第七十一話 御曹司、ひっくり返す(2)
ナローファンタジー・オンラインには、ギミック装備というものがある。特定のアーツの使用や自動発動スキルの効果中など、条件を満たすことで外見が変化する武器や防具のことだ。ハイドコートやアクセルコートなど、特殊効果を持ったいわゆるコート系装備もこれにあたり、例えばキングキリヒトの装備するアクセルコートは、専用効果である加速機能を発動させると、コートの表面に幾何学的な模様が浮かび上がる。
まぁ、凝った見た目を持つだけあって、ギミック装備はそうした特殊効果持ちが主流だ。その中でも、極めて生産難易度の高い防具として、〝インセクトアーマー〟シリーズがある。NPCショップやモンスターのドロップから得ることは不可能であり、極めてスキルレベルの高い生産職プレイヤーがいなければ入手することはできない。NPCショップのリストに設計図が並ぶ条件も難しく、大抵のプレイヤーにとっては挑戦すること自体が厳しい。
で、このインセクトアーマー。基本的にはランカスティオ霊森海の深奥部に生息する昆虫系モンスターの素材を使用し、ギミックに〝羽化〟が盛り込まれている。通常はサナギや幼体をモチーフとした鎧であるが、装着者が特定のモーションを取ることで成体をモチーフとした形状に〝変態〟する。このギミックがまぁ一部の男性プレイヤーにはウケた。
ヨザクラのメイド忍者コスのうち、一番上に着るエプロンドレスの素体に、このインセクトアーマーの一種を使用している。手甲のスイッチを押し込み、コマンドワードを唱えることで、エプロンドレスは真の姿を現す。キャストオフ! 超力招来! クロスアウト!
輝くイナズマがヨザクラの身体を撃つ。同時に、エプロンドレスを構成するポリゴンが荒く砕け散り、破片を散らした。全身に纏わりつく電撃エフェクトを片手で振り払うと、ヨザクラの〝羽化〟が完了する。
陶磁を思わせる薄白い肌が、白日の下に晒された。すらりと伸びた手足に比して肉付きは良く、丸みを帯びた女性的なシルエットラインは実に艶やかだ。パステルグリーンの布地は表面積が少なく、ヨザクラの健康的なカラダを顕示する。口元から首にかけてを覆うマフラーは風にたなびき、肉体に比して表情を覆い隠しているために妙なアンバランス感があった。
ハダカ! 全年齢向けであるナロファンにおいて表現の限界は存在するものの、観衆の視線は一斉に水着マフラーのヨザクラへと注がれた! ビキニ、パンツ、マフラー、いずれのデザインも昆虫の翅を申し訳程度に意識しているのがわかる。確かに、虫が薄翅を広げた姿に見えないこともない。
「あ、モチーフはカゲロウよ」
聴衆にとっては何の価値もない情報を、アイリスが語った。確かに、所在なさげに視線を彷徨わせ、立ち尽くす姿はカゲロウのように儚げだ。
「これは凄いものを出してきたねぇ!」
「感動した!」
司会の芸人氏とパルミジャーノが、それぞれの正直な感想を吐露した。おそらくそれは、大多数の観衆にとっては真意を代弁するものであったことだろう。架空のアバターとは言え、均整の取れたプロポーションは、今や薄布一枚を隔てて外の空気に触れている。呼吸によって循環器系を出入りする酸素は(このゲームに呼吸の概念はない)、ヨザクラの肉体に触れたものと共有しているのだ! 静かなる熱狂が観衆の心をひとつにした。こいつら気持ち悪いぞ!
