第七十二話 御曹司、慰める
大反省会は、メニーフィッシュにあるPC運営レストラン〝夕暮れ亭〟で開かれた。言うまでもなく、赤き斜陽の騎士団を母体として経営されている。ギルドスポンサーから提供を受けた食事アイテムの他に、団長自らが持ち前の《料理》スキルでこしらえたビーフストロガノフもメニューに並ぶ。それなりにスキルレベルを上げているとは言っても、基本は攻略・戦闘重視ギルドのリーダーということもあって、味の方はお察しであるのだが。ストロガノフは『現実の俺ならもっと美味く作れるんだ』と何度も念を押していた。
参加者はツワブキ・イチローを筆頭に、ヨザクラ、アイリス。芙蓉めぐみとあめしょー、マツナガ。更にはキングキリヒトに加えて、なぜかエドワードまでひょっこり顔を出しているという様子で、ナロファンのヘビーユーザー、あるいはマツナガのブログの読者ならば思わず2度見をしてしまうような構成となっていた。イチローはユーリ達も誘ったのだが、アイリスが自分たちと顔を合わせづらいだろうという理由で断られてしまった。友人思いである。
悲喜こもごもである。と言っても、ヨザクラ、アイリス、キングあたりにのしかかる陰鬱な空気はどうにも払拭しがたく、うきうきした表情を浮かべる芙蓉やあめしょーは、お通夜の中空気を読めずに騒ぎ立てる親戚の子供みたいな存在となっていた。
キングとエドワードがアイリスのメイド忍者に投票したことを考えると、この場においては票数2対1でアイリスブランドの勝ちである。まったく意味のない仮定と言えば、そうだ。
「みんな、好きなものを頼むと良いよ」
イチローがそう言うと、一同はメニューとにらめっこを始める。
「はぁ……」
最初に溜め息を漏らしたのは、まずはアイリスであった。ファッション対決は、アイリスブランドの敗北に終わった。たった一票差とは言え、覆し難い事実である。プロのファッションデザイナーに勝負を挑んで、よくもこもまで競り合ったと褒めることは簡単だが、少なくとも彼女は勝つつもりだった。中途半端な慰めは何の足しにもならない。
その一票が、よりによってイチローの手で、というのも、彼女にとっては根深い問題と言えた。ここで『アンタがこっちに投票していれば!』と食ってかかることのナンセンスさは、アイリスも理解できる。それを裏切りなどと謗るつもりもない。ただまぁ、やはり割り切れないものはある。
「健闘したと思うよ」
イチローはそれだけ言った。世辞やおべっか、嘘をついてまでのフォローに意味があるとは、彼は考えない。いや、意味がないとまでは言わないが、少なくとも彼の口から発せられる場合に限っては、やはりナンセンスだ。
「どっちかというと、自己嫌悪の方が強いわ」
アイリスはぼそっと言った。
「ヨザクラさんにもあんなカッコさせて……それで最後負けちゃうんだから、もう救いようがないっていうか……自分で自分をフォローできない感じ」
「いえ、私は……」
ヨザクラの衣装はメイド忍者のままである。さすがにハダカフォームではないが。ここで着替えてしまっては、負けと恥を同時に認めるようなものであって我慢がならない、といったところだろうか。これを着ているのはあくまでも自分の意思という、彼女なりのささやかなフォローでもあった。アイリスは気付けていないが。
まぁ、この場に立ち込める悲喜の感情の原点は、突き詰めればアイリスの行動に直結する。誰にとっても他人事ではなかった。皆一様に、何かしらアイリスへのフォローを考えるが、そうそう口にできるものではない。
「勝者の立場から言わせていただきますけれど、」
最初に言葉を発したのは、芙蓉めぐみである。いきなり穏やかではない切り出し方に、少しだけ緊張が走った。
