第五十八話 御曹司、受けて立つ(1)
いつもの半分くらいの文量でお送りいたします。
獣人の盗賊あめしょー。ゲーム内に数多の人脈を築く、謎多きソロプレイヤーである。当初は200人超えと言われていたそのフレンド数はこの1ヶ月で更に数を伸ばし、今やとっくにカンストしている。陽気で賢く、好奇心旺盛。遊びが好きで人懐っこい。名前の由来となったであろうアメリカンショートヘアそのものな気質は、まさしく彼女を〝人たらし〟たらしめている。
装いの中でも、クラシックタビーの毛並みを思わせる裾長のジャケットが、一際目を引いた。格子柄のギャザースカートは短めで、そこから覗く脚のラインは脚線美というにはタイトで色香に欠ける。それでも、幼さの残る彼女の立ち振る舞いと、やや大人びたファッションデザインのギャップは、会場の大半を占める愚かな男どもの本能を刺激してやまなかった。
あめしょー、魔性の猫である。
彼女に人差し指を突きつけられたドラゴネット。会場に視線は次に彼へと注がれた。ストロガノフが、椅子ごとガタッと距離を開ける。すっかり司会を奪われたあざみ社長と、司会を奪った芸人の男も、ややあっけにとられた様子で2人を見守っていた。
「ツワブキ、宣戦布告に来たにゃん」
2度、同じことを言う。一朗は、実にいつもどおりの涼やかな眼差しでそれを迎撃した。このまま黙り込めば常人を圧せられる程度の自信はあったのだが、あめしょーの精神は常人からややかけ離れている。
黙っていても、いたずらっぽい彼女の笑顔は崩せそうにないと理解し、一朗は言葉を発した。
「それは、めぐみさんの仕込み?」
「半分くらいはねー。フヨウはツワブキに喧嘩を売る気だよぅ。ぼくはフヨウに服をもらっちゃったから、今回はフヨウの味方なんだにゃん。ごめんねツワブキ。これ似合う?」
「よく似合っていると思うよ。裾がちょっと長すぎる気もするけどね」
「これはそういうデザインなの」
あめしょーがくるりと回ると、ジャケットとスカートの裾がふわりと浮かび上がって、壇上にシックな花びらを描いた。肉付きの少ない足の付け根が露骨になって、会場が大いに沸く。これはただのバーチャル・リアリティで、あめしょーの肉体は単なる3Dグラフィックだ。だが、観衆にはどうでも良いらしい。ま、人間はそれに似た形状の何かでも興奮を得られるのは、絵画の時代から実証済みである。
しかし、喧嘩を売るといったか。過激に出たな、と一朗は思う。
あめしょーが単なるメッセンジャーであるのか。実際にギルドスポンサーとして彼女を擁立しているのか。『フヨウの味方』というあめしょーの言を見るにおそらく後者であろうが、芙蓉めぐみはそうまでして自分に『後悔させる』つもりであるらしい。
ちらり、と、ほかの招待客を見る。芸人の彼は、どうぞ続けて、とジェスチャーで示していた。ならば、遠慮なく進めさせてもらおう。
「で、めぐみさんは僕にどういう勝負を挑むつもりなの?」
「詳しくは、今度改めてってゆってた。ぼくは、ひとまずセレモニー会場で喧嘩を売って目立ってこいって言われただけだもーん」
「めぐみさんに?」
「んーん」
首を横に振るあめしょーである。
となると、ほかに仕込み役がいることになるな。彼女も大概に目立ちたがり屋だが、いきなり『宣戦布告に来たにゃん』はない。多少は過激に振る舞うようにというのも、その仕込み役の指示だろう。まぁだいたい想像はつく。芙蓉めぐみも厄介な奴と手を組んだものだ。
「まぁ、良いや」
一朗は肩をすくめた。現実でのいさかいをゲーム内に持ち込まれることには改めて辟易とするが、あめしょー達が絡み、セレモニー会場でまで喧嘩を売られてしまえば、これはもう立派なゲーム内イベントだ。ならば一朗もプレイヤーとして全力を尽くす。こうした一朗の反応も見越してのことだというのであれば、仕込み役も大したものだ。
