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VRMMOをカネの力で無双する  作者: 鰤/牙
『ニセ御曹司』編
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第五十三話 御曹司、事後報告を聞く(2)

 自慢のアゲーラで、3日に江戸川とお茶をした喫茶店に向かう。あのとき彼には雰囲気だけの店だとは言ったが、実際あの雰囲気はかなり好みである。値段や味に背伸びをしている感は否めなかったのだが、そうしたところも含めて一朗はあの喫茶店を贔屓にしていた。なので、待ち合わせの場所に再度あそこを指定されるのも、そう悪い気分ではない。個人的には、江戸川があの一回だけ行った店を気にかけている方が驚きだった。デザートが食べられなかったのがそんなに悔しかったのだろうか。

 まぁ、今回は邪魔も入らないであろうし、好きなものを奢ってやるとしよう。

 店から少し離れた駐車場に車を停めた。この店、意外にも午後は周囲のややセレブリティな主婦たちで賑わう。わざわざ駐車場を利用するほど遠出をしてくるような客はそう多くない。なものだから、停められた数少ない車の中に、黒塗りのメルセデス・ベンツSクラスがあったときは少し驚いた。こんな高級車を乗り回すような人間が好き好んで訪れる店でもないのだが。ただ、驚いているのはどちらかといえば通行人の方で、ベンツとケーニッグセグの高級車ツーショットを写メに収めて行こうとする車好きが、いくらか散見された。


 冷房のよく効いた、琥珀色の店内に足を踏み入れる。店内BGMは緩やかなクラシックで、店の雰囲気によく馴染んだ選曲に不満はない。笑顔で前に出てきたウェイトレスに『待ち合わせだよ』と告げ、さて、江戸川はどこにいるだろうと周囲を見渡した後、雰囲気と彼の気分をおおいにぶち壊す大声が届いた。


「石蕗、こっちだこっち!」


 我らが不動の御曹司、石蕗一朗にあらせられては、その表情を引きつらせるなど天がひっくり返ってもあり得ない。いついかなる時でもマイペース、クールに受け流すのが彼のあり方であるからして、その声を聞いても何も変化を見せなかった。が、もしも扇桜子がここにいれば『一朗さま、何を怒ってるんですか?』と聞く程度の、非常に微細な感情が表面に浮き出ている。

 その事実を踏まえれば、 ベルサーチの高級シューズがフローリングを叩く音も、何やら乱暴に聞こえたのではないだろうか。自分にかけられた声には応じず、だが足だけはそちらに向けると、テーブルには何やら憔悴しきった様子の江戸川土門が、ティーカップを片手にかろうじてこちらへ頭を下げていた。


「やぁ、エド」

「どうも、石蕗さん……」

「今回の件は、本当にお疲れ様」


 ひとまず彼の苦労をねぎらった後、もうひとり席につく男にちらりと目を向ける。

 うねり癖の強い茶髪に、やや無精髭が目立つ。召し物は見るからにわかる高級スーツだが、アイロンもかけておらずよれよれだ。せっかくのアルマーニが台無しだと、一郎は思った。思えば、あの悪趣味なベンツを見た時点で気づくべきだった。何せフルスモークである。


「石蕗、俺には労いはないん?」

「ご苦労。なんでここにいるのか……は、まぁ、聞いても無駄かな」


 一朗はそれだけ言って席についた。テーブルの上には、すでに多様なデザートが所狭しと並べられている。


「代金はお前持ちなんだろう?」

「ん、まぁね。相変わらずケチ臭いことで安心したよ。荒稼ぎしているんだろうに」


 江戸川に同情しよう。自分が来るまでこの男に付き合わされていたのか。もちろん、自分も彼には嫌われているらしいので、登場したところで彼の精神の安定につながるとは思えないのだが。なにしろこの男は、デリカシーの欠如で言えば一朗を大きく上回る。と、一朗自身は見ていた。客観的には割と良い勝負だ。

 今回、シスル・コーポレーションに紹介した、性格は悪いが優秀な弁護士というのが彼である。シスルに法務課は存在しないし、司法担当の社員というのも在籍していない。こうした件において、彼を紹介したのは結果として間違っていなかっただろうなと思いつつも、関係者は性格の悪いこの男にたいそう振り回されたということは、容易に想像がついた。お疲れ様というのならば、むしろそちらかもしれない。