「その発想はわたくしの勝ちも貶めますわよ。ゲーム内マーケットを調査して、いちからデザインし、生み出したものに勝負を挑んできたのはあなたでしょう? アイリスさん、あなたの服に投じられた1231票と、あなたの作ったものに対しては、きちんと責任を持ちなさい」
「大人気なく喧嘩売っといてよく言うにゃー」
「うっ……、け、喧嘩は売りましたけどっ。いや売っていませんわ! 勝利宣言しようとしたらアイリスさんが!」
勝利宣言しようとする時点で喧嘩を売っているという点については、誰も触れなかった。
「と、ともかく! 今回はわたくしが勝って、一朗さんの支持も頂けて大勝利ですわ。でもアイリスさん、あなた地力とガッツは、認めて差し上げてもよろしくてよ」
「1票差で勝った人のセリフとは思えないにゃー」
「いちいち揚げ足を取らないでいただけるかしら!」
エドワードがイチローに『支持したの?』とこっそりたずねると、彼はあめしょーの衣装をじっと眺めたあと、『嫌いじゃないよ』とだけ言った。嘘をつくような男でもないのでそれは事実なのだろう。まぁその言葉がどれほどの〝好き〟の度合いを示すかはわからないし、それによって芙蓉のピエロ率も変わってくるのだが、ひとまずそこは本題ではない。
芙蓉は小さく咳払いをした後、ひとことも発さないアイリスに対して、フォローの言葉を続けた。
「センスに関しては……まぁ、才能の有無はひとことで言えませんし、わたくしもまだまだ勉強しなければいけないところがありますから、一概に善し悪しを言えないのですけれど……。それでも、一定量の支持を受けていたのは事実ですし……」
「ああ、水着のデザイン自体は僕は好きだよ。布面積が少ないとは思ったけどね。あれはカゲロウの翅かな」
イチローの発言はあくまでもマイペースである。
アイリスは、芙蓉の言葉を反芻し、飲み込むのにどうやら時間を要しているようだった。しばらくしてから、彼女はようやく発言することができた。
「なんか、いろいろ納得行ってないこともあるんだけど……でも、自分の作ったデザインに自信を持たなくちゃいけないっていうのはわかったわ。そりゃあ、そうよね。当たり前だわ。負けたのは悔しかったけど……。芙蓉さんの場合はあめしょー人気もあったし……」
「お、おっしゃいますわね……」
「あ、いや、もちろんその、誰をモデルにしても本人が一番可愛く見えるようなデザインをするんだろうなぁっていうのは思うけど」
このあたりで、ようやく落ち着いてきたのだろう。アイリスにも言いたいことはあるようだった。それは、誰かに対する口撃というよりは、単純に自分自身に対する愚痴のようなものであったが。
「やっぱり、御曹司の一票でひっくり返されたってのが、理不尽だけど因果だわ。わかってたのよね……、御曹司があまり好きそうなデザインじゃないって」
「そうだね、僕はもう少し落ち着きのあるデザインが好きだよ」
「わかっちゃいたし、御曹司に一票もらえるようなデザインだったら、ここまで票が集められたかわかんないし……。なんかこう、にっちもさっちもいかない感じよね」
遠い目をしてしまったアイリスだが、落ち込んでいるわけでも自暴自棄になっているわけでもない。ただ言わずにはいられなかったといった様子だ。イチローは、ウェイトレス代わりのティラミスによって運ばれてきた(給仕服ではなくいつものセレスティアルアーマーだった)水に口をつけて、このようなことを言う。
「以前、アイリスは、次は僕じゃなくて世間をアッと言わせるような防具を作るって言っていたよね」
「言った……、ていうか今でも思ってるわよ」
「ん、結構。僕もそれに賛同したから、この結果は良い結果だと思っている。大多数の人間の総意によって決まった勝敗は、参考にするべき点こそあっても勝敗自体に意味はないからね」
