第六十六話 御曹司、出発する
さて、そこからファッションショーまでの約一週間。アイリスは燃えていた。昼夜を問わず、寝食を忘れ、ゲーム内におけるプレイヤーの意見収集と、新規の防具デザインに没頭する。なかなか決定稿のデザインには至らなかったが、それでもそのうちいくらかはゲーム内で3Dグラフィック化し、防具として作成した。何度か失敗し、その時はじめて、失敗してもグラフィック適用料が支払われないことに気づく。今回の大規模アップデートの地味な変更点であろうか。ようやくこちらにも手が回ったらしい。
実際、『成否にかかわらず課金』という悪辣な仕様は、グラフィック変更の際に生じる大量のデータバスが原因であったが、ポニー社のデータ通信技術などによって、シスルが請け負う通信料の負担は大幅に減額されている。もちろん、このあたりはアイリスの知るところではない。やっぱり仕様っていうのは着々と変わるのねー、程度にしか思っていない。まぁ、この修正はアイリスにとっては〝神アプデ〟という奴だろう。グラフィック変更料が御曹司のクレカから賄われるものであるとしても。
なんのかんの言いつつ、様子を見にくるエドワードの助言もそれなりに役に立った。デザインにぴったりな設計図を用意してくれたり、性能と連動した面白いギミックを提案してくれたり。そうした防具を作成するのもなかなか楽しく、非常に充実した日々であったと言えよう。
マツナガのブログによる宣伝効果は大したもので、アイリスブランドに興味を示したプレイヤーもちょこちょこ来店するようになった。大抵が冷やかしであってアイリスの手を煩わせるようなことも無かったのだが、時折彼女の作ったデザイン防具に興味を示す者もいたりして、それなりに売り上げに貢献してくれた。
それはさておき、ヨザクラである。
ステータス条件を満たし、エクストラクラスを取得可能になった彼女は、意気揚々と〝始まりの街〟に出かけ、そして帰ってきた。ヨザクラの3つ目のクラス枠に収まっていたのは、〝忍者〟である。よりによってそれか、と、アイリスとエドワードは大いに突っ込んだ。イチローはちらりと見て、『へぇ』と答えただけであった。冷ややかであると言えば、そうだ。
『でも、メイド忍者ですよ!?』
というのが、ヨザクラの主張であった。だからなんだというのか。彼女自身は、御曹司からもらった薄水色ボーダーのブラウスと、花柄スキニーパンツがお気に入りのようで、今はメイドでもなんでもない。従者で偶像で忍者というのはなかなかキャッチーだとは思う。なお、イチローの返答はいつものアレであった。
結局、そのメイド忍者というフレーズが脳内から離れることはなく、アイリスはそのコンセプトで防具をデザインしてやることにした。その頃には、数度に渡る〝聞き込み調査〟で、大半のユーザーが興味を示す防具デザインの傾向というのもわかってきた頃である。参考資料が必要であるとは言え、わざわざ図書館に行って『にんじゃのひみつ』を借りてくるのは少々苦痛を伴った。
そうそう、個人的な収穫もある。大人気ゲームタイトル〝モンスターバスター〟シリーズの画集だ。アイリスはこのゲームには一切触れたことがないし、ちょっと二の足を踏む値段ではあったのだが、エドワードがやたら薦めてきたのである。で、買った。
確かに、モンスターの精緻なデザインイラストは見ていて惚れ惚れするほどであったが、アイリスがお気に召したのはおおよそ70ページにも渡る全身装備の設定画であった。モンスターを素材としていながらオシャレさもあって、これがなかなか悪くない。昆虫素材で作ったタキシードを見たときにはそのまま御曹司を連想したが、フォーマルなジャケットの表面に翅の質感をここまで残せるのかと思ったときには、驚嘆と同時にある種の悔しささえ滲んだものである。芙蓉がデザインしたあめしょーのジャケットも、猫の毛並みを再現したものだったし、モチーフの活かし方という点では見習うべき点は無数にあった。
「かと言って、この〝ニンジャスナイパー〟はどうなのかしら」
「面白いですよ」
「話の内容のことを言ってるんじゃないのよ」
アイリスは、エドワードがネット上から拾ってきたという数点のデザイン画を眺めている。これ、忍者なのかしら。アメコミの悪役そのものって感じがするんだけど。少なくともヨザクラの提示する『メイド忍者』の方向性からはズレているような気がする。