 まぁ、今回のお茶の目的は、事後報告を聞くことであるからして、彼の列席に取り立てて不満はない。


「懐かしいなぁ石蕗! こうやって顔を合わせるのはいつ以来だ」

「君は気づいているだろうけど、僕は君を避けていたからね。直接会うのなら3年ってところかな」

「そんなにかぁ。俺とお前と染井で、探偵ごっことやっていたのがもう5年前だなぁ」

「そんなこともあったね」


 メニューを眺めた末に、ウェイトレスを捕まえてキーマンのアールグレイを注文する。デザートは面倒なので頼まなかった。


「あのときのメイドとは連絡とってんの?」

「まだうちで働いてるよ。別に昔話をしにきたわけじゃないだろうに」


 一朗は出されたレモン水に口をつけてから、結果的に隣に座ることになってしまった江戸川をちらりと見る。彼も自分の隣は嫌だろうが、なにしろ一朗だって目の前の男の隣は嫌なのだ。ここは江戸川に折れてもらう。


「改めてお疲れ様かな。エド」

「本当に疲れましたよ」


 言葉には実感が伴っていた。見ているこちらが胸焼けしそうな勢いで、パフェを頬張る。


「結果的に、うちのセキュリティに問題はなかったし、そこは良かったですけどね。なし崩し的に第三者委員会には組み込まれるし、慣れないことだらけでした」


 目の前の弁護士を睨みつけるが、彼はどこ吹く風でプリンを口に運んでいる。男だらけのスイーツ大会か。一郎は思った。この過剰なまでの華のなさだ。桜子さんも連れてくれば良かった。


「ローズマリーがバックドアを作ったりなんてことは?」

「ありませんでした。まぁ、セキュリティホールを作れば、そこから侵入されて厄介を被るのは彼らだからというのもあるんでしょうけどね」

「ふうん」


 その後の江戸川の話によれば、ローズマリーが一朗以外のアカウントを外部へリークした形跡もなく、実害に関してはほとんどないという結論に達したということだった。ひとまずは安心ということらしい。ただ、アカウントの管理サーバーを十賢者の独断で掌握できてしまうという現状のシステムには当然問題があるわけで、システム・アイアスおよびポニー・エンタテイメントの観察下で、サーバーメンテナンスの作業が継続中だ。

 本来、十賢者は人工知能の会議システムであり、単独の暴走によってこうした事故が引き起こされる可能性はないという。これはあざみ社長の話であるが、実際問題、現実にサーバーの乗っ取りは発生してしまった。まだ人工知能として未成熟な彼らが、こうしたいたずらを計画し、実行に移す可能性は、今後ないとも限らないのである。


「ローズマリー以外の十賢者なんですが、どうも特定のワードを条件にローズマリーに恭順するアルゴリズムに変化してしまったようで」

「へぇ、どんなの」

「ナンセンスです」


 目の前の弁護士がプリンを噴き出して、一朗と江戸川は怪訝な顔を作った。


「思考汚染っていうんですかね、こういうのも……。以前、石蕗さんがローズマリーと直接会話して以来、十賢者の会議は常にローズマリーの意見が採択されるようになっていたみたいです」

「十賢者自体が、ローズマリーに私物化されているってこと?」

「そんなところですよ。いまのローズマリーのロジックを、現行の人工知能で説き伏せることは不可能です。だって屁理屈しか言いませんからね」

「感心できないな」

「誰のせいかわかってます?」


 ナンセンス。と、言いたいが、一朗も責任を感じないわけではない。あのとき、自分がローズマリーを説き伏せることで、ローズマリーは一朗のロジックを学習したわけだ。今度はそれを使い、自身と同様のアルゴリズムを持つ十賢者を、すべて懐柔していったということになる。やっていることは悪辣だが、それ以上に気になることがあった。


