゲームの中では彼よりも性格の良いイケメンは腐るほどにいる。
客足の薄いことをいいことに、割と無自覚な悪意にあふれた会話をしてしまう。
「私がパルミジャーノさんとデートするくらいありえません」
「傷つく言い方だな。賭ける?」
「良いですよ」
ちょうどその時、〝夕暮れ亭〟の扉が開いた。
「やぁ、僕だけど」
「あひぇっ」
噂をすればツワブキ・イチローである。この一連の会話が聞かれてやしなかったかと、ティラミスは口から変な音を出した。一人だろうか。ヨザクラやアイリスを連れてくるくらいなら、まぁありえなくもない話だが。
パルミジャーノは猟兵特有の感覚の鋭さで、イチローの背後にもうひとりいることに気づいたらしい。2人の間ににわかに緊張が走った。まさか、瓢箪から駒が飛び出してしまうのか。
「いらっしゃいませ、ツワブキさん」
「うん、当然だけど食事に来たんだ」
イチローが背後にちらりと目をやると、戦士の初期装備に身を包んだ少女が、周囲をきょろきょろと、落ち着きなさそうに眺めながら立っている。アバターネームは〝ココ〟。知らないプレイヤーだ。ティラミスは、まさか、と思った。
「あ、あの……。不躾な質問をするようですけど……」
「なんだい」
「デートじゃないですよね?」
「デートだけど」
〝聖女〟ティラミス、完全敗北である。
何をやっても目立つというのは、こういう時に不便である。イチローはテーブルに腰掛けて、メニューを眺めていた。ココのことを考えれば、あまりこうした動きをするのは得策ではないのかもしれない。食事をしたい、というのが彼女の要望だったので、ひとまずここには来てみたのだが。
そのココは、見よう見まねでイチロー同様にメニューをじっと眺めている。近視というわけでもないだろうに、顔とメニューの距離は異様に近い。ときおり、メニューを逆さまにしたり、その表面を指でなでたりしていた。
「そこに載っているものと同じものを食べられる」
イチローは説明した。
「ココは、肉や魚をあまり食べないと思うんだけど。野菜や果物の方が良いかい」
「甘いものが好き」
「ん、見た目で気に入ったものはあるかい」
「これ」
ココの返答には少しだけラグがあった。翻訳エンジンを通しているためだと思われる。
彼女が指し示したのはメニューの裏面に記載されているスイーツであった。やや遠巻きに、こちらを物珍しそうに眺めていたティラミスを呼び、『ティラミスを2つ』と注文する。彼女は一瞬動転した後に『かしこまりました』と言ってそそくさと引っ込んだ。
「歩くことには慣れた?」
「とても難しい」
イチローの問いに対して、彼女は大真面目な顔で応じる。
「足だけは危険」
「ココは歩くときに少し前かがみになっている気がするかな。背中を伸ばせばもう少し楽になるよ」
「後で挑戦?」
「君がそうしたいならね」
エスコート自体はいつものようにやればいいと考えてはいたが、ココとの会話はほぼ手探りのようなものだ。彼女のボキャブラリーは、意思疎通に困らない程度ではあるが、決して豊富なわけではない。物事に対する良い、悪いを伝達することはできるが、それがどれほどのものなのかという形容詞は、ココはほとんど使ってこなかった。
この感覚は、ローズマリーと会話したときとよく似ている。彼女は語彙に関してはそれなりに豊富だったが、物事を抽象的、象徴的に理解する能力に欠けていた。そうした点はココとは正反対だが、会話の難しさは同じようなものだ。
ローズマリーか。今、彼女のことを考えるのはナンセンスとしても、やはりその動向は気になってしまう。
「イチロー、怖い顔。どうしたの?」
正面に座ったココが、首をかしげながらたずねてきた。
「考え事をしていたんだ。怒っているわけじゃなくてね。怖がらせたならすまない」
「悲しい?」
「それとも違うかな」
イチローは、ココがこちらの心境を把握したがっているのだと気づいて、いつものような長々とした説明を繰り出すことにした。
「理解するのは難しいかもしれないけど、怒っているとか、悲しいとか。そういった言葉だけで表現できないこともあってね。人間の言葉って万能じゃないしさ。ココも、自分の気持ちを相手に伝えることが難しいと感じたことはない?」
「言葉が少ない」
「使えるのは2000語くらいだっけ。でも、君を見ていると、それだけで充分なのかなと思うことはある」
イチローは自身の天才性を信じて疑わないわけだが、彼がどのように言葉を凝らし、正確な説明に努めようとしても、結局伝わるのは上澄みの何パーセントかでしかない。それを考えると、ココのようにシンプルなボキャブラリーで2単語会話を行う方が、よほど純粋な意思疎通ができるのではないか。
「食べたあとはどこへ行こうか」
「どこへでも。良いところ。あなたの好きなところ」
「じゃあ森に行こう。すごく良いところなんだ」
