第五十二話 御曹司、事後報告を聞く(1)
いつもの半分くらいの文量でお送りいたします。
『では、次のニュースです』
液晶画面下方に表示されたテロップを確認し、一朗は新聞から目を離した。彼が追いかけていた記事の見出しと、ほぼ同じもの。アルモニアの高級ソファーに身を預け、意識を80インチの液晶テレビへと集中させた。
朝食後の数十分ともなれば、石蕗一朗にとっては優雅なひとときである。照明灯をあえて少なくし、東南方向に大きく開くことで自然光を取り入れたリビングルームは、三軒茶屋の高層に居を構える石蕗邸においても、午前中を過ごす絶好のスポットだ。少し離れた場所にあるダイニングから、扇桜子が食器を片付ける音をBGMに、テレビや新聞などから朝の情報を入手する。この時間が、一朗はなかなか嫌いではない。原則2人暮らしで居間が2つというのも贅沢な話だが、実は茶の間となり得る空間ならさらにあと2部屋ほどある。まぁ余談だ。
さて、通常であれば、桜子の入れてくれたお茶なりコーヒーなりを片手に朝を楽しむ一朗ではあるが、この時ばかりはそれらの味を楽しむこともできない。原因は時差ボケ、などではない。たかだか天体現象の都合ごときで、一朗の体内時計を狂わせることなど土台不可能であるのは、周知の通りである。
『株式会社シスル・コーポレーションは、今月3日から4日にかけて発生した不正アクセスについて、社内ネットワークで使用していたプログラムの独断行動によるものだと発表しました』
ローズマリーの暴走に端を発した不正アクセス事件は、すでに全国的に知れ渡る結果となっていた。あの後、運営からの正式なアナウンスの後に、サーバーがネットワークから切断され、現在ナローファンタジー・オンラインはそのサービスを一時的に停止している。その後のシスルの判断は迅速であり、流出情報の可能性やセキュリティの問題面などをあらいざらい調べ終わると同時に、まずは最初の謝罪会見を開いた。
すでに2日前のことである。このとき、一朗は購入したばかりのジェット機で東海岸から西海岸へととんぼ返りし、カリフォルニアで一泊していた。状況を知ったのはホテル内、インターネットを通じてである。翌朝、一朗は東京へと帰った。操縦は自分でした。11時間半のフライトは、自分で操縦桿を握ったとしても退屈なのだと知った。
『この事件は、仮想現実技術を使用したオンラインゲーム〝ナローファンタジー・オンライン〟のサーバーに何者かが侵入し、アカウント情報と共に一部のサービスが運営側にも把握できなくなったというものです』
『この件に対し、シスル・コーポレーションは、同日中に内部調査委員会を結成、外部の専門家と共に調査にあたりました』
『シスル・コーポレーションと第三者委員会であるポニー・エンタテイメント社、システム・アイアス社は合同で会見を開き、数回にわたる調査の結果、管理サーバーへの直接の不正アクセスへの痕跡はなく、社内で使用していたプログラムの不具合によるものが原因であると発表しました』
『同社は、アカウントを不正使用された件に関しては謝罪するとしたものの、顧客の個人情報が流出した可能性に関しては全く無いという見解を繰り返し示し、ユーザーに安心するよう呼びかけています』
『また、対外的なセキュリティプログラムに欠陥はないとしながらも、脆弱性の確認と再発防止のため、今月8日までサービスを停止するということです』
『では、次のニュースです』
こんなものか。
報道された内容は、一朗の手にある新聞紙のものとさして変わりはない。彼がいま、一番知りたい情報に触れられることはなかった。そのままテレビのチャンネルを回していくが、ニュースの扱いは、思った以上に大きくはない。結局のところ個人情報の流出がなかったため、マスコミとしても食いつきにくかったのだろうか。ただ、社内で使用するプログラムの不具合という原因については、やはりシスルとあざみ社長が激しいバッシングに遭うことは避けられなかった。
一朗の元にも、一般的な報道以外の様々な手段で情報が集まる。事態の流れについてはある程度把握はしていたが、それでも、シスル内部の詳細な動きまで把握することはできない。あざみ社長に直接コンタクトをとって伺うことは、少し躊躇われた。彼女の状況を思えば、である。
事態がやや沈静しつつある中で、江戸川もようやく一息つけるようになったと聞いている。一朗は、以前お流れになった喫茶店でのささやかな茶会を彼に提案した。男同士で何を、と江戸川は言ったが、それ以上追及することはなく、誘いに応じてくれた。こちらの本心が事件背景の調査へと向いていることには、江戸川も気づいているはずだ。
「一朗さま、お茶のおかわりはいかがですか?」
「ん、よろしく」