「下品だわ」
眉をしかめた芙蓉の言葉もまた、真実であったことだろう。下品である。アーティスティックな魅力はあるが、まぁ下品である。審査員席に座る聖女ティラミスもドン引きしていた。この男女の反応格差である。唯一あめしょーだけはヨザクラの〝覚悟〟を賞賛し、にこにこ笑いながら拍手を送っていた。
「キングキリヒトくん、アレはどう思う?」
「ど、え、ど、どうだって良いだろ。狙いすぎっつーか、その……」
王者は決して目線を合わせようとしなかった。純なのである。
自分自身のものではないにせよ、衆目に裸を晒すような錯覚は、ヨザクラにとって穏やかなものではない。当然だ。羞恥が表情に浮かび上がらないのは、単純に魔族に赤面グラフィックがないことと、口元を覆うマフラーが表情を読み取りにくくしていることに起因する。
だが、どうだ。この反応は。会場の大半が男であるということを差し引いても、結果は上々ではないか。あめしょーが壇上に上がった時のような雄叫びは上がらないものの、観衆の評価は概ねよろしい。あめしょーの人気に、拮抗しうる力! 〝聞き込み調査〟によって得られた『大衆が求めるもの:エロ装備』という結果報告は正しかったのである。仮投票の票数がグングン増えていった。
「しかし、解せんな」
審査員席に腰掛けたストロガノフは、相変わらずの大仰な物言いでそう言う。
「如何にグラフィックを自由にできるとは言え、このゲーム、〝裸〟というものは存在しないぞ。一番下にはインナーのグラフィックがあるし、それにしたってここまで露出は高くない。何より、エプロンドレスの下には鎖帷子を着込んでいたんじゃなかったのか?」
ゲームシステムに関わる、実にゲーマー的な視点からのツッコミであった。彼の言う通り、このゲームではすべての衣装を脱ぎ捨ててスッポンポンになることなどできはしない。一番下に着込んでいるという設定のインナー服にも、今回のカゲロウビキニのような過剰な露出はない。
だがアイリス、ここで胸を張るのである。
「ちょっとネタばらしをするとね、このカッコ、ヨザクラさんのカラダも含めてあたしの自作なのよ。鎖帷子とかはちゃんとこの下に着てるわ」
「えー、それってつまり肉襦袢ってこと?」
「ヤな例え方ねぇ」
あめしょーのツッコミに顔をしかめるアイリスだが、否定はしなかった。そう、この姿は決してハダカなどではない。〝ハダカのように見える服〟なのだ。初期案ではビキニすらもなかったのだが、運営に怒られるという理由で胸と股間を隠す温情を得ることができた。
だがそんな事実、ヨザクラにとっては何の慰めにもなっていない。アバターの姿がハダカに見える以上、それはハダカなのである。服を着てるんなら良いじゃん、というつっこみは、そもそも晒されている裸体が扇桜子のものではないという時点で、ナンセンスなものとなる。そんな事実だけで気が晴れるなら、ヨザクラだってこんなに悩みはしなかった。
「げ、下品だわ」
芙蓉はもう一度つぶやいた。まるで自分自身が下品であるという判断をくだされたようで、ヨザクラもちょっとヘコむ。
「アイリスさん、流石に媚びすぎじゃあありませんの?」
「市場のニーズに擦り寄ることと、媚びることに違いなんて、あたしにはわからないわ。芙蓉さん、ここは、あなたがいる世界、あたしが目指している世界とは、ちょーっとマーケットが違うのよ」
挑発する時とも違う、実に神妙な顔でアイリスは答えた。
「あたしが言えるのは、あなた達に勝つために全力を出したってことだけよ。このハダカ装備だってねぇ……! 大変だったんだから! 肌の色をヨザクラさんに合わせたり、物理演算ボーンっていうやつ? あれ、仕込むの! どこに仕込んだとは言わないけど!」
「マフラーとかです」
何しろ3Dグラフィックは自作である。本業がアパレルデザイナー(志望)であるとは言え、最近はすっかり彼女もモデラーとしての知識、技能を増やしつつあった。もとからちょっとかじっていた程度の分野ではあるのだが。
ともあれアイリスの吐き出した言葉に嘘はない。媚びすぎと言われようが、市場の要請に応じて彼女なりの全力を出した結果がこれであれば、悔いなどは決して残らない。アイリスのデザイナーとしての矜持に傷がつくとすれば、それは自分自身に妥協して手を抜いた時だ。