会話のさなか、レストランの扉が開く。店内に客の姿はまばらであり、やはりこの日この時間に扉が開くと、どんな好き者が来たのだろうと視線を向けてしまう。直後、黒いコートを翻しながら来店した少年と、イチローはばったり視線を合わせた。
「あれは……」
イチローもこの時ばかりは、ひとまず通例に従う。
「キングキリヒト」
「なんだ、おっさんか」
キングは普段のふてぶてしい態度のまま、つかつかと店内へ入ってくる。ここに来たからには食事目的なのだと思われるが、ティラミスの案内を待たずに彼はこちらまで来て、同じテーブル席にどっかりと腰を降ろした。傍若無人な話である。
ココが怯えるようであれば、例えキング相手でも強硬な態度を見せるつもりはあったが、彼女としてはどうもこの少年の物珍しさが勝ったらしい。床にまでつきそうなアクセルコートの裾を掴んで、まじまじと見つめている。
「ご飯でも食べに来たのかい」
「そうだよ。お昼ご飯が、そうめんの通算記録22日目に突入してさ。新記録だよ。エビフライが食べたいって言うんだけど、作ってくれなくて。だからここに来た」
キングは、裾を引っ張るココを邪険に扱うでもなく、彼女をちらりと見てから言葉を続けた。
「この人だれ? おっさんの彼女?」
「そういうわけじゃないけど、でもデート中ではあるかな」
「あぁ、邪魔だった?」
「今はまだ邪魔じゃないよ。ココも君の服が気に入ったみたいだから、せっかくだし一緒に食べよう。おごるよ」
「まぁ、カネならおっさんに負けないくらい持ってるけどな」
ココの、通常のプレイヤーではあまり見られない振る舞いを、キングはじっと眺めていた。イチローはそれを咎めるつもりは、特にはなかった。こう見えてこの少年の人間性を、イチローは信頼している。より正確を期すならば、それは信頼といよりも、単なる変人同士の共感であったのだが、そこの追及はナンセンスだ。
「変わった人だな」
キングはそれだけ言う。
「客観的に見れば、僕も君も変わった人らしいし、まぁ別に良いんじゃない」
「別に良いよ。オレ、変わってるからってイジるとか、そういうの、ねーなって思うし」
そのままティラミスを呼び、以前と同じ、エビフライとハンバーグ、そしてオムライスを注文した。メニューを閉じて、ちょっとうんざりしたような顔で溜め息をつくキング。
「何かあったのかい」
「最近、中央魔海でレベル上げしてんだけどさ」
待ってました、ではないだろうが、割と逡巡もなくキングは言葉を切り出した。
「もうすぐ新しいイベント始まるだろ。あれの下見でいろんなプレイヤーが来るようになっちゃってさ。ひと気の少ないところとかが、好きだったんだけどな」
「ああ、その件か」
イチローはこのあと、ランカスティオ霊森海の深奥部にココを案内するつもりだったが、そこにも多くのプレイヤーが足を踏み込んでくるとするならば、あまり理想的なデートスポットではないかもしれない。いつもに比べて賑わいの少ないこのメニーフィッシュで、現代人らしい普通のデートを楽しむのが、選択肢としては無難であるのだろうが。
イチローはちらりとココを見る。彼女も顔を上げてイチローを見て、ひとことつぶやいた。
「良い」
「何が?」
「この黒いもの」
心なしか、ココの瞳が輝いて見える。キングはぎょっとして身を引いた。
「おい、やらねぇぞ。これレアいし高いんだからな」
「お金ならいくらでもあるけど」
「そういう話をしてんじゃねぇよ! イヤミな金持ちか!」
「そうだよ」
アクセルコートをはじめとした、特殊効果付きのコート系装備は、レアリティが非常に高い。加えて値段も高い。この場合〝値段〟というのは、要するにグラスゴバラで製造してもらう場合の相場だ。コート系装備はMOBがドロップした設計図から、生産職プレイヤーに製造してもらうことでしか入手できない。作成難易度も高く、結果として足元を見られることが多い。
それを平然とほしがるのだから、まぁいい度胸である。
「仕方ないな。じゃあドロップするMOBの出現場所でも教えて欲しい」
「自分で取りに行く気かよ。レアいっつってんじゃん」
「ナンセンス。僕は運も良いんだよね。レアドロップ率上昇の課金サービスは常に適用しているし」
キングは小さく溜め息をついて、ぼそっと答えた。
「〝死の山脈〟の奥地だよ。アクセルゴートっていうヤギみたいなやつがたまに落とす。あんまデートスポットには向かねーと思うんだけど」
「ま、それはココが行きたいと思うかどうかで決めよう。料理、来たよ」
最強プレイヤーと準・最強プレイヤーの会話を遠巻きに眺めていたティラミス(プレイヤー)が、ようやく料理アイテムの載ったトレーを運んでくる。卓上に置かれるティラミス(スイーツ)を見て、ココはキラキラとした表情を見せる。言葉数は少ないが、感情表現は割合に豊かだ。
「じゃあ、いただきます」
キングがそう言って手を合わせる。
このあと、引き続き楽しい会食となるわけであるが、イチローはまず、ココにフォークの使い方から説明してあげなければならなかった。




