第六十九話 御曹司、対峙する
あぁ、始まってしまった。流されてるなぁ、私。
今更ながらにしての、ヨザクラの感想である。
生まれてこの方、他人をグイグイ引っ張って生きてきた、などというつもりもないが、こうも状況に流されるがままというのも、なかなか稀有な体験だ。抗おうと思えば抗えたはずだし、イヤと言う機会だってなんべんもあったはずだが、結局ヨザクラはそうしなかった。アイリスの鬼気迫る態度に、圧倒されていたというのはある。
扇桜子、おおっぴらには言えないことだがコスプレが好きである。生まれた時から2人の兄に英才教育を施され、物心がついた頃には立派なギークであった。いわゆるオタク趣味が、女の子特有のオシャレ願望と結合することで、コスプレ趣味を生み出したとしても、それはなんら責められることではない。悪いのは歪んだ家庭環境である。
さて、今回のファッションショーも、そうしたコスプレの機会であるという割り切りがあったからこそ、モデルの大役を引き受けたと言っても、そうそう間違いではないだろう。なにしろゲームの世界である。ヨザクラは現実の自分よりちょっぴりスレンダーであるし、目鼻立ちも微妙に変わっているので、似合う服装だって違ってくる。キルシュヴァッサーの時ほど劇的な変化は楽しめないだろうが、それでも、アイリスのデザインした防具を着るのはそれなりに楽しみではあった。
あのギミックさえなければ。
ま、まぁ良い。あれは良い。だって披露すると決まったわけじゃないんだし。アイリスとエドワードの綿密な打ち合わせによれば(いつからあんなに仲良くなったんだろう)、あれはあくまでも最終手段であって、滞りなく票数が稼げれば別に公開しなくとも良いとのことだ。それに備えて、エドワードもわざわざオリジナルグラフィックの武器を多数こさえてきてくれた。メイド忍者御用達のオーダーメイドウェポン。協賛がアキハバラ鍛造組というのは、なかなかに豪華だ。
ファッションショーということなので、それなりの体裁を取る。ヨザクラとあめしょーは控え室に待機し、ステージ上にはアイリスと芙蓉が立っていた。審査員席にはキングキリヒトに加えて、赤き斜陽の騎士団の愉快な仲間たち。曲がりなりにも攻略最前線を担う5人と1人のはずなのだが、意外とヒマなのだろうか。
ステージでは、既に2人のデザイナーが熱い火花を散らしていた。芙蓉は腰に手をあてモデル立ちし、やや挑発的な眼使いで、アイリスを見下ろすような姿勢を取っている。
『よく逃げずにここまで来ましたわね。それだけは褒めて差し上げますわ』
さすがにここまでの言葉が飛び出すのかと、ヨザクラモびっくりであった。
「……あめしょーさん、芙蓉さんに何か吹き込みましたか?」
「ん、特になにもー。『アイリスを真正面から見てあげたら』ってアドバイスをしただけだにゃあ」
「その結果があれですかぁ……」
これじゃあ三流の悪役だ。マツナガじゃあるまいし。
「フヨウを責めないであげてね。あれでもいっぱいいっぱいなんだヨ?」
「まぁ確かに……精神的にあんまり余裕はなさそうですけど……」
精一杯虚勢を張った結果があれということもあるか。だとすれば、確かにそれは責められない。
『どちらのセンスがより洗練されているか、はっきりと決着をつけることになりますわね』
『そんなもの、最初から答え出てるじゃない。芙蓉さん、あなたの方が素敵だわ』
さて、虚勢という点にかけてなら、このアイリスもなかなかに負けてはいない。両足を肩幅まで開き、腕を組み、鋭い眼光でもって相手を睨みつける。俗に仁王立ちと呼ばれる男らしい振る舞いだ。
『でしたらわざわざ負けにいらしたのかしら。ご苦労さま』
『そんなわけないでしょ。芙蓉さん、御曹司に気に入られなかったからってコンプレックス丸出しじゃないかしら。その様子じゃ、どーせ御曹司があたしのデザインのどこ気に入ったかわかんないんでしょ。あたしねー、センスも才能もないかもしれないけど、あなたに勝っていると言える部分がひとつだけあるわ』
