第五十九話 御曹司、受けて立つ(2)
VRMMOである。奇抜な格好をするプレイヤーというのも、決して少なくはない。ナロファンがプレーンファンタジーな世界観をうたう以上、基本はそのイメージに即した鎧やらローブやらが多いのだが、まぁハメを外してみたい連中というのは常に一定数いるわけで、そうした需要を満たす珍妙奇天烈な防具というのも、まぁある。更に言ってしまえば、アイリスブランド自体がそうした王道から外れた装備アイテムの生産をメインに活動しているギルドなわけで、一朗の装備グラフィックも、基本的には人の目を引く『異色装備』の部類に入る。
だから、多少ヘンテコなものを身につけていたところで、それは決して珍しいものではないはずだ。そもそも他人がどのような振る舞いをし、どのような防具を身に付けようと、一朗の知ったことではない。
ただ、そこに身内の顔が乗っかっているのは、石蕗一朗にはあまり経験のないことだった。
「一朗さま、お疲れ様です!」
頭を下げる彼女の後頭部で、白色のポニーテールがぴょいんと跳ねる。それはいい。問題は服装だ。
現実世界での格好が格好であるので、メイド衣装を基調としたデザインそのものに違和感はなかった。ただし、シンプルで機能性を意識したヴィクトリアンスタイルとは遠くかけ離れたもので、フリルによる装飾と驚愕的な裁断を施したスカート丈が目立つ。フレンチメイドというと下品なイメージはあるが、どちらかと言えばそちらよりだ。
一朗個人のセンスで言えば、あまりこういうのが好きではない。
「えぇと、桜子さん?」
「あ、はい」
そのアバターは顔をあげた。頭上に表示された名前には『ヨザクラ』とある。
「あ、一朗さまはあまりこういうのお好きじゃないんでしたっけ。すみません」
「まぁ君のアバターだから好きにすればいい。もうアニバーサリィパック使ったの?」
「はい。せっかくのプレゼントでしたからね!」
扇桜子の誕生日である7月20日に、一朗は当時まだ発売前であったアニバーサリィパックを彼女にプレゼントした。シスル・コーポレーション本社へ赴いた本来の用事というのがそれで、あざみ社長に多少無理を言ってシスルから購入させてもらったものである。付き合いの長い使用人のためと言えど、多少やり口はスマートでなかったかもしれない。ただ桜子は喜んでいた。
アニバーサリィパックは、8月10日のアップデートに合わせて使用が解禁となり、彼女もようやく使うことができたといった具合だ。データ的な話をすれば、エクストラクラスの取得条件が緩和されるなどの特典があり、更に新種族を含めた合計5つの有料種族が無料で選択可能となっている。
課金によって過剰成長と遂げてしまったキルシュヴァッサー(桜子曰く『使うのも恐ろしい』)に代わるセカンドキャラを、このアニバーサリィパックで作成するのだろうというのは、一朗の予想通りではあったのだが。
「桜子さんにそっくりだ」
「そんなに似てますか? 〝フェイスパーツスキャナー〟っていう機能があったから使ってみたんですよ。そのままだと恥ずかしいから、精度レベルは結構落としたつもりなんですけど……」
一朗がキャラクターメイク時に使った機能とはまた別のものなのだろうか。あれは、現実の一朗の顔をコピーすると言っていた割に、なんともお粗末な精度であった。おかげでグラフィックは自作である。レベルを落としたといっても、おそらくその時に使用したコピー機能よりは、より正確に桜子の顔を再現している。
まぁそっくりというのは言いすぎかな。それでも雰囲気はある。一朗の使用した機能よりも精度が高そうだというのも事実だ。
「ヨザクラさんのその防具も、クラス専用?」
「あ、これですか? これもアニバーサリィパックの機能ですよ。〝デザインジェネレーター〟って言うやつ。取得クラスに応じて専用防具を組み合わせて作ってくれるんです。割と面白い出来なんでお気に入りなんですけどねー……」
ヨザクラは、くるくる回りながら自身の衣装を確認する。曰く、取得クラスは従者と偶像。キルシュヴァッサーが比較的マジメに成長方針で伸ばしたキャラクターだっただけに、セカンドキャラはネタに走ってみようとのことだった。オンラインゲーマーとしてはよくある判断なのかどうか知らないが、ゲームの勝手がわかった以上、ちょっと変わったプレイをしてみたいという心理ならば、理屈としては理解できる。
