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VRMMOをカネの力で無双する  作者: 鰤/牙
『ココ』編
75/118

第七十三話 御曹司、論文を読む

いつもの半分くらいの文量で(ry

 その日、苫小牧伝助は、知人である発達心理学者からの相談を受けていた。

 苫小牧は、学界では割と名を知られた脳神経科学の権威である。日本の最北端、極寒の地である網走に研究施設を構え、人前に姿を出すことは少なく、自らの身体を実験台にしてまでただひたすら研究に没頭する奇人。科学者としては、まぁ正しい姿勢ではあるかもしれないが。


「どうしても、〝彼女〟の願いを叶えてあげたいのです」


 その学者は、真剣な面持ちでそう訴えた。


「難しい要求であることは承知しています。が、博士の研究成果や、仮想現実世界という限定された状況を使えば、それも不可能ではないと思っています」

「確かに、」


 苫小牧は、骸骨に皮を貼り付けただけのような貧相な顔に穏やかな微笑を浮かべ、コーヒーを口に運んだ。


「確かに、不可能ではありません。まだまだ研究途上ではありますが、実用化するには問題のないレベルです」


 およそ1年に渡る長い研究生活の成果は、最近になって目に見える形で完成されつつある。技術だけが先行して市場に出回りつつあるバーチャル・リアリティだが、苫小牧はこれらの科学技術を、もっと医学的に役立てることも可能だと考えていた。体感ドライブ機能は、使用者の脳波を読み取る。現実世界では意思疎通も難しいレベルの末期患者であっても、仮想世界を通してならばそれが可能だ。臨床心理学の発展にも大きく寄与できると考えている。

 もちろん、一定の技術的課題をクリアする必要はあった。ただ、苫小牧の研究は、その課題を既にクリアしつつある。完全ではない。ただし、話を聞く限りにおいて、〝彼女〟を仮想世界に招致することには、何の問題もないように思えた。


「ですが、問題は別にもあります」

「と、言いますと……」

「いわば、〝彼女〟は箱入り娘のようなものでしょう。このあたりについては、私よりあなたの方が詳しいとは思いますが。多くの人々が行き来する仮想世界においては、〝彼女〟を正しくエスコートできる人間が必要になります。その正体を知った上で、先入観や差別意識を抱かず、普通の人間同様に接することができる人です。私やあなたは、その条件を満たしていると言えば、いますが……」


 苫小牧の言葉の意味を、その心理学者は噛み締め、理解した。仮想現実世界。電脳上で共有できるものとした場合、その選択肢はほぼひとつしかない。この日本において運営される、いわゆるVRMMOと呼ばれる類のゲーム。その中で、〝彼女〟を悪意や暴力から守るために、数値的な強さも必要になる。ヘビーユーザーでなければならないのだ。


「私も1年にわたるプレイでそれなりに強くはなっていますが、〝彼女〟をエスコートするには向きません。運営に打診して、専用のデータを持つエスコート用のアバターを急造してもらうことはできるかもしれませんが」

「……〝彼女〟は、そうした特別扱いを望みません」

「でしょうね。そうしたデータを持つアバターは、それ自体が周囲から好奇の視線を集めますから、あまりおすすめはできませんし」


 心理学者は大きな溜め息をついた。しょせんは、夢物語に近い発想であったのだろうか。〝彼女〟との付き合いもだいぶ長い。その望みは、できる限り叶えてあげたいと、そう思っていたのだが。〝彼女〟の正体を知りつつ、違和感なく付き合いができるヘビープレイヤーなど、砂場から砂金を探すような条件だ。

 だが、苫小牧はのほほんとした姿勢のまま、コーヒーの香りを楽しんでいた。彼は穏やかな微笑をたたえたままに、こう言う。


「実は、そうしたプレイヤーにひとり、心当たりがあります」





 一朗の手元には、先日脳科学会で発表された、苫小牧伝助の論文がある。彼がそれを読んでいるのは、書斎でもオフィスでもなく、リビングルームにおけるアルモニアソファの上であった。くつろぎながら何かをするには、やはりここが一番良い。