どうにも舌戦は止む気配がない。マイクを持った司会の芸人氏がこれを楽しんでいるというのはあるし、おそらくそれは会場全体の総意でもあるはずだが、見ている側としてはこれがなかなかハラハラしてたまったものではない。
さて、不敵な笑みを浮かべるアイリスである。しかし芙蓉も赤コーナーとしての貫禄を崩すことなく、彼女の真意を問いただそうとした。
『あら、それは何かしら』
『若さよ』
ぴしり。空気の凍りつく音を聞いた。
言葉の穂先は鋭い。いかに分厚く堅牢な壁を用意しようとも、防ぎきれないものはある。このとき、アイリスの言葉は確かな貫通力をもって、芙蓉の心に深くえぐりこんだ。ダメージエフェクトこそ光らないが、アラサーに両足を突っ込んだ彼女である。魂の喀血は免れない。年かさの渋みを盾にできるほど、芙蓉めぐみは円熟の極みに達していなかった。
あめしょーは、無責任にもケタケタと笑っている。
「アイリスも言うにゃあ。あれ、ヨザクラどうしたの? うずくまって、お腹痛いの?」
「い、いえ。なんでもありません」
言葉の槍は予想外のところにも突き刺さっていたらしい。
『わっ、若さは関係っ……』
『関係あるわよ! あたしは、この瑞々しい感性と柔軟な思考力で、あなたに勝つ! 新しい時代を築くのは老人ではないわ!』
『あっ、アイリスさん。あなた……!』
『気に障ったかしら。女の賞味期限は短いわ。怒ると小皺が増えてよ、お姉さま』
「ヨザクラ、気分が悪いならいったんログアウトする?」
「なんでもありません! なんでもありません!」
こんな精神テンションで戦いに挑めとは、アイリスは無理難題をおっしゃる。魔族特有の顔の白さを余計に際立たせながら、ヨザクラはなんとか荒い呼吸を整えていた。目の前に表示される『心拍数・血圧が上昇しています』のアラートメッセージが非常にやかましい。心の中を見透かしたように言うんじゃない。
『それでは、両者気合充分ということで、いよいよ互いのデザインのお披露目といこうかー!』
ようやく司会進行のマイクが入り、ヨザクラはそれ以上アイリスからの精神攻撃を受けずに済んだ。
「ヨザクラー、ぼく、負けないよぉ?」
「私は既に負けたような……。いえ、私も負けませんよ」
辛うじてなんとか微笑み返すことができ、ヨザクラとあめしょーは、ステージ上へ移動するワープゾーンに足を踏み出した。
ボウガンの矢が触れる直前、イチローは《竜翼》を広げて空へ逃れる。飛行によって得られる三次元的な行動範囲は、射撃攻撃に対しては極めて有効な逃げ道となる。本来、人間の身体及び運動神経は〝空を飛ぶ〟ための発達を遂げていないため、仮想世界において飛行を行うには、それなりの訓練と資質、その上でのモーションアシストが必要であったが、イチローの場合は生まれ持った資質だけで、飛行に必要なセンスの大半をまかなっていた。
地上のボウガン部隊が、射角を調整し照準を合わせる。次に矢がつがえられるまでのわずかな時間は、イチローが次の行動を選び取り実行に移すまでの猶予としては充分すぎた。円状に配置され、ほぼ隙なく張り巡らされた対空網に大穴を穿つべく、イチローはまず拳を構えて手近な射手に突撃を敢行する。
「ふっ……!」
射手が狙われたことを自覚し、引き金を引いたころにはもう遅い。イチローは極めて至近距離から、放たれた矢を二本指で押さえ込み、そのまま空いた片手で射手の頬に裏拳を見舞った。数瞬の遅れをもってダメージエフェクトが発生し、射手は車輪のように縦回転しながら吹き飛んでいく。火山帯の大岩に激突し、それを粉みじんに粉砕してから、射手はHPを枯らせて光と消えた。
「いやぁ、やりますねぇ……」
蛇が絡みつくような声と、まばらな拍手。軽薄な笑みを浮かべたまま、マツナガが言う。