「あめしょーも偶像取ってたね」
「そうなんですか? 会場には終わり際に来たんでわかんないんですけど、あめしょーさんも招待客だったんですか?」
「ん、あとで話すよ」
ひとまず会場を出ることにしよう。一朗はヨザクラを連れて歩き始める。まだこの場に残っていた何人かのプレイヤーは、一朗にかヨザクラにか、好奇じみた視線を送っていた。
種族はなんだろうな、と思い視線だけを後ろにやる。瞳だけは血を垂らしたように紅く、肌の色素はやや薄い。現実世界では栗色だった髪も乾いたような白色だ。見たこともない外見特徴からするに、新種族のどちらかなのだろうとは思う。エルフほどではないが、耳先はやや尖っている。
「もうお昼ですね。アイリスには会いました?」
「実はまだなんだ。先にログアウトしてお昼を済ませようか?」
このままアイリスブランドのギルドハウスに向かってもよかったが、一朗はイチローと違ってワープフェザーを持っていないし、ヨザクラも同様だ。いや、ゲストIDの特権で好きな街へ自由に移動できるとは聞いていたか。それでも、ヨザクラは連れていけないしな。
「そういえば、一朗さまにご相談したいことがあるんです」
「ん?」
考えている途中、ヨザクラがいつになく真剣な面持ちでそう言う。いつになくもなにも、ヨザクラと言葉を交わすのはこれが初めてなのだが、そこは追及するようなところではない。一朗は彼女の様子を見て姿勢をただし、いつもの涼やかな態度だけは崩さないでたずねる。
「なんだろう。聞こうか」
彼女は頷いた後、こう言った。
「実は、ヨザクラのキャラ設定がまだ決まってないんです」
「ああ、そう……」
そこで『ナンセンス』と言わせない程度には、ヨザクラの表情は真剣であった。
ひとまずログアウト。そこから昼食をとる。普段ならそれなりに準備を要する石蕗邸の食卓ではあるが、本日テーブルの上に供されるのは『すぐ美味しい、すごく美味しい』例のアレである。ロイヤルコペンハーゲン製のどんぶりが2つ、中にはチキンラーメンと生卵が放り込まれ、お湯を注いで待つこと3分。薬味ネギをまじえて食される。昼食の最中、桜子のセカンドキャラクターであるヨザクラの設定に関して綿密な打ち合わせがなされ、まぁ一朗もこれはこれで大いに楽しんだ。食事内容に関しても、ここ数日はジャンクフード漬けの日々が続くが、思っていたほど悪いものではない。
食事を終えたあとに再度ログインする。この時は一朗もイチローを選択し、以前最後にログアウトした〝死の山脈〟から、ワープフェザーを使って〝始まりの街〟へ。そこから徒歩で〝海上都市メニーフィッシュ〟へ行き、待ちぼうけを食らっていたヨザクラと改めて合流してから、またもワープフェザーで〝グラスゴバラ職人街〟へ移動する。
「1レベルキャラクターがいきなりグラスゴバラなんて、贅沢なお話ですね」
「そうかな。僕もキルシュヴァッサー卿に連れられて、いきなりヴォルガンド火山帯に出向いたような気がするよ」
結局のところヨザクラは、そのキルシュヴァッサーによって拾われ育てられたナイトメアの少女という設定が付与され、演技の方針に関しては普段の桜子とあまり変わらなかった。一朗が『少女?』とたずねると『そうですけど、何か?』とだけ返してきたので、それ以上の追及はしないこととする。
この時間帯になると、職人街は普段となんら変わらない活気を取り戻す。セレモニーを見に行っていた多くのプレイヤーが古巣に戻ったり、また新たな冒険のために防具を買い揃えたりするために、メインストリートはごった返していた。
「ヨザクラさんの新しい装備も、アイリスに作ってもらわないとね」
「このフリフリ、そんなにお気に召しません?」
「いやぁ、僕個人の感想言えばそんなに好きじゃないけど、そういうことじゃなくてさ。せっかく新しいアバターなんだから、アイリスブランドの防具を着ようよって話だよ」
キルシュヴァッサーは、キャラクタイメージの為に重厚なフルプレートメイルを手放せなかったので、アイリスブランドのアパレル風防具とは無縁であった。タキシードを着せて執事という案もなくはなかったのだが、『私は執事ではなく騎士です』という、本人の強硬な主張を前にお蔵入りとなっている。
