第六十七話 御曹司、飛ぶ(1)
メニーフィッシュの特設ステージは、ゲストIDの権限によって借り切ることが可能である。今回の場合は、芙蓉めぐみと石蕗一朗の連名であり、今回のファッションショーが両者の合意によるものであると暗にアピールしていた。芙蓉の要求によるものだったが、おそらくこのステージでお祭り騒ぎを楽しもうとしている大多数のプレイヤーは、そんなこと気にしちゃいないだろう。
普段は攻略とレベル上げ、アイテム収集に忙しい赤き斜陽の騎士団も、この時ばかりは珍しく横槍を入れてきて、会場には謎の屋台が多数出店していた。屋台ではすかいうぉーかーグループの料理が振舞われ、ファミリーレストラン〝ゲスト〟のハンバーグセットや、〝バーチヤン〟のラーメンなどを、早くも立ち食いしているプレイヤーなども散見される。1万人は余裕で収納できる会場だが、埋まり具合は約1/4ちょっとといったところか。それでも、アクティブユーザーの1/4なのだから大したものだ。
ステージの舞台裏は、ややSFチックというか、サイバースペース的というか、あまりナロファンの世界観にはそぐわない場所だった。芙蓉がコンフィグ画面を呼び出して多少いじってみると、化粧台やパイプ机が置かれた控え室や、如何にもプレーンファンタジーといった木造の部屋やらに切り替わる。壁には大きなディスプレイが埋め込まれ、会場の様子が確認できるのは、どの部屋も同じだった。ステージ上に移動するためのワープゾーンもある。
何度か切り替えた後、芙蓉は舞台裏を木造の部屋に固定した。更にチームごとに部屋数を増やしたりといったこともできるようで、もうしばし、コンフィグとの悪戦苦闘が続く。
「はーい、どうもー」
物珍しげにきょろきょろするアイリスに、聞いたことのあるような声が挨拶してくる。振り返っても誰だったかすぐに思い出せなかったが、頭の上に表示されている名前を見て驚いた。これがよくテレビで見かける芸人そのものなのである。
彼はあまり高くも低くもないテンションで、にこやかに言葉を続ける。
「今日のファッション対決に司会として呼ばれましたー。セレモニーにもゲストとして呼ばれた縁でね。今後もこういうバーチャル内での仕事も増えるのかねぇ」
漫才やコントなどより、テレビ番組のパーソナリティをしている姿の方がよく見かける男である。飄々として軽い言葉遣いなどが女性人気を呼んでいていて、アイリス=杜若あいりのクラスメイトにも、このもうすぐ40に差し掛かるという芸人のファンは多かった。
「え、えっと、あの……」
「君たちがアイリスブランド? よくやるねぇ、プロのデザイナーに勝負を挑むなんて」
「半分くらいは石蕗が買った喧嘩ですので」
言葉につまりかけたアイリスに代わって、ヨザクラが笑顔で言う。こういう時、誰であろうと物怖じしないのは羨ましい。単に、場数を踏みなれているということかもしれないが。
この場にいるのは、芙蓉と目の前の芸人を除けば、アイリスとヨザクラのみとなる。ユーリ達は観客席というか、外側の会場にいるはずだ。それは良いとしても、御曹司やマツナガ、それにあめしょーまでもがこの場に姿を見せていないは不可解である。先程から、〝しゅぴん〟という音と共に空間へ出入りするのは、ギンガムチェックのゆるふわ忍者軍団であって、それ以外のプレイヤーが顔を出してくる様子はない。
御曹司、何やってんのかしら。早くしないと始まっちゃうのに。そう思っていると、この舞台裏の控え室に、またも入ってくるプレイヤーがあった。
「やっほぉーう、お待たせにゃー」
あめしょーである。相手方のモデルなのだから、彼女も必要なのは当然なのだが、やや遅い到着と言えるだろう。ゲームの中だし化粧などの準備はまったく必要ないと言っても。あめしょーは、もう1人プレイヤーを連れてきていたが、それはマツナガでもイチローでもなかった。
「あれは……」
アイリスはぽつりとつぶやく。
「キングキリヒト……!?」
「うるせぇ」
妙に決まりの悪そうな声を漏らし、黒ずくめの少年はそっぽを向いた。
なんで彼がこんなところに。いや、マツナガが、審査員として招待しようなんて言っていたか。でもまさか本当に来るなんて思ってもいなかった。なにしろ、準・最強のソロプレイヤーの名に恥じないソロっぷりである。こんな愉快なイベントに呼ばれたところで、のこのこと顔を出すようなキャラクターでもあるまいに。
「なんであんたが来てんのよ」
「来ちゃ悪い?」
声の低さは普段の数割増しと言えようか。機嫌の悪さが伺える。
「それとも、センスの悪い黒ずくめにファッションを評価されたくない?」