「1人倒すのに10秒もかかっちゃいませんね。これがPvPだって言うんだから笑っちゃうよ。ツワブキさん、あんたそんなになるまで幾ら使ったんですかね」
「先月の明細は届いているけど、幾らだったかな。君が思っているほど多くはないと思うよ。成長とは直接関係ない課金も多いしね」
指で抑えたボウガンの矢を大地に投げ刺して、イチローは肩をすくめた。
もちろんこの間にも課金によるすべての成長コースと一時的な強化コースには加入している。やはりスキルスロットの倍加サービスが大きい。イチローの防具はスロットが多めのものをチョイスしているし、スキルの選択もステータスを底上げするものが中心であるため、同レベルのプレイヤーよりも2回り、3回りほど高めの能力値を実現できている。
「なるほど……。じゃあ俺も、ちょっとだけ本気を出させてもらいますかね……!」
言うや、マツナガはメニューウィンドウを開き、コンフィグ画面を呼び出した。あまり慣れていないであろう選択行程。イチローは、彼がいったい何をしようとしているのか、素早く読み取ることができた。
「マツナガ、君は……」
「いやぁ、苦労しましたよ。なにせ収入がアフィリエイトですから、なかなか審査が通らなくってねぇ……。口座に貯蓄もあまりないでしょう。だから限度額は大したことないんですが……。この一戦に限っちゃあ、あんたと互角でいけますよ」
カネの力の象徴、クレジットカード! マツナガが新たに手にした力はそれなのだ。彼はおそらく、家から、市販されているミライヴギア・Xによってログインしているはずだった。いわゆる〝エックス〟にクレジットカード用のスロットは存在しない。ブラウザ上でアカウントごとに登録することで、カード決済を可能にしているはずだ。
先日のローズマリーの一件で、シスル・コーポレーションは多くの決済代行会社から契約を見直されることとなった。結果的にはポニー社の後ろ盾を得ることで、無事に契約を再締結し、ナローファンタジー・オンラインにおいても従来同様、クレジットカードやウェブマネーによる決済が可能となっている。だが、例の事件から2週間近く経った今でも、真相解明に各機関が動いている途中であり、ブラウザ上にカードのデータを置いておくのは危険だというのが、多くのプレイヤーの見解だった。課金するならウェブマネーで。ほかならぬマツナガのブログでそのように情報発信されている。
「実際、課金するならフューチャーポイントを買っておけば十分だと思うんだけど」
「無粋なこと言いますね。こういうのは相手の条件に近づけてやるから楽しいんでしょうに」
相変わらず身体を張ったことを言う。
「スキルスロット倍加サービス! ところでツワブキさん、気づいてらっしゃいました?」
「あぁ、その課金サービスの効果時間が延長されたっていう話だよね」
「そう、これで今までよりも多くのプレイヤーが、気軽にこのサービスを利用できるようになったんです……よっ!」
マツナガがクナイを投射し、そこから時間差で、周囲のボウガン部隊が一斉に矢を放つ。イチローはひとまず前方のクナイを受け止めた後、そのままくるりと振り向いて、飛んでくる矢をめがけクナイを投げる。矢とクナイは明らかに正面からぶつかりあったが、互いにその勢いを殺すことはなく、クナイは射手の一人に突き刺さって、矢はイチローへと届いた。慌てずに素手で叩き落とす。
射撃武器で射撃武器を迎撃するスキルは《撃ち落とし》であったか。それを取得しないことには、矢に矢を当てたところで上手くいかないものらしい。こういう融通の利かないゲームシステムは、自身の行動制限として見る分にはなかなか面白いが。
背後からナイフで斬りかかってきたマツナガを、振り返らずに迎え撃つ。閃く刃を素手で受け止めながら、イチローは顔だけを彼に向けた。
「失礼。それで、多くのプレイヤーがサービスを利用できるようになって、どうしたって?」