皿洗い等を片付け、ティーポットを持った桜子が華やかな笑顔と共にたずねてくる。一朗が新聞をたたみながら答えると、彼女はいつもと同じ淀みない動作で、ポットからカップに紅茶を注いでいた。
シスルやナロファンの方も大変ではあるのだが、事件解決直後にあっては、このメイドもなかなか大変だったのだ。
帰国後、お土産を持って家に到着した一朗を待っていたのは、桜子の土下座であった。『土下座の濫用は価値を下げる。やめたほうがいい』と優しく諭してやると、桜子は滂沱の涙を流しながら『すみません一朗さま』と言った。音をより正確に表現するならば『ずびばぜんいぢろうざまあああ』といったあたりが正しいだろうか。正直なところ、多少やりすぎであるにはしても、彼女はよくやったと思っているので、謝られる所以もよくわからなかった。
パラジウムカードを手渡し、手段と経費は問わずどんな手段を用いてもパチローを止めるべしと言ったのは他ならぬ一朗である。桜子はそれを忠実に実行しようとした結果、金銭感覚を見失って、なんだかよくわからない方向へと暴走してしまった。他のプレイヤーは『カネの暗黒面』などと言っていた。日常生活に支障をきたすほどではなかったものの、彼女は現在、その後遺症に苛まれている。
あれから一度、彼女にクレジットカードを持たせて買い物に行かせたことがあるのだが、財布の紐をきっちり締める普段の桜子に比べて、妙に無駄遣いが多いように感じられた。高い物を見ると買わずにはいられなかったらしい。値段の割に品は粗悪であった。
ここに大きな問題があって、もしこの買い物に出たのが一朗であれば、桜子の10倍以上の出費は免れなかったであろうことである。彼女レベルの無駄遣いでは彼の総資産はびくともせず、無駄遣い(本人は無駄とは思っていないが)に関していえば一朗は桜子以上であるので、正直なところ『粗悪品をつかまされないように』という以外に、叱り方がわからないのだ。ぶっちゃけ成金病のリハビリに、これ以上不適切な職場もない。
「一朗さま、このあとはどうなさいますか?」
桜子が、今日の予定を聞いてくる。ここ一ヶ月近くはずっとナロファンであったのだが、現在はシステムメンテナンス中で当然プレイはできない。
「10時くらいから、エドに会ってくるよ。桜子さんはいつも通り家事をお願い。お昼ご飯までには戻る」
「かしこまりました」
恭しく頭を下げる桜子である。
「桜子さんは今日はどうするの?」
「はい?」
「ナロファンできないからね。普段は何して過ごしてるんだっけ」
「あー、溜まったアニメでも消化しますかねー……。ゲームもだいぶ積んじゃってるなぁ」
桜子は遠い目をして言った。ここ一ヶ月は完全にナロファン中心の生活であったのだ。彼女ほどの多趣味であれば、いろいろとタスクが溜まるのも仕方が無い。サービスの再開まではまだ2日もある。今のうちに、普段あまりできないようなことをやっておくのも良いだろう。
「他のみんなはどうしているんだろうね」
「アイリスは、いまのうちに学校の宿題を片付けておくって言ってました」
「健全でいいことだ」
一朗個人としては、苫小牧の連続ログイン時間記録が、一周年を目前にして途切れてしまったことが少し哀れでならない。それ以外のみんなは、マツナガやストロガノフ達はどうしているだろうか。リアルな生活もあれば、それほど退屈を持て余すこともないだろうが。
ストロガノフの名を連想するにつけ、一朗はそのままひとつ提案をする。
「晩御飯は外に食べに行く?」
言うと、桜子はぴたりと動きを止めた。顔がさっと青ざめる。
「め、めめめめ、滅相もない! がっ、がががっ、外食なんて! ホテルニューオータニの3500円のカツカレーでじゅうぶんですよ!」
「それ一般的な視点から見ると高いらしいね」
リハビリにつきあってやるのも悪くないか。一食1000円もしない慎ましやかな食事プランでも組んでやろう。
時計は午前9時を回るころである。一郎は立ち上がって、カネの暗黒面を発動させつつある桜子に声をかけると、出掛けの支度を整えた。江戸川にはいろいろと聞きたいことがある。シスル本社の内情に加え、第三者委員会として介入してきたポニー・エンタテイメントの動向も少し気になっていた。そして何より、ローズマリーのことだ。彼女の処遇が、いったいどうなったのか。何の音沙汰もないことに、妙な不安感がある。
「いっ、一朗さま! お昼はどうしましょうか!」
「ん、」
「伊勢海老の網焼きとかイイですよねぇ……! ウフフフフ……」
「ナンセンス。チキンラーメンでも買っておきなさい」
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× アカウント情報をと共に
○ アカウント情報と共に
× 回して行くが
○ 回していくが
× バッシングに合う
○ バッシングに遭う