「ローズマリーは、今後、どうなるんだい」

「それなんですけどね……」


 江戸川はどうにも言いにくそうだ。


「意見が二つに割れてるんです。十賢者を今後もゲームシステムの補助管理プログラムとして使用していくか、あるいは、十賢者そのものをゲームサーバーから切り離すか」


 シスルの構成人数からして、後者の意見は肯定しかねるところだろう。膨大なゲームシステムと、プレイヤーからのクレーム、要望。そうしたものを円滑に解決するのが十賢者システムの利点であり、ここをオミットする以上、どうしても人員の追加は必要になる。おそらくは、シスルのノウハウを吸収したいポニー社の思惑が絡んでいるのだろうな、と一郎は思った。

 だが前者の意見を採用する場合、ローズマリーに発生した自意識と、彼女に論破された(あるいは屁理屈でねじ伏せられた)十賢者を、そのまま使用するわけにはいかない。この理屈も理解はできる。江戸川は、十賢者の思考経過ログの初期化が必要になるだろうと言った。


 一朗は、運ばれてきた紅茶に口をつけるが、味がよくわからない。


「お、動揺しているな? 石蕗」

「ナンセンス。ただ、愉快な話じゃないことは認めよう」


 ポニー社の乗っ取りを許すか、ローズマリーの記憶を消すか。シスル・コーポレーションが迫られているのはその2択だ。


「じゃあ、もっと不愉快な話をしよう。石蕗」


 プリンを食べ終えた目の前の男がそう言った。


「シスルの社会的責任を追求する場合、彼らが単独で運営を続けて行くことはほぼ不可能に近い。そう睨むなよ。俺も頑張ったんだ。だが、もともと小さい会社な上に、なまじ大層な技術が多すぎた。どのみちシスルの株は落ちるだろうし、運営の継続が困難になったシスルを、大企業がなし崩し的に買い取る可能性は高い」


 それに関しては、一朗も把握していた。事情がどうあれ、サーバーを掌握され、アカウント情報を不正に流出させたのは事実であり、シスルにとっては致命的な汚点となる。信用は失墜しているし、決済代行サービスが再開されるかどうかも難しい。そう考えれば、シスルは運営体として完全に手詰まりである。

 ナローファンタジー・オンライン自体が、サービスとして継続できる可能性が残されただけでも、この弁護士は仕事をしたと言えるだろう。もちろん、司法面におけるシスルの企業責任はこれから追及されていくのであり、彼の仕事はここからが本番であるのだが。


「だがな石蕗、不祥事の原因となったプログラムをそのまま放置するのも、コンプライアンスの面から見りゃあいろいろ問題がある。わかるだろ?」

「まぁね」

「人工知能そのものに司法責任を問えりゃあ良いんだがな。俺もその方がやりがいがあるし。ただ、その辺の法整備はまだまだだから、結局はこの件の責任は開発者のあざみ社長にあって、ローズマリーは不具合を起こした単なるプログラムだ。不具合は修正しなけりゃならん」


 確かに、非常に不愉快な話だ。シスルはポニー社に乗っ取られ、ローズマリーは消される運命にあるということではないか。

 ローズマリーの思考経過ログが初期化される。その現実は、直視しがたい。彼女(そう、〝彼女〟だ)と密に言葉をかわした一朗からすれば、それは一人の人間の抹消とほぼ同義である。それも、自意識を芽生えさせたばかりの、まだ子供だ。ローズマリーは罰を受けるべきだとは思う。だが、それはやりすぎだ。

 彼女を救おうと思えば救えるだろう。だが、そのためには、一朗は自身のルールを大きく捻じ曲げなければならない。


「さて、石蕗。ここに良いニュースと悪いニュースがある」


 どこかで聞いたようなことを、目の前の弁護士は言った。


「ん、良いニュースから聞こう」


 どちらも聞かされることになるのなら、この不快感を少しでも紛らわして欲しいものだ。


「ローズマリーが消されることはない。彼女は逃げたよ」

「へぇ」


 一朗は、紅茶にひとくちつけてから言った。


「どういうことだろう。シスル本社の4階から、スパコンがガタガタと夜逃げしたわけじゃないよね」

「ないない。そもそもシスルのサーバーに、ローズマリーがもう残ってなかったって話だよ。この話は俺より江戸川くんのほうが詳しい」


 見れば、江戸川もパフェを食べ終えているところだった。心なしか充足感に溢れているように見える。ゲーム内でのふてぶてしさを取り戻しつつあるようで、こちらもまた何よりだ。