「そのご様子だと、一周年記念ですべてのプレイヤーに2000円分のフューチャーポイントが無料配布されたこともご存知ないんですかねぇ」
マツナガは、掴み取られたナイフをあっさりと手放し、大地を蹴って飛び退いた。イチローはナイフを、先ほどクナイを投げつけた射手に投擲し、続いて数発の《ファイアボール》を叩き込む。射手は無造作に繰り出された連続攻撃に対応が遅れ、回避行動を取ろうとするも、遅れて放たれた火球に巻き込まれてHPを散らした。
「良いですか、ツワブキさん。運営の背後にポニー社が立つ。まだまだ変化は大したことありませんがね、ナロファンの運営体質は少しずつ変わっていきますよ。シスルの苦しい資本事情も改善されるでしょうしね。ギルドスポンサー制度だってそうです。これらのおかげでカネの巡りが良くなるから、露骨な課金コンテンツは減っていくって、俺は見てますが」
マツナガが何を言わんとしているのか、イチローはおぼろげに察した。だが、ナンセンスだな。
饒舌な言葉遣いとは裏腹に、彼はイチローを攻めあぐねている。その隙に彼は、右腕に魔力を溜め込み、周囲を取り囲む射手の群れに飛びかかった。次々と放たれる矢を左手だけで弾き返し、ゼロ距離から《ソードオブスルト》を放つ。業火のエフェクトが、数人をまるごと飲み込み、なんとか攻撃範囲から逃れた2人には、素手による致命打を叩き込む。
「カネの力による強化の機会はより均一化されていく。わかりますかツワブキさん、カネの力はあんただけのもんじゃあなくなりますよ。あんたが無双するためのツールじゃなくなっていくんだ」
「ナンセンス」
最後の射手を《スパイラルブレイズ》で吹き飛ばした後、イチローはそう言った。
「お金なんていうのは、僕の才能をわかりやすく数値化した指針のひとつに過ぎないよ。まぁ、こんな安っぽいことは、あんまり言いたくないんだけどね」
「いやぁツワブキさん、あんたはそうでしょうけどね。俺はちょっとイヤなんですよねぇ……」
配下が一掃されてしまったにもかかわらず、特に焦る様子もなしに、マツナガは言った。
アロンダイトによる《ブレイカー》にせよ、スキルスロット倍加による過剰強化にせよ、複数の成長コースの重ねがけにせよ、様々な課金コンテンツがイチローの強さを担っていたのは事実である。そうした強さが、例えばアイリスブランド結成時におけるエドワードとの決闘であったり、グランドクエスト攻略時におけるキングキリヒトとの一騎打ちであったり、あるいは、暗黒課金卿キルシュヴァッサーの誕生にしてもそうか。そうしたドラマを生んできたのだと、マツナガは語る。
課金コンテンツの均一化による、カネの力神話の緩やかな崩壊。マツナガはそれに対してあまり肯定的ではない様子だった。
「ナンセンスだなぁ。マツナガ、君はそんな話をするために、僕を呼び止めたんじゃあないだろう」
「まぁ、そうなんですけどね……。もちろん、今回は今回の、俺なりのシナリオってもんがありますよ」
ナイフを弄び、火山帯の山道に転がった射撃部隊のドロップアイテムを眺めながら、マツナガはつぶやく。
「芙蓉さんとアイリスさん、どっちをどういう風に勝たせるか、とかね。まぁネタバレするつもりはないですが」
「聞くつもりはないよ。ただ、登場人物はみんな君の思い通りに動くわけではないからね。もちろん僕もそうだ」
イチローは、コンフィグから課金画面を呼び出してアロンダイトを購入した。1200円もする課金剣の額は、変わっていない。まぁ、本来は壊す前提のアイテムでもないし、ここで値段を変えると先に購入したプレイヤーから不満が出るので、当然ではあるか。
「その課金剣も、いつまでコンテンツに並んでますかねぇ……」
「確かに、これがなくなるとしたら、ちょっとさみしいかな。それなりに愛着はあるんだ」
今から叩き壊す剣の柄を愛おしむように握りしめて、イチローは言った。