捉えようによっては、この一週間の激闘をまるごとナンセンスにしてしまうような暴言であるが、取り立てて他の列席者がそこを気にした様子もなかった。
話題の途切れ目である。ハイドコートを着たエルフが、水に口をつけてから身を乗り出す。
「いやぁ、しかし、俺も見てみたかったですよ。ヨザクラさんのハダカ」
「うわぁー、マツナガ正直だにゃあ」
如何にもな美形のエルフには正直そぐわない言動だが、彼の軽薄な笑みには実にマッチしていたか。あめしょーはケタケタ笑うだけであるが、芙蓉は何か汚らわしいものを見るような目をしていた。当のヨザクラは、柔和な笑顔を引きつらせている。
「キングが一票入れちゃうくらい刺激的だったんでしょ?」
「うるせー」
キングが吐き捨てるように視線を逸らした。
「オレ、もうぜってぇマツナガさんの誘いにはのらねぇ」
「まぁ、そこはキングの勝手だけどさ。俺が審査員に呼ばなかったらエロには屈しなかったみたいな言い方はよくないね。自分の中にあるエロを認めるところから思春期は始まるんだよ」
「オレまだ思春期きてねーし」
彼がさらりと吐いたひとことは、割ととんでもない事実であったように思える。エドワードを含むアラサー組は、鳩が対物ライフルを食らったような顔をしていた。キングにおっさん呼ばわりされているイチローは、さもありなんと言うように肩をすくめている。この場の最年少記録をあっさり塗り替えられて、あめしょーもちょっぴり憮然としていた。
「まぁ、あの裸体は防具のデザインだから、じっくり鑑賞したいなら自分で着てみてギミックを発動させれば良いんじゃない」
「そんな質の悪いアイコラみたいな真似やれってんですかね」
この後も年齢の話題を引っ張るつもりにはなれず、イチローはマツナガに別の話題を振る。
「で、今回の展開は君の仕込み通りだったのかい、マツナガ」
「それは俺の心の中に留めておきましょうか、全部俺の思い通りだったら、ツワブキさんも気分よくないでしょ?」
「ナンセンス。君がどう思っていようと、僕は僕のやりたいように動いたよ。それを予測されていようといまいと関係はないかな」
「あのー……」
テーブル脇でずっと待機していたティラミスが、おずおずと声をかけてくる。
「ご注文、決まりました……?」
「おっと」
その言葉で、一同は再びメニューとにらめっこする。何せ、すかいうぉーかー系列の人気メニューがひと通り並んでいるという充実っぷりなのだ。選択肢の幅も広すぎる。キングキリヒトだけは、メニューを流し見ただけで、最初から決まっていたようにこう言った。
「エビフライとハンバーグプレート。あとオムライス」
「うわっ、チョイスが子供!!」
アイリスが思わず叫んで、キングに睨まれる。
「じゃああんたはどうなんだよ」
「んーとねー、銀ダラの粕漬け定食。小鉢は茄子のミゾレ和えと、高野豆腐と小松菜のおひたし」
「おっさんかよ」
「ぼく、ペスカトーレ」
一同が思い思いのメニューを言っていく中、ひとりだけが浮かない顔をしている。その表情を見せたのはあくまでも一瞬で、彼女はすぐ笑顔に戻ったのだが、どこか晴れない表情ではあった。イチローは、そんなヨザクラを横目に見ながら、メニューのオーダーを口にした。
その日、イチローとヨザクラは早めにログアウトした。桜子には家事の続きがほんの少しだけ残っていたし、一朗の場合は、まぁいつもの気まぐれだ。何かしらのタスクが残っていたわけではないので、室内プールで少し泳いだあと、イチローは書斎でパソコンをいじっていた。ここ数日誤作動の多かったマンションのセキュリティシステムに異常はない。
このツワブキパピヨン、単なる高級マンションとしても過剰なまでの防犯設備と堅牢性から、何かしらトラブルを抱えがちな著名人に人気の物件である。ただ、防火シャッターが勝手に降りて動かなくなったり、エレベーターがうんともすんとも言わなくなったりすることが、この数日たびたびあって、管理会社による総点検が行われた。それ以来、異常らしいものは確認できていない。