「あたしは、自分の誇りに恥じ入る部分なんかひとつもないわ!」
「結構なことです。アイリス、恥を忍んでいるのはむしろ私なんですけどね!」
アイリスとヨザクラが並んでそう叫ぶのであれば、芙蓉も黙らざるを得ない。親指の爪を噛むように口元に持ってきた彼女は今、何を思い、何を考えているのだろうか。アイリスの言葉を反芻しているのか、それともこちらを軽蔑しているのか。イチローのお気に入りデザインと勝手に結びつけて、脳内で変な数式を編み出していなければ良いのだが。
芙蓉のデザインした衣装は素敵だ。ヨザクラは掛け値なしにそう思う。シンプルなパステルカラーに身を包んだあめしょーは確かに強敵であった。現実世界なら、彼女の作った服を着てみたいとは思う。だが、芙蓉の世界の常識も、ゲームの中にまでは通用しない。
「フヨウ、大丈夫」
何かを必死で考え込んでいる芙蓉めぐみの袖を、あめしょーが引っ張った。
「アイリスは頑張ったし、ヨザクラはかっくいーけど、勝つのはぼく達だにゃん」
そこには、何の焦りも気負いもない。おそらく壇上でもっとも自然体でいるのは彼女だろう。ファンの間で〝天使〟と囁かれるあめしょーの微笑みは、ごくごく当たり前な自信に満ち溢れていた。ハダカのヨザクラが圧倒される風格は、とても15歳の少女が放つようなものではない。それを成すのは年齢詐称か魔性のカリスマか。まぁ後者だと思いたいが。
「大層な自信ですね。根拠はないようですが」
「ヨザクラは自信を持つのにコンキョとかウラヅケが必要なタイプかにゃあ? そーゆータイプって折れると脆いんだヨ?」
あめしょーはニヤッと笑った。
「ぼく達、勝つヨー。フヨウの服と、ぼくの魅力、合わせればサイキョーってのに理由はいらないでしょ?」
「私達だって負けません。ベストを尽くして、全部さらけ出して、あとは結果がついてくるだけです!」
かくして、壇上で2人のモデルがにらみ合う。観衆のざわめきが、こちらにまで伝わってきた。審査員席で、そろそろ退屈を持て余し始めた騎士団員達が解説ごっこを始めている。『この勝負、荒れるな……』『圧勝で終わるかと思ったが』『どちらも魅せてくれますね』『しかし、勝利を収めるのは……』『ああ、間違いない』。相変わらずちっとも身の入ったことを言ってくれなかった。キングキリヒトは必死に視線をそらしながら、ちょっとだけヨザクラを見ている。青少年の精神的成長に著しい阻害を与えないかだけが懸念されるところだ。
張り詰めた緊張感が砕け散るかどうか、という頃合になって、ようやく司会進行の芸人氏がマイクを取り、状況を感じさせない明るい声音でこのように告げた。
「じゃあ、そろそろ投票をはじめようか!」
ついに来た。運命のジャッジタイム。ヨザクラもつばを飲み、アイリスも表情を険しくする。芙蓉だって同じだ。あめしょーだけがのほほんと笑顔をたたえていた。小さな大物。傑物である。
仮投票の数値がリセットされ、再び観衆たちの前にパネルウィンドウが表示された。ステージの大型ディスプレイを祈るような気持ちで見つめる。何の前触れもなく、あっさりと集計は始まった。アイリスブランドとMiZUNO。どちらもぐいぐいと数字が伸びる。アイリスブランドの票数は、先ほどとは比べ物にならないほど伸びがいい。いけるかもしれない。ヨザクラはぐっと拳を握った。
だが、MiZUNOとあめしょーの安定感はさすがと言えた。勢いを増してめまぐるしく回転する数値は、こちらにも決して負けていない。両者、やがてカウントの動きが緩慢になり、票数が伸び悩み始める頃には、数値はほぼ完全に拮抗していた。
届け、届け、という思いは、既に競り勝て、競り勝て、に変わっていた。だが、無情にも集計はストップしてしまう。会場の誰もが、それぞれの思いを抱えているであろう中、ディスプレイに表示された数字は、高らかに読み上げられる。
「MiZUNO、1231票! アイリスブランド……1231票っ……!」
「ど、同数……!!」
会場の誰かが叫んだのが、ひときわ大きく聞こえた。同数。まさかの同数である。