MiZUNOの社長である芙蓉めぐみは、このセレモニーには姿を見せていない。彼女の立場や名前すら知らないプレイヤーが大半であろうことを考えると、会場の観衆は、この会話の半分もおそらく理解していないだろう。が、一朗とあめしょーの間に横たわる、緊迫感のない火花の散らしあいは、流石に把握するところである。最前線を陣取る騎士団の分隊長たちは、『フヨウ……これはやはり』『彼らが動いたということでしょうか……』『なぜ、あめしょーがフヨウに……?』などと、訳知り顔で解説ごっこをしていた。いつもの4人に加えて、今日は普段姿を見せない残り3人の分隊長もいる。
「良いやっていうのは、受けて立つってことかにゃ?」
「うん。めぐみさんに伝えて欲しい」
一朗は席から立ち上がり、言った。
「〝君が感情に収まりがつかないのなら、付き合ってあげよう〟と。僕はセレモニーが終わったら一度お昼を食べる予定だから、勝負の内容は3時過ぎくらいに通達して欲しい。そんなところかな。何か手土産のひとつでも持たせられると良いんだけど」
アイテムインベントリを開いてみても、大したものは入っていない。これが石蕗一朗ではなくツワブキ・イチローであれば、ギルドの共有インベントリに面白い防具のレシピでも入っているのだが、ま、そのあたりはお生憎様であった。
ゲーム内で喧嘩を買うのはこれが2度目だな。あの時も、実質的な宣戦は大観衆の前だった。エドワードと江戸川土門の顔を同時に思い出す。
「わかったー。伝えとくー」
あめしょーは再び壇上でくるっと周り、マイクを片手に今度は大衆に向かって呼びかけた。
「じゃあみんな、まったねー! これからもぼくのこと、応援してねっ!」
『あめしょおおおおおおおおおおッ!!』
手ごわいな。一朗は素直にそう思った。別に脅威に感じるほどではないが、人脈というのはそれだけでパワーである。カネの力に匹敵するのはコネの力だ。あめしょーはそれを持っている。どのような勝負をするのであれ、ゲーム内の無数のユーザーを身につけたあめしょーが敵に回るのであれば、なかなか手ごわい。
彼女の帰り道をつくるため再び人垣が割れかけたのだが、あめしょーはステージを蹴って高く跳び上がる。ハイレベル獣人盗賊特有の身の軽さを見せつけ、ポールやカキワリなどを足場にしてそのまま独自の空中経路で会場から姿を消してしまった。見上げる大衆の中から『見えた!』という魂の叫び声が聞こえる。
「いやー、とんだ乱入者だったねぇ」
あめしょーが退場してからすぐ。その余韻に会場がざわつく中、マイクを持った芸人の彼がそう言った。
「昔、こういう場でああいう破天荒なことをするのは石蕗くんだったんだけどなぁ。君も落ち着いたもんだ」
「ナンセンス。破天荒なことをするから僕なわけでも、僕だから破天荒なことをするわけでもないよ。僕がやることがたまたま破天荒だっただけだ」
しかし、宣戦布告と言われてもな。まさか、エドワードの時のようにアバターで殴り合いをするわけでもあるまい。あめしょーにわざわざMiZUNOデザインの衣装を着せて寄越したということは、まさかファッションデザインで勝負しろということなのだろうか。プレタポルテ・コレクションのような真似事でもするつもりか? MiZUNOのデザイン方針からするとプレタポルテというよりはリアルクローズか。そこに勝敗を設けようというのであれば、やはりナンセンスな話だとは思う。
アイリスはこの勝負を受けるだろうか。いくら自分がそのつもりになっても、彼女の腰が引けていてはお話にならない。客観的に見ても実力差は歴然であるし、もしもアイリスのやる気を引き出せないのなら、無理に発破をかける必要はない。デザインも自分自身が適当にこなしてオシマイということになるか。