誤作動か。機械の怖いところではあるな。
五感を断ち、電脳上の仮想空間に魂を委ねる体感ドライブは、今なお多くの人間が疑問を抱いている。その安全性が実証されているとは言えだ。それが正常な反応であるとは思うが、事故というのは得てして、人々が違和感を覚えなくなった頃に起こる。DFOのような、デスゲームが起こるとまでは思わないが。
「一朗さま、コーヒーをお入れしました」
「ん、ありがとう」
家事にひと段落をつけた桜子が、トレーを持ってオフィスに入ってきた。手慣れた手つきと恭しい仕草で、一朗の手元にカップを置く。危なげなどないし、いつもと変わらぬ桜子ではあったが、一朗はそれでも聞いた。
「今日のこと、気にしてる?」
ぴたり。桜子の動きが止まった。おそらくは、否定の言葉を考える時間があったと思われる。それでも、妙な取り繕いは無駄であると悟ったのか、わずかな逡巡の後に頷いた。
「割と。アイリスのデザインが悪かったというつもりはないんです」
「聞こうか」
「んー、やっぱり自己嫌悪なんでしょうかね……。まぁ、アバターのハダカをご開帳しちゃった件自体については、私も悪ノリしたなぁって感じなんですけど、その……」
桜子は目を泳がせた。一朗は、カップを手にとって彼女の言葉を待つ。
「ここ最近、一朗さまの意に沿わないことばかりしているのが、不甲斐なくて……」
「僕にそっぽ向かれっぱなしでテンション下がっていると」
「そんな芙蓉さんみたいなことまでは言わないですよ? でも当たらずともですかね。テンションだけが先行して恥を残しちゃった感じ。まぁ、明日になれば忘れてると思います。ヨザクラも私はお気に入りですし、カネの暗黒面に比べれば傷は浅いですよ」
「ん、そっか」
一朗は時計を見た。なんのかんの言いつつ、時刻は6時を回ろうとしている。ゲーム内で得られた満腹感も、徐々に薄れつつあった。最近は食事も簡素なので、この時間でも桜子はキッチンに立たないことの方が多い。
一朗の視線に気づいたか、桜子がたずねてきた。
「おゆはん、どうしますか?」
「桜子さんはなにが食べたい?」
「そうですねぇ。高級和懐せ……ハッ」
相当油断していたのだと思われる。彼女がヨザクラもかくやというほどに顔を青ざめさせてから、頭を下げるまでに瞬速の0.2秒。次元大介の早撃ちと勝負ができる。
「キャベツの芯でもかじってます!!」
「ん、良いよ。今夜は懐石にしよう。赤坂に良い店があるんだ」
「へっ……」
一朗は席からコーヒーを飲み干した後、立ち上がった。彼の言葉の真意を理解できず、桜子は目をしばたたかせる。その間にも、彼女の主人はすたすたとオフィスの出口に向かった。
「本当はもっと前から予約が必要なんだけど、まぁ間に合わせてもらおう。ただ、メイド服では入れてもらえないと思うから、着替えてきて欲しい」
「え、あの……っていうか、良いんですか?」
「ま、たまにはねぇ」
そう言う一朗の手には、既に車のキーがあった。リンカーンではなく、青いケーニッグセグのものである。
「運転は僕がしよう」
「あの、一朗さま……。まさかとは思うんですけど……」
「なんだい」
桜子は、一朗のデスクからコーヒーカップを片付けつつ、おずおずとこのようなことをたずねる。
「ひょっとして、私が落ち込んでるから、優しくしてくれてるんですか?」
一朗はふっと笑ったあとに背中を向けて、オフィスのドアに手をかけて言った。
「ナンセンス」
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○ 勝った人のセリフ




