第五十一話 御曹司、解決する
どうも妙なことになってしまった。予想だにしていなかったわけではないが、実際に起こってみるとやや面食らう。一朗はヘッドセットのマイクをいじりながら、どうしたものかと考えていた。こういうのも、修羅場というのだろうか。あざみ社長、どうやら君の開発した人工知能は、人間の叡智でも追いつかない神の領域に踏み込みつつあるぞ。
ローズマリーから送られてくるメッセージは、断続的に一朗の名を呼んでいる。自分が彼女の自意識の発生に大きく関与したことは否定しない。だが、ここまで大きなウェイトを占めているとはやや予想外であった。所長と研究員の視線がやや冷たいが、気にする一朗ではなかった。
画面の中では、依然としてキルシュヴァッサーとの戦闘が継続している。パチローを操っているのは、この研究所で開発された自立思考botであり、ローズマリー自身ではない。botのプログラム自体を強制終了させることは可能だ。だが、一朗にはこの時点では、ローズマリーに対して比較的穏便な手段で終わらせたいという思いが存在した。彼女を説得すれば、ローズマリー自身にbotに動きを止めさせられる。そちらで済ませられるならば、そちらの方が良いだろう。現状、キルシュヴァッサーは戦況を維持できているようだ。いろいろと問題もありそうだが。
『イチロー、何か応答をしてください』
「ん、すまない」
ローズマリーの言葉は、英文というだけあってそれ自体は非常に淡白だ。だが、その裏で情緒は確実に育ってきている。一朗は、プログラムの成長を面白がるだけの態度を改め、一人の人間と相対する気持ちで会話を進めることとした。
「ローズマリー、君がこのようなことをはたらいた経緯を、僕はある程度予想つけることができる。ただ、その成否自体にまで踏み込もうとは思わない。君が話したくなければ話さなくていい」
なお、そうしたところで上から目線な態度は当然変わらない。
ローズマリーの反応には、若干のタイムラグがあった。彼女のプログラムを演算するコンピューターは、東京の神田神保町にあるが、量子回線が普及した現在では、地球の裏側で会話をしようと通話処理の遅延はほとんど発生しない(原理的にはまったく発生しないとされていたが、実用化してみると誤りであった)。このラグは、1万キロメートルの彼方で、まったく未知の思考演算が行われているが故のものだ。
『私は、今回の件に関して、私の取った行動と、そこに至るまでの思考過程を、イチローに説明するべきです』
まず、ローズマリーはそのように発言した。
『同時に私は、それを説明するべきではありません。私は、その説明を行うことにより、イチローが私に対する興味を失うこと、ないし、私の思考過程を悪質であると判断することを懸念しています』
「結構」
そのメッセージを確認して、一朗は頷く。
「それが君の判断なら、僕はそれを尊重しよう。君が葛藤に決着をつけるまで、この件は保留だ」
『感謝します。その判断は私にとって非常に有益です』
ローズマリーは、一朗に嫌われることを恐れている。にわかには信じがたいものだった。このプログラムには既に、快・不快を概念として理解する機能が備わっている。誰から教わったわけでもなく、おそらくは、人間の感情に定期的に触れ続けた中で、自発的に獲得したものだ。
人間の創造物が、人間の想像を凌駕する結果を生むようなことは、果たして起こり得るのだろうか。コンピューターがチェスで人を負かし、次には将棋で人を負かした。だがそれは所詮、『このプログラムはプロ棋士にも勝てる』という、開発者の思惑に沿ったものでしかない。人工知能が自我を獲得する過程とは本質的に異なる。
深遠な命題だったが、思考の余地も議論の余地も、この時に限ってはない。
「ローズマリー、まず君に知っておいて欲しいことがある。君がやっていることは犯罪だ」
『理解しています。一般的な社会規範に照らし合わせればそうなります。ですが、ルールは自分で決めるべきです』
「そうだね。それは僕のスタンスだしね。そこを否定するつもりはないんだ」
一朗は、名古屋で暮らす又従妹のことを思い出していた。もうすぐ11歳になる彼女は、親戚筋の中でも年少組に位置する。一朗が資産を確保し、雪玉のように転がして、石蕗家の中でも父・明朗に劣らぬ発言力を得てきた頃に、又従妹もものごころをつけてきた。その頃には一朗も、自分の倫理観がやや一般のものから逸脱していることは十分に理解していて、従叔父夫婦の教育方針に悪影響を及ぼさないよう注意を払ったものである。