「こういう場合、どうなるんですか!?」
ヨザクラが勢いよく振り返り、物理演算ボーンが正しく機能した。
「会場に未投票者はいない……。と、なると、審査員の会議で決まることになるかな。ちなみにキングキリヒトくんはアイリスブランドに投票している。良かったね」
「おい、言うな!」
エロに屈した少年が鬼の形相で叫ぶ。生暖かい視線がキングに注がれた。
しかし、話し合いか。若干こちらが不利ではないだろうか。ヨザクラは唇を噛む。審査員の中でも発言力の高そうなティラミスはMiZUNOに投票しているだろうし、キングキリヒトも今の大暴露を受けて熱い手のひら返しを見せる可能性がある。明確にこちらの味方と言えるのは、騎士団随一の軟派男〝流星〟パルミジャーノ・レッジャーノのみで、これがあまり期待できない。
だが、自身の不利を感じているのは芙蓉も同じであるらしい。苦い顔をしていた。確かに、あちらの視点に立ってみれば、明確に味方と言い切れるのはティラミスだけか。キャストオフによるハダカギミックはともかくとして、ゲーマーであるストロガノフ達がメイド忍者のステータス性能を評価する可能性は捨てきれない。
「あと一票、誰かが投票してくれればそれで決まるんだけどね」
ぼそっ、と口にした芸人氏の言葉は、まるでこれから起こることを予見していたかのようであった。
最初は、やはり観衆のざわめきであった。小さな波紋はすぐに伝播し、会場全体が空のある一点を指差す。海上都市メニーフィッシュ。天気は快晴。見晴らし良好。蒼穹を翔ける光点の存在には、おそらく誰もが気づいたことだろう。かなり高度を超高速で駆け抜ける。壇上に立つプレイヤーは、即座にその正体を理解した。おそらく、芙蓉と司会だけが気づいていない。
「あれは、なんだ!?」
「鳥か!?」
「飛行機か!?」
「いや……」
話す間にも光点は勢いを増し、派手なエフェクトをまき散らしながら、鋭い射角でステージめがけて突撃する。それは一条の光線が放たれるようであった。彼は壇上を滑り、焦げ跡のエフェクトを残しながらも停止する。
「やぁ、僕だ」
《竜翼》をしまって、御曹司ツワブキ・イチローはそう言った。
大遅刻! もう投票を締め切ろうというこのタイミングでの重役出勤である。会場の反応は様々であったが、『通りで静かだと思った』という意見が大半を占めた。審査員席の反応も似たようなものである。アイリスブランドのメンバーであるとは言え、発表者でもモデルでもない〝一介のプレイヤー〟であるイチローには、会場に足を踏み入れている以上は投票権が与えられる。それを示すかのように、パネルウィンドウが正面に踊っていた。
「イチロー様……」
「お、遅かったじゃない……」
ヨザクラとアイリスは、それしか言うことができない。
「一朗さん……」
「ツワブキぃ、さっきはありがとー」
芙蓉とあめしょーの反応もこんなものだ。特に芙蓉めぐみは、このタイミングでのイチローの登場に、すぐに顔を伏せてしまった。何もここで出てこなくても。彼女の心境はそんなところだろうか。ここに圧倒的票差を見せつけることができていれば、芙蓉ももう少し虚勢を張ることができていたかもしれない。自身の優位性を盾に、そんなものは何の意味もないと知りながらも、イチローに対して胸を張ることができたかもしれない。
勝敗は決したようなものだった。まさか最後の一票が、イチローの手で投じられることになろうとは。イチローは、ステージ上のディスプレイを眺め、目の前のパネルウィンドウを眺め、そして次に、ヨザクラとあめしょーを交互に、わりとじっくり眺めた。ヨザクラは思わずマフラーに包まりたくなる。
彼も状況は察したようだが、それでもあえて口にした。
「僕が投票してしまって良いのかい」
「ルールはルールだからね。ばっさり決めてしまってくれ」
司会の芸人氏が肩をすくめる。イチローは、もう一度ヨザクラとあめしょーを見てから、目の前のパネルウィンドウに手を伸ばした。一同はごくりと喉を鳴らして、指先の行方を見守る。彼は一言、このように発した。
「ん、じゃあこれで」
MiZUNO:1232票
アイリスブランド:1231票
勝敗は、割とあっさり決した。