「先週くらいから不明なデータバスは発生してたというのはお話したと思いますけど、」

「あぁ、欺瞞された情報がどうのっていう、あれだね」


 あの時は、ユーザーのアカウント情報を偽装して、不正に流出させていたのではないかという話だったが。


「石蕗さんのアカウントだけにしては、データバスが大きすぎますしね。たぶん、ローズマリーはすでにあの時点で、外部のサーバーに逃亡していたんだと思いますよ。その後十賢者を経由して、石蕗さんと話したり、ピッツバーグにアクセスしたり、ってところですかね」

「外部のサーバーってどこ?」

「それはわかりませんけど。まぁアクセスログをたどればわかるんでしょうが、だいぶ先になりそうですね」


 そう言って、江戸川は今度は別のデザートに手を伸ばした。まだ食べるか。

 なるほど、いろいろ不可解な点はあるが、ローズマリーは無事か。確かに、良いニュースと言えば良いニュースだ。あざみ社長も、彼女を消す結果にならなかったことには、胸を撫で下ろしているということだった。シスルの今後の対応としては、すでに不具合のあったプログラムを修正し、企業責任を果たしたという扱いにすると、弁護士は言った。それは詭弁だとも思うが、詭弁を弄するのが弁護士の仕事だ。


「で、悪いニュースっていうのは?」

「ローズマリーが消されることはない。彼女は逃げたよ」


 先ほどとまったく同じ言葉を、弁護士は繰り返した。


「一応、野々社長の意向も汲んで、ローズマリーの不具合は修正した方向で話を進めるが、実際に修正したわけじゃない。何より、ローズマリーが逃げたのは事件の発生前だ。彼女がこうなることを見越していたとは限らんが、事情はどうあれ、これも立派な不正アクセスのひとつだよ。じゅうぶん立件ができるネタだ」


 やたらと長いスプーンをこちらに突きつけて、弁護士は言う。


「この世界のどこかのサーバーに、ローズマリーがいるわけだ。このまま大人しくしていれば良いんだが、下手なところに隠れていたらそのまま消されちゃうしな」


 一朗は、先日のローズマリーが発した言葉を思い出した。代替案がある、と、言っていたか。

 ともなれば、彼女はまだ何かをする可能性がある。一朗は、きちんと自身のルールのあり方を、ローズマリーに対して説明したつもりだった。その上で、もしも彼女が何かをやらかすことがあるのだとすれば、再び一朗自身のルールと衝突することを覚悟しているはずだ。そうなるとは、あまり思いたくない。


「ま、良いニュースでもあり悪いニュースでもある。蓋を開けて見なけりゃどっちになるかはわからん」

「まるで量子情報だ」


 観測するまで結果はでない、ということか。

 なんだかややこしいことになってきたな、と一朗は思う。シスルも運営体として大きな路線変更を余儀無くされるであろうし、ローズマリーの今後も極めて不透明だ。そのいずれも、結果として良いものになるか悪いものになるか。観測しなければわからないと言える。

 一週間にも満たない短い事件だったが、その間に状況は大きく変わってしまった。ま、世の中に変わらないものなどありはしないし、そればかりを憂うのもナンセンスだ。ひとまずはこの変化が、友人たちにとって良いものであることを期待するしかない。桜子さんだけは何とかして欲しいけど。


 なお、その扇桜子についてであるが。

 一朗は帰宅後、マツナガからのメールを受信し、そこに記載されているURLを辿ってある動画を桜子と共に鑑賞した。カネの暗黒面に堕ち、散財の波動をみなぎらせるキルシュヴァッサーの動向が一部始終収められたその動画は、桜子のリハビリに一定の効果を見せたのだが、それを鑑賞する際に見せた彼女の痴態は筆舌に尽くし難いものがあるので、さておく。

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× ローズマリーの十賢者

○ ローズマリー以外の十賢者

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