第五十五話 御曹司、首を振る
VRMMOの商業価値は、単なるオンラインゲームの発展系には留まらない。自分自身がまったく違う世界に飛び込んで、五感を以って体験することのできるシステム。その世界は人間が自らの手で構築するものである以上、可能性は無限大だ。比喩や誇張は一切含まない。
ギルドスポンサー制度は、仮想現実世界における経済的可能性の追求として、ポニー・エンタテイメント社が新たに提案する制度である。現実に存在する企業や団体が、仮想世界においても出店を行うための第一歩。例えば服飾や建築、あるいは食品。そうしたものは、現在の技術であればじゅうぶん再現は可能である。
順を追って説明しよう。
現実世界に存在する多くの企業は、ナロファンプレイヤーの相互扶助組織である〝ギルド〟に、運営体を通すことでスポンサーとしての出資を申し出ることができる。出資のメリットは様々だ。詳細はスポンサー側が決めることができるが、単純にゲーム内通貨に始まり、消費アイテムの給与や取得経験値の増加など、課金サービスのような優遇を、ギルド全体で受けることができる。それらの効果は『ちょっとお得』に感じる程度の微々たるものであり、通常の課金サービスと重複させることでゲームバランスを劇的に変化させるようなものではない。システムの目玉は別にある。
ギルドスポンサーとなった企業は、ナローファンタジー・オンライン内において、サービスの有償提供を行うことができるようになる。それは仮想現実内で再現ができるものに留まるが、ドライブ型バーチャル・リアリティは五感を騙すものであるために、服飾・建築・食品・化粧品・音楽・映像など、様々な製品をゲーム内アイテムとして販売することができる。運営体と緻密に相談を重ねれば、そこにゲーム特有の数値ステータスを付与することも可能だ。
ギルドスポンサーが販売するゲーム内アイテムは、出資を受けたギルドであれば無償で利用ができる。有償・無償といっても、発生する金銭のやり取りはゲーム内通貨によるもので極めて健全だ。それらのアイテムはそのまま現実世界における企業の宣伝となる他、サービスの販売によってスポンサーが得たゲーム内通貨は、ささやかながら現金として還元される。ギルドスポンサーとなるには、もともと運営体に対して多額の宣伝費用を支払う必要があるため、丸儲けとはいかないまでも、これによってゲーム内でも企業間の競争を促進する狙いだ。
出資を受けたギルドは当然ながらスポンサーの意向に沿った行動を取る必要があり、これはギルドに所属するプレイヤーの全体的なモラル向上につながることも期待される。と、まぁ、いろいろと良いこと尽くしのように見えるのが、このギルドスポンサー制度だ。荒垣課長から手渡された資料にはそのようなことが書いてあり、彼の口からも同じようなことが語られた。
「なるほど、」
一朗は頷いた。
書いてある以外にも様々な副次効果はあるのだろうな、とも思う。例えばゲーム内通貨の新たなる回収ルートだ。MMOのようなオンラインゲームは、例えばモンスターを倒せば資金が手に入る。アイテムを売却すれば資金が手に入る。など、ゲーム内通貨の入手手段には事を欠かないが、それを失う、支払うようなシステムが希薄であると、当然ながら通貨の流通量が増えてインフレが発生する。ナロファンは、なまじ生産職が優秀であるがゆえにプレイヤー間での通貨のやり取りが多く、これを懸念する声が多かった。企業がサービスを販売することでゲーム内通貨を回収し、運営体に買い取らせるシステムは、これに応えたものなのだろう。
一朗およびアイリスブランドに対して、そのパターンモデルとなって欲しい、ということであったが、すでに幾つかの有名ギルドはスポンサーとの契約を結んでいるようだ。赤き斜陽の騎士団は、大手外食チェーンである株式会社すかいうぉーかー、アキハバラ鍛造組は玩具・フィギュアメーカーとして有名なグッドスリープカンパニーといった具合である。騎士団がスポンサーまで食べ物絡みなのにはちょっと笑ってしまった。
書類を見る限り三大ギルドでは唯一、双頭の白蛇の名前がない。マツナガには申し訳ないが、それも当然かと思った。場合によってはあえてヒールに徹するようなダーティな立ち回りが彼らの持ち味である。なかなかスポンサーは現れまい。
「なるほど、」
一朗は再度頷いた。
「ご理解いただけたでしょうか」
「ん、まぁね」
書類を眺めながら、次に出てくる言葉も予想をつける。
「石蕗さんのギルドであるアイリスブランドには、芙蓉さんが新たにオープンしたファッションブランドであるMiZUNOをつけていただこうと、考えているのですが」