今回の件に関して、エドワードは気持ち悪いくらい協力的で、様々な媒体の忍者やメイドのキャラクターデザイン画を次々と集めてきた。比較的ありふれたモチーフなだけあって、集められるイラストも多かったのだが、参考になるのやらならないのやら。
「ゲルマン忍者ってなによ。コート着た覆面のおっさんじゃない」
「あぁ……。アイリスはわからない世代なんですね。まぁ世代が合っても見るようなもんじゃなかったかもしれませんが」
ヨザクラは何やら遠い目をしている。
「で、ひとまずあたしのデザインは、こんな感じよ」
アイリスは、pdfファイルを開いてヨザクラに見せる。さすがに自身が着るもののデザイン画ということもあって、彼女も食付きがよかった。
「おぉー……。キャッチーですね。メイド忍者だなぁ」
何しろ素体となるヌードポーズに、こんな服を着せるのははじめての体験である。相当な気恥かしさというか、気まずさはあったのだが、ヨザクラの態度は比較的好感触であった。
和メイド(そんなものがあったこと自体驚きだ)を参考に、如何にも忍者的なエッセンスを片っ端からぶち込み、かつ自身の矜持としてこの夏の流行であるリゾート柄や肌見せなども混ぜていき、完成したのはまさしく混沌の坩堝のようなデザインだ。これ、良いの? これ、本当に自分らしいデザインなの? と戸惑うことも無いではなかったが、ここはあえて胸を張る。これがアイリスだ。杜若あいりだ。少なくとも、芙蓉さんのゆるふわ忍者よりはよほど可愛くできた自信がある。
「ちょっとスカート丈短すぎませんか?」
「忍者なんだしこんなもんじゃないかしら……。スキニーパンツにしても良いけど、メイドっぽくなくなるし……」
そんなに気になるなら、下に何か履かせても良いんだけど。でも、〝聞き込み調査〟の結果を鑑みれば、なるべくくっきりした脚線と、いわゆる〝絶対領域〟というやつは残しておきたい。
「あと、エドワードさんにもらった設計図を元に作るんだけど、これギミック装備なのよね。で、ギミック発動後が、こっち」
もう一枚のイラストを見せると、ヨザクラの顔がいきなり引きつった。
「こ、これは……」
「やっぱイヤ?」
「はっきり言いましょう。イヤです」
好感触からの熱い手のひら返しであるが、ここはアイリスも譲れないラインだ。もちろん、ヨザクラの気持ちはわかる。正直、ギミック展開にあたってこのデザインを提案したエドワードの思考回路を疑う。しかし、アイリスの冷たい視線を受けてなお『忍者の伝統だと言えば理解してもらえる』と言い張った彼の言葉を信じ、そっくりそのままヨザクラに伝えると、驚くことに彼女はグウの音も出さなくなる。
「た、確かに……ニンジャの伝統ですね……。あの、超古典ゲーム以来の……」
「エドワードさんもそれ言ってたんだけど、その超古典ゲームってなんなの? ヨザクラさんもリアルタイムでプレイしてた?」
「アイリス、私をいくつだと思っているんですかねぇ」
ヨザクラの笑顔に並ならぬ迫力を感じたので、それ以上の追及は避けることとする。
まぁともかく、モデルの了解はとったのだ。この方向でデザインを詰める。ギミック防具のオリジナルデザインに挑むのはこれが初めてだが、起こす3Dグラフィックが2種類になるだけで大して難しいことはないらしい。まぁ、御曹司にこのイラストは見せていないわけだが。
「あまりイチロー様好みのするデザインではないかもしれませんが……」
「やっぱそう思う?」
「まぁ、イチロー様の衣装というわけではありませんし、良いんじゃないでしょうか。アイリスらしいデザインを期待する、というのが、イチロー様のお言葉ですし」
「あたしらしさって、なんなのかしらねー……」
こんな新米ぺーぺーのデザイナーに、らしさも何もあるのだろうか。
「そういえば、御曹司は? 今日は来てないわね」
「マンションのセキュリティメンテナンスに立ち会われてます」
「まんしょん……、あぁ、建築設計事務所持ってるっつってたわね。あの男」
もう驚いてなんてやるものか。
「この間も一度、メンテナンスをやったんですけどね。つい先日誤作動があって」