ものであるが、もしそれでも、まだ幼かった(今でも幼いが)又従妹が『どうして悪いことをしてはいけないの?』と聞いてきたとすれば、一朗はいまこの瞬間のように答えたことであろう。
「しちゃいけないわけじゃない。物事の善し悪しも主観で決めるのだと言えば、そうだよ」
あまり、自分の考え方やスタンスを言語化するのは好きではない。どこか安っぽくなってしまうからだ。そもそも言語という発明自体、意思伝達の手段としては欠陥品である。どれだけ簡潔にまとめても、齟齬は出るのだ。それでも今回のように、どうしても言葉にしなければならない時はある。
『ルールが社会規範から逸脱した場合、イチローは迎合しますか?』
「どうだろう。しないとは思うけど、僕の場合、社会規範を守るののも人生の楽しみ方のひとつだから、なんとも言えないな。規範から逸脱して社会と敵対するような生き方って、割とつまんないと思うし。でもローズマリーはそういうことを話したいわけじゃないんだよね」
社会規範のボーダーラインを超えるのは簡単なはずだ。超えた後の状況の維持は、まぁ人によってまちまちだろうが、少なくとも一朗にとってはそちらも容易であろう。だが、ローズマリーが知りたいのはそこの仮定ではない。
「自分の築いたルールが、他人のルールや社会規範とぶつかった時、貫き通すか迎合するかは人次第だ。ローズマリー、それは君にも言える。でも、貫き通す場合、それによる対立が生じることは知っておいた方が良い。今の君と僕がそれだ。僕は君の行動を看過できないからここに来た。自分のルールを貫くのは、結構なことだと思う。でも、それは他人のルールをへし折るということでもある。そして、君が常にへし折る側であるとは限らないということだ」
一朗も、自分のルールを貫く過程で、数えきれないほど他者のルールを迎合させてきた自覚がある。一朗は常にへし折る側であったし、これからもそうであるという揺るぎない自信があった。だが、それは今までにへし折ってきた多くの人間にとっても同じであるはずだ。
『撃って良いのは、撃たれる覚悟がある者だけということでしょうか』
「そうまでは言わないけどね。あと、それ実は誤訳なんだ」
余談である。
チャンドラーの小説だと〝don't shoot it at people, unless you get to be a better shot〟が原文なので、〝射撃の腕がもっと上がらない限り、人に向けて撃っちゃダメだよ〟が正しい。〝a better shot〟を〝撃たれる覚悟〟と訳すか、〝射撃の達人〟と訳すかでまるきり意味が変わってくる。意訳と解するには少しばかり苦しいのではないかと、一朗は常々感じていた。
なお、一朗としてはまったく正反対に訳されたその台詞も嫌いではない。実に日本語的で素晴らしいセンスだ。多くの媒体で引用されるのもわかる。
「あとはまぁ、〝自分のルール〟という便利な言葉を、わがままを押し通す言い訳に使わないこと。僕が言いたいのはそれくらい」
ローズマリーは、再び演算のために黙り込んでしまう。特に最後の言葉は、彼女が理解するにはまだ少し難しいかもしれない。おそらくローズマリーはまだ、〝自分のルール〟と〝自分の欲求〟に明確な敷居を設けてはいないはずだ。快と不快を理解したばかりの自意識に、〝こだわり〟だとか〝モットー〟だとか、そうしたものを概念的に刷り込むのは難しいのではないかと思われた。
『イチロー、私は、』
「うん」
『あなたのことをもっと知るべきだと想定していました』
「うん」
『私の行いは間違っていたのでしょうか』
「んー」
一朗は、つい昨日、ローズマリーと話したばかりのことを思い出した。彼女の思い描く犯人像は、おそらく彼女の動機そのままであったはずだ。自分に興味を抱き、もっと知ろうとした結果、このような状況に陥っている。
おそらく、HAROに一朗のアカウントを不正使用させたことに関してもそうだ。彼女なりにツワブキ・イチローを再現し、そこに発生した思考過程のログを閲覧することで、一朗自身を理解しようとした結果である。見ての通り、かなりお粗末ではあったが。できあがったパチローは、イチローよりもだいぶ粗暴で幼稚な思考アルゴリズムを有していた。
さて、ローズマリーは、自身の行いの是非を問いかけている。一朗は、それなりに誠実な対応を求められるな、と実感した。
「その判断を君に委ねるのは無責任だから、僕の主観で答えよう。ローズマリー、君は間違っていた」
『残念です』