 現在、仮想現実技術に使われている脳波スキャンによって、本来意思疎通を図ることが難しい相手と会話を行うことができるようになる。論文の趣旨はそうしたものだった。


 現行の技術においては、『言語を発しよう』という脳のはたらきと、実際に選択された言語をデータ化して、それを対象の脳に送り込むことで会話が成立する。ここに、選択された言語をより純化し、共通する意識のものに翻訳することで、例えば本来は異なる言語を喋る相手との意思疎通も可能となるのだ。それは日本語と英語といったものに限らず、音声言語と手話言語による直接会話も含まれる。


 苫小牧は、そうした翻訳エンジンの基礎を、ほぼ完成させつつあった。夢のある話だな、と一朗は思う。だが同時に危険でもある。言葉による会話は、それが完全に相手に伝わるわけではないからこそ、人間関係が円滑に進む場合の方が多い。より純化された意思疎通に耐えうるほど、人類はよくできた生き物だろうか。


 ま、ナンセンスだな。


「一朗さま、お茶が入りました」

「ん、ありがとう」


 桜子がしずしずと歩き、カップとソーサーを置く。横からちらっと、一朗の手にする書類を覗いた。


「難しそうなもの読んでますねぇ」

「難しそうなだけで、書いてあることはそう難しくはないよ。ただ、表現に関してはややファジーであまり論文らしくはないかな。だから読みやすいんだけど」


 苫小牧の人柄が出るな、とは思う。


「そういえば、一郎さま、聞きました?」

「たぶん、聞いていないと思うよ」

「もう8月も後半戦ですけど。ナロファンで、新しいイベントが」

「へぇ」


 桜子が、ちょっぴりうきうきした様子を見せているので、一朗も視線をあげた。ひとまず論文を脇に置いて、ティーカップを取る。


「複数のフィールドを徘徊する大型モンスターが出現するらしいんですよ。それに併せて新しいMOBも実装されたり、それをみんなで狩ろう! ってイベントですね」

「ざっくりしてるなぁ」

「でも、本当にざっくりしたイベントなんですよねぇ……。ストーリーに絡んでるような気もあんまりしないし」

「ポニー社の意向なのかな」


 一朗も、過去に行われたグランドクエストやイベントについて詳しいわけではないが、今回のようなタイプは比較的特殊なパターンであるように感じられた。桜子の話では、超大型のモンスターがどこかしらで出現し、複数のフィールドを練り歩きながら破壊活動を行っているので、食い止めて欲しいというものだ。話としてはなんだか怪獣映画を彷彿とさせる。


「まぁ、それはありそうですよね……。来月、再来月と、満天堂の携帯ハードからビッグタイトルが立て続けに出ますしね……。意識してるのかも」

「じゃあ、MOBを捕獲して使役できるようになるイベントも配信されるかもしれないね」

「あからさまですけど、ちょっとやりたいですねぇ」


 まぁ、どちらにしてもゲームが盛り上がれば良い。プレイヤーが楽しめれば良い。半月以上ぶりの大型イベントともなれば、トッププレイヤー達にも力が入るだろう。ここ最近レストランばかり運営していた赤き斜陽の騎士団レッドサンセット・ナイツも、おそらく今頃はイベント実装に向けた訓練を始めているはずだ。


「一朗さまは、参加されます?」

「気が向いたらね。桜子さんはしたいの?」

「一回くらい見たいかなーっていうのはありますかねー……」


 おそらく、アバターに伴う危険は相応のものであろう。ヨザクラのレベルであれば、まっとうに挑めるイベントでないように思える。キルシュヴァッサーならともかくと言ったところだが、まぁ彼女は使いたがらないだろうし、桜子ヨザクラが観光気分でイベントを覗いてみたいというのであれば、まぁ、一朗イチローあたりが連れてってやるのが一番早い。彼女としてもそれはわかっているが、あまり無遠慮なお願いはしたくない、といったところか。


「ま、気が向いたらね」


 一朗はそう言って、再び論文に目を向けた。


「脳科学系の論文読むなんて、珍しいですね。一朗さま」

「ちょっとお願いされたことがあってね。引き受けるかどうか、吟味しているとこ」

「お仕事ですか?」

「仕事にしても良かったんだけど、これは無償でやるつもり。イベントの方に顔出せるかわからないのは、こっちがあるから、っていうのもあるね」

「どんなことされるんですか?」


 一朗は、書類をめくる手を止めて、しばしの間天井を睨んだ。桜子の問いに対して、もっとも正しい回答を見つけ出すまで数十秒。じっくり考え込んだ後、割と真面目な顔でこう言った。


「デート」

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