「全自動なんだ。まぁ、最新型っつったらそーよねぇ。オートロック以外にもいろいろあるんだろーし」
「もちろんハード面も万全ですよ。うちのマンションの窓ガラスはロケットランチャーでも壊せません」
「何と戦う気なのよ」
誰かに命でも狙われているのか、と言ったら、『そんな時もありましたねぇ』としみじみ返されてしまって、アイリスはそのへんの話題をほじくり返すのを止めた。
「アイリスブランドのデザインも順調なようですねぇ」
グラスゴバラに潜入した偵察員から、逐次情報が送られてくる。ここ〝中央魔海〟地下ダンジョンの一室には、双頭の白蛇のアジト本部があった。むせ返るほどの湿気を孕んだ空気に、不気味な輝きを灯すグリーントーチが雰囲気を演出している。マツナガはかなり気に入っている様子だが、実際悪趣味だ。芙蓉は大きく溜め息をついた。
精鋭であるゆるふわ忍者部隊の一部を残して、現在ギルドメンバーは出払っている。リアルの都合や検証、個人的なレベル上げなど理由は様々だが、あめしょーを含めた大半は、マツナガの指示によって〝ある作戦〟を実行中だ。ここでも、彼女のコネクションが猛威を振るっている。
「芙蓉さん、浮かない顔ですが。紅茶も冷めますよ」
「こんなところでは、あまり美味しいとも感じませんわ」
ぴしゃりと言い捨てつつ、出されたお茶をしっかりと飲む礼儀は心得ていた。
「マツナガさん、あなたが今、あめしょーさん達に何をやらせているか、存じませんけれど……」
「おぉっと、お気になさらないで。別に、あなたに不利益のあることってんじゃあありませんよ」
マツナガは、蛇が絡みつくような言葉遣いで、軽薄な笑みを浮かべる。この態度が、芙蓉にはどうも好きになれない。
「アイリスブランドを全力で叩く。そうでしょう? あなたも残酷な人ですねぇ」
「叩くって、そんな……」
「自覚なさった方が良いんじゃないですかね。あなたは今回のラスボスなんですから。それっぽくどーんと構えていなさいよ」
それは、あなたが悪役らしく振舞っているからではなくって。芙蓉はそのように言おうとしたが、口をつぐんだ。マツナガがそうしたプレイヤーであると聞いた上で、ギルドスポンサーを申し出たのは自分なのだ。スポンサーにつく条件として、芙蓉が提案したのはひとつ。ツワブキ・イチローに対して、アイリスのデザインよりも自分のデザインが優れていると認めさせたい。その手伝いをすること。
言いながら、まるで子供のワガママのようだと、羞恥に心が悶えたのは覚えている。アイリスのプレイヤーが一体どこの誰で、何歳で、実際に男なのか女なのかすら知りはしない。だが、曲がりなりにも日本のアパレル業界を牽引するひとりである自分が、おそらく素人であろう小娘(便宜上そう呼ぶ)に、ここまでムキになっている事実。それを認めることが、芙蓉にはひどく悔しかった。
だが、マツナガは、その時ばかりは非常に真面目な顔をし、しかしすぐにそれを崩して頷いた。協力しますよ、芙蓉さん。軽薄な笑みで言ったものである。彼は『自分たちのやり方に口を出さないこと』という前置きの後に、芙蓉の実に私的な要求を、あっさりと受け入れてしまった。
いったい、この男は、何を考えているのか。何を思ってこちらの要求を受け入れたのか。芙蓉にはわからない。マツナガがモデルとして招き入れたあめしょーは、彼のことを『お祭り好きな人』と称していた。確かに、ファッションショーなどというイベントを、プレイヤーの身でありながらセッティングし、ブログでの告知により一層大きなお祭りに発展させる彼の手腕は、あめしょーの評価そのものであると言える。
でも、本当にそれだけなのだろうか。芙蓉は紅茶を飲みながら思った。底の見えないこの男が不気味でしょうがない。
「そう怖がらなくても良いでしょうに」
と、マツナガは言った。
「怖がってなんか……」
「この際だから言ってしまいますけどね。あなたの気持ちもわかりますよ」
「は……」
相槌を打とうとして、かぶりを振る。何を言おうとしているのか。彼は。
「自分が一番だと思ってきた。一番でなくても、ひとかどの地位を築いてきたと思っていた。それを一瞬で崩されたショックっていうのは、まぁ大概なもんでしょう。俺にだって、そういう経験はあります。まぁ、ゲームの中でですけどね」