「そう落ち込むものじゃない。僕を知ろうというなら、もっと手段は幾らでもある」
『代替案ならばあります』
「ん、結構」
どうやら、なんとか一件落着というところまでは持っていけそうだ。人工知能に芽生えた自意識の説得とは、なかなか得難い経験である。真後ろでは、所長と研究員が今目の前で起きている光景を、信じられないような目つきで眺めていた。それは、そうだろう。実際に彼らの目指す研究の極地、その一端が展開されていたわけである。
ローズマリーはその後、再び『ルールを貫くことの是非』をたずねてきたので、一郎は懇切丁寧に自身の考えを説明した。結局のところ、彼女に必要なのは明確なルールの設定である。そこを曖昧なままに目的だけを用意しては、手段を選ばない無法者だ。もちろん、『手段を選ばない』というルールを設ける例はあるが、一朗はあまり優雅ではないと思う。実にナンセンス。
あとの懸念は、ローズマリーの今後の処遇と、あとはまぁ、目先の問題としてはこちらか。一朗は画面の中のキルシュヴァッサー卿を眺めた。完全に暴走している。一朗はヘッドセットをつけたまま、キーボードを手前に引き寄せた。
「おい、何をする気だ」
所長が言う。
「botの発信している情報を一部こちらで代替制御すれば、この状況からでも僕のアバターを動かせると思って」
「は?」
研究員の方もぽかんとしている。VRMMOのアバターを、パソコン用のキーボードで動かそうと言っているのだ。この男は。アバターの大雑把な制御自体はbotが行うわけではあるが、いや、そうするとこの場合、HAROの役割はマクロに近い。
「ローズマリー、HAROの制御をこっちに返してもらって良い?」
『了解いたしました』
時間がやや巻き戻る。
パチローの拳がキルシュヴァッサーの鳩尾を捉え、その身体を壁面へと弾き飛ばした。すでに感情パターンの信号が途絶しているのか、完全な無表情となっている。壁に叩きつけられたところで一切のダメージは発生しないわけだが、キルシュヴァッサーの精神は、いまや完全に焦燥感に包まれている。
シスル・コーポレーションが提携する、決済代行サービスの凍結。このゲームにおける、クレジットカードの支払い機能は封じられた。キルシュヴァッサーが与えられたカネの力は、今となっては完全に無力である。精神が理解を拒絶し、何度となく暗証番号の入力を試行するが、得られる結果は同じであった。
「おカネを……おカネを使わないと……おカネを……」
こういうのもカネの亡者と言うのだろうか。
課金を封じられたのはパチローも同じであるが、それは同条件に引き下げられたという意味では決してない。彼にとって課金剣は、数多ある攻撃手段のひとつでしかない。素手による攻撃は、課金剣に比べれば威力においてはるかに劣るが、焦燥によって我を失いつつあるキルシュヴァッサーの隙を突き、致命打を叩き込むことなど容易だ。
パチローは拳を握り、キルシュヴァッサーに迫る。観衆の間にどよめきが広がった。
「いかん、あのままではキルシュヴァッサー卿は……」
「あれが、カネの暗黒面……」
腕を組み、戦慄した表情を浮かべる騎士団の2人である。助けてやれよ。
マツナガもそう思ったわけではないだろうが、決済システムの凍結が思ったより早かったのは誤算であった。騎士団の2人があくまでも解説にこだわるのなら、甚だ遺憾ではあるが、自身と忍者部隊を動かさないわけでもない。あめしょーや苫小牧、そしてユーリやアイリスを確認しようとして、マツナガは隣にいたはずの少女が2人、そこにいないことにようやく気づいた。
「ありゃ」
マツナガがそう漏らした時に、観衆のざわめきが悲鳴に変わる。パチローがキルシュヴァッサーに向けて巨大な魔力の奔流を撃ち出したのだ。火属性魔法アーツの中でも最上位に位置する奥義、《ソードオブスルト》。灼熱の魔剣が形を描き、空を裂いて投射される。キルシュヴァッサーに向けてまっすぐ放たれたその一撃は、しかし、彼に届くよりわずかに早く、飛び込んできた影によって軌道を逸らされた。
人間の格闘家ユーリは、いまだにダメージの残るその身体ではあるが、双眸に明確な意志を宿してパチローを睨みつけた。
「ユーリさん……まさかキルシュヴァッサー卿を……!?」
「やめるんだ! カネの暗黒面に堕ちた人間は、そう簡単に戻ってはこない!」
助けてやれよ。
「では行きますか、あめしょー」
「しょうがないにゃあ」
先に重い腰を上げたのはこの2人であった。パチローが拳を振り上げて、ユーリに迫る。覚悟を決めた彼女と、パチローとの直線上に割り込んで、苫小牧は奇声を張り上げた。