まぁ新キャラクターともなれば、ヨザクラのやることはいっぱいある。ネタに走るとはいってももちろんレベル上げはするのだろうし、イチローもある程度はそれに付き合ってやるつもりだ。このあと芙蓉に挑まれた『勝負』というものもあったりするし、それなりにせわしないゲーム内生活となりそうではある。
アイリスブランドのギルドハウスに足を踏み入れたとき、イチローはいきなり、彼を示す名を呼ばれた。
「おぉんぞぉしぃィィィッ!!」
ただし、それが『御曹司』を意味する語であると理解するには、40ヶ国語以上を完全にマスターし、読み書きできないものを含めれば更に20ヶ国語を自在に操るイチローをもってしても数秒の時間を要した。
アイリスである。
「やぁ、アイリス。久しぶり」
とは言ってもほんの10日程度なのだが、それまでは毎日のように会っていたからこのように感じる。しかしアイリスはイチローの感慨などまるで知ったことではないかのように、再度、地鳴りのような叫び声をあげた。
「おォンぞうしッ! 聞いて! 聞いてよ! あたしの話を聞いて! ていうか遅かったわね! お昼食べてきたの? ああいや別に怒ってるんじゃないの! 確かに怒ってるけどその対象は御曹司じゃないわ! でも実際、腸が煮えくり返るっていう感情! 身をもって体験しているわ! 愛しさ余って憎さ100倍って言葉! あれもガチよね! 好きの対義語が無関心であるとはよく言ったもんだわ! あたしも無関心だったらどんなに平静でいられたことか!」
「ん、聞こう」
現実であれば飛び散ったツバを、海島綿コレクションのハンカチで拭き取っていたことだろう。だが、ゲーム内では機関銃のように言葉をまくし立てたところで、実際に『口角泡が飛ぶ』なんていうことはない。
勢いに面食らっているのは、隣に立つヨザクラだけではない。ギルドハウス内にいる、幾人かの影。あれはユーリ達だろう。軽く会釈をしてきたので、片手をあげて応じる。その奥にいるのは、あれは、ああ、エドワードじゃないか。彼にも挨拶をすると、エドワードは無視しようとし、会釈しようとし、やはりまた無視しようとしてから、最終的には頭を小さく動かして挨拶の代わりとしてきた。短い動作の中にも逡巡が見て取れて面白い。
「あのね御曹司! 今日の昼前くらいなんだけど……あら?」
そこでようやく、アイリスもイチローの隣に立つナイトメアの少女(自称)に気づく。
「ひょっとしてお客さん?」
「いや、新しいギルドメンバー」
「ヨザクラです。よろしくお願いします」
「あ、いや。えっと。これはご丁寧に……」
満面の笑顔でそのように挨拶するヨザクラ。アイリスも深々とお辞儀をした。
一旦挨拶をはさんで少しばかりのクールダウン。アイリスにも周囲を見渡す余裕ができたと見え、しばしキョロキョロした後に、このようなことをたずねてきた。
「キルシュさんは?」
「ここ」
「へ?」
ヨザクラを示しながら、イチローは答える。
「ヨザクラさんのプレイヤーが、キルシュヴァッサー卿のプレイヤーだよ。セカンドキャラってやつ」
丁寧かつ簡潔な説明であったが、アイリスは首をかしげた。状況があまり飲み込めていないもの特有の、怪訝そうな顔をする。ここでまたしばしの間があり、笑顔を保ち続けるヨザクラを前にして、アイリスはひとまず疑問を口にした。
「え、で、でも、女の人じゃない」
「女の人だよ」
「え、女の人なの?」
「女の人だけど」
「住み込みなのよね?」
「住み込みだよ」
「女の人なのに?」
「女の人だよ」
非常に不毛な問答の末、アイリスは何かを察したように目を見開いた。そのまま片手を口に当てて、よろよろと背後へたじろぐ。
「ふ、フケツ……!」
「ナンセンス」
アイリスは、今の今までキルシュヴァッサーのプレイヤーが男だと信じて疑わなかったということか。まぁ彼のロールプレイも堂に入っていたから騙されるのもわかるが、ティラミスやマツナガを始め、多くのプレイヤーは気づいていたか、あるいは疑っていたように思う。ユーリ達の顔には、アイリスほどの驚愕はない。エドワードは目に見えた舌打ちを残していた。