軽薄な笑みを浮かべたまま、飄々と語るマツナガの言葉は、どこまでが本気で本当かわからない。だが、ただの冗談であると断じ、軽んじることを許さないような雰囲気は、言葉の端々から感じられた。
「でも言ってしまえば、俺はあなたの世界が少し羨ましいですね。だってそうでしょう。実にファジーですよ。優劣を決めるのは、絶対の基準じゃない。人の感性っていう、ふわふわしたものだ。俺が負けたのは、数字だけの世界ですからね。勝ちは勝ち、負けは負けです。そうした覆らない勝敗っていうのは、ちょっと羨ましい」
「それは隣の芝生という奴ですわ」
この時ばかりは芙蓉も、マツナガの言葉にまともに取り合ってしまっていた。
「絶対の基準があれば、どんなに良いか……。勝ちは勝ち、負けは負けって決められたら、どんなに良いか……。そんな世界が幸せだってこと、マツナガさんはご存知ないんでしょう。わたくしだって、わたくしだって……アイリスさんのデザインが、自分より素敵だって思えたなら……こんなに悩みはしませんわ」
石蕗一朗が、気に入ったと口にした蝶のブローチ。あれが、本当に優れたデザインであれば、芙蓉の心はどれだけ救われたことだろうか。あるいは、明確な点数が設定されていれば。10のものが良く、1のものが悪いと、そう決められたならどれだけ良かったことだろうか。
「わたくしにはっ……、あのデザインの良さが……!」
今まで、口にするのを恐れていた言葉が、このときようやく喉から出る。
「わか……らないんです……!」
ファジーな世界は残酷だ。頼れるものは、自分の感性しかない。だが、その感性を否定されてしまったら、いったい何にすがって生きていけばいい。人々は、自分のデザインが素晴らしいものだと認めてくれている。だがそれも、たった一人に否定されてしまっては何の意味もないのだ。わからせなければならない。その、たった一人に対して、わからせなければならない。
「なるほど」
マツナガはぽつりと言った。
「でも、ファッションショーに勝ったからって、ツワブキさんがその結果に流されたりしますかね」
「じゃあほかに、どんな手段があったっておっしゃいますの?」
芙蓉の震えた声を受けて、マツナガは沈黙する。答えなど、出ようはずもない。
天井から漏れた水が、床を叩く音だけが、静かに続いていた。
さて、幾多の思惑、感情の変遷など気にもとめずに、日々はあっという間に過ぎていく。8月17日。とうとう、その日がやってきた。海上都市メニーフィッシュの特設ステージを借り切って、アイリスブランドとMiZUNOが雌雄を決する時である。
以前のように桜子の家事を手伝い、午前9時頃に素早くログインしたイチローであるが、ギルドハウスの中でアイリスが困った顔をしているのをさっそく見つけてしまった。もうとっくにメニーフィッシュに向かっていると思ったのだが。いじらしく『一緒に行こう』というキャラクターでもあるまい。
「やぁ、アイリス」
「あ、御曹司」
ユーリやレナ、ミウといったMARYのメンバーも一緒だ。連日のように入り浸っていたらしいエドワードの姿は、この時ばかりは見当たらない。少し遅れてログインしてきたヨザクラも、アイリスがハウス内に残っているのを見て首をかしげた。
「どうかなさいました?」
「あの、ヨザクラさんでも良いんだけど……」
少し気まずそうに視線を逸らして、アイリスが言う。
「ワープフェザー、余ってない? メニーフィッシュに登録してあるやつ」
「余っているけど、」
イチローはインベントリを開きながら答えた。
「NPCショップでは買えなかったのかい」
「買い占められちゃってるんです」
ユーリは言った。まさか、と思う。
ナローファンタジー・オンラインにおいて、ゲーム内の消費アイテムは一日あたりの流通数が制限されている。ポーションや疲労回復剤などはその最たる例であり、素材合成によってこれらのアイテムを生産できる錬金術師は、一定以上の規模を持つギルドでは重宝されていた。
移動用アイテムであるワープフェザーも消費アイテムであり、流通数は限られているが、その数自体はポーションなどとは比べ物にならないほど多い。生産に必要なグリフォンの羽が、高レベル帯にならなければ入手できないのが理由のひとつだと言われている。大規模な需要が発生したところで、そうそう流通が枯渇することはありえない。意図的な買い占めでも行わない限りは。