「ははぁ、あんた根に持ってんのね?」
「うるせぇ」
なかなかな可愛げのあるやつではないか。
「アイリスぅ、ヨザクラぁ、今日はよろしくにゃー」
「あ、うん。よろしくね」
あめしょーは、いつもの人懐っこい笑顔でひらひらと言った。どうも正面切って信用できないところがあるというか、奔放すぎる振る舞いが必要以上に不信感を募らせてくる彼女だが、こうした仕草は堂に入っていてイヤミがない。サブクラスに偶像を選択したと言っていたが、まさしく天性のだな、と思わずにはいられなかった。
正直、強敵である。今回の敵の半分は、このあめしょーの放つ強烈な存在感と、1000人はくだらないという彼女の信奉者なのだ。そちらと直接的に矛を交えるのは、アイリスではなくヨザクラの方となるのだが。見ればヨザクラも、笑顔の奥に強烈な闘志を燃やし軽い会釈をする。既に戦いの火花は熱く散らしている模様だ。キングキリヒトは、このやや張り詰めた空気に戦場独特の匂いを嗅ぎとったのか、妙にそわそわしていた。
「今日の流れってどうなってんの?」
「最初は互いの挨拶と、あとはモデルの紹介。簡単なアピールをしてから、衣装のお披露目と、そのあと投票って流れかなー」
あめしょーの問いに、司会を任されたという芸人の男が答える。
「アピールって何すんの? 歌でも歌うの?」
「歌いたかったら歌っていいよ。テーマ決めようか。〝夏〟とか」
「夏の歌ですか。良いですねぇ。私だったら〝世界でいちばん熱い夏〟とかですかね……」
ヨザクラが顎に手をやって鼻歌などを歌いだしたが、アイリスはきょとんだ。
「プリプリかぁ。古いなぁ」
「それお母さんがカラオケで歌ってる」
「へぇ、ヨザクラさんって結構……」
感情のにじまない平坦な声で言うと、ヨザクラはハッと我に返って取り繕う。
「ちち、違いますよ!? リアルタイムで聞いてたなんて、そんなことないですよ!? これはその、兄がEP持っててよく聞かされたというか……だって私が生まれた日のちょっと前に発売されてるんですもん!」
「でもわかるにゃー。ぼくも生まれた日に発売のヒットCDとかあるしにゃー」
「へ、へー。あめしょーさんの場合はなんですか? やっぱり夏の曲ですか?」
「うん。ゆずの〝夏色〟」
「じぇ、ジェネレーションギャップ……!!」
アイリスはその歌のこともよく知らないのだが、ゆずの曲なんだしヨザクラよりは若いんだろうな、とは思った。この振る舞いであめしょーがヨザクラより年上だったりすると、痛々しいなんてものでは済まないのでまぁ妥当だ。この中で一番年長であり、それぞれの曲の発売年も察しがつくであろう司会の芸人だけは、何やら難しい顔でヨザクラとあめしょーを見比べている。
キングキリヒトは会話には加わらず、ディスプレイから外を眺めつつ〝夏の思い出〟を口ずさんでいた。そんなに尾瀬旅行は楽しかったのだろうか。
「俺が生まれた年の夏のヒット曲は、山口百恵さんの〝ひと夏の経験〟かな……」
司会の芸人氏が誰も突っ込めない話題をぽつりと漏らすが、コンフィグをいじっていた芙蓉がようやく控え室を二つ作ることに成功したので、これ以上話題を広げないで済んだ。見れば、部屋の壁には扉が2つ出来て、中に入れるようになっている。
「アイリスさん」
芙蓉が、こちらにつかつかと歩み寄ってきて、静かに声をかけてきた。
「な、なに……よ」
一瞬、敬語を使うかどうか悩んだ。が、以前啖呵をきった時のことを思い出して、不躾なタメ語で通す。ああ、デザインセンスに関しては、本当にこの人のこと尊敬してるんだけどな、と思いつつ、この発言で、容易には飛び越え難い溝を、更に深く掘り下げていくのを自覚した。
「負けませんわよ」
短い言葉の中に、執念を込めるのがわかる。だからこそ、アイリスも余計なことを言わずに、やはり短く応答した。
「あたしだって負けないわ」
この言葉のどちらかは、ほんの1、2時間後には嘘になる。
正直、この後に及んでまだ現実感のない勝負だ。正面切って戦って、勝ち目を拾えるようなものでもない。単なるファッションデザインの対決であれば。
だが、この時アイリスの発した言葉は、強がりでも虚勢でも、願望でもない。心の中に浮かんだ思いを、そっくりそのまま言葉にしただけである。
芙蓉とアイリスは、ほんのわずかな間だけにらみ合うと、互いの控え室に、互いのモデルを引き連れて入っていった。
「いやぁ、女っていうのは怖いねぇ」
司会の芸人氏が笑いながら言って、じっと外を眺めているキングに話を振った。
「で、君が生まれた年のヒット曲とかって何?」