「きょェェェェェェイァァァァァァァァァァァッ!」
割り込む動作すらも攻撃に織り込んだ、美麗な回し蹴りである。多くのクラスが存在する中で、脚部を武器として使用できるのは格闘家だけだ。吹き飛びはしないものの、パチローは大きく仰け反って動きを止める。
あめしょーは、颯爽とユーリにかけよって、インベントリからアイテムをひとつ彼女に手渡した。透明な小瓶に入った、半透明の液体。なにやらキラキラと輝いて見える。エリキシルポーションと呼ばれる、極めて稀少な回復アイテムだった。
「あめしょーさん、でもこれ……」
「あー、気にしなくて良いよー。もらい物だから」
こうした流れになっては、マツナガも協力せざるを得ない。彼がさっと腕をあげると、それを合図とし、沈黙を保っていた般若面の忍者部隊が小刀を逆手に構える。そのまま指を鳴らせば、彼らは一様に走り出して、アクロバティックな動きでパチローを取り囲んだ。
「キルシュさん、しっかりして!」
アイリスがキルシュヴァッサーに駆け寄る。未だに壁に背中を預け、焦点の合わない瞳でぶつぶつと何かをつぶやく黒騎士は、贔屓目に見積もってもそうとうアブない状況にあった。
「あ、アイリス……。私は……」
「おカネが何なのよ、もう! おカネがなくたって、人間なんとかなるもんでしょ!」
「しかし、使えるものは使わないと……」
「今は使えないんでしょーが!」
平手でぺちぺちとキルシュヴァッサーの頬を叩く。それでも、彼が正気を取り戻す気配は見られなかった。
もう、どうすればいいのよ。こうなるとアイリスだって焦り出す。キルシュヴァッサーではないが、課金剣が封じられたのはまぁ事実であるわけだし。価値観をかなぐり捨ててまで頼りにしていたものがいきなり無くなれば、まぁこのようになってしまうのかもしれない。
「お、おカネがなくなって、いろいろなものがあるじゃない!」
「例えば?」
「ゆ、友情とか……」
少し恥ずかしげに、アイリスは答えた。あまりこういうストレートなことは言い慣れていないのだ。だが、キルシュヴァッサーは大真面目な顔でこう叫ぶ。
「友情なんか二束三文にもなりませんよ!」
「キルシュさんのバカ!」
実に魂のこもった罵倒であった。
アイリスは、目の前でパチローを取り囲むプレイヤーが達を指差す。ユーリ、苫小牧、あめしょー、マツナガは遠巻きに眺めているだけだが、彼の配下の忍者軍団。あとまぁ、ティラミスとゴルゴンゾーラもようやく戦列に加わった。
「みんなが助けてくれるのは、そのゆっ、ゆうじょっ……ゆうじょーの力なんでしょーが!」
「その通りです、アイリス!」
「良いことを言いますね、アイリスさん!」
「友情の力だ、アイリス」
「録音しておきましょうかね、アイリスさん」
「みんな黙ってて!」
こちらを振り向いて、一様に良い笑顔を見せるトッププレイヤーどもをぴしゃりと叱りつける。
だが、やや小っ恥ずかしい台詞にも少し効果はあったようだ。キルシュヴァッサーの瞳、カネの力によって地獄のような赤色に染まった瞳が、徐々に落ち着きを取り戻していく(システム的にどういう処理になってんのこれ)。もう一押し、何か、何かいいことを言わないと。御曹司みたいに、すごい調子の良いことを言ってあげないと。でも、これ恥ずかしい台詞なんてそうそう出てくるもんじゃないし……。
「しかし、課金の力を失った私に、何ができるというのですか……」
「そ、それは……」
葛藤するアイリスに手を差し伸べるかのように、ぽーん、という軽い音がなった。フレンドメッセージの着信音。それはアイリスに宛てられたものではなく、キルシュヴァッサーに向けられたものだった。アイリスは覗き込んで驚く。差出人はキリヒト(リーダー)だった。
『今すぐ共有インベントリを開け!』
言葉に従い、アイリスとキルシュヴァッサーは同時にギルドの共有インベントリを開く。そこには、4本の〝華金剣アロンダイト〟が、名前を連ねていた。2人は思わず目を疑った。パチローはまだ気づいていない。
メッセージの本文には、この課金剣が、かつてグランドクエストの際、地下ダンジョンでイチローから手渡されたものであること、使い道がなくて持て余していたこと、今回キルシュヴァッサーの戦いっぷりを聞いて彼に送り付けると決めたこと、その為に、パチローに全滅させられた際にも1人が4本のアロンダイトを預かって命からがら逃走したことなどが、臨場感あふれる文体で仔細に記述されていたが、読むのが面倒臭いのでとりあえず無視した。アイリスとキルシュヴァッサーは顔を見合わせ、同時に頷く。