ま、大方そんなところであろう。当然だ。一朗がちらりと芙蓉めぐみを見ると、彼女はやはり気品をまとわせた笑顔をこちらに返した。
視線を彼女の服に移す。良いセンスだ、と一朗は思った。上品ではあるが嫌味はない。新興ブランドであるが故、というのもあるのだろうが、それ以上に若者のセンスにあったファッションデザインと言えよう。客観的に見てもそうではあるし、一朗個人としても好ましいセンスをしている。彼女が召しているのはフォーマルな衣装であり、アクセサリーの一点に至るまで自身のデザインであろうことは察せられた。が、本質的には若者向けのカジュアルなアパレルデザインが本領であろうことも見抜く。
「どうでしょうか、一朗さん」
隣の席で、あざみ社長も言った。彼女自身がどう思っているかはともかく、立場的には一朗からイエスを引き出さねばならないところだろう。
が、一朗は言った。
「申し訳ないんだけど、承諾しかねる」
「残酷な方ね。どうしてかしら」
予想していなかった回答ではないのだろう。芙蓉に狼狽は見られなかった。荒垣は露骨に渋い顔をしている。
「君が似合わないって言った、僕のブローチなんだけど、これアイリスのデザインなんだ。だから無理かな」
一朗は、胸元についた蝶のブローチをさして言った。造型は精緻だが、あまり大人っぽいデザインではない。彼は常にこれをつけて行動している。最近は社交界に顔を出すことも少ないが、それでも、上流階級の人間と顔を合わせると、必ずこの装飾品についてのツッコミをもらっていた。
客観的に見て、似合わないという芙蓉の言葉は正しい。それを訂正するつもりもない。が、仮にそうであるとしても、一朗はこのブローチが好きであって、これをデザインしたアイリスのセンスを信頼している。単に安っぽいから、子供っぽいからという理由で『似合わない』と指摘する芙蓉を、ギルドの出資者には受け入れられない。
「しかしそうなると、アイリスブランドのスポンサーは……」
「別に、セレモニーで紹介するパターンモデルが僕たちじゃなくても良いんじゃないかな」
荒垣の言葉を、一朗はやんわりと遮った。
「騎士団なり鍛造組なり、話はいくらでもつけられると思うよ。彼らもゲーム内の知名度は高いし、紹介にはちょうどいいんじゃない」
もともと、一朗がセレモニーに招待されたのはあざみ社長の意向であって、シスルやナロファンのハク付け、経済界へのアピールを目的としたものだ。ポニー社という大企業がバックについたことで、各方面へのアピール自体は容易になり、そうした意味では、一朗がセレモニーに参加する意味自体が薄くなったと言える。
だからこそ、ギルドスポンサーのモデルとして利用しようという話が持ち上がり、その交渉の場にあざみ社長も連れてきたのだろうと思う。そうしたポニー社営業部の強かさは嫌いではない。条件さえあえば、いくらでも踊ってやるのが一朗のスタンスだが、要するにそれは、気に入らなければ台本ごと突き返すという意味でもある。
荒垣は困った顔で頭を掻いていた。一種の諦念じみた表情が浮かんではいるが、問題は芙蓉だ。
青筋を立てて怒り狂う、なんてことはない。さすがの育ちの良さだ。分別も覚えた歳なので、子供のように振る舞うこともない。が、それでも、意図しない理由で袖にされた事実に対して、不満を隠しきれてはいない様子だった。
「私のデザインセンスより、その子のデザインの方が好みだ、っておっしゃるのかしら?」
おっと、プライドの高い発言が出たな。
「君のセンスは大いに認めるけど、そう捉えてもらっても構わないよ。何がそんなに良いのか、って、僕も思うんだけどね。でも、実際にこんなブローチをオーダーメイドしちゃうくらいにはお気に入りなんだ」
「それは、一朗さんが虫好きだからではないのですか?」
おずおずとたずねるあざみ社長の言葉からは、上流階級風の令嬢言葉が消えていた。本物を前に気圧されたか。単にキャラ被りを気にした可能性もある。
「その可能性はあるなぁ。でも、それを差し引いても、アイリスのデザインは好きだし、アイリスブランドは彼女のブランドであるべきだ。君の横やりは必要ないよ。めぐみさん」
「残酷な方ね」
何度か聞くその台詞を、彼女は吐いた。
「後悔いたしますわよ?」
「ナンセンス。僕は後悔したことがないんだ。これからもないよ」
芙蓉には後悔させるような行動をとるつもりがあるらしい。なかなか、ご執心なようだな。何に対して、と、言うつもりはない。そうしたものに対して一朗は辟易としているからだ。上流階級のしがらみを、ゲームの中にまで持ち込まれるとは、まったくナンセンス。