「アイリス、あとでじっくりとお話しましょう」
「な、何をよぅ……」
ヨザクラは笑顔を崩さなかったが、彼らの態度に何かしら思うところはあった模様だ。
「それで、アイリス。僕に何を聞いて欲しいって?」
「あ、そうだ。それよ!」
そこで、アイリスの阿修羅面が再び『怒り』モードにチェンジする。
「聞いてよ御曹司!」
「聞いてるよ」
「アパレルデザイナーの芙蓉めぐみさんっているでしょ! まぁ知ってるわよね! 芙蓉さんもあんたのこと知ってたみたいだし! あの人がここに来たのよ!」
涼やかな態度で話を聞いていたイチローの様子に、ぴくりと変化が起きる。
「めぐみさんが?」
「あぁ、やっぱり知ってるのね。それでね、あたしのデザインとか、じーっと見てから、なんて言ったと思う!? 『大したことありませんわね』っつったのよ! 信じらんないでしょ! それが良い大人の言うこと!? ショックったらなかったわ! あたしあの人尊敬してたのに!」
「なるほど。めぐみさんがここに……」
アイリスはいまだにガミガミと心中をまくし立てている。その一語一句を正確に聞き取りながらも、イチローの意識はすでに別の方向へと向いていた。芙蓉めぐみ。意外と彼女も、大人げないところがあるらしい。怒りや軽蔑が湧いてくるようなことはなかったが、やはりそれでも意外には思った。
あるいは、打ち合わせの場での一朗の言葉が、それほどまでに気に障ったということだろうか。アイリスの、素人のデザインセンスを間に受けて、意識してしまうほどには。『後悔しますわよ』という、彼女の言葉を思い出す。見たところ、アイリスはそこまでダメージを引きずっている様子はないが、もしももう少し大きいショックを受けているようなら、イチローもかなり嫌な思いをしたことだろう。
「人を憎いと思ったのは初めてだわ!」
アイリスが言った。
「嫉妬したことならいくらでもあったし、ムカついたこともたくさんあるんだけど、こう……なんか、マグマが沸騰しているような感覚よ! 気持ちを紛らわすためにクエスト行きまくったんだけど全然収まる気配がないわ! 思い出したらまた腹が立ってきた」
ひょっとして、ユーリ達やエドワードはそれに付き合ってくれたのだろうか。うちのギルドメンバーが迷惑をかけている。イチローが改めて、軽い謝罪を込め片手をあげると、一同は気にするなとでも言うように首を横に振った。
しかし、アイリスは存外にやる気であるように見える。やる気というよりは、なんだろうな。気合充分といったところか。確認の意味を込めて、ひとまずたずねてみる。
「アイリス、めぐみさんをコテンパンにする機会があるとしたら、どうする?」
「そんなのあるの?」
「ないとは言えない」
イチローが言うと、アイリスは手のひらに拳を打ち付け、鼻息を荒くした。実に男らしいポーズだ。
「やるわ」
「結構。ちょうど良かったよ。実は、午後3時くらいに、めぐみさんが改めてここに来ることになってる」
「………えっ?」
アイリスが聞き返した。時刻は午後2時半ばほど。一朗の言う時間まで30分もない。
ここで、途端にアイリスの表情が崩れ始める。
「ちょ、ちょっと待って。いきなりすぎるわ。まだ心の準備が必要なのよ」
「実は僕も、セレモニーでめぐみさんからの喧嘩を買ってきたところなんだ。内容についてはまぁ聞いてないんだけど、デザイン勝負とかだったらアイリスの負担が大きいし、適当に受け流そうかなって思ってたんだよね。でもアイリスがやる気ならちょうどいい」
「待って!?」
アイリスの焦りが本物になった。先ほどまでの勇ましい態度はどこへ行ってしまったのか。にわかに現実味を帯び始めた〝芙蓉めぐみ〟という強敵に対して、再び心が狼狽している様子である。だが、一度出した言葉を引っ込めるのは、一朗にとって実にナンセンス。アイリスが芙蓉をコテンパンにするか、芙蓉がアイリスをコテンパンにするか、確率的には後者の比重が大きくはあるが、一時的にでも見せたアイリスの気合は本物であると判断する。
「まぁここで一息つこうか。ヨザクラさん、お茶を入れてよ」
「えっ、良いんですか?」
いつもの調子でそう言ってしまったが、《茶道》スキルの低いヨザクラが入れたお茶は、大層まずかった。