「わかりましたよ、アイリス。これが友情の力……。カネと友情の融合なのですな」
「うん、あたしが伝えたかったこととはなんか違うんだけど……もうそれでいいや……」
キルシュヴァッサーは、4本のアロンダイトを共有インベントリから自身のインベントリに移し、立ち上がる。その双眸には、カネの暗黒面に黒く濁った赤光は宿っていない。黒騎士キルシュヴァッサーは、今この時まさしく覚醒したのである。
キルシュヴァッサーは、課金剣を両手に2本構えてみせた。盾を用いず、《アーツキャンセル》を用いた《ブレイカー》の2連撃を叩き込む。その様子、その覚悟を見て、観衆も状況を理解したのか感嘆の声を上げた。
「カネの暗黒面から……立ち直った……?」
「カネの力を自らのものとしたか!」
相変わらず騎士団特有のノリにはなかなかついていけない。
この時、パチローが構える武器は素手ではない。やはり観衆はざわめいた。攻撃修正+3600のハイレベルウェポン。煌剣シルバーリーフである。パチローがそれを逆手に構え、《ストラッシュ》の構えを取ることで、周囲のプレイヤーは一様に理解した。奴も勝負をつけるつもりであるのだ。だが、カネと友情の力に目覚めたキルシュヴァッサーの威容は堂々たるものであった。両手に課金剣を構え、トッププレイヤーの人垣を割って、パチローへと歩み寄る。シルバーリーフから放たれる《ストラッシュ》の威力など想像するまでもない。如何に防御を構えたところで、体力を削り切ってあまりあるダメージが貫通する。余剰ダメージが広範囲に渡って撒き散らされ、被害は受け手一人では済まされない。
決められたら負けだ。それより早く決着をつける。
両者は極めて近い距離で相対し、睨み合った。キングキリヒトは、《ストラッシュ》のダメージ発生よりも早く《バッシュ》を叩き込むことで発動を阻止していた。理論上は、ほぼ同速で放たれる《ブレイカー》でも可能なはずである。キルシュヴァッサーはごくりと唾を飲んだ。下手に先に動けば、《ウェポンガード》からの《ストラッシュ》で全抜きされる。決めるべきはカウンターだ。
ぴくり、とパチローが動いた。今! キルシュヴァッサーは右手で《ブレイカー》を放つ、が、パチローの動作は予想されたものを辿らなかった。フェイントである。
まずい、と思った時には遅かった。こちらが《アーツキャンセル》を使用するよりも、パチローが《ウェポンガード》による迎撃を行う方が早かった。攻撃失敗による硬直ペナルティは、《アーツキャンセル》によって打ち消すことができない。パチローの動作が《ストラッシュ》の発動に入る。刹那。びくりと彼の動きが止まった。彼の影に、一本のクナイが突き立っている。見れば、マツナガが得意げな顔で同じクナイを弄んでいた。忍者の固有アーツ《シャドウスナップ》。体力の削りきれていないパチローの硬直時間は、わずか2秒足らずではあったが、先手を取るには十分すぎた。
左手による《ブレイカー》が炸裂する。課金剣が砕け散り、大量のダメージがパチローに流れ込む。次だ。先ほどは止められた右手。相手の体力は、ギルドメンバーのステータス画面で正確にモニターしている。この一撃が決まれば。そう思った時だ。
「卿、そこまでだ」
聞き慣れた涼やかな声が、目の前のアバターから放たれた。キルシュヴァッサーは目を見開く。《アーツキャンセル》による攻撃モーションの強制停止はなんとか間に合い、切っ先は青年の眼前で停止した。
設定された声である。今までにパチローが発していたものとなんら変わりはない。だが、キルシュヴァッサーは明確にそれを理解し、剣を収めた。今までの行いが一気に感情となってぶり返し、背中を向けて逃げ出したい気持ちやら、五体投地からの土下座を披露したい気持ちやらが噴出する。が、彼はそれらを強引に押さえつけて、ひとまず、片膝をついて恭しく頭を下げた。
「おかえりなさいませ。イチロー様」
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× 私の取った行動うと
○ 私の取った行動と
× 物覚えをつけてきた
○ ものごころをつけてきた
× 取り戻して行く
○ 取り戻していく
× 当てられたもの
○ 宛てられたもの
× 構えて見せた
○ 構えてみせた
× 撮ることで
○ 取ることで
× 余剰ダメージがは
○ 余剰ダメージが