しかしギルドスポンサー自体は面白い制度だ。一朗が本心からそう告げると、荒垣の方はどこかほっとした表情を作る。セレモニーには間に合わないだろうが、アイリスブランドにスポンサーをつけることはそう悪いことではない。ここでそんなことを言えば、芙蓉に対する当て付けのようにもなってしまうだろうが、実際問題として、服飾関連の企業をスポンサーにするのは、アイリスブランド自体へのブランドイメージにもよろしくないだろう。よくて化粧品かな。
「話がそれだけなら、これ以上発展することはないよ。めぐみさん、荒垣課長。それにあざみ社長も、いろいろ悪かったね」
「いえ、こちらこそ、せっかくご足労いただきましたが……」
「なに、無駄足じゃないよ。MiZUNOには、もっと他のギルドを紹介してあげて欲しい。時間も少ないから大変だろうけど」
こちらをじっと睨む芙蓉に微笑み返して、一朗は言った。
ギルドとしてぱっと思いつくものはないが、あめしょーなどを擁立すると良いのでは、と思う。彼女自身は特定のギルドに所属していないが、人脈は広いからスポンサー宣伝用のギルドはすぐに作れるだろうし。何よりゲーム内で人気の高いあめしょーならば、宣伝効果も絶大だ。
芙蓉自身は容易に納得しかねるだろうが、あざみ社長などはなるほどと頷いていた。ゲーム内の有名プレイヤーはなどはさすがに把握しているらしい。
芙蓉の視線を一切気にすることなく、一朗は会議室をあとにした。蛙のツラに、ということわざがある。石蕗一朗の場合、硫酸をぶっかけてもその小憎たらしい笑顔は変化しなさそうであった。
再び地下の駐車場に降りる。桜子は、律儀にもリンカーンの前に立って一朗を待っていた。いつ終わるかもわからないのだから、車内で待っていてもらってまったく構わないのだが、こうしたところはキチッとした使用人である。だからこそ重宝もするわけだが。
「おかえりなさいませ、一朗さま。お早かったですね」
「うん、まぁね。やることと言っても、先方の要求を無下に断るだけだったし」
「ただ断られるために一朗さまをお呼びするのも贅沢なお話ですねぇ」
一朗が後部座席に座り、桜子が運転席に腰掛ける。左手でバックミラーを確認しながら、桜子は言った。
「このあと何か行きたいところはございますか? お早く済んだので、少し遠出する余裕もありますが」
「午後は予定があるんだっけ」
「マンションの防犯設備のメンテナンスです。大家の立ち会いがないと」
そう言えばそんなものもあった。ツワブキパピヨン三軒茶屋。高級マンションなだけあって、警備・防犯システムは多彩なのだ。同時に、オートメーション化されたシステムはデリケートなので、2ヶ月に1度の割合でメンテナンスが入る。
堅牢な防災機能に加えて耐震強度もばっちりであるので、有事の際は要塞のようになってしまうのが一朗たちの住まいであったりする。関係者からはやり過ぎと評されるこの設計の背景には、じゃっかんの悪ふざけと、5年前に営んでいた小さな探偵事務所の存在がある。
「そう言えば、つい先日だけどあいつに会ったよ」
「著莪さんですか?」
桜子は左右確認を怠らず、地下駐車場から道路へと出る。ハンドルを大きく切って車線に乗った。
「よくわかったね」
「一朗さまがそんなぞんざいな呼び方するの、著莪さんと染井さんくらいですからね。お元気そうでした?」
「ん、変わらなかったよ。例の不正アクセス事件について、シスルの弁護士やってる」
「うわぁ、大変ですねぇ。シスルのみなさん」
当時は、この桜子ともこんな長い付き合いになるとは思わなかったものだ。先日会ったばかりということもあるが、いろいろと思い出してちょっと感慨深い。
「で、このあとどうしましょう」
「少し早いけど、お昼、食べに行こうか」
「どこにしますか?」
「吉野家」
桜子の顔が、バックミラーごしに如実に曇った。
「一朗さまぁ、吉野家が悪いとは言いませんけど、そればっかりだと身体壊しちゃいますよう」
「僕の身体を案じてくれるなら、早く成金病を治すこと」
「もうバッチリ快癒に向かってますって」
「オレンジジュース1杯」
「1700円! ぐ、グワァーッ!」
「前見て運転してね」
それは帝国ホテルのルームサービスの値段だ。この間、うどんやお茶漬けが2100円と言っていたのもそれか。連れて行ったことはないはずだが、どこでそんな知識を仕込んでくるのやら。
一朗は窓の向こうを眺めながら、すっかり覚えてしまった吉野家のメニュー表から、今日の昼食を吟味していた。
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× 優秀出あるがゆえ
○ 優秀であるがゆえ
× 条件さえあれば
○ 条件さえあえば