結局、トークショーはその後も、参加プレイヤーの不快感を煽らない程度のストロガノフいじりと一朗いじりをメインに進行し、時間いっぱいまで使って会場を沸かせた。新種族・新クラスの紹介として、運営側が用意したモデルキャラクター同士のエキシビションバトルや、彼らに一朗とストロガノフが挑む展開もあったのだが、結果に関してはまぁ、お察しの通りである。会場もドン引きだ。
トラブルやアクシデントもあるにはあったが、セレモニー自体はつつがなく終了した。時刻はだいたい、昼の1時を回る。これが現実の式典であれば、このあと関係者や招待客の親睦を深めるための食事会もある。実際ポニー本社ビルのミライヴギア・コクーンから直接アクセスしている一部の招待客などは、あざみ社長らと親睦会へ向かう様子ではあった。一朗もそれとなく招きに預かったが、さして興味もないのでそれとなく断ってある。
適当なあいさつの後にログアウトしたところで、別になんら不都合はない。ストロガノフなどは、ステージから降りて、そのまま騎士団の仲間たちと会場を出ていってしまった。経営しているというレストランは今日は休みなのだろうか。
「一朗さん、こちらの判断が結果的にいろいろご迷惑をかけているようで……」
一朗もログアウトしようかと考えているとき、あざみ社長にそのような声をかけられた。そう彼女が気にすることでもないはずだったが、確かにこの件、もとをたどればあざみ社長や荒垣課長の提案に端を発していることになるか。
「まぁ、今更なところもあるしね。ゲームは楽しませてもらっているから別に構わないよ」
ひとまず、そう答えておいた。
あざみ社長と最初に会った、一ヶ月前のホテル・グランドヒルズを思い出す。今にして思えば退屈な生活を出奔するきっかけとなったわけであるが、あの場には芙蓉めぐみのような好意を持って接してくる社交界の令嬢が何人かいた。
「あのバーで、君が言ったお世辞だけど」
「はい?」
「僕が魅力的な男性だってやつ」
「ああ……そんなことも、言ったような気がしますわ……」
あざみ社長は気まずそうに目をそらす。ということは、やはり本心ではなかったのか。結構。安っぽい本心よりは、強かな目的に裏打ちされた薄っぺらいおべんちゃらの方が、一朗の好むところではある。
ここは流石に才女・野々あざみであると見えて、こちらの返事を待つまでもなく、一朗の望む答えに彼女なりの見解を交えてきた。
「でも、芙蓉さんが一朗さんに抱いてらっしゃるご好意は本物でしょう? 袖にされて、不満に思う気持ちもわかります」
「なるほど。自分が完璧な人間だという事実になんの疑いも持たないけど、他人の心を察するのはなかなか難しいものだね」
「一朗さん、その態度で何人の女性を泣かしていらしたのかしら……」
「君が思っているよりは多くないと思うんだけど」
あざみ社長がログアウトを急かされる流れで、この話は手打ちとなる。彼女の最後のセリフは、何やらつい最近も似たようなことを言われた気がするな。ローズマリーの一件だ。まだ自我に乏しいと思われるローズマリーの、一朗に対する〝快〟の感情が、芙蓉のものと同じであると断ずるのは危険だとは思うが。自分の立ち振る舞いがこうしたトラブルを呼びやすいのであれば、矯正とまではいかなくとも若干の軌道修正は必要だろう。
改めてメニューウィンドウを開く。ここでログアウトするかどうかだ。もし桜子がログインしているというのであれば、ここで落ちると行き違いになる可能性がある。考えあぐねている一朗を、背後から呼ぶ声があった。
「一朗さまー!」
名前を呼ばれれば、振り返るのが礼儀だろう。
さて、このふてぶてしい性格をした御曹司である。いかに予想外な出来事が起ころうと、『ギョッ』とするなど、ありえないタフな精神をしている。どのような危険であれ、平常心と涼やかな視線で受け入れる覚悟は常にある。
だが、このときばかりはギョッとした。