「知るわけねーだろ」
青い空を掻き分けて、イチローが飛ぶ。眼下にヴォルガンド火山帯の山道が、溶けるようにして流れていく。《竜翼》による飛行はもうだいぶ慣れたものだったが、何度空を飛ぼうと、これがなかなか飽きるものではない。なんといっても、緻密に積み上げられたこの世界観を上空から俯瞰するのが、イチローは好きだった。
火山帯ともなれば、当然マップを構成するのは〝道〟だけではない。プレイヤーがなかなか足を踏み入れられないであろう崖や、斜面の方が、面積としてはむしろ多い。もちろんシステム上侵入不可となる区域は限られており、ダメージを受ける溶岩地帯や高熱地帯、有毒ガスの噴出地帯なども含めれば、そうした崖や斜面の99%は、何かしらの手段で足を踏み入れることが可能である。
ただ、足を踏み入れたところで何かしらのメリットがあるかと言えば、そんなことはない。ダメージ地形にのみ出現するMOBが存在したり、危険地域のみで採掘可能な素材アイテムも存在はするが、山道から外れた地形の多くは、ただ歩きにくく、進入しにくいだけの場所だ。わざわざ中まで入り込むのは相当な物好きと言える。
しかし、かと言ってゲームの開発陣が、それらの地形のグラフィックに手を抜いているかといえばそんなことはない。細部にまでわたって作りこまれた地形を、すべて観察しようと思ったら、いったいどれだけの時間がかかるというのだろうか。製作者の自己満足といえばそうであるし、正直、ゲームとしての完成度を高めるなら注力すべき点はもっと他にあるはずなのだが、この世界観の再現に全力投球しようとするシスル・コーポレーションの姿勢は、常々好ましいと思っていた。
何しろ、現実の山岳地帯となんら変わりのない設計である。イチローの好きなランカスティオ霊森海にしてもそうだし、おそらく大砂海にしてもそうだろう。ゲームの説明書には、GMコールの使用を推奨する場面として『遭難』が挙げられていた。そう、プレイヤーが遭難できるゲームなのだ。これは。大抵のプレイヤーはワープフェザーを使用するし、遭難を理由にしたGMコールは恥ずかしいという風潮があるため、死にもどりによって解決しようとする者も少なくはないのだが。それでも、うっかりレアアイテムを採掘してしまって、死ぬに死ねなくなったプレイヤーがGMコールによる救出を待つという事例は、時折見受けられる。
「(飛行可能なプレイヤーで、有償のレスキューサービスをやるのは面白いかもしれないな)」
と、イチローは思った。ダンジョンアタックの際にデスペナルティ保険なんてのを販売する生産職プレイヤーもいたくらいだ。それなりに需要はあるのではないだろうか。
ともあれ、イチローはこのようにして、空の旅をそれなりに楽しんでいた。正直、ワープフェザーなどなくてもゲストIDでログインしなおせば、いつでも瞬時に移動は可能なのだが、そうした真似はあまりしたくなかった。アイリスブランドのギルドスポンサーである石蕗一朗としてではなく、あくまでもギルドリーダーであるツワブキ・イチローとして、立ち会いたかったというのはある。
加えてもうひとつ。
飛行を続けながらも周囲への警戒を怠らなかったイチローは、鋭く飛来する風切り音に気づいた。素手による《ウェポンガード》。人差し指と中指で、襲いかかる矢を受け止める。
来たか、とイチローが思った時には、山道の岩陰から、文字通り雨あれれのごとく矢が放たれた。これは悠々と飛行を楽しんでいる場合ではない。空中で小刻みに、器用な軌道を見せながら矢のあいだをすり抜け、どうしても避けられない数本は、その手で受け止めてみせた。
わずかな攻撃の途切れ目を見つけ、イチローは急降下する。右手に魔力を溜め込み、おそらく射手が隠れているであろう大岩に、正拳と《スパイラルブレイズ》を叩き込む。破壊可能オブジェクトである大岩は、轟音と共にあっさり砕け、粗めのポリゴンの残骸を散らした。
散ったのはオブジェクトだけではない。そこに隠れていたであろうプレイヤーの気配が多数、飛び退くのがわかった。イチローがぐるりと見回す。ハイドコートとディテクトゴーグル、画一化された装備をまとったプレイヤー達が一律にボウガンを構え、その矢尻をこちらに向けている。
双頭の白蛇のボウガン射撃部隊。
予想の的中に、大して感慨はわかなかった。その代わり、いささかばかりの期待感がある。イチローは、これだけの明確な攻撃意思にさらされつつも、ポケットに手をつっこみ、人垣を分けて現れるそのプレイヤーに、いつもの涼やかな態度で挨拶した。
「やぁ、マツナガ」
「どうも、ツワブキさん」