「ま、まさかマツナガさん達の妨害なんじゃ……」
おずおずとヨザクラが言う。
「えっ、あたし達を会場に行かせないつもり?」
「いや、そこまでではないと思うけどね」
ちらり、と窓からハウスの外を眺めて、イチローはつぶやいた。
「まぁ、とりあえずこれを持っていくと良い。アイリスと、ユーリ、レナ、ミウの分。あとはヨザクラさんの分、全部で5枚」
「御曹司のは?」
「もちろんある。最後の1枚」
インベントリから6枚目の羽を取り出したのを見て、アイリス達はほっと溜め息をつく。
「先に行っていてくれないかな。ちょっとハウス内で済ませておく用事があるんだ」
「わかったわ。早く来てよね。御曹司もびっくりするデザインになってるわよ」
「楽しみにしておこう」
アイリス達は、連れ立ってギルドハウスの外に飛び出していく。その後、ワープフェザー発動の薄い光が、窓の外でまたたいたのが見えた。
「イチロー様……」
ヨザクラが、何やら神妙な顔で言った。この新米メイド忍者(だがまだ私服だ)も、どうやら何かを感じ取っているらしい。忍者になるために感知系ステータスを上げたのなら、まぁ当然か。しかし、彼女が行かなければアイリス達も困ってしまう。
「気にしなくて良い。早く行ってあげなさい」
「かしこまりました。では……、」
ここは、ゴネてとどまる場面でもないだろう。ヨザクラは、ブラウスとスキニーパンツの姿のまま恭しく一礼すると、ギルドハウスの外へと飛び出した。
イチローは、片手でワープフェザーを弄びながら、彼女を追うようにしてグラスゴバラのストリートへと出る。そこで、予想していた通りの声を、ギルドハウスの影からかけられた。
「やっほーぅ、ツワブキぃ」
「やぁ、あめしょー」
クラシックタビーの上品なジャケットを羽織り、あめしょーが笑顔で出てきた。小悪魔的というのか。いつもの猫のような態度だが、どこか本心を隠した様子である。
「ねーツワブキぃ、ワープフェザーちょーだい」
「ん、良いよ」
以前、バリアフェザーをねだられた時とは、声のトーンが少し違う。イチローは、さして惜しむ様子もなく、あめしょーに最後のワープフェザーを差し出した。
「僕が行くと、何か都合の悪いことでもあるのかい?」
「あー、やっぱ気づいてるんだ。さっすがぁ」
おそらく、マツナガの指示でワープフェザーを買い占めた本人であろう獣人の少女は、悪びれもせずに言う。
「ぼくは何も聞いてないにゃー。たまには、ぼくもワルモノやってみたいって思っただけ。どう、結構ハマってる?」
「トリックスターって感じ。いつもと変わらないと言えば、そうかな」
「そっかー」
建物の影には、まだほかに数人の気配がある。おそらく、イチローが持っているワープフェザーの残り枚数に応じて、一緒に出てくるはずだったのだろう。用意周到なことだ。逆に、こちらが持っている数が少なく、アイリスやヨザクラが現地へ飛べなかった場合、あめしょーが持っているワープフェザーを、しれっと差し出してきたのだろうとも思う。目的はあくまでイチローの足止めだ。
「ごめんねツワブキ、怒ってる?」
「ナンセンス。気にしていないよ。君も早く行ったほうがいい」
「ん、わかったー。じゃあツワブキ、まったねー」
あめしょーは、イチローから手渡されたワープフェザーを遠慮なく使用した。光がまたたき、彼女の姿が掻き消える。同じ反応が、建物の影からも数度、あった。
さて、となると、自分は徒歩でメニーフィッシュまで向かわなければならないのか。《竜翼》を広げて飛んでいけば、まぁだいたい1時間くらいだろうか。本当に徒歩だけならば3時間。ヴォルガンド火山帯にヴィスピアーニャ平原を超える必要があるため、距離はある。
まぁ、それだけではないだろうな。きっと妨害もある。
イチローは、幼少期に読んだ太宰治の『走れメロス』を思い浮かべながら、グラスゴバラの街を発った。
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誤字を修正
× グラフィック適応料
○ グラフィック適用料